43話
それから、あづさの講義が始まった。
シルビアとネフワ、そして未だ帰る気がないらしいラギトとを相手に、ごく簡単な『電池』の仕組みを説明する。
尤も、その説明に原理はほとんど無い。あづさが学校で学習して来たイオン化傾向も酸化還元もまるで説明しない。
それは下手に応用されないように隠しておいたほうが良い、という判断故でもあったし、そもそも説明しても理解できないだろう、という配慮でもあった。
……よって、あづさの講義は概ね、小中学生を対象にした科学実験教室の様相を呈していた。
「まず、電池っていうものの使い方だけれど、こういう風に、1つの輪みたいにしてあげないと使えないの」
小学校の理科の授業で扱うような図を描いて見せると、3人はそれぞれに興味深げに頷く。
「電池には入り口と出口があってね。出口から出て、それが『電池の力を使うもの』の中を通って、それから電池の入り口に帰ってきて電池の中に入るようにするのよ」
実際に電池を持ってきて見せてやってもよいのだが、それは水の四天王を倒した後ね、とあづさは内心でそっと思う。
これから先、ここから間違いなく、情報が漏れる。あづさはそれを踏まえて、彼らの情報提供を行わなければならないのだ。
「じゃあ、『でんち』っていうののはしっことはしっこを俺が触ったら、俺が光るのか?」
「ラギト。あなたは光らないわよ。逆になんであなたが光ると思ったのよ」
「光らないのかよ?わっかんねェ」
ラギトは首を傾げていたが、あづさとしては、ラギトに『何故人体は電気を通さないか』などと説明するつもりはないので、そのまま流す。
「簡単に言っちゃえば、金属の線よ。金属の線で繋いであげれば、そこを電気が通るの」
「……もしや、その金属の線が別の金属に触れてしまうと、輪が広がりすぎて、効果が無くなりますか?」
「あら。流石ね、シルビアさん。その通りよ。……だから、金属の線の周りはビニール……ええと、樹脂とかで覆っちゃうといいのよ。そうすると、電気がどこかに逃げていかずに、ちゃんと作った輪の中をくるくる回るから。だから、電池を使う時には金属の線が無いと駄目ね」
……あづさは意図して簡略化しすぎた説明をしつつ、続いて『電池』の説明に入った。
「私達の世界で一番簡素な形の電池が、ボルタ電池って呼ばれるもの。2種類の金属と電解液……まあ、液体を使って、電池を作るのよ」
「2種類の金属?それはどのようなものですか?」
「何でもいいの。ただ、組み合わせによって強くなったり弱くなったりするわ。有名なのは銅と亜鉛の組み合わせね」
あづさが説明すると、皆、揃って頷く。
『えきちー の ほうは にゃー?』
「液体ね?ええと、それもまあ、ほとんど何でもいいんだけれど……これももろに、電池の強さに影響するわね。強い酸性のものか、強い塩基性のものだったら大体なんとかなる、くらいに思っておいてくれるといい、かしら……」
「塩基、とは……?」
「酸の逆ね。えーと、過酸化水素水……うーん……生石灰を水に溶かした奴とか、だったら分かる?」
『わからん にゃー』
「……だったら酸の方だけ分かればいいわ。それで事足りると思うから」
あづさは説明に困りつつ、話を進めることにした。
「だけれど、さっき説明した形の電池って、一番古い形で……まあ、長持ちしないの。だからそれを改良して、ダニエル電池に……ええと、半透膜……いいえ、素焼きの板で仕切って、それぞれの金属板の間に液体が行き来しないようにすると長持ちするわ」
「わかんねえ!」
「あなたは分からなくていいの」
ラギトは案の定理解できずに翼をばたばたさせて騒いでいたが、シルビアとネフワについても理解が追いついていないように見えた。
ひとまず、『電池には+とーがあって、金属の線で1つの輪になるように繋げないと電池は使えない』ということは伝わったので、あづさとしては十分な成果なのだが。
「わかんねえ!わかんねえ!」
『ややこし にゃー』
だが、これだけでは彼らは満足しないだろう。
「……とりあえず、やってみる?」
なのであづさは、実践から入ることにした。
まず、ギルヴァスに作ってもらった銅板と亜鉛版にそれぞれ銅線を繋ぐ。
シルビアに頼んで酢を持ってきてもらい、そこに、金属板を浸けた。
金属板から延びる金属線は、この研究所に保管されていた過去の異世界人の持ち物……即ち、LEDのミニ懐中電灯に繋ぐ。
すると。
「光った!」
シルビアとラギトが歓声を上げ、ネフワは驚いたようにその体を縦に横にとフワフワ伸ばした。
