62話
ギルヴァスの判断は速かった。
あづさの横に立つオデッティアに向けて、何の躊躇もなく拳を振りぬいた。
オデッティアは咄嗟に対応できず、ギルヴァスの拳を受けて吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「ギルヴァス!何も言わずにこの石に触って!許可するわ!」
追撃を仕掛けようとしていたギルヴァスだったが、あづさの声に反応してすぐ、あづさへ手を伸ばす。あづさは伸ばされた手を受け取って、自分の首元へ導いた。
……そして首輪の石が妖しい光を発して、1つ、魔法が完成したのである。
「……あ、あづさ。これは、もしや……」
「ええ。多分あなたのお察しのとおりよ!ってことで、私を持っていかれたくなかったら、オデッティアに殺されないでね!」
「なんてこった……」
ギルヴァスは発動した魔法のおおよその内容を即座に把握しつつ、あづさの無謀さに表情を引き攣らせてため息を吐き……だが、今色々と考え止む暇は無いと判断した。
ギルヴァスはあづさを背に庇いつつ、立ち上がるオデッティアを前に、身構える。
「すまないな、オデッティア。殴っておいて何だが、俺達は和平を持ち掛けに来たんだ。あづさからもう聞いたとは思うが」
オデッティアは側頭部を押さえつつ憎々し気にギルヴァスを睨んでゆらりと立ち上がり、その手に水の錫杖を生み出す。そして、勢いよく発射された水がギルヴァスの頭のすぐ横を抜けて、後方の壁を砕いた。
「……話すつもりはない、ということか」
「元より分かりきっていたであろうに、今更何を言う」
緊張を走らせながらギルヴァスはオデッティアを見つめ、オデッティアはギルヴァスをせせら笑って睨む。
「俺はお前が襲い掛かってくる限り、ゆっくりあづさの首輪を外すことができない。お前は俺を殺さない限り、あづさを手に入れられない。となればまあ、戦うしかないだろうなあ」
「戦うだと?笑わせてくれるものよな、ギルヴァス。『四天王最弱』がまともに戦えるのか?」
オデッティアはそう言うや否や、杖を床につく。
すると、杖をついたところから水が広がり、床を、やがて壁を、そして天井をも水が覆い尽くした。
「忘れてはおるまいな?ここは妾の城。地の者の居るべき場所ではない。ならば……お前の不利は必然!」
天井から流れ落ちてくる水が水の壁を作り、床を水が覆い、そして床の水は天井へと吸い上げられていく。奇妙な水の部屋は、オデッティアの為に作られた戦場なのだろう。
だが。
「そちらも忘れているようだが」
ギルヴァスは策など講じず、ただ、身構えて笑った。
「俺は元来、戦うのは好きな性分だぞ?」
2人が戦い始めてしまうと、あづさがすべきことはあまり多くない。
オデッティアが繰り出す水流の魔法は見目に派手で美しく、それでいて恐ろしい威力を秘めたものであったが、ギルヴァスはそれらの大半を受け止めて、それでいて大した傷も負わずに立っている。
ギルヴァスがこうして戦う様子を、あづさは初めて見る。
……ギルヴァスの戦い方は、地味だった。ギルヴァスのことだから地味な戦い方するんでしょうね、と思っていたあづさであったが、その想像を更に上回る地味さであった。
何せ、動かない。四方八方から水が襲い掛かるのに、ギルヴァスは一歩も動かず、精々体の向きを変えるために半歩程足を動かす程度で、一か所に留まったまま、オデッティアの攻撃に耐え続けていた。
そう。耐え続けるだけなのだ。
ギルヴァスが取っている行動は、防御の一択なのだろう。恐らく防御のための魔法を使っている。身体をより強固にして水流を受け止められるようにし、或いは水流を逸らし、相手へ返していく。ただそれだけだ。
ギルヴァスから動くことはなかった。ただ、オデッティアの猛攻をずっと凌いでいるだけ。無論、ただ防御するだけ、とは言っても、オデッティアの攻撃を防ぎ続けるためには技術も力も必要なのだろうが。
……だが、こんな地味な戦い方こそが彼の戦略なのだろう。
相手の全力に対して耐え続けていれば、相手はやがて消耗する。その時がギルヴァスの反撃のチャンスになる。
いつ来るか分からないその時を待ち続けて、防御の姿勢を崩さない。
風のような華やかさはなく、水のような流麗さもない、ただ武骨で単純な戦い方。岩のような戦い方は、正に地の四天王のものに相応しかった。
「ええい、いい加減にしろ!」
そうして遂に、オデッティアは一際強い攻撃に出る。
水流の操り方を変えたかと思うと、水流は水の刃となってギルヴァスへと襲い掛かっていった。
