64話
「随分無茶したなあ」
「あなたほどじゃないわ」
オデッティアが倒れ水は制御を失い、今度こそただの地下室となった場所で、あづさとギルヴァスは向かい合ってお互いにお互いの処置をしていた。
あづさは自分の手首を治した後、ギルヴァスに回復魔法を使い、ギルヴァスはあづさの首に嵌った首輪を外すべく奮闘していた。スライムは2匹、勝利を喜ぶようにあたりの床を跳ね回っていた。
「……よし。外れたぞ」
そうしてギルヴァスが奮闘した結果、あづさの細い首から首輪が外れて床に落ちる。ギルヴァスはそれを容赦なく踏みつけて、完全に破壊した。
「外す前に何か命令してみてもよかったんじゃない?私一応、ついさっきまであなたの奴隷だったんだけど」
あづさはギルヴァスの善意を完全に信じ切っていたからこそ、自ら首輪を嵌められ、更にその後、ギルヴァスに石を触らせた。もし何かされていても文句は言えない立場だっただろう。
だが、案の定というべきか、ギルヴァスはあづさに何をさせるでもなく、こうして首輪を外してしまった。やっぱりとんでもないお人よしの善人よね、とあづさは内心で笑った。
「あなただって、私に言いたい文句の1つや2つくらいあるでしょ?なんなら、させたいこともしたいことだって、あるんじゃない?」
「……もしあったとしても首輪なんて使わずに君に言うぞ」
「あは。つまり、言いたいことかさせたいことかやりたいことか、何かあるのね。なんか安心したわ」
「今のは誘導尋問だなあ……うーん」
ギルヴァスはばつの悪そうな顔で頭を掻きつつ……それからふと、あづさを見つめた。
「命令じゃあないが、俺が君に言いたいことはある。今、言っておこうか」
「そうね。ぜひ聞きたいわ」
あづさがにこにこ笑ってギルヴァスを見つめると、ギルヴァスは居心地悪そうに咳払いしてから……ため息を吐き出すように、言った。
「あんまり、無茶をしないように」
「あら。悪いけどそれは聞けないわ。必要な無茶だと思ったら、私、するわよ。あなたが今回、無茶したみたいにね。はい。怪我、治ったわよ」
あづさが肩をポンと叩いてやると、ギルヴァスは自分の体の調子を確かめ始めた。そして、傷がすべて回復したことを確認すると……いよいよ諦めたように、言うのだ。
「……うん、やっぱり君には敵わん」
それから2人は、オデッティアを彼女の寝室へ運んだ。その途中で、あづさは声を掛けられる。
「あづさ様!」
「ミラリア!よかった、無事だったのね!」
ローレライのミラリアは、水晶の柱に閉じ込められている状態ではなくなっていた。自分の足であづさに駆け寄ると、あづさの手を強く握った。
「部下より、話を聞きました。あづさ様が私の身の安全を確保してくださった、と」
「私は何もしてないわ。あなたを運んだのは水妖隊のローレライ達だし、呪いを解いたのは多分、ギルヴァスでしょ?」
あづさが微笑んでギルヴァスを振り返ると、ギルヴァスは照れ臭そうに頷いた。
「解呪の宝玉を持ってきたのは正解だったな」
……今回、水の四天王城に乗り込むにあたって、あづさかギルヴァスのどちらかは解呪の宝玉を持って入るべきだろうと相談していた。だが、あづさは水の四天王城に入った時点で宝玉を没収される恐れもあったため、到着は遅れるがギルヴァスが持ってくる方が確実だ、という結論になったのである。
「それに、俺も水妖隊のローレライ達に助けてもらった。おかげで玄関から先はほとんど戦わずに進めた」
「お役に立てたなら幸いです」
ミラリアはにっこりと笑うと、背後に居た部下達を振り返り、よくやったわね、と言葉短く褒め称えた。
……水妖隊のローレライ達が為したことは、オデッティアに対する裏切りである。だが、彼女らはとても満足げだった。
「そういえば、ルカはどこかしら。彼も呪われてるのよ。解呪しなきゃ」
「彼なら、オデッティア様のお部屋かと」
ミラリアはギルヴァスが抱えたままのオデッティアを見つつ、あづさにそう言って……それから、少し、微笑んだ。
「私達はもう、ここには居られませんから」
あづさとギルヴァスがオデッティアを抱えてオデッティアの執務室に入ると、そこにはルカが居た。
「探したわよ」
あづさが歩み寄ると、ルカははっとして振り返り……そして軽く一礼した。
「ん、これを出すのか」
「ああ。俺はもうここには居られないから」
ギルヴァスが目をやった先、オデッティアの机の上には、一つの封筒が乗っている。その封筒には、辞表、と書かれていた。
「俺には呪いが掛けられている。オデッティア様の命令に背いた時、泡になって消える呪いだ。この呪いを受けたまま他所へは行けないが、この呪いがある限りオデッティア様の元から離れることもできない。だがもう、オデッティア様の命令を聞きたいとも思わない。ならば、逃れる術は……」
