6話
『マンドラゴラ』。あづさも聞いたことがある。
素晴らしい薬効を持つ薬草だが、地面から引き抜くと凄まじい悲鳴を上げ、その叫びを聞いた者は死んでしまう……というような存在ではなかったか。
……そんな『マンドラゴラ』のものと思しき、ぴゃー、という声が、近づいてくる。
「な、何よ、なんで近づいてくるのよ……」
「ああ……『植え替え』だな」
ギルヴァスは動じることなく、何とも言えない顔で木々の向こう側を眺めた。
……すると、下草を揺らしてやって来たのは、ヘルルート。歩く大根と人参は、よいしょよいしょと言わんばかりの様子で、マンドラゴラと思しきものを抱えて、歩いてくる。
だが、抱えられたマンドラゴラは『ぴゃー』とか細く鳴くばかりで、その声を聞いたあづさも特に何ともないままである。
「へ?な、なにこれ?」
あづさが素っ頓狂な声を上げつつ彼らの様子を見守っていると、やがて、ヘルルート2匹はあづさとギルヴァスの近くの土を掘り始めた。
短い手足を使って一生懸命に土を掻き分ければ、森の柔らかな土はすぐに掘り返されて穴を開ける。
ヘルルート2体はその穴へ、マンドラゴラらしいものを差し込み……また、土を戻していった。
「な……なにこれ……?」
一連の作業を見守ったあづさは、改めて、思う。
なにこれ、と。
「植え替え作業だ。時々、見かける。いや、俺も10年前に見たきりだったが」
あづさがぽかんとしていると、ギルヴァスはあづさの膝の上で撫でられ続けているヘルルートを示した。
「そのヘルルートは、元はマンドラゴラと同種族だ」
「そ、そうなの?」
どう見てもヘルルートは人参と大根よね、と思いつつ、しかし、よくよく考えれば確かに、根っこの魔物、である。似たようなものか、と、あづさは納得した。
「ああ。地面に埋まり続けることを選んだのがマンドラゴラ。そして、地面から出て歩いて養分を得るようになったのがヘルルートだ。そして2種族は、共存関係にある」
「共存?」
「ああ。マンドラゴラがその土地の養分をある程度吸い尽くしてしまうと、ヘルルートがマンドラゴラを掘り返して、他の土地に植え替えてやるんだ。そしてヘルルートはマンドラゴラが集めた魔力を少し分けてもらう」
へえ、とあづさは感心しつつ、自分の傍に埋まったマンドラゴラを見つめる。
『植え替え』というのはなんとも面白い習慣だ。共存関係でそうなっているというのも、何とも面白い。案外、彼ら魔物も知能が高いのかもしれない。
感心していたあづさだったが、ふと、気づく。
「……でもそれ、よくヘルルートは大丈夫ね。さっきのマンドラゴラは弱ってたのかもしれないけど、マンドラゴラって普通、鳴き声を聞いたら死んじゃうものじゃ、ないの?」
「その通りだ。健康体のマンドラゴラなら、その悲鳴で生き物を殺す。……だが、植物はマンドラゴラの悲鳴では死なないんだ。植物の魔物も、だな。マンドラゴラの悲鳴で植物が枯れてしまったら、マンドラゴラが生きていく環境が死にかねないからな」
うっかりマンドラゴラだらけになった土地が死ぬのでは、とも思ったあづさだったが、そこはうまくやっているらしい。何だかんだ、生物というものは合理的にできているのだろう。
だが。
この森林地帯には、植物の魔物ばかりではない。
「植物は平気なのね。じゃあ、虫は?」
「死ぬなあ」
あっさりとした返事に、あづさは思わず崩れ落ちそうになる。
「……虫の魔物達、よくこの森で生きてられるわね!?」
「まあ……この森に居るマンドラゴラは、見ての通り弱っているのでなあ。悲鳴で生き物を殺すようなことがないんだろうな」
「確かに『ぴゃー』としか言っていなかったわね!」
あづさが聞いても何ともなかったのだ。どうやら、この森のマンドラゴラは……やはり、弱いらしい。
