60話
あづさは試しに、自分の首に嵌った首輪を引っ張ってみた。
だが、華奢な銀細工の首輪は、その華奢さに見合わぬ頑健さでびくともせず、あづさの首に収まり続けている。
「案外丈夫なのね」
「当然だろう……それはあなたをここに縛り付けるためのものだぞ。そう簡単に壊れるようにできているものか」
「まあ、そうよね。じゃあ本当にギルヴァス待ちだわ」
あづさは何ともない様子で首輪のことはあっさり諦め、それからルカの前にいっそ楽し気に立つ。
「じゃあ、私はこれからあなたに連れていかれてオデッティア様のところ、かしら?」
あづさが問うと、ルカは少し、考え込んだ。
「……それはまだ命じられていない。俺が命じられたのは、あなたに首輪を嵌めることだけだ。報告しに行ったら新たにそれを命じられるかもしれないが……」
「そう。だったら報告にはいかずに、ここに私を置いて行ってくれるかしら?」
「……あなたがそう望むのなら、そうしよう」
「ありがと。助かるわ。でもいいの?これでいよいよあなた、裏切り者だけど」
あづさが念のために問えば、ルカは苦笑を浮かべた。
「今更だな。あなたに首輪を嵌めることを躊躇した時点で、もう俺は裏切り者だ。それに……先ほども言ったが、元々捨てた命だ。今更、惜しくもない。惜しいものがあるとするならば……」
ルカは苦笑をもう少しばかり力強いものへと変えて、あづさをまっすぐに見つめた。
「あなたの命と、俺の信念。それとなけなしの矜持だけだ」
「あは。あなたかっこいいわね。嫌いじゃないわ。そういう強がり」
あづさはそう言って笑って、ルカの視線に応えるように堂々と言う。
「なら安心していいわ。その全部、失わせないから。任せて。ご期待には添うつもりよ」
あづさの言葉を聞いて、ふと、ルカは複雑そうな顔をする。
「……どうして俺にそこまでする?見捨てて逃げた方が、余程賢かったと思うが」
ルカは今までのやりとりの中で、あづさの考えが読めずに困惑していた。何故、自ら拘束の首輪を嵌められたのか。何故、ルカを見捨てなかったのか。
……否。きっとルカは、それらを全て、何となく理解してもいる。だがそれがあまりにも自分の知らないものであったから、それを認められずにいるだけなのだ。
「あら。そんなの簡単よ」
ルカの悩みなどいざ知らず、あづさは笑って答える。
「私も強がってみせるのが好きなの。それだけ」
……あづさは、『優しい』のだ。
それは甘さであり、弱さでもあるのだろう。だが、ルカの目にはあづさの優しさが……厳しく残忍になれないその弱さが……酷く眩しく映った。
それはまるで、暗く深い水の底から見上げた水面のように。
「……もう1つ、その首輪の効力を説明させてほしい」
ルカはそう切り出して、あづさの首輪を見つめる。
華奢で美しい細工の中、嵌め込まれた宝石が禍々しく輝く。
この宝石こそが、この首輪の力の真髄。そこに込められた力は、決して、あづさをこの城から逃がさない、というだけのものではない。
「首輪の今の力は仮のものだ。本当の効力は、あなたがそれを受け入れた時に発動する。……首輪の石に触れることを、誰にも許可するな。あなたはもうこの城から出られない。オデッティア様はいずれあなたを追い詰めて、あなたが従属を受け入れるよう仕向けてくるだろうが……あなたがそれを許した時、あなたはその相手の奴隷になる」
「へえ。ありがと。中々にスリリングね。つまり、誰にも『許可するな』、ってこと?」
「ああ。そういうことだ」
「ふーん。……あ、自分で触っても無効なのね?」
あづさはぺたぺた、と自分の首元に触って宝石を探り当てた。だが、あづさの指が宝石に触れても、何も起こらない。
「これ、あなたが触っても無効なの?」
「い、いや……俺が触ってあなたがそれを受け入れたら、あなたは俺の奴隷になるんだぞ!?」
「オデッティアの奴隷になるくらいならあなたの方がいいと思ったんだけど……」
あづさが事も無げにそう言うと、ルカは途方に暮れたような顔をした。だがあづさはそんなルカを気にすることもなく続けた。
「あ、もしかしてこれって何度でも上書きできちゃうものなの?だったらあなたが触ってもその後でオデッティアに触られたら駄目よね」
「いや……上書きは、できない。だが、奴隷の主人が奴隷を譲渡して主人を変更することはできるし……奴隷を奪うこともできる。奴隷は主人の持ち物だ。主人が殺されれば、当然、奴隷の持ち主は殺した側に変わる」
