49話
ルカは呆然と、背後を見ていた。
自分がケルピーに乗って飛び越えてきた地面がまさか、巨大な落とし穴になっていたとは。
……只の地面に見えた。到底、落とし穴になっているなどとは思えない、ごく普通の見た目の地面だった。ルカが一度偵察に来た時も、何の異常も見受けられなかった。だがその実態は、長距離に渡って深く裂けた大地の上に、それを隠すようにごく薄く大地があっただけなのだ。
……盲点だった、ということなのだろう。ルカは突如として現れた山脈に目を奪われ、その麓にまで気を配らなかった。空を飛んでいたために、地中の罠に気づけなかった。それだけのことなのだ。
ルカは一瞬、頭の中が真っ白になったように感じた。ただ、地面の裂け目に落ちていく水と仲間達を見て、呆然とすることしかできなかった。
だが、自分に助けを求めながら落ちていく仲間の声を聞き、自分に課せられた責任を思い出すことで、ルカは動くことができた。
「今助ける!」
水を操る魔法は、ルカにも多少、心得があった。
普段はルカの槍と共に敵を貫く為、水を操っていたが……それしかできないわけではない。
ルカは水を操って、落ちていく水を引き止めた。オデッティアが動かせる限界にも近い量の水全てを引き止めることはできなかったが、それは端から諦めている。
ルカの目的は1つ。操った水を固定して、地面の裂け目を渡す橋を生み出すことだった。
そうして、ルカが動いてから先の水の大半は、地面の裂け目と山脈とを超えて先に進むことができた。
……しかし。
「……壊滅的、だな」
隊の元へ戻ったルカは、唇を噛む。ルカ率いる海竜隊の隊員達は、その8割が姿を消していた。
水流に乗って前へ前へと進んでいただけに、海竜隊の被害は大きかったのである。
「ルカ!」
「ああ、ミラリア……無事だったか」
だが不幸中の幸いと言うべきか、ミラリア率いる水妖隊はそのほとんどが残っていた。隊長のミラリアもまた、地面の裂け目に呑み込まれそうになりつつもなんとか生き残っていたのである。
「どうしましょう。私の隊の1割とあなたの隊の8割が消えたわ」
ミラリアは元々白い肌をよりいっそう青ざめさせる。
「戦力はほぼ半減、か……」
ルカもまた、兜の内側で焦燥に駆られた表情をしていた。無論、ミラリア他、部下達にもその表情は見えなかったが。
「ねえ、ルカ。撤退した方がいいかしら」
ミラリアが不安そうにそう言う。……そこでルカは、考える。
撤退すべきか、進むべきか。
戦力は半減、とルカは言ったが、実際には少々異なる。
まず、今回何故海竜隊と水妖隊の2つの隊が任務にあたっているかというと、それぞれに役割が異なるからだ。
水妖隊の役割は、あづさの誘惑である。
地の四天王城の中に居るであろう異世界人を捕らえるのに、わざわざ城の中へ入る必要はない。ただ、あづさが自ら外に出てくればいいのだ。水妖隊は誘惑の魔法を得意としている。魔法が届く距離にまで近づければ、城の外からでも十分にあづさを誘い出せる。
……一方、海竜隊の役目は、地の四天王城まで水妖隊を護衛すること。
無いとは思うが、とオデッティアに前置きまでされたが、一応、地の四天王団にも兵士が無いわけではない。それらが道中に立ちふさがる可能性はあった。そうした時、海竜隊は敵を打ち払い、道を切り開いてあづさの元まで水妖隊を進ませねばならない。
そして……どちらかというとこちらの方が余程現実味があったが……最悪の場合、地の四天王ギルヴァス・エルゼンと戦って、時間稼ぎをする必要がある。
四天王最弱と揶揄され、実際にうだつが上がらない様子を見せてきたギルヴァス・エルゼンだったが、四天王の名は伊達ではない。水妖隊は戦闘自体を得意とはしないのだ。彼女らだけでは太刀打ちできない。
……そう。海竜隊の目的は、あくまで護衛だ。道を切り開き、水妖隊を進ませ、そしあづさを手に入れるまでの時間稼ぎをする。それがルカ達の役目。
ならば。
「いや、進むぞ」
ルカはそう決意した。
「このままではオデッティア様に申し開きができない。その分働いて名誉挽回しなければ」
「でも」