続けて、銀板とマグネシウム板(正確にはあづさの説明するところのマグネシウムであろうとギルヴァスが言っていた銀色の金属の版)でも同じことを行って、LEDの光の強さが変わった事を確認させると、また歓声が上がる。
「……とまあ、こんなかんじね」
理科の実験を前にした小学生達のような3人を見て、あづさはくすくす笑うのだった。
「これがボルタ電池、って呼ばれるものよ。でも実際に私達が使っているのはこれを改良して、もっと強くてもっと取り扱いやすくした、乾電池。通常、私達が『電池』って呼んでるのはむしろそっちね」
こんなかんじ、と、あづさは図をその場で描いて見せる。シルビア達はそれぞれに覗き込んで、頷いたり声を上げたりした。
「成程、この、炭素棒、というものは何ですか?金属ですか?」
「ええと、要は炭ね。これは金属じゃないわ」
「金属ではないのに電池として働くのですか……?」
「ええ。この場合、電池の中を満たしているものに金属がもう1種類使われてるのよ。それで、その周りのケースがもう1つの金属。その2つの反応によって生まれる電気を炭の棒が集めてるだけなの」
『でんち ずっと つかえる にゃー?』
「うーん、このタイプは無理ね。言ってみれば、金属を急激に錆びさせてるようなものだから……どうしても限界はあるの。さっき言ったボルタ電池をダニエル電池に改良した例みたいに、色々やって改良してきた結果が今の電池。少しずつ寿命は延びてるけど、永久じゃないわね」
応答しつつ、あづさは、必死に自分が予習復習してきた内容を組み立てて簡略化しては伝え、かつ、ある程度内容は差し引いて……複雑に緻密に、彼らへ情報を与えた。
ここでの判断が後々まで尾を引く可能性は高かった。あづさは慎重に、かつそうは見えないように振る舞いながら、講義を続けたのだった。
「わかんねェ!わかんねェ!くやしい!」
「あなたは分かんなくていいわよ。その分優秀な仲間達が居るでしょ!」
「それもそうか!そうだな!おう!くやしくねェ!ネフワ!シルビア!頑張れ!」
「そ、そう仰られましても……」
『ひどい にゃー ひどい にゃー』
……また、時々ラギトが内容の無い会話を挟むので、その度、あづさは思考する時間稼ぎができて大変助かったのだった。
……そうして一通り、電池及び電気について話し終えたあづさだったが、既に外は暗かった。
「すっかり夜ね」
「すみません、こんなに遅くまで……」
『こんばんは とまってってね にゃー』
「そうね。悪いけれど、そうさせてもらうわ。……ラギトが既に、送ってくれなさそうだし……」
あづさとしては夜遅い帰りになっても構わないつもりでいた。……だが、ラギトはあづさを地の四天王領へ送り届けてはくれないだろう。何故なら。
「よし!泊まってけ泊まってけ!な!それがいい!」
……泊まりに、はしゃいでいたので。
「あづさは俺と一緒の部屋な!夜更けまで話そうぜ!」
「嫌よ。デリカシー無いわね、あなたって」
「でりかしい?なんだそれ!そんなモン持ってねェぞ!知らねえ!」
「だからそう言ってるでしょ」
あづさが何と言おうと、ラギトはあづさを離さないつもりらしい。
シルビアが「お部屋は1人1部屋ご用意できますよ」と助け船を出してくれたにもかかわらず、ラギトはそれでもあづさを離さないつもりらしい。
「私は1人で寝たいの!」
「嫌だ!俺はあづさと一緒がいい!なーなーいいじゃねェかよォ。喋って過ごすの、絶対に楽しいぜ!」
ラギトはそう言って、あづさをあらぬ方向へとぐいぐい引っ張っていこうとする。
なので、あづさは、言った。
「ギルヴァスは何も言わなくても1人部屋にしてくれたけど」
ラギトはぽかん、とし、それから考え始め、そしてようやく『ギルヴァスより劣ると言われている!』ということに思い当たったらしい。
しばらく何とも言えない顔をしていたが、やがて、じっとりとした目をあづさに向けつつ、言ったのだ。
「……我慢する」
と。
「よし。いい子ね」
よしよし、と小さい子にそうするようにラギトの頭を撫でてやりつつ、あづさはラギトが『子ども扱いするな!』と怒るかと予想していたのだが、予想に反してラギトが「もっと撫でろ!」と寄ってきたため、あづさは深々とため息を吐きつつ、よしよし、とまた撫でてやるのだった。
ついでに寄ってきたネフワも撫でた。
ネフワは『なんで なでる にゃー?』と表示していたが、構わず撫でた。
ネフワの触り心地はコットンボールよりひんやりとしていたが、なんとなくコットンボール達を想起させるものであり……あづさは少々、ホームシックめいた感情を覚えないでもなかった。




