55話
「……できちゃったわね」
「ふむ。面白いものだなあ……瓶の中で雷が光っているとは」
あづさとギルヴァスは、瓶を眺めていた。
瓶の中身は、雷雲。そして雲から雲へ、時に瓶の底へと走る稲光である。
「雨の時点で予想はついていたが……いやはや、本当にこれは『保存』する力が強い道具なんだなあ」
ギルヴァスはそう言いつつ、小型の鉛蓄電池から瓶へと延びる電極を眺めて感嘆のため息を吐いた。
「保存、と言うべきか、圧縮、合成、と言うべきかは迷うところだが」
……天気の瓶詰を作るこの瓶は、ある意味ではそのまま、天気を瓶の中に保存して、そのまま留めておくための代物であった。
だが、その本質はそれ以上のものなのである。
この瓶は、天気の要素を解析し、それを魔力によって再現している。だが、解析した天気の要素の中に別の要素を加えると、天気を『合成』することができるのだ。
例えば、青空の瓶詰の中に水を加える。すると、水という要素が加わって、青空は曇り空になる。そこに更に水を加えていけば、やがて雨の瓶詰に変わっていくのだ。
そこでもう1つ面白い特性が、『保存』である。
元々は、ネフワとシルビア曰く『青空が夕焼け空にならないように』ということで保存の魔法をかけているらしいのだが、その保存の魔法がまた別の方向にも働く。
例えば、小さな電池から生まれた電気を『保存』し続けることによって、瓶の中で大きな雷を生み出してしまう、というように。
「電気を貯めておく瓶、か。ではこれを雷電瓶と名付けよう」
「うわっすごく正解に近いわ……」
あづさの世界で良く知られる、静電気を貯める瓶の名前は、ライデン瓶。だが、ライデン瓶の語源は、製作者であるライデン大学である。雷電は関係無い。全く由来は違うのに、似たような機能の物が似たような名前になってしまった。そんな異世界であった。
「ねえギルヴァス。これ、もっと強力にできないかしら。ええと、もっと小型にする、とか、もっとたくさんの電気を貯めておけるようにする、とか」
あづさがそう尋ねると、ギルヴァスはふむ、と唸って頷いた。
「ふむ。やってみよう。中々面白そうだ」
「でしょ」
物を作ることが好きなギルヴァスとしては、雷電瓶の改良は中々に心躍る課題であるらしい。
「だがそうなると、材料が足りないな」
「それならいいわ。今、取ってきちゃって。その間にローレライ達が連絡するから」
「ああ、分かった。……くれぐれも気を付けてくれ」
「分かってるわよ。あなたも気を付けていってらっしゃい」
あづさが笑って手を振ると、ギルヴァスはバルコニーに出てすぐドラゴンの姿に変じ、空へと飛び立っていった。
それを見送って、あづさは早速、庭の様子を見に行くことにするのだった。
庭ではローレライ達がオデッティアと情報伝達の魔法でやり取りしていた。あづさはそっとその様子を窺う。
「……ええ。ですので、もしギルヴァス・エルゼンが戻ってきてしまったら、一巻の終わりです」
ミラリアはそう、水に語り掛ける。すると水が揺れて、その先でオデッティアが短く相槌を打った。
「ですが、あづさの誘惑はうまくいっています。自我はそのままに残っていますが、興味はこちらに傾いているようです。うまくいけば、ギルヴァス・エルゼンへの興味を全て、こちらへ向かせられるかもしれません」
ミラリアはそう報告して、それからふと、声を潜めた。
「……ところで、ルカ・リュイールの所在はまだ、掴めていません。より強く誘惑を掛けることに成功したら、あづさから聞き出そうと思っていますが……」
すると、水の向こうでオデッティアが小さく笑った。
『いや、よい。お前達はあづさを無事に連れ帰ることを優先せよ。ルカ・リュイールなら心配は要らんだろう』
「そう、ですか……ええ、分かりました。ではそのように」
オデッティアの言葉に沿う返事をしつつ、ミラリアは内心でぞっとする。……ルカはもう、殺されてしまったのではないか、と。だが、それを聞き出すわけにもいかない。ミラリアにできることは祈ることと、オデッティアの行動を縛ること。この2つだけだ。
『して、そちらは何時頃、準備が整う?ギルヴァス・エルゼンが確実に城から消える時間は無いのか?』
「あづさを通して、そのような時間を作れないか、やってみましょう。そちらは」
『妾の手にかかれば、お前達の移動程度、容易い。こちらのことは考えずともよい。ただ、そちらの……』
オデッティアの言葉がいよいよ具体的な内容に及ぶというその時、ミラリアははっとして空を見上げた。
「申し訳ありません、オデッティア様!奴が戻ってきました!」
『何っ』
「折を見て今日中に……夕方か夜にでもまたご連絡できるかと思います。それでは」
ミラリアは緊張の表情を浮かべて、オデッティアへと口早に告げる。この緊張の表情は本物だ。オデッティアを裏切り、オデッティアに嘘を吐きながらオデッティアと対話する、この瞬間の緊張はあまりにも大きい。
