7話
3日後。
玉座の上で待つギルヴァスと、その横でスライムを抱いて立つあづさの元に、風が吹き込んだ。
「よお。約束通り来てやったぜ!」
ハーピィは玉座の背もたれの上に器用に留まると、体を丸めるようにして上からギルヴァスを覗き込んだ。
「で?いい石は手に入ったんだろうなあ?」
にやにやと笑って、ハーピィは煽るように言う。だが、ギルヴァスは何も答えなかった。
「おい、聞いてンのかこのウスノロ」
「石なら無いわよ」
そしてハーピィが何か続けるより先に、あづさがそう言って返した。
「……なんだと?おい、どういうことだよ、四天王最弱サマよォ」
「簡単なことよ。あなたに渡せる石は無い。そういうことだわ」
ギルヴァスの代わりにあづさが答え、そして、にやりと笑う。
「分かったらさっさと帰ってくれる?できもしないのに脅すしか能のない鳥さん?」
「ンだとォ!?」
ハーピィの鉤爪があづさの細い首を狙って繰り出される。だが、それはあづさに届かない。
ギルヴァスがしかと、ハーピィの脚を掴んで止めていた。ハーピィはギルヴァスの手を振りほどこうとしたものの、岩のような手はびくともしない。
……まずい。ハーピィの背筋に、寒気が走る。
昔、教え込まれた鉄則が蘇る。
『風のものは、地のものに捕まってはならない』。
風のものの最大の武器は、その速さと軽さ。速さで敵を翻弄し、軽さで数多くの攻撃を繰り出す。相手の攻撃はひらりと躱し、或いはふわりと受け止めていなす。
……その速さ軽さと対極を成すのが、地のものの重さと頑健さ。
地のものは動きこそ遅いが、頑丈だ。幾多の攻撃を耐え、耐えて、そして重い一撃で戦況を一気に覆す。それが地のものの戦い方。
だから風のものは、地のものと戦うならば、その『一撃』を受けてはならない。速さで以てして、翻弄し続けなければならない。こちらの集中が途切れなければ、勝てる相手だ。どんな攻撃も、当たらなければ意味がない。その間に攻撃を繰り出し続ければいい。そうすれば、勝てる。
……だから、風のものは、地のものに捕まったが最後。
その速さを活かすことはできず、軽さは弱点にしかならず。
ただ、殺される。
「無様ね」
ギルヴァスの手に吊り上げられたハーピィは、逆さまになりながらあづさを睨んだ。
「あんなに啖呵切って、それでこれ?情けない格好ね。まるで養鶏場の鶏だわ」
勝ち誇るようなあづさの表情が、ハーピィの神経を逆撫でしていく。ハーピィは目の前のあづさへの怒りと、掴まれた脚から感じる死の恐怖でいっぱいになり、他のことなどまるで考えられなくなる。
「鶏だったら飛ばないから、こんなもの、要らないわよね?」
あづさはそっと、ハーピィの翼に触れた。それにハーピィはぞっとする。ハーピィにとって翼は必要不可欠なものだ。失ったが最後、もう二度と元の生活には戻れない。
『翼を折られる』ということは、ハーピィにとって死罪に次ぐ罰なのだ。
「……まあいいわ。どうせあなた、何もできないんでしょうし」
だが、竦んだハーピィを嘲笑って、あづさはそれきり、ハーピィの羽には触れなかった。
「もういいんじゃない?ギルヴァス。こんな奴、適当に捨てておきましょ。どうせ何もしやしないわ。こんな風に無様に吊り下げられて震えて怖がっちゃうような奴に、何かができるとは思えないもの」
「ああ、そうだな」
ギルヴァスはハーピィを掴んだまま立ち上がると、そのまま歩き……ハーピィを見ることもなく、窓の外へと投げ捨てた。
ハーピィも無能ではない。放り投げられた後、地面にぶつかるより先に空中で態勢を立て直し、傷を負うことなく着地することなど容易だった。
「……クソッ!」
そうして着地してから、ハーピィは窓を見上げる。だが、自分が放り捨てられた窓はぴしゃりと鎧戸を閉められ、沈黙している。
一度、死の恐怖から逃れてしまえば、後に残るのはべったりとした恐怖の残滓と、受けた屈辱だけ。
圧迫から解放されたというのに、足首がまだ、微かに痛む。それがますます、ハーピィの怒りを煽った。
