50話
バチリ、と音がするや否や、ローレライ達は悲鳴を上げてそれきり、歌を歌わなくなった。
あづさはそれを確認するや否や即座に合図の笛を吹く。すると城壁の上でマンドラゴラを引き抜いていたヘルルート達は、よいしょ、とばかりにマンドラゴラを埋め戻した。
すっかり静かになった周囲を確認し、堀の中、水面にぷかぷかと浮かんで伸びているローレライ達を見て、あづさはひとまず、自分達の作戦が上手くいったことを理解した。
……鉛蓄電池。あづさが堀に落としたものの正体である。
「作ってもらうのは大変だったけど、効果はあったわね」
「本当になあ……いや、こんな箱1つでローレライが全滅とはなあ……」
水面に浮かぶローレライ達を眺めて、ギルヴァスは感嘆のため息を吐いた。彼の長い人生の中でも、これほどまでの数をこれだけの道具で無力化できてしまった例は少ない。
「1つ、って言っても、中の構造的には100以上の電池だもの。作るの、大変だったでしょ?」
「そうでもない。案外楽しかったぞ」
ギルヴァスは水の中の箱を眺めて笑う。何だかんだ、物を作るのが好きな彼は少々面倒な構造のものでも、楽しんで作ってしまうのである。それが大量の鉛蓄電池を直列繋ぎにして内包した、大きな鉛蓄電池であっても。
「さて。じゃあ電池、引き上げるわね」
あづさは鉛蓄電池のケースに取り付けてあったロープを手繰って、電池を引き上げた。自分が感電しないように、と気を付けつつ。
「……この分じゃ、電池は使い捨てかしら」
「そうだったとしても十分な働きだろう。鉛と硫酸とやら、それに加えて幾らかの金属と俺の労力少しでこれだけの成果が上がるんだからな。……ローレライにできるだけ傷をつけないようにして歌をやめさせるのはとても難しいことなんだぞ?……さて、彼女らも回収せんとなあ」
電池が引き上げられると、早速ギルヴァスは竜の姿に変じて、堀の中に浮かぶローレライ達を回収し始めた。
「そうね。私も騎士の隊長さんをどうにかしてくるわ。彼も感電してたから大丈夫だとは思うけれど、万一にも逃げ出されたりしたら厄介だものね」
あづさもにっこり笑うと、城壁の内側へと戻っていくことにした。
先ほど、ケルピーに電極を突っ込むことによってケルピー諸共感電させてしまった鎧の騎士を介抱してやるために。
ルカが目を覚ますと、そこは薄暗い地下室のような場所だった。
はじめは記憶が混濁して、いったいなぜ自分がここに居るのか分からなかったが、やがて、自分が異世界人の少女あづさに何か奇妙な術を使われて、無様にも昏倒させられたのだということを思い出す。
そして彼は、同時に自分以外の仲間のことも思い出した。自分が守らねばならなかった部下達。そして水妖隊のローレライ達。
彼彼女らはどうしたのだろうか。ぞっとする思いで辺りを見回してみるも、他には誰も居なかった。
……酷く体が痛んだ。鎧兜は外され、槍は奪われている。それに加えて、手足に枷が嵌められていた。
しかし、敵はルカを死なせるつもりもないらしい。ルカの居る地下室は特殊な造りになっており、ルカが体を浸せるだけの水が用意されていた。
ルカは急速に理解する。自分は捕虜になったのだ、と。
ルカが自分の舌を噛み切って死ぬことを考えていると、不意に扉が開いた。
手足を戒められたルカは開いた扉から現れた人物を見上げて……驚く。
「あら、また驚かせちゃった?」
そこに居たのは、異世界人の少女あづさだった。
「どう?痛むところはない?」
「あ、ああ……」
「よかった。私、回復の魔法は今日初めて使ったの」
あづさはそう言ってにっこりと笑いつつ、ルカの様子を見た。
傷は見当たらない。それは粗方、あづさがもう治してしまっている。今日初めて使った回復魔法だったが、それなりにうまく扱えたようだった。練習する機会もなかっただけに、少し緊張していたが……ルカの今の状態を見る限り、問題なさそうだった。
ルカ自身は、今の状況に警戒しており、同時に疑問も感じているらしかった。それもそうだろう。狙われていると分かったうえで、あづさはこうして1人でルカのもとを訪れているのだから。
「ええと、とりあえず確認させてね。あなたはルカ・リュイール。海竜隊隊長。私を攫いに来た。ここまでは合ってるかしら?」
あづさが尋ねると、ルカは爬虫類めいた縦長の瞳孔を細めながら、じっとあづさを睨む。
「……俺の仲間は?どこへやった?全員無事なのか?」
「それはあなたが答えてくれたら教えてあげる。そうね、こっちの質問に1つ答えてくれたら、私からも1つ教えてあげるわ。逆に、私が1つ答えたら、あなたも1つ教えてね。それで、どう?答えてくれる気にはなった?」