そう、と返事をしつつ、あづさは一時的にでもルカの奴隷になっておく案を棄てた。今、ルカをあづさの主人にしたならば、ルカが命を狙われることになる。
むしろ、今この状態でも、ルカは非常に危険だ。あづさがルカを助けている以上、オデッティアはルカを人質に取ってあづさに従属を迫る道を選ぶだろう。
「……そもそも俺も今はオデッティア様の奴隷だ。指示に従わなければ泡になって消えるようになっている。こんな状態では無効だろうと思う」
「へえ。泡になって、ね……人魚姫みたいだわ」
「ひ、姫……?」
ルカは困惑した様子だったが、あづさは気にせず結論を出す。
「つまりやっぱりギルヴァス待ちってことね。これ外してもらうにしろ、一回宝石に触っておいてもらうにしろ」
ギルヴァスならばこの首輪を外せるだろうし、すぐに外せない状況下、そのままオデッティアとの戦闘に入るような場合でも、ひとまずギルヴァスに所有権を保持させておけば安心である。とにもかくにも、あづさはギルヴァスの救助待ちなのだ。
「救助待ちっていうのも癪だけど……まあいいわよね。ミラリアの安全は確保できたし、ルカもひとまずは間に合ったし。この後のことくらい、ギルヴァスにやってもらったって罰は当たらないでしょ」
あづさは諦めをつけるようにそう言って1つため息を吐いた。
……そんなあづさを見て、ルカは何か、不可解そうな顔をする。
「あなたは……その、地の四天王に自分の命も尊厳も握られることが、怖くないのか」
問われたあづさはきょとんとし……それから明るく笑いだした。
「そりゃだって、もう既に握られてるようなものだもの!私、彼が居なかったらいきなり来た異世界で生きていることすら困難だったわ」
あづさはこの異世界で、生活のほとんどの部分をギルヴァスに依存している。生活基盤も風の四天王団とのパイプも整ってきた今ならばギルヴァスの元を離れても生きていけるだろうが……恐らく、自由度は大幅に失われる。
あづさは厚意によって生かされ、自由にさせられている。あづさはそれを、分かっている。
「それに大丈夫。彼がどういう人かは私、もう大体わかってきたもの」
「どういう人か、とは……」
そして何より……あづさは、知っているのだ。
「とんでもないお人よしの善人、愛すべき馬鹿な賢人だってことよ!」
やがてオデッティアは目を覚ました。
意識を取り戻した途端、腹の奥からこみ上げるような吐き気を味わうこととなったが、そんなものは怒りの前にすぐ消し飛んだ。
「……やってくれるではないか、あづさよ」
あづさが使った魔法は、オデッティアの知るいかなるものとも異なっていた。魔法の気配を一切感じさせないまま、オデッティアに激しい衝撃と熱を与えたのだ、古代の魔法か何かだったのだろうか。
……それとも。
「あれが電池、か……?」
オデッティアが仕入れた情報の中には、あづさが使ってくるであろう武器についての情報もあった。曰く、液体と2種類の金属、そして輪の形に為した金属線とで成り立つ、異世界の魔法とでも呼ぶべきものである、と。
背中から襲われたために何が起きていたのか詳しくは見えなかったが、ひとまず、あづさがあれだけの攻撃を放てるということは分かった。
「……少々、甘く見積もっていたようだな」
オデッティアは立ち上がり、その瞳を憎悪に燃やして、魔法を使い始める。
その傍ら、この城へ迫る強大な気配を感じていた。
空を飛ぶ竜が水の中へ無理矢理突っ込んでくるなど、全く以て美しくない攻略法ではあったが、確かにギルヴァス・エルゼンらしい。だが水の壁は分厚い。精々足掻け、とオデッティアは笑いつつ、部屋を出て歩き出す。
……更にオデッティアは、ルカに繋いでいる呪いの鎖が緩んでいることもまた、感じていた。ということは、ルカはあづさに首輪を嵌めることに成功したということである。
まさかルカがその気になるとは思っていなかった上、仮にルカがあづさに首輪を嵌めようとしても成功する見込みは無いだろうと思っていたオデッティアはこれに大変驚いたが……幸運であることには変わりない。
「もう、逃げられんぞ」
あづさは水底に繋ぎ留められた。そして次は、オデッティアに繋ぎ留められることになるのだ。
笑うオデッティアは既に、元の妖艶な美女の姿ではなかった。




