41話
巨大な綿菓子はあづさに接近してくると……ふわ、と。もふ、と。あづさにぶつかって、その柔らかくふわふわとした体であづさを包み込んだ。
……おそらくこの種族のハグのようなものなのだろうな、と思いつつ、あづさとしては巨大な綿のようなものが宙に浮いて、動いて、抱きしめてきたことに驚きを隠せない。
「ご紹介します。こちらが我らが雷光隊隊長、ネフワ・カフカ様です。種族はクラウドゴースト。よろしくお願いします」
名前までふかふかしてるのね、と思ったが、あづさにはそう言わないだけの自制心があった。
「ええと、アヅサ・コウヤよ。よろしくね」
あづさがそう言って、『本当にこれで良いのかしら』と自問自答しながら手を差し出すと、ネフワはあづさの手に雲の体の一部を伸ばし、ふわふわ、とあづさの手を包み込んで優しく上下に振った。これがネフワなりの握手らしい。
……その時。
ぴこん!と音がすると同時、ネフワが、動いた。
そして、ネフワが抱えた板の上に、文字が並ぶ。
『ようこそ いせかいじんの あづさちゃん にゃー』
あづさがぽかんとしていると、シルビアがくすくす笑いながら説明を入れてくれた。
「ネフワ様は見ての通り、発声することはしません。私達とのやり取りの際にはこのように、文章でやりとりをなさるのです」
「へえ……」
シルビアはネフワが抱えた板と同じものらしい板を取り出して、あづさに手渡した。
つるりとした半透明な板は、宝石を磨いて作ったもののようにも見えた。透き通って、しかし虹色めいた光沢があるのがなんとも美しい。そして、やはり種々の宝石をはめ込み、何かの模様を刻み込んだ金属細工のフレームが、ぐるりと板を囲んでいる。何かの魔法が込められた道具なのだろう。
「この板はネフワ様ご自身が開発なさったものです。思い描いた文章や絵図を表示することのできるもので、非発声種族とのやりとりに有効ですね」
「ネフワ様の場合、スライムなどの種族とは違って思考や言語は我々が用いている言葉と互換性があります。なので、このように文章で思考を伝えて下さいます。また、こちらからは言葉を発声すれば伝わりますのでご安心下さい」
シルビアの説明を聞いて、あづさは少々不思議に思う。
『スライムなどの種族とは違って』とシルビアは説明したが、ではスライムは、あづさ達の言葉が分かっていないのだろうか。……否。到底、そうは思えない。スライムはあづさの指示に従って動くのだから。
しかし、ギルヴァスもスライムの言葉は分からないらしい。ということはやはり、ネフワとは大分異なる言語事情なのだろうが……。
『あづさ ちゃん がんばろ いっしょ にゃー』
……そして。ネフワがまた、ぴこん!という音とともにそう文章を表示するのを見て、あづさは……スライムへの疑問はさておき。遂に、尋ねることにした。
「ところで気になってたんだけど、貰った手紙にもあったんだけれど、ね……?」
「ええ。何でしょう?」
シルビアもネフワも全く気にしていないらしいそれが、あづさにはどうしても、気になる。
「……『にゃー』って、何よ」
しばらく、全員、黙っていた。
途中でネフワが『にゃー』とだけ文字を表示させたが、それきり、また誰も喋らず……
「その語尾を付けると、親しみを表現できると文献にはあったのですが……」
やがて、おずおずと、シルビアがそう言い出した。
「異世界語では、この語尾をつけた相手には恐れを抱きにくくなる、というルールがあるのでは……?あの、もしや、我々の解釈は間違っていたのでしょうか……?」
そんなルール無いわよ。
あづさはそう言いたかったが、シルビアが『何か失態を犯したのでは』と青ざめ、ネフワも落ち着かなげにふわふわと動いているのを見て……言った。
「……た、確かにそうね……」
……結局。
この世界における『にゃー』は、『人に対して親しみを表現する語尾であり、緊張をほぐすのに有効であるが、少々くだけた表現であるため公式な文書などには不向き』ということになってしまった。また、『砕けた文、気安い会話に使用する分には問題ない』とも。
……あづさは心の中で、自分の世界の人達に謝っておいた。
『にゃー』と語尾に付けるのがマイブームになってしまったらしい、巨大な綿菓子を眺めながら。
「俺もやってみっかにゃー!」
「あなたはやめておきなさい」
ついでに、ワクワクした顔で『にゃー』と言い続けるラギトを眺めながら。
それからあづさは、研究所内の食堂で食事を摂ることになった。
パーティーの時にも感じたが、風の四天王領の食事は豊かだ。
色とりどりの野菜と食用花のサラダに、優しい黄色のオムレツ。レバーペーストめいたものをパンに乗せたり、濃い金色の蜂蜜をパンにつけたり。
素材が新鮮で美味しい、ということもあるのだろうが、調理も小洒落ていて、濃やかだ。美を大切にする風の四天王団の性質がよく表れている。