『どうせ何もしやしないわ』と言ったあづさの声が、ハーピィの頭の中に焼き付いたように残っている。
「……見てろよ。舐めてかかった分、後悔させてやるからよォ……」
ハーピィは低く呟くと、すぐに飛び立った。
自らの率いる部隊を、動かすために。
「……行ったわね。さーてと。私達も移動しましょ。全力で飛ばせば間に合うんでしょ?」
あづさは鎧戸の隙間からハーピィの様子を確認して、ギルヴァスにそう言った。だがギルヴァスは頷きつつも、呆けたようにあづさを見ている。
「……どうしたの?」
「いや、すごいなあ……」
ギルヴァスは感嘆のため息を吐き出しつつ、あづさに笑いかける。
「俺が喋らない間に、君が全部やってくれたな。俺が喋ったのは最初の打ち合わせ通り、『ああ、そうだな』だけだった」
……ハーピィとのやり取りについては、予め打ち合わせてあった。ギルヴァスはどうも、気の利いた台詞をその場で思いつく、ということが苦手らしく、また、ともすれば相手を案じたり穏やかな言葉を発してしまったりと、何かと問題がありそうだったのだ。
そういうわけで、喋るのはあづさの役目だった。ギルヴァスはただ、険しい顔で黙ったまま、ハーピィを取り押さえていればよかったのである。
「名演だった。君は女優だな」
ギルヴァスは笑ってあづさにそう、言ったが。
「名演?やだ、何言ってるのよ」
あづさはくす、と笑って、言った。
「素よ」
「さーて。行きましょ!焼き鳥作るわよ!」
「あ、ああ……?」
戸惑うギルヴァスを引っ張って、あづさは城の外へと向かったのだった。
ハーピィの群れが、動く。彼らは皆、久しぶりに暴れられることを楽しみにしていた。
今回、彼らの隊長が命じたのは、地の四天王領の森林地帯への攻撃。弱小種族しか住んでいない、しかも万年魔力不足でどの魔物も弱っている、そんな土地への侵攻は、暇つぶしか憂さ晴らしに丁度いい。
「魔物は見つけ次第ぶっ殺せ!できるだけ無残に!残酷に!俺達を舐めてかかった代償は払ってもらわねえとなア!」
隊長の声を聞きながら、彼らは勇ましく森へと飛んでいく。この森は風の四天王領の最西端にあるハーピィ達の巣からほど近い。いずれ風鳥隊が功績を上げた時、風鳥隊の領地として与えられるかもしれない土地だ。そう思えば、『未来の自分達のもの』である土地に勝手に住む雑魚共を蹴散らしてやるのは中々悪くない。
森林地帯上空で、風鳥隊は一度、止まることになる。
上から突入しようとしたのだが、木の枝の間にギラリと輝くものがあったのだ。
光るものには目がないハーピィ達は、隠すように設置されたその蜘蛛の糸の輝きを見逃しはしなかった。
「上から行くのはナシだな。糸が掛けてある。行くなら横からだな」
ハーピィはすぐに方針を変えた。地の四天王もどうやら多少の知恵は働かせたらしい。大方、蜘蛛の魔物か何かを使って糸を張らせたのだろう。だが、蜘蛛の糸でも掛からなければ無意味。
空を飛ぶ者達ばかりで構成された風鳥隊が木の隙間を縫って飛ぶことを避け、上から攻めるであろうと予想したのだろうが……。
「俺達の機動力で木の隙間を抜けるなんて何の問題もねえ!いくぞ!」
ハーピィ率いる風鳥隊は迷うことなく、森へと突入していった。
ハーピィ達は凄まじい速度で進む。その手に持った鉤爪を、短剣を構えて。
木々の間を器用に縫って飛び、ほとんど減速しないままに森の奥へ奥へと進んでいった。
……だが。
「ヤケに静かじゃねえか」
居るはずの魔物の姿が、見当たらない。
これは妙だ。ハーピィ達の認識する限り、この森にはどうしようもない弱小種族が細々と暮らしていたはずなのだが。
「虫の1匹や2匹、居るべきだよなア?これは……」
飛んで進みながら、ハーピィは不審に思う。何故、こんなに敵が居ないのか。
答えはすぐに分かった。
「何か落ちて来やがった!」
突然、ハーピィ達の頭上から、何か固いものがバラバラと降ってきたのだ。
石か木の実か、と思ったそれは……なんと、魔物の一種であったのだ。
「……へっ、今ので奇襲に成功したつもりかよ!?」