「うーん、駄目ね。戦力が期待できるかと思ったんだけど……」
あづさはがっかりしつつ、切り株の上で脚を組み直す。
マンドラゴラに僅かな期待をかけていただけに、落胆も大きい。この森の面子で、一体どうやって戦略を立てればいいのだろうか。
……そう、悩むあづさだったが。
「ぴゃー」
また弱々しい悲鳴が聞こえては、ついついそちらを見てしまう。
「あら、また植え替え?ご苦労様」
見れば、先程と同じように、ヘルルートがマンドラゴラを運んでいた。
そして、ギルヴァスとあづさの近くの土を掘って、そこにマンドラゴラを植え替える。
「ぴゃー……」
「あら?また?」
更に続いて、また別の組がやってきて、またしても近くの土にマンドラゴラを植え替えた。
「ぴゃ……」
更に更に、植え替えは続く。
……見渡せば、広場の四方八方から、マンドラゴラを連れたヘルルート達がやってきているのである。
いつの間にか『ぴゃー』は大合唱になり、その奇妙な、力の抜けるような音に……あづさは力を奪われていくような感覚に襲われた。
「な、なによ、これ……」
「あづさ、耳を塞げ!」
力が入らなくなったあづさだったが、ギルヴァスに指示されてすぐ、両手で耳を塞ぐ。
掌越しにしか『ぴゃー』が聞こえなくなると、あづさの体には力が戻ってき始めた。
「これ……もしかして、弱ーいマンドラゴラの悲鳴が合唱になって、力を発揮し始めた、ってこと、かしら……?」
結局、ギルヴァスとあづさが座る切株の周囲には、凄まじい数のマンドラゴラが植えられた。
「心なしか、ヘルルート達が誇らしげに見えるわ……」
「一仕事終えたからなあ……」
マンドラゴラの植え替えを終えたヘルルート達も、それぞれにギルヴァスやあづさの周りに集まって、うろうろと歩きまわっている。その姿はどこか、誇らしげに見えた。
「はいはい、偉い偉い。頑張ったわね」
あづさは適当な1匹に手を伸ばして撫でてやる。するとヘルルートはうきうきとした足取りで去っていった。
しばらく、あづさは只々、自分の周りをうろうろするヘルルート達を撫でて労ってやることになった。
……延々とヘルルート達を撫でてやりながら、自分達の周囲に植え替えられた大量のマンドラゴラを見て……あづさは思う。
もしかしてこれは、自分の『魔力』とやらを目当てにされているのではないか?と。
「あ、あづさ?何を」
「えい」
あづさは手近なマンドラゴラを1匹、引き抜いた。
先程ヘルルート達が植え替えたばかりのマンドラゴラはすぐに引っこ抜ける。
そして。
「ぴゃー!」
先程より幾分元気な悲鳴が上がったのだった。
「あづさ、あんなことは二度と止めてくれ……いくらこの森のマンドラゴラが弱っているからといって、耳栓もせずにマンドラゴラを引き抜こうとするなんて自殺行為だぞ」
「ええ、そうね、反省してるわ……」
ようやく力が入るようになった体を動かして、あづさは切り株に座り直す。
……マンドラゴラの、幾分元気な悲鳴を聞いた時。あづさの体から力が抜けた。
咄嗟にギルヴァスがあづさの手からマンドラゴラを奪い取り、再び地面へと戻さなかったなら、そのままあづさは力を奪われ尽くしていたかもしれない。
「でも、これで素晴らしい事が分かったわ」
だが。あづさはすっかり元気になっていた。
何故なら。
「こいつらを使えば、あの鳥にも勝てる!」
勝利への道筋が、見えたから。
あづさはしばらく、考えた。
考えに考え……そして遂に、動き出す。
「ヘルルート達!私の言ってること、分かる!?」
まず、声を掛けたのはヘルルート達。
近くをうろうろしていたヘルルート達は、あづさがそう言うや否や、立ち止まってあづさの方を向く。(少なくとも、向いた、とあづさは思った。だが本当に向いていたかは分からない。何故なら、ヘルルート達に顔は無いので!)