「お口に合いましたか?」
「ええ。とっても美味しい!」
『よかった にゃー』
「やっぱ飯が一番美味いのは風の四天王団だ!魔王様に献上してる食べ物も、風のものが多いんだぜ!」
4人で揃って食事をしていると、あづさを物珍し気に眺めていたクラウディアンやシルフ達が寄ってきて、話してまた去っていく。
至極どうでも良い雑談であったりもするのだが、気安く和やかに話しかけられるのはそう悪い気分ではなかった。
……好奇心旺盛で風のように自由な彼らの性質が、なんとなく分かってきた。
食後の蜂蜜ケーキと花のお茶とを楽しみながら、3人はやっと、本題に入る。
「で。電池、よね」
「はい」
シルビアが姿勢を正し、その隣でネフワももそもそと動く。恐らくは姿勢を正したのだろう。
「電池の仕組みについては、簡単なところなら説明できるわ。でも、その前に聞かせてほしいの」
「はい。何なりと」
あづさは少々慎重に……そしてシルビアとネフワも緊張した面持ちで、向かい合う。
「異世界人の道具を再現したい、っていうことだったけれど、あなた達が再現したいものって、何?」
シルビアは早速、説明し始める。
「1つは、明かりです」
「明かり?……ライトとかかしら」
「そう呼ばれていたようです。何でも、魔力を消費せず、火を焚くでもなく、光が得られるとか」
あづさは頷きつつ、この世界における電灯の意義を知る。
魔力を消費しない、ということは、『疲れない』とほぼ同義であり……また同時に、『気取られにくい』のだとも言えるだろう。ギルヴァスの話では、どうやら魔法を探知する魔法もあるようだった。その点、魔法ではない明かりが有用になる場面もあるだろう。
「異世界人が残したとされている、光を発する筒は、我らの手元にあります。しかし、その道具を動かすためには『電池』なるものが必要らしく……」
「成程。それで私に聞いてきたのね」
あづさは納得した。
……そもそも、異世界の道具を知らなければ、『異世界の道具を再現したい』などという発想には至らないはずだ。ならば、文献か何かで異世界の情報があったのか、はたまた、直接見たことがあるのか……ということになる。
そして、シルビアの答えから、あづさは確信する。
どうやらこの世界には、あづさ以外にも異世界人が居るか、居たか。それは確実なようだった。
『もう1つは 風のどうぐ にゃー』
あづさが考える間にも説明は続いて、ネフワが持っている板の上に文字を表示させ……同時に、図を示す。
「ああ、扇風機ね」
思いの外綺麗に描かれた図がネフワの板に表示される。あづさにとっては見覚えのあるそれは、シルビアやネフワにとっては未知の、名前さえも分からないものであったらしい。
「せんぷうき、というのですね。成程……風を起こすための道具だとは記録があったのですが……これは一体、どういうものなのでしょうか?」
「ええとね。モーターで羽を回すのよ」
「も、もーたー……それがあると、本来ならば光になるものが、風になるのですか?」
「……まあ、そんなようなもの、かしら……」
そもそも電力は光になるものというわけでもないのだが、そこを説明するのは少々面倒そうである。
『これ でんちで うごく にゃー?』
「えーとね。今、ネフワさんが表示してくれてる頭の奴は、電池じゃ動かないと思うわ。それ、コンセントにプラグを差す奴だから……」
『でんち でんき 違う にゃー?』
「ええと、確かに電池は電気を生むんだけど……形式が違うっていうか。まあ、電池をたくさん集めて専用のアタッチメントみたいなものがあれば動かせるでしょうし、もっと小さなものなら電池でも動かせるわね」
あづさが説明すると、ネフワはもこもこと動いて、板に文字を映す。
『ややこし にゃー』
もこもこしているのは、混乱の表現なのだろうか。あづさはそれを見て苦笑しつつ……いよいよ、あづさにとっての『本題』に入る。
「私には、電池を作るための知識があるわ。扇風機は少し難しいでしょうけど、明かりならそこそこ簡単に作れるはずよ。形を問わないなら、今日中にでも、もしかしたらできるかもね」
シルビアとラギトが表情を輝かせ、ネフワがふわふわもこもこと興奮気味に形を変えるのを見つつ、あづさは笑う。
「でも、条件があるわ」
「条件、ですか?」
シルビアが少々身構える。ネフワもまた、板の上には何の文字も表示しなかったが、大人しくなってしまった。身構えているのだろうな、とあづさは感じ取る。
「ええ。まず1つ目は、私がもたらした情報は、風の四天王団と地の四天王団以外に漏らさないこと。2つ目は、できあがったものを地の四天王団に融通して欲しい、っていうこと。そして3つ目は……」
「異世界人について、教えてほしいの」