ミラリアが不安そうな顔をするのを見て、ルカは彼女を安心させるように言った。
「問題ない。護衛は任せろ」
ミラリアはルカの言葉の意図に気づいて、はっとした。だが、もうルカは止まらない。ルカの決意は固い。
「俺の命と引き換えにしてでも、地の四天王を止める!」
槍を固く握りしめて、ルカは地の四天王城をじっと見据えていた。
「あっ、来たわね」
あづさはギルヴァスの肩の上に座らせてもらいつつ、城のバルコニーから荒野の方を見ていた。
「兵の数は……それほど多くはないな。恐らく、谷で大方止められたんだろう」
「そっちも後で回収かしら」
「そうだな。俺が行ってこよう」
あづさとギルヴァスはそんなことを話しつつ、こちらへ迫る水流とそこに乗っている魔物達とを見て、にやりと笑った。
「あづさ。君の予想通り、水妖隊のローレライ達が来ているぞ」
「そう。ならよかった。マンドラゴラ達の出番ね。その他にも何かいるけど、彼らは?」
「恐らく海竜隊だな。数が相当に減っているが、何せ精鋭揃いだ。油断はできないな」
「ふうん。でも、あなたが何とかしてくれるんでしょう?」
「ああ。任せてくれ」
会話する間にも、水流と魔物達は迫ってくる。その魔物1体1体の姿がはっきりと見えるようになった頃、あづさは……勢いよく、笛を吹いた。
夜の空気を裂くような笛の音は、ルカ達の耳にも届いた。総員、その音に警戒し、身構える。
身構えるルカ達の目の前で、城壁に次々と何かが垂らされていく。それは、金属の線だ。
……幸か不幸か、ルカ達はそれが何かを知らなかった。風の四天王団雷光隊の研究内容は、あづさたちの予測に反して、未だ水の四天王団の手にわたっていなかったのである。
だが、それが何かを知らずとも、意味ありげに垂らされた金属線を警戒しない理由がない。ルカ達は金属線から離れ、じっと様子を窺う。
「隊長。あれは一体、何でしょうか」
「分からん。だが、何かの罠だろう。異世界の道具かもしれない。……破壊してみる。下がっていろ」
ルカが槍に水を纏わせて槍を繰り出すと、放たれた水は見事、城壁を破壊した。そこにあった金属線も消えていることを確認して、ルカは安心する。どうやらこの罠は、突破しようと思えば突破できるらしい。
……だが安心も束の間、ルカは目眩を感じてふらついた。
「ルカ……大丈夫?あなたさっきから、無茶しすぎだわ。地面の割れ目に落ちていた水を引き留めたのも、その水を固定化したのも、あなたでしょう?」
「いや、大丈夫だ」
ルカの魔力は既に尽きかけていた。自分の身に余るほどの魔法を使い、更に、必殺の水の槍をもう2回も使っている。いくら水の魔法と相性のいい月夜だとは言っても、ルカが無理に無理を重ねていることは間違いない。
「水妖隊!全員、水と共に堀の中へ!城壁近くで歌え!もう異世界人はすぐそこだ!海竜隊は水妖隊の援護をしろ!何があるか分からん!」
ルカの指示に従って、水妖隊のローレライ達は自らを運ぶ水と共に、堀の中へと入っていった。海竜隊の者達も、その傍に控えてローレライ達を守るべく武器を構えた。
そんな部下たちの様子を確認したルカは……決意も固く、自らを鼓舞するが如く、声を上げた。
「俺は城壁の中へ進み、地の四天王ギルヴァス・エルゼンの足止めをする!……後は頼んだぞ!!」
ルカは城壁の穴から中へ飛び込む。そこにギルヴァスがいるであろうことを考えて。
……自分の命を捨ててでも、ルカは時間稼ぎをするつもりだった。ギルヴァスを足止めし、その間にローレライ達の歌であづさを誘惑し、捕らえる。そういうつもりだったのだ。
だがそこには、予想外の相手がいた。
「な……お、お前は」
「あら。その顔見る限り、驚かせちゃったみたいね?」
なんとそこにいたのは、ルカ達が捕らえるべき相手……あづさがいたのである。
「悪いけど、ただで私を捕まえられるなんて思わないことね」
あづさは手の中のスライムをむにむにと引っ張って伸ばしながらそう言って笑うと……ルカの目の前で、もう一度笛を吹いたのだった。
ギルヴァスは手の中のスライムを確認して懐にしまうと、耳栓をした。次いで、城の裏手から城壁を飛び越えて城の外に出る。