魔法を止める際、オデッティアが何か言うのが聞こえたが、ミラリアはそれを無視して魔法を止めた。
……すると、水面には静寂が戻り、オデッティアとの繋がりは完全に断たれる。
極度の緊張から解放されて、ミラリアはぐったりとその場に沈みかける。他のローレライ達が慌てて支えてくれるのを感じつつ、しかしミラリアはすっかり疲労困憊していた。
「お疲れ様」
そんなミラリア達の前に、あづさが現れて微笑みかけた。
「流石ね。完璧だったわ」
「……なら、よいのですが。オデッティア様は私達を、多少怪しんでおられる様子でした……」
「ええ。問題ないわ。怪しまれるのは仕方ないことよ。それに、相手は怪しいと思いつつも乗ってきてる。それで十分だわ」
あづさはローレライ達を勇気づけるように笑いかけると、檻の隙間から腕を差し込んで、ミラリアの肩に手を置いた。
「大丈夫。あなた達のことは守るわ。協力してもらっておいて見捨てるなんて、絶対にしない。ルカ・リュイールも同じよ。絶対に助けてみせるわ」
ミラリアをまっすぐに覗き込むあづさの瞳は自信と希望に輝いて、ミラリアの胸を強く打った。
「……はい」
肩に置かれた手も、あづさの言葉も、ミラリアや他のローレライ達にとって、なんと暖かなものだったか。
……こんなこと、言われたことがあったかしら。
ミラリアはどうしても、自分の主たるオデッティアと、目の前の少女とを比べることを止められなかった。
「……そうか。ならまた連絡せよ。ギルヴァスの奴に気づかれんようにな」
オデッティアがそう返すや否や、水妖隊からの連絡は慌ただしく打ち切られた。どうやら、地の四天王ギルヴァス・エルゼンの不在の時を狙って情報伝達の魔法を使ってきたらしいのだが、その途中でギルヴァスが帰還してきたらしい。
情報が漏れるとまずい。仕方なし、連絡を打ち切ることにしたのだが。
「……妾は待たされるのは好かんのだがの」
どうにも、オデッティアは不機嫌であった。
ローレライ達からの連絡は、次がいつになるか分からない。となれば、オデッティアはそれまで延々と、待ち続けなければならないのだ。
「これでは他のこともできんではないか」
情報伝達の魔法は、それなりに高度な魔法である。オデッティアといえども、片手間に扱いたい魔法ではない。無用な探知をできる限り排除しようと思うならば、尚更、集中して行いたい。
……となれば、オデッティアは他のこともそうそうできず、ただ、玉座の上で退屈に待つだけ、となるのだ。
「まあ、よい足置きはあるからな。退屈凌ぎにはなるか」
だが、オデッティアはそう言って妖艶な笑みを浮かべた。
「のう、ルカ・リュイールよ」
玉座の前には、手足を縛られたルカが転がされていた。
ルカが床の上からオデッティアを睨み上げれば、オデッティアは優雅に組み替えた脚の先、靴の踵をルカの脇腹にねじ込む。
ぐ、とくぐもった悲鳴が漏れ聞こえたことに満足げに笑って、オデッティアは爪先でルカを蹴りつけた。
「何故、妾の魔術の邪魔をした?答えよ」
オデッティアの足の下、ルカはその目の険しさもそのままに、オデッティアを睨んで答える。
「部下達を生かされた恩義に、応えるべきだと思った」
「ほう。恩義、か。……妾に仕えておきながら、よくもそのようなことを言えたものよ。大した度胸よな、ルカ・リュイール。当然、覚悟はできておろうな?」
オデッティアの冷たい視線を受けて、ルカはそれを嘲笑うように口元を歪ませた。
「どうせ助からない命なら尚更、尽くすべき相手は選ぶ」
吐き捨てるように発された言葉は、オデッティアの眉を顰めさせるのに十分だった。オデッティアはまた一度、ルカの背に靴の踵をねじ込む。
「……ほう。そうか。『助からない命ならば』と。……果たして本当にそうか?」
更に踵に力を込めながらオデッティアはルカを見下ろし……そして、嗜虐の笑みを浮かべた。
「なら喜べ、ルカ・リュイール。貴様への罰が決まった」
オデッティアはそう言うや否や、その手に握った杖の先でルカの側頭部を打ち据える。それと同時、強い魔法が発動してルカを縛り上げた。
呪いの鎖がルカを締め上げる中、オデッティアは身を乗り出してルカを見下ろし、言った。
「貴様に呪いをかけよう。何、妾への忠誠があるならば、貴様は助かる。……だが、妾に逆らった時、貴様の体は泡となって消えるだろう」
オデッティアは杖の先でルカの胸を突いた。すると、呪いの鎖がルカの体に吸い込まれて消えていく。ルカは絶叫を上げてのたうち回ったが、それすらオデッティアにとっては愉悦であった。
「……さて。では命令だ」
苦痛に震え、荒い呼吸をつくルカを見下ろして、オデッティアはいよいよ楽しそうに、言った。
「近く、ここへあづさが来る。……あづさにこれを嵌めろ」
オデッティアがルカの前に、妖しく輝く青紫の宝石の嵌った銀細工の首輪を投げ落とす。ルカはそれを見て、表情を凍り付かせるのだった。




