54話
ローレライ達は緊張の面持ちであった。
「ミラリア様。本当にあの異世界人の少女の方につくのですか?あまりにも危険では?」
「心配ないわ。私たちは『異世界人の少女に協力するふりをして異世界人の少女をオデッティア様のもとへ届ける』のだから」
ミラリアはそう言いつつ、険しい表情を浮かべる。
……実際、あまりにも危険であった。オデッティアを裏切る、ということは。
ミラリア1人程度、オデッティアの手にかかればあっさりと殺されるだろう。何なら、もっと残忍で冷酷な方法で、死ぬより酷い目に遭わされる可能性もある。今回は言い訳として『あづさに協力したのではなく、協力するふりをしてとにかくあづさをオデッティアのもとへ送り届けた』と言えるので、そこまで酷い目には遭わないだろうとも思っていたが……それでも、危険なことに変わりはない。
それでもミラリア達、ローレライがあづさへの協力を決めたのには、理由がある。
「……しかしこれは、よい機会でもありますね。少女あづさが我らの間にある壁に、穴を開けてくれるかもしれない」
部下のローレライの1人が、そうミラリアに囁く。ミラリアは静かに、頷いた。
「ええ。……彼女なら、やってくれるかもしれないわ。水の噂に聞いたけれど、風の四天王に代理が収まった現状が生まれたのも、あの子が関わっているらしいの。なら、水の四天王領でも、もしかしたら……」
「現体制の改革。水竜絶対主義への革命。……その引き金が、彼女かもしれない、ということですね」
ミラリアは固い表情で頷き、天を仰いだ。
「……後は、祈るしかないわ。私達が選んだ水路が、正しく海に至るものであることを。いずれにせよ、もう水は流れ出しているのだから」
彼女たちの命運は、他所の四天王と1人の少女に託されたのだ。
ミラリア達にできることは……精々、あづさを誘惑し、彼女に好かれておくことくらいだろう。
そして後は、祈るだけだ。新たな主の座に就く者が、自分達を冷遇しないことを。
オデッティアは自分の城の玉座の上で優雅に足を組みつつ、水盆を眺めていた。
先ほどまで、銀の水盆の中で水が揺れていた。それは、彼女達の言葉であった。
……水妖隊のミラリアから連絡があったのだ。オデッティア達水の者は、こうした連絡の魔法を用いることがある。水が無ければ使えず、また、視覚的にも魔術的にも感知されやすいという弱点があったが、遠く離れた相手とやり取りができるというだけで十分に重宝される魔法である。
……だが、そんな魔法によってもたらされた情報は、オデッティアの予期せぬものであったのだ。
『異世界人の少女あづさを捕らえた』。ミラリアはこう言っていた。
ありえぬことだ、と、オデッティアはすぐに結論付けた。オデッティアは始めから、この作戦が失敗するように仕組んでいたのだから。
わざわざギルヴァス宛に手紙を出しておいたのは、彼らに準備時間を与えるため。
わざわざ不利な敵地へ攻め入ったのも、こちらに不利になるように。
……そうしてオデッティアは、『送り込んだ者達が負ける』ように仕組んでいたのだ。
それは1つに、海竜隊隊長のルカ・リュイールを始末するためであった。オデッティアと同じく水竜の血を引き、更に自分の隊でも他の隊でも人望の厚い彼の存在は、少々邪魔だった。ルカ自身がそう望まなかったとしても、周囲の者が彼を次期四天王に、と祭り上げる可能性は非常に高かったのだ。
……そして現実に、そうした動きがあった。だからこそオデッティアは動いて、ルカ・リュイールを始末することにしたのである。
そして2つ目の理由は……あづさを手に入れるため。
一度こちらが失敗して手を引いたように見せかけておけば、その間に彼女達はより一層の守りを固めるだろう。
そして固めた守りについては、いくらでも情報を手に入れられる。オデッティアは風の者とも懇意にしている。彼らを使えば、あづさ側の情報は楽に手に入る。
情報の漏れた守りなど、何の抵抗にもならない。いずれ来るであろうその時には、オデッティアが自ら乗り込んであづさを攫ってやるつもりでいた。
あづさにはそれだけの価値があり……また、オデッティア自身が動かねば手に入らない程の相手だとも、思っていた。
ファラーシアのパーティーで毒を盛ったのも、恐らくはあづさだ。どのようにして達成したのかはまるで分らなかったが、彼女が何かしたことは間違いない。オデッティアはそう考えている。
そしてあづさは、毒の一件を引き金にして、風の四天王ファラーシアを倒してしまっている。これも、あづさが自ら手を下したわけではなさそうだが……何にせよ、あづさを警戒しない理由にはならない。
特に、今回のように、オデッティアの予想を少なからず裏切ってくる相手なら、尚更。
「手に入れば、面白い娘よの」
オデッティアは玉座の上で優雅に脚を組み替えつつ、呟く。
「だが、敵ならば恐ろしい。毒にも薬にもなる、が……このままでは毒、か」
海の如き青色の瞳の中、爬虫類めいた瞳孔を細めてオデッティアはじっと、虚空を睨む。
「……まあ、『勇者』でなかっただけマシ、と考えるべきであろうな」
オデッティアの呟きは誰の耳にも届かないまま、暗く深い水の底に消えていった。
「じゃあ、今日の昼頃にもう一度、連絡をお願い。でも、予定を詰め切る前に一度、魔法を中断させて。夜にもう一度連絡して、最終的に私を送り込むのは明日の夜がいいわ」
「分かりました。オデッティア様にはそのようにお伝えしましょう」
