63話
オデッティアの父は水竜である。だが、母は蛟であった。
先代の水の四天王であったオデッティアの父は、自らの後継者を育てるべく、より強い子を生み出そうと幾多の種族の妻を娶ったのだ。
よってオデッティアにはルカ・リュイールをはじめとして、異母兄弟が何人も居る。
……無論、兄弟とは言っても、争い競い合う仲でしかなかった。四天王の座に就けるのは1人。ならば他の兄弟達を蹴落として、自分が四天王の椅子を掴まねばならない。オデッティアは幼少の頃からそのように生きてきた。
自分以外に目立った功績を上げる兄弟があれば、徹底的にその芽を潰した。時には毒を盛って殺したこともある。
今現在も生き残っているオデッティアの兄弟は、ルカ・リュイールのように、はじめから四天王の座に就くことを拒否していたような者達ばかりである。
……オデッティアは水竜の恵まれた魔力と蛟の狡猾さを兼ね備え、更に、父の残忍さと賢さ、母の美しさと感性をも受け継いだ。だからこそ今こうして水の四天王の座に就いているのはオデッティアであり、他の者達は排除されてその多くが水の底に眠っている。
……今、オデッティアは蛟の母から受け継いだ秘術を用いて、8つ首の竜へと姿を変えていた。
8つの頭それぞれが自立した思考を持つ為に、高度な魔法を一度に8つ使うこともできる。
死角は少なく、特に相手が1人なら、ほぼ相手の動きを読み切れる。
そして何より、魔力が膨大だ。竜の血は確かに、オデッティアに多くのものをもたらしているのだ。
こうして8つ首の竜へと姿を変えられるオデッティアは、ヒドラ、と呼ばれる。これは水竜と蛟の間に生まれたオデッティアの、オデッティアだけに与えられた種族名だった。
ギルヴァスは胴を締め上げられつつも、状況を打開すべく動いていた。
無論、身動きはほとんどとれない。きつく締めあげられた体では呼吸すらままならない。
骨が軋み、血液が塞き止められて、いくら頑健なギルヴァスといえども意識を失いそうだった。
「本来ならば、こうしておいてお前の首輪の石に触れるつもりだったのだがな」
オデッティアはそう言って、あづさに笑いかける。その笑みは、8つの竜の首それぞれから発されていた。
「まあ、よい。予定が少々、狂っただけよ。このままこやつを絞め殺せば、得られる結果は同じであろう?」
「あづさよ。お前が下手な策を弄さなければ、こやつは死なずとも済んだかもしれんな」
「まあこれもまた一興よ。妾を足蹴にした罪はこやつの血で清算してやろう」
オデッティアがそれぞれの頭から言葉を発し、それぞれの頭で笑う。それと同時、オデッティアの拘束は更に強まり、ギルヴァスは遂に、血を吐き出した。
ギルヴァスは動けない。オデッティアの拘束を解く術を、ギルヴァスは持たないのだ。
多少なりとも集中ができればまだ地の魔法を使う余裕もあっただろうが、今正に絞め殺されようとしている状況ではそうもいかない。
……だが。
オデッティアが勝利を確信したであろうその瞬間、ぴょこん、とスライムが飛び出した。
オデッティアの全く予期しなかった場所……ギルヴァスの懐から。
そう。形状を自在に変え、隙間という隙間に潜り込むことができ、同時に何者の拘束をも受け付けない体を持つスライムなら……オデッティアの拘束からも逃れることが可能だったのである。
「な、なんだ!?」
そして、面食らったオデッティアに向かって、スライムはぽよんと跳ねる。
その体に、金属の線を巻き付けて。
オデッティアの情報収集は完璧だった。
風の四天王領の雷光隊から情報を仕入れ、あづさが伝授したという異世界の知識を盗み出していた。
また、水妖隊のローレライ達からは『地の四天王城の堀の中でいきなり衝撃を受けて気絶した』という情報を得ている。オデッティアが寝室であづさに気絶させられたのと、恐らくは同種の攻撃だろう。
あづさが使ってくるであろう攻撃は、読めた。水の四天王団への対策であろうその攻撃の鍵となるのは、『金属の線で輪になるように繋がれた電池』である、と。
……であるからして、オデッティアはあづさやギルヴァスが金属の線の輪を持ち出したなら、それは即ち、異世界の攻撃手段を用いてくる合図であると解釈していた。そして、自らがあづさに気絶させられた経験から、『異世界の攻撃を食らったならば、自分であっても意識を失う』とも。
そんなオデッティアの前に、金属線を巻き付けたスライムが飛び出してきたのだ。
金属線はギルヴァスとオデッティアの間に押しつぶされてひしゃげていたが、それでもまだ、機能は十分に果たすだろう。
そして、スライムの金属線の先は……ギルヴァスのシャツの内側へと伸びていた。ギルヴァスのシャツの内側に何があるのか、オデッティアには分からなかったが……警戒しない理由にはならない!