丁度その時、あづさの笛の合図が響き渡り、続いてマンドラゴラ達の「ぴゃあああああ!」という元気な鳴き声が響き渡ったものの、ギルヴァスは顔をしかめる程度でそれを耐えきった。
今、マンドラゴラの鳴き声とローレライの歌声がぶつかり合って、それぞれに何の効果もない、ただの騒音になっていた。魔法の力を持つそれぞれの音は、すっかり効力を失ったのである。
「これならあづさも大丈夫だな」
一応、マンドラゴラの声を耳栓越しに聞いて耐える訓練もしていたあづさだったが、今、ここにあるのはただの騒音である。練習の成果は出ないだろう。
「さて、あの子が時間稼ぎしている間に、俺も働かなくてはなあ」
ギルヴァスはのんびりと城の周りを周ると……そこで、歌っていたローレライ達と、彼女らを守る海竜隊の騎士達を見つけて、にやりと笑った。
「俺の城に何か用か?」
途端、魔物達はさっと青ざめたが、武器を手放すことはなく、歌を止めもしなかった。
今、武器を手放せば唯一の抵抗手段を失う。今、歌を止めればマンドラゴラの声にやられる。彼らは瞬時にそれらを判断し……結果、ギルヴァスと戦う道を選ぶことになってしまった。
「……いや、用があるのはあづさに、だな。だが悪いな。彼女はやれない。だが、俺はお前達と戦いたいわけじゃない。すぐに立ち去るなら、逃がすつもりもある」
ギルヴァスの言葉は、至極穏当である。だが、ギルヴァスと相対する者達が、ギルヴァスの言葉に応じる気配は無い。
「お前達にその気があるなら話し合いをしてもいいんだが……そんなつもりもなさそうだな」
何か、気の利いた一言でも言えればよかったのかもしれない。だが海竜隊の者達はそんな余裕も無く、一斉にギルヴァスへと攻撃を仕掛けた。
だがそれらの攻撃がギルヴァスをまともに傷つけることはできなかった。
ギルヴァスは最初の数撃は、避けも防ぎもせずに受け止めた。次の数撃は防いで、いなした。そして最後に反撃に出て、彼らを殴って昏倒させた。
まるで大岩の如き、頑健かつ単純な力。それらは、海竜隊と水妖隊を畏怖させるのに十分であった。
海竜隊が全員ギルヴァスによって気絶してしまうと、ローレライ達が怯んだ。
自分達を守る者が居なくなってしまった。こうなっては、ローレライ達はどうすることもできない。
彼女達の最後の望みは自分達の歌であづさを誘惑し、おびき寄せることだけであったが……マンドラゴラがぴゃーぴゃーと鳴いているこの状況で、あづさに歌が届くとは思えなかった。
「……さて。悪いが、お前達には投降してもらうぞ。何、心配するな。命は取らない。手酷く扱うつもりはない。ただ、オデッティアと話すための材料にはさせてもらうが」
「お、お待ちください!」
ギルヴァスがそっとローレライ達に近づくと、ローレライ達は怯え、そしてその中から1体のローレライ……ミラリアが声を上げた。
「私はミラリア・フォグ。水妖隊隊長を拝命しております。捕らえるなら、どうぞ私を。他の隊員は、そのまま帰してやってください」
ミラリアの懇願は、ギルヴァスの困った顔に受け止められた。
「いや、そう言われても……困ったな、すまんが、俺にはその力がない」
「え」
「君達を無事に帰すには、オデッティアの助けが必要だろう。まさか、水もなしに歩いて荒野を帰るつもりか?」
ギルヴァスの言葉を聞いて、ミラリアはいよいよ絶望する。
そうだった。ミラリア達には、初めから片道の切符しか与えられていなかった。
あづさを手に入れたならば、オデッティアの魔法によって移動する予定だったが、今やそれも望めない。なら、彼女達が帰る方法など、最早どこにも無いのだ。
ふと、あづさのスカートの内側でスライムが動いた。特定の動き方で、あづさの太腿をつつく。
その合図を受け取ったあづさは、動けないでいるルカと倒れたケルピーの横を通り過ぎて進み、城壁の梯子を登って、外側の堀を覗き込んだ。
途端、その下に居たローレライ達があづさの登場にぱっと表情を明るくしたが、あづさは無情にも……その堀の中へ、金属の箱を、落とすのだった。
その箱の中には、鉛の板と硫酸が入っている。