だが、ハーピィ達はたかがアーマーワーム達の体当たり程度でどうにかなるほど軟ではない。頭や肩にぶつかったアーマーワームを払い飛ばし……そして、地上に落ちて尚丸まっているアーマーワーム達目掛けて、攻撃を仕掛けた。
やっと現れた獲物だ。いつもであったならアーマーワームなど見向きもしないが、できる限り残虐に殺戮してやろうと思うのならばこんなにいい的もない。固く丸まってハーピィ達の攻撃から身を守ろうとするアーマーワーム達を狙って、ハーピィ達は武器を向け……。
その途端。
ばふん、と、網のような何かがハーピィ達を襲った。
上から目の荒い網が引き下ろされてきて、そしてそれはそのまま、ハーピィ達をまとめて地面に押し付ける。
咄嗟にハーピィ達は暴れて、自分達を捕まえようとする網を切り払おうとする。だが、そもそもハーピィ達は互いにくっつき合って地面に留めつけられ、上手く身動きが取れない。
そうして、咄嗟に網から逃れた者以外、数名のハーピィが網の中に囚われてしまった。
身動きを封じられつつ、ハーピィ達は自分達を押さえつける網が一体何なのか、やっと見ることができた。
それは、自分達を囲むようにして立つトレント達が枝に持った、蜘蛛糸の網であった。
トレントがこうも揃って動くなど、聞いたことがない。もともと面倒くさがりな種族であるトレントが、このように一致団結して動くはずがないのに。ましてや、魔力不足のこの森で、トレントが真っ当に動くわけがないのに。
……網の中から、アーマーワームが何匹もころころと落ちてくる。体の小さな虫は、網の隙間から外に出られるらしい。……そして。
次々に、網が襲いかかってくる。ハーピィ達は散り散りになりながら、なんとか網を逃れて飛び回る。
「くそ、何だってんだ!トレントがこんなに動くなんて……!」
各々、トレントは1体につき1回しか動かない。複数体で1つの網の端を持ち、その枝を振り下ろしていくだけだ。ハーピィ達が網の中にかかって閉じ込められてしまえば、後はそれきり、枝を動かしはしなかった。
……だが、1体につき1回しか動かないのに、強い。一斉に、動くから。
「……一度出るぞ!森を抜けろ!」
ハーピィは木の間を抜けて、トレントには到底追いつけない速度で飛んでいく。まずはここから、逃れなければならない。一通りトレントが動き終わってしまえば、あとはじっくり攻撃していくだけでいいのだから。
……そう思って飛び立ったハーピィは、気づく。
最初、森の上に張ってある蜘蛛糸を見て、これはハーピィ達の侵入を防ぐためのものだと思った。
だが、違った。
これは……ハーピィ達を逃さないようにするための、檻だ。
ハーピィ達は必死に、木々の間を抜けていった。捕らえられた仲間達を救出することも叶わず、ただ、逃げることしかできずに。
何より厄介だったのは、トレントと普通の木との区別があまりにもつきにくいことだった。普通に動けばトレントの見分けもついたのだろうが、如何せん、ここのトレントは魔力不足か億劫がってかは分からないが、ピクリとも動かないのだ。これではどれがトレントでどれが普通の木か分からない。
蜘蛛糸の網も、森の上部に張られた網と同化してしまって見破りにくい。網を見つけたと思ったら、それはただの木に張られた偽物の網であったりもした。
「クソ、ザコ共の癖に……!」
ハーピィ達は次第に、森の外へ外へと逃げていく。最初にアーマーワーム達が落ちてきた地点から、大分離れた所まで。
……そこで、ありえないことが起こった。
森の緑の中、あまりにも目立つ橙色と白。ヘルルート達が何故か、そこかしこに居たのである。
「何だ!邪魔だ、退け!」
ハーピィはそう叫びながら、得物であるナイフを振りかぶった。すれ違いざま、飛びながらの一撃は、根菜達などあっさりと斬り裂いていく……そのはず、だった。
ハーピィは、見た。
自分達の姿を見たヘルルート達が、よいしょ、とばかりに何かを地面から引き抜くのを。
ハーピィの意識は、「ぴゃあああああああああ!」という凄まじい悲鳴を最後に、ふつりと途切れた。