オデッティアは咄嗟に、スライムを躱し、次いで、ギルヴァスから大きく距離を取った。
オデッティアの拘束から解放されたギルヴァスはその場に崩れ落ちたが、スライムはまだ動く。それと同時に、あづさもギルヴァスへ駆け寄って何かし始めた。
オデッティアはそれらに対して、一斉に対応する。
スライムには、2つの水の刃を。あづさとギルヴァスには、3つの水の槍に3つの牙。合計8つの頭を余すことなく使って、徹底的に敵を追い詰める。ギルヴァスを一度離してしまった分を補うように。
……だがここで、信じがたい事が3つ、起きた。
1つ目は、スライムへ向かった魔法が掻き消えたこと。
2つ目は、倒れていたはずのギルヴァスが起き上がって、その体を盾に、オデッティアの攻撃を全て受け止めたこと。
3つ目は、あづさが小刀で自らの手首を切り裂いていたこと。
「な、どういうつもりだ!」
オデッティアは声を荒げつつ水を見て……そこでようやく、気づいた。あづさが自ら傷を負った理由を。
「私の血もそこそこ役に立つものね」
そこに居たあづさは、ごく簡単な水の魔法……水の弾丸を生み出すだけの魔法を使っていた。だが、それだけでも十分に効果的だ。オデッティアがスライムへ向けた水の刃を掻き消したのだから。
「……水に血を混ぜたか」
「ええ。そうよ。……どうやら多少の邪魔にはなったみたいね?」
あづさは手首から血を流しては、その血を水に落としていた。魔力の高い異世界人の血が混じった水は、特別な水になる。その水で魔法を使うことで、簡単な水の魔法だけでオデッティアの魔法を相殺させてスライムを守ったらしい。
ギルヴァスが立ち上がったのは、あづさが回復魔法を使ったからだろう。優先順位をつけて順序立てて魔法を使って、あづさは見事、オデッティアの8つの攻撃を凌ぎ切った、ということになる。
「その機転、その度胸。驚嘆に値するぞ、あづさ!」
オデッティアは素直に称賛した。あづさのその頭脳と、頭脳によって従えられた能力の全て。それらはオデッティアから見ても十分、称賛に値するものだった。
「見せつけてくれるではないか!余計にお前が欲しくなったぞ!」
「それはありがとう。でも私はあなたのものにはなれないわ」
あづさの澄ました一言が、オデッティアを更に惹きつける。この生意気な小娘の前で憎い地の四天王を殺し、そしてあづさを奪って従えられたなら、それはそれはさぞかし愉しいことだろう、と。
オデッティアは早速、ギルヴァスを殺すべく動く。
いくら回復魔法で多少回復したとはいえ、元々、オデッティアの締め付けによって深く負傷していたギルヴァスだ。先程、その場凌ぎ程度に動けていたからといって、もう一度真っ向からオデッティアの攻撃を受け止めて尚涼しい顔で居られるはずはない。
「……ついでに一言、いいかしら?」
あづさはオデッティアの考えを見透かすようにそう言葉を挟みつつ笑って……言った。
「あなた、自分の頭を8つにするよりも、他の誰かを1人連れてきた方がよかったんじゃない?」
オデッティアは一瞬、何のことか分からなかった。
オデッティアの8つの頭はそれぞれに、あづさとギルヴァス、そしてあづさに庇われた後、跳ねながらギルヴァスの方へと戻っていこうとするスライムとを確実に捉えていた。
全て見えているはずだ。オデッティアはそう、思っていた。
だから何も恐れず、ギルヴァスを噛み殺そうと牙を剥いた。
だが。
「1人で見られるものなんて、限りがあるでしょう?」
あづさがそう言って笑った瞬間……オデッティアの眼前に、ぽよん、とスライムが現れた。
……スライムは2匹、居たのだ。
それに気づいた時には、もう遅かった。
スライムはその体の中に保持していた小瓶を勢いよく吐き出し、オデッティアの口腔内へと撃ちこんだのだった。