あづさが重ねて問えば、ルカは観念したらしい。あづさと目を合わせないようにしながら答えた。
「……間違いない。俺は海竜隊隊長ルカ・リュイールだ。種族は……水竜とマーマンのハーフ」
「そう。じゃあ私も。もう知ってるとは思うけれど、アヅサ・コウヤよ。地の四天王団の参謀の地位に就いてるわ。よろしくね」
あづさはあくまでも友好的な笑みを浮かべているのだが、ルカの警戒は解けない。まあ当然よね、と思い直しつつ、あづさは早速、本題に入ることにした。
「じゃあ、まず1つ目の質問ね。あなた達って、このままオデッティア様のところに帰ったらどうなるの?」
あづさが問うと、ルカは『1つ目からそれか』というような顔をしたが、あづさは質問を翻すつもりもない。ただ黙ってルカの返答を待っていると、ルカはやがて観念したように話し出した。
「隊長の役からは辞することになる。それに加えて、こうして捕虜になっているというのであれば……追放か禁固か処刑が待っている、と考えている」
「あら。物騒なところね」
ルカの返答はおおよそ、あづさにも見当がついていた。部下をあれだけ失ってもまだ撤退しなかったことからも、ルカ達が後には引けない状況であろうことは想像がついた。
「俺は答えた。そちらにも答えてもらう。俺の仲間達はどうなった?」
続いて、ルカが必死な表情でそう尋ねてきたので、あづさは特に勿体ぶりもせずに答えてやった。
「全員、地の四天王領内に居るわよ。正確な場所は言えないけど、全員無事。あ、勿論、全員、ある程度は行動を制限させてもらってるわ。あなたみたいにね」
あづさが答えると、ルカは安堵と悔しさの混じったような表情を浮かべた。ひとまず仲間が生きていることには安堵し、同時に仲間が全員捕らえられたということには悔しく思っているのだろう。
「全員、無事なんだろうな」
「それ、2つ目の質問ってことでいいわね?……全員無事よ。無事にしたんだから。80人分も回復魔法使ったんだもの。私、へとへと」
あづさが笑って答えれば、ルカは八十、と呟いて……それから、はっとしたような顔をした。
「まさか」
「これ、3つ目の質問ね?……あなたが察した通りよ。地面の割れ目に落ちちゃったあなたの仲間達は、ちゃんと引き上げて、傷は治せるだけ治して、今、どこかで捕縛させてもらってるわ」
ルカは噛みしめるように、よかった、と呟いた。自分の偵察が甘かったばかりに命を落としたと思っていた部下達が生きていると知って、1つ、伸し掛かっていた荷物が外れたように感じたのだ。
「喜んでくれたなら何よりだわ。私達だって、無駄に相手を殺したいわけじゃないもの。助けられる人は助けるつもりよ。こっちの姿勢は分かってくれたかしら?」
「……ああ。侵略者は俺達だ。仲間達も俺も、殺されていても何の文句も言えなかった。非礼を詫びると同時に、仲間達を助けてくれたことに感謝する」
「その感謝、受け取っておくわね」
あづさはにっこり笑うと、幾分険の取れたルカの顔を覗き込む。
「じゃあ、こちらから第2の質問ね。……私が行かなくてもオデッティア様が納得してくれる方法ってある?」
「……すまない。答えられない。答えたくないのではない。俺には分からんのだ」
ルカは俯いて、そう答えた。
「オデッティア様はご自身のお考えはあまり口に出されない。俺達もあの方が何をお考えなのか分からないまま、ただ指示に従って動いている。それで上手くいくのがオデッティア様の能力の高さの証明なのだ」
成程ね、と思いつつ、あづさは黙ってルカに続きを促す。
「何故オデッティア様がこれほどまでにあなたに執着するのかも、俺達には分からない。よって、あなたを連れ帰らずともオデッティア様が納得する、というのは……すまないが俺には思いつかない」
「そう。……まあ、そうでしょうね。分かるならさっさと撤退してそっちの手段を選んでたでしょうし」
あづさが表情を曇らせるとルカは、すまない、と小さく呟いて俯いた。あづさに自分の考えを見透かされていたことや、見透かされた上でこうして生かされて対話の余地まで与えられていることを恥じたので。
「まあ、いいわ。気にしないで。想定の範囲内よ。駄目で元々、くらいのつもりで聞いたんだから」
あづさは笑ってそう言いつつ……3つ目の質問を、口にする。
「じゃあ、第3の質問よ。……オデッティア・ランジャオのことを教えなさい。得意なことも、苦手なことも。弱点なんかもあったら教えて?」