死、と。
ルカは言外にそう言いつつ、その手の三又の槍を固く握る。
「へえ。じゃああなたを縛るものはその呪いだけ、ってことね」
そしてあづさはルカの覚悟の程などまるで知ってことではない、とばかりに微笑んで、ギルヴァスに命じるのである。
「ギルヴァス、やっちゃって!」
……かくして、ルカの呪いは解かれた。これで彼がオデッティアの命令に背いたところで泡になることはもうないだろう。
「……そうか、あなた達は解呪の宝玉を持っていたのか」
「ええ。風のファラーシア様に返してもらったやつよ」
ルカもファラーシアのパーティーのことは知っていたらしく、そうか、と言いつつ複雑そうな顔で手を握ったり開いたりする。
「……さては、困ってるわね、あなた」
そんなルカの様子を見てあづさが揶揄うようにそう言えば、ルカは当然のようにため息を吐いて眉間に皺を寄せた。
「当然だろう。まさか、あなたに3度も救われるとは」
「当然でしょ?優秀な人材を見殺しになんてしないわよ」
ルカの困惑はさておき、あづさはにっこりと笑って言った。
「ねえ。あとは私達とオデッティア様との交渉次第だけれど……あなた、地の四天王領に来る気はない?今ならギルヴァスが大施工して大きい湖、作ってあげるわよ?」
「起きろ、オデッティア」
オデッティアが目を開くと、頭が酷く傷んだ。頭蓋の内側から金槌で叩かれているかのような頭痛に、歪む視界。この症状には覚えがある。自らの限界を超えて魔法を使い続けた結果の、いわば二日酔いのようなものだ。
眠っても尚回復しきらなかった自分の魔力が、このような症状を伴って体の中で暴れている、ということになる。ならばもう少し眠っているべきなのだろうが……オデッティアは今、そうはできない。
「……何だ」
不機嫌を隠しもせずオデッティアがそう返事をすると、ギルヴァスは表情を和らげて、よかった、と呟いた。何が良いものか、と食って掛かりたいような気持だったが、オデッティアはそれを抑えてギルヴァスと、その隣にいるあづさとを見る。
「何故、妾を殺さなんだか」
そして、そう、問うのだ。
いっそ殺せ、という思いを込めて。
……だが、あづさ達から返ってきた言葉は、オデッティアにとっては非情なものだった。
「言ったでしょ?私達、和平を結びに来たんだって」
「今ならまあ、言っては悪いがお前の体調も悪そうだし、さっさと寝るためにも契約書にサインしてくれるんじゃないかと思ってなあ」
邪気もなくわくわくとした様子で、ギルヴァスは懐から一枚の紙を取り出した。
上質な羊皮紙に、上質なインクでしたためられた文章。それを読もうとしたが、オデッティアの眼は霞んでまともに文章を読めもしない。
「読むのは辛いか?」
「たわけが」
気遣うような言葉も鬱陶しく、オデッティアは苛立ちながらも自らを律し、出された契約書を読んでいく。
……1つに、地の四天王団と水の四天王団は和平を結ぶこと。
それに伴って、水の四天王団は地の四天王領の水を返還すること。
また、互いに争うことはやめること。
互いの利益を守りつつ、共益を増大させられるように取り組むこと。
水の四天王団の内部で争いがあった場合、地の四天王団が介入できること。
互いの資源や知識、情報をやりとりできること。
……そんな内容が延々と続いている。
「下らんな」
オデッティアはそれらを一笑に付して、契約書を破り捨てようとし……だが、指先に力が入らず、それに失敗する。
そんな自分にも腹が立って仕方がなかったが、オデッティアはせめて見苦しい姿は見せまいと、契約書を突き返した。
「こんなものを結んで、妾に何の得がある?」
「まあ、だろうなあ」
オデッティアがそう返答することなど分かっていただろうに、ギルヴァスはあからさまにがっかりした顔をした。
「……なら、もう少し色を付けよう」
そしてギルヴァスはそう言うと……契約書の最後の行に、こう書き足した。
『この契約は水の四天王オデッティア・ランジャオと地の四天王ギルヴァス・エルゼンが結ぶものであり、水または地の四天王が代替わりした際、この契約は破棄される。また、両者はこの契約を互いの望む限り存続させるよう最大限の努力を尽くす義務を負う』
「面白いでしょ」
驚きに固まるオデッティアの横から、あづさが覗き込んでにっこりと笑った。
「私はあなたのものにはなれないけど、相談に乗るくらいはできると思うの。そして、あなたが水の四天王の座に居続けたいと思う限り、私もギルヴァスも……地の四天王団はあなたを支援し続けるわ」