「ええ。ありがとう」
あづさはミラリアと話しつつ、今後の予定を決めていく。
……最終的に、あづさが水の四天王領に潜り込むタイミングはオデッティア頼み、ということになる。オデッティアの魔法によって、あづさは移動させられるのだ。こちらの予定もある程度は考慮されるだろうが、オデッティアとミラリアの上下関係もあり、完全にこちらの希望通りとはいかないだろう。
だが、こちらもタイミングを調節することはできる。それは、情報伝達の魔法が感知されやすい、という特性を逆手に取ったものだ。即ち、『ギルヴァスが不在の時にだけ連絡ができる』という言い訳を用意するのだ。そうすれば、少なくとも決行を遅らせることはでき……あづさ達が準備をする時間は手に入る。
勿論、そう遅らせるわけにもいかない。ルカの処刑が行われる可能性を考えると、可能な限り急ぐべきではあった。
後はオデッティアとの駆け引き次第だが……その駆け引きもミラリア任せになるところが多く、あづさはある程度の指示を出した後は、ただ祈ることしかできなかった。
「……じゃあ、私は『準備』してくるわ。昼頃、ギルヴァスが飛び立つから、それを見送ってから連絡に入って。もしそれまでに私に用があったらコレで呼んでね」
あづさは水の入った小瓶を見せつつ、ローレライ達の池を後にした。
「さーて、じゃあ早速、作りましょうか」
伸びをしつつ、あづさは城の中、ギルヴァスの待つ玉座の間へ向かう。
そこにはわくわくとした様子で待っているギルヴァスが居り……その傍らには、風の四天王団雷光隊からもらってきた、綿雲の空の瓶詰がある。
「では早速、作ってみるか」
「ええ。……上手くいくかしら。私、これがどういう仕組みかもよく分からないまま、思い付きだけで言っちゃったんだけれど」
あづさが少々不安げな顔をすると、ギルヴァスはにこにこ笑って頷いた。
「恐らく、可能だ。俺も加工の腕には自信がある。それに、材料は俺達の方がよいものを使えるからな。仕組みさえ分かれば量産もできるし、ある程度は機能の改編もできる」
「……頼もしいわね」
「ははは。頼りない、とはよく言われるがなあ……照れるなあ」
ギルヴァスは楽しそうに笑いつつ、適当な空き瓶に金属細工を施したものをあづさに差し出した。それは、天気の瓶詰の瓶を元に、機能を少々改変した代物である。
瓶の底から側面が金属細工で覆われ、さらに瓶の口のあたりにもぐるりと細工がある。これだけで1つの芸術品のようだったが、あくまでもこれは実用品として使われる。あづさ達はこれから、この瓶を実用品として使うための実験を行うのである。
「えーと、この瓶の蓋を開けて、中に天気を入れればいい、のよね?」
「そうだな。まあ、正確には、その天気の要素を魔術的に解析して瓶の中に再構築したものができあがる、ということだが」
ギルヴァスの説明を聞きつつ、あづさは早速、瓶の蓋を開けた。
瓶を持って窓辺に近づくと、やがて、瓶の細工が輝きだす。現在の空模様そのまま、空に刷毛で書いたような薄雲がたなびく空のように、瓶は青色に輝いて、そこに白色が混じり始めた。
「始まったな」
「ええと、今、この瓶は空模様を解析して、それを魔法で瓶の中に再現してる、ってことよね?」
「そうだな。ある意味では、空から魔力を奪っている、とも言えるが」
ふうん、と唸りつつ、あづさは瓶を見つめる。あづさの視線の先で、瓶の中には次第に青色が満たされ始め、そして、やがてそこに白く雲がたなびくようになる。そうして、5分もしない内に、瓶の中には空が再現された。
「これで晴れた空の瓶詰ができたな」
「ええ。……問題はここから、よね」
あづさは一度、瓶に蓋をしつつ、次の段階に挑む。
……ここまでは、雷光隊のネフワとシルビアが作っていた通りだ。だがあづさとギルヴァスは、それを超えていく。
「じゃ、早速入れるわよ。水」
あづさは一度閉じた瓶の蓋を開けると、そこにそっと、水を注ぎこみ始めた。
「……できちゃったわね」
「できちゃったなあ」
あづさとギルヴァスは、瓶を覗き込んで笑う。
その瓶の中身は、先ほどまでの青空ではない。そこにあるのは……曇り空だ。
「水はどれくらい入れた?」
「うーんとね、この瓶の半分ぐらいまで、かしら」
「成程な。ということはやはり、この瓶は中身を圧縮している、ということなのだろうなあ。面白い……」
ギルヴァスがぶつぶつと言いながらさらに瓶に水を注いでいく傍ら、あづさはわくわくとそれを見守った。
ギルヴァスが更に水を注いだ瓶は、やがて曇天を通り過ぎて、雨模様の空となる。瓶の中に銀糸の如き雨が細かく落ちていくのを見ていると、どこか砂時計か何かを思わせる。
だが砂時計とこの瓶の違いは、一度落ちた雨は消えてしまい、瓶の底に水がたまるようなことが無い、という点だろう。
どうやら先ほどギルヴァスが言っていた通り、この瓶はただ『天気を閉じ込める』というようなものではなく、『魔術によって天気を瓶の中に再現する』というものであるらしい。
「うーん、もう少し頑張れば、圧縮率を上げられそうな気がするなあ。その方がいいだろう?」
「まあ、そうね。勿論、この先が更に成功すれば、だけど」
ギルヴァスがあづさよりもわくわくしているらしい様子を見て落ち着きを取り戻しつつ、あづさはそっと、雨降りの瓶を手に取った。
そして。
「……じゃあ、いくわよ」
瓶の蓋をそっと開けると、瓶の中に重く揺蕩う雨雲に、電極を突っ込んだ。