「良かったら、ここにマンドラゴラを皆、連れてきてくれないかしら?ここに連れてきてくれたら、魔力を分けてあげられるかもしれないわよ」
あづさがそう言えば、ヘルルート達はしばらくそのままで居て……それから、四方八方へと散っていった。
そしてしばらくすると、マンドラゴラを運んで戻ってくる。運ばれてくるマンドラゴラは皆、先程までのマンドラゴラよりは幾分元気が良かったので、あづさはずっと、耳を塞いでいる羽目になった。
マンドラゴラの植え替えが大体終わった後、あづさは次の指令を出す。
「次にアイアンスパイダー。聞こえてたら来て。怖い事はしないわ。ただ、あなた達に強い糸を作ってもらわなきゃいけないの!その為に欲しいものがあれば用意するから!」
あづさが次に呼びかけたのは、アイアンスパイダー。
……だが、人見知りらしい蜘蛛達は、全く出てこない。
「……駄目、かしら」
「まあ、臆病だからなあ」
どれ、と、ギルヴァスが立ち上がる。そしてギルヴァスは手近な木を揺らし……そこから糸を垂らしつつ落ちてきた蜘蛛達を、手当たり次第に捕まえる。
「捕まえてきたぞ」
「あ、ありがとう……ごめんなさいね、手荒になっちゃって」
ギルヴァスに掴まれて最早諦めの境地に到達したらしいアイアンスパイダーを見つめて、あづさは謝る。意味が分かっているのかいないのか、アイアンスパイダーはかさり、と少しばかり動いた。
「あなた達にはこれから、沢山糸を作ってもらうことになるわ。具体的には、トレントじゃない木と木の間、森の上部に糸を掛けてほしいの。まるで、『上から来る奴用に用意した罠』みたいに。……お願いできるかしら」
アイアンスパイダーはしばらくギルヴァスの手の上で動かなかったが、やがて、あづさの手の上へとやって来た。
そしてあづさの掌の上で脚を折り畳んでころん、と転がると……やがて、森の中へと戻っていった。
「仲間を連れてくる、だそうだ。彼らは臆病だが真面目だからな」
「そうなの。よかった。助かるわ」
あづさはアイアンスパイダーの反応を嬉しく思いつつ、次の魔物へ呼びかける。
「トレント!今じゃなくていいけど、3日後あたりに動いてもらうことになるから覚悟しておきなさい!予め言っておくからね!スピアビー!あなた達の出番もあるから、その針を磨いておいて!アーマーワーム!あなたは木の上から丸まりながら落ちる練習をしておいて!」
次々に声を掛けていったあづさは、魔物達からそれぞれ反応が返ってきたりこなかったりするのを見ながら、最後にギルヴァスへ向き直る。
「ギルヴァス。あなたは手あたり次第、ここの魔物達と契約とやらをして!トレントには『命令したら動け』っていう内容でよろしく頼むわ!」
そうしてギルヴァスに指示を出すと、ギルヴァスは困惑したような顔をしながら頷いた。
「あ、ああ……しかし、何故、わざわざ契約を?」
「そんなの、フラフラ寝返られたら困るからよ」
「寝返る、か?こいつらが?寝返ろうと思っても、こいつらを団に入れようと思う四天王はそうそう居ないぞ……?」
「いいえ。寝返る可能性も、他の四天王から引き抜かれる可能性も十分にあるわ」
不思議そうな顔をするギルヴァスを見て笑いつつ、あづさは自信たっぷりに答えた。
「だってこの子達、風の四天王のところの幹部の隊を1つ、破っちゃうのよ?きっとこれから狙われちゃうわ!」