途端、すぱり、とギルヴァスの肩口が切り裂かれて赤く血が舞う。ギルヴァスは少々顔を顰めたが……動じることはなかった。
オデッティアは、水の槍を放ち、床から水を伸び上がらせ、はたまたギルヴァスを水で包んで窒息させようとし……と多彩な攻撃方法でギルヴァスを攻めたが、ギルヴァスの対応は皆同じ。
ただ、防御。
まるで時間を稼ぐことが目的であるかのように、ギルヴァスは延々とつまらない防御の姿勢を崩さなかった。
これに焦り始めたのが、オデッティアである。
押しても押してもまるで押せていない。無力感に苛まれ始め、それは次第に焦燥となる。
オデッティアとしては認めたくないことに、オデッティアはギルヴァスに碌な傷を与えられていないというのに、オデッティア自身は消耗し、集中がぶれてきていた。
……そもそもこれは、オデッティアにとってあまりにも分の悪い戦いだった。
昨夜はあづさを警戒してあまり休んでおらず、今日に入ってからは寝室であづさに未知の攻撃を食らって気絶させられている。連日、大魔法を何度も使っている、ということも大きい。
よって、オデッティアの体調は万全ではなく……そのために少々、焦っていたのだ。
早くに決着をつけてしまわなければ、消耗したところを狙われる。単純な体力ならば、どう足掻いてもオデッティアはギルヴァスに勝てない。
ならば、と、オデッティアは動いた。このままじりじりと消耗していく前に、ギルヴァスの不意を突いて仕掛ける必要があった。
オデッティアは即座に判断して、水の刃を7つほど宙に浮かべた。1つ操るだけでも相当に技術を要する刃が7つ。これは十分にギルヴァスを慎重にさせる。
更に……その刃があづさへと向かったならば、当然、ギルヴァスはあづさを守るべく動くしかない。
そこを狙って、オデッティアは動く。今まで魔法だけで戦っていたが、体術が使えないわけではない。魔法7つを同時に操りながら、更に体を動かすことも、オデッティアにならば可能。
オデッティアは8つ目の魔法を使ってその手に水の槍を生み出すと、それをギルヴァスに向けて繰り出した。
突然、ギルヴァスが動いた。ただし、オデッティアが想像していたのとは大分異なるように。
今までほとんど動かずにただ攻撃を受け止め続けていたギルヴァスは、大岩か何かのように見えていた。だが、自らがただ魔法に打たれ続ける静物ではなく意思と命を持った生物なのだということを存分に知らしめるかのように、大きく、力強く動く。
ギルヴァスはあづさの方を見ていた。だというのに、まるで予想していたかのようにぐるりと体を反転させると、迫るオデッティアの槍を躱し、代わりにオデッティアの腹に拳を叩き込んだのである。
オデッティアが水の床の上に倒れる。容赦なく、狙いも確かに決まった一撃は、オデッティアを倒すに十分だった。オデッティアが魔法を維持できなくなった証拠に、あづさにぶつかる寸前だった水の刃はただの水に戻って床にバシャバシャと落ちた。
……だが、それでもギルヴァスは構えを解かない。なぜならば……知っているからだ。
オデッティアの真の姿を。
水の床が、倒れたオデッティアを呑み込んだ。そしてそのまま、部屋には静寂が戻る。
「勝った、の……?」
「いや。まだだ」
不安げなあづさを変わらず庇いつつ、ギルヴァスは水の部屋の中、じっと周囲を警戒していた。
オデッティアがここで終わる訳が無い。自分が負けることを前提に動く彼女ではないが、だからこそ、万が一に負けた時の対策をしていないとは思えない。
やがて、ギルヴァスの言葉を裏付けるように、水が動いた。
1つの太い柱を生み出すようにして集まった水は、オデッティアの姿を完全に覆い隠してしまう。
「あづさ」
水の柱を見ながら、ギルヴァスはあづさを振り返って、笑った。
「いざとなったら俺も巻き込んでくれて構わんぞ」
ギルヴァスへ、天井から声と水が降る。
ギルヴァスがずぶ濡れになりながら上を見上げた、その途端。
「我慢比べか。悪くはない!貴様が守りに徹するというのなら、その土俵で戦ってやろう!」
ギルヴァスの体が、締め付けられた。
気が付けば、ギルヴァスに纏わりついていた水はいつの間にか大蛇の胴に代わっており、その大蛇の胴がギルヴァスに何重にも巻き付いては締め上げている。
肋骨が軋み、肺の空気が押し出され、心臓が早鐘を打つ。ギルヴァスは力を以てして大蛇に抵抗しようとしたものの、内側から抵抗してみたところで大蛇の拘束は緩まなかった。
「さあ、精々耐えてみよ!」
8つの首を持つ竜の姿へと変じたオデッティアは、そう吠えてより一層、ギルヴァスをきつく締めあげるのだった。




