38話
「スライムか?うーん……まあ、彼らの言葉は分からんからなあ、なんとも言えないが」
ギルヴァスは唸りつつ、スライムをちょこん、とつついた。
「こいつらにはこいつらの意思疎通の方法がある、んだろうなあ……」
「……それって、離れた場所に居ても意思疎通できるってことでしょ?生物としてどうなのよ、それ」
「うん。すごいなあ」
すごい、で済ませていいのかしら、とあづさは頭を悩ませつつ、考える。
この、スライムという謎の生物について。
「……えーとね。すごく今更なんだけど」
「ああ」
「脳がない魔物って、どこで何を考えてるの?」
まず、あづさの疑問はここから始まる。
「スケルトンとか、何をどう見積もっても脳、無いじゃない。スライムも」
「……脳、というのは、俺達の頭の中のあれか?」
「他に何があるのよ。そうよ。脳。私達がものを考えたり記憶したり、体を動かす命令を出したりするところよ」
そういえば異世界には生物学なんて無いのかしら、とあづさは思い至る。どの臓器がどんな役割を果たしているのかもよく分かっていないのかもしれない。
だが、あづさからしてみれば大問題である。脳のないものが生き物として生き、更には明らかな意思を持っているなど。
「うーん……まあ、魂で、だろうなあ……」
だが、異世界はやはり異世界であったらしい。
「た、たましい」
「ああ。肉体も所詮は器に過ぎない。俺や君はその、脳というものを使って考えているのだろうし、肉を使って体を動かしているんだろうが……魂が魔力を使って考え、体を動かしているのが、スケルトンやリビングロック、スライムといった種族だな。いや、俺も詳しいことは分からないが……」
「ああ、そうなの……」
あづさは最早、なんとも言えない気持ちで頷く。異世界の仕組みは、よく分からない。
「……で、じゃあその魂を使えば、離れたところに居る仲間とも意思疎通ができるのかしら?」
「うーん……そういう魔法はあるが、俺は分からなかったなあ。そいつはずっと俺に張り付いていたのだから、そういった魔法を使えば、俺が気づくはずなんだが。というかだなあ、そもそもスライムはそんなに魔力を多く持ってるわけじゃない。精々、考えて、自分の体を動かす、というくらいしかできない種族だぞ」
「そういうものなのね。成程。じゃあ、スライムはそういう特別な魔法を使ってるわけでもない、と……」
通信の魔法はあるらしい、という情報は得つつも、あづさはまた壁に行き当たる。
スライムは魔法を使えない。魔力が少ないから、考えたり、体を動かしたりすることしかできない。
……ではどうして、あづさのところに居たスライムが、ギルヴァスのところに居たスライムに情報を伝えられたのか。
2匹のスライム。離れた場所。情報伝達。……これらを考えていたあづさはふと、思い出した。
「そういえばこの子達、どこから来たのかまだ分かってなかったわね」
「ん?……ああ、そう言えばそうだったなあ。1匹はあづさが荒野から連れてきた。もう1匹は……気づいたら俺に張り付いてた、んだったか……」
「うん。そうよ。でもそれって、結構不思議よね?」
あづさは2匹のスライムに向けて手を差し出すと、スライムは2匹ともやってきて、あづさの手に収まろうとする。押し合いへし合い、スライム2匹はあづさの手の上で揉み合いになっている。どちらも少しずつ成長したらしく、あづさの手の上には到底収まりきらない容量になっていた。
「この子達、どっちも私に懐いてるんだもの。いきなり1匹新しい子がやってきたにしては、異常だわ」
あづさの記憶の中には、荒野で乾きに耐えかねてスライムを食べようとした時、スライムが逃げようとしていた様子が残っている。スライムは何も、始めからあづさに懐いていたわけではないはずだ。
「そう、ね……だから……」
あづさは、スライム2匹をじっと見つめつつ、頭の中に生まれた荒唐無稽な案を、述べる。
「もしかしてこの子達、元は1匹なんじゃない?」
「……ど、どういうことだ?」
「だから、このスライム、1つのスライムが分裂して2つになってるんじゃないかしら、っていうこと」
あづさがそう言えば、スライム2匹は揃ってぷるんと揺れる。意思疎通が取れすぎたかのような2匹の動作は、あづさの確信を強めた。
「元は1匹で、今は分裂して2匹。……でも、『魂』とやらは1つなんじゃない?2つの体を1つの頭脳で操ってるんだとしたら、そもそも、意思疎通も何も必要ないわよね?だって、1つの頭が考えてるだけなんだもの!」
「それは……いや、確かに理は通っているか……」
「私だって中々に馬鹿馬鹿しいとは思ってるわよ。でもこれが一番、納得がいくの」
あづさはスライムをつつく。するとスライムはくすぐったそうにぷるぷると揺れるのだ。2匹揃って。
「つまりスライムって、クラウド上の脳にWi-Fiでアクセスしてるようなものなのかも」
「な、なんだ、そのくらうどとか、わいふぁいとかいうのは」
「うーん……自分の体の中にない脳で、無線で体を動かしてる、みたいな感覚?或いは、共用の大きな脳に複数の体が無線で繋がって動いてる、みたいな……?」
ギルヴァスの頭の中には宙に浮かぶ禍々しい脳のクリーチャーとそのクリーチャーに操られる人々の様子が浮かんだが、『あづさの世界は恐ろしいところだなあ』と思うにとどめた。
「……まあ、いずれにせよ、使えるわね」
あづさはにやりと笑ってスライムをつつく。スライムは褒められていると思ったのか、ぷるんと自慢げに揺れる。
「要は、連絡通信機器代わりに使えるってことでしょ?別の場所に居る体が同じ情報を共有できるってことなんだから」
「……まあ、スライム同士では、そう、なんだろうなあ……」
「しかも、スライムの体同士のやり取りは『1つの生き物の思考』でしかないから、通信の魔法じゃない。きっと対策もしにくいでしょうね。だってギルヴァス。あなただって気づかなかったんだから!」
うきうきとして、あづさは、言う。
「傍受だってされない。探知の魔法には引っかからない。スライムってそういう連絡手段なのよ!」
「スライムはそれほど知能が高くはないぞ。連絡役にする、と言ってもなあ……」
「問題ないわよ。私達の間で予め合図を決めておいて、それをこの子達に伝えてもらうだけにすればいいの」
「だが俺はスライムの言葉は分からないぞ。……そもそもスライムは喋るのかも分からないんだが」
「そうね。私もよ。でも問題ないわ。この子達の方は、私達の言うことが分かるらしいから……ねえ。片方を私が動かしたら、もう片方も同じ形にしてくれる?」
あづさがそう言うと、スライム2匹は揃ってぷるんと揺れる。
それを見たあづさは、スライムの1匹をちょこん、とつまんで引っ張った。
うにょん、とスライムの一部が伸びると……もう片方のスライムも、同じ箇所をうにょん、と伸ばす。
次にスライムの体を揉みしだくと、もう片方のスライムも同じようにむにゅむにゅと形を変える。
更に、両手で掴んで引っ張ってみると、もう片方も伸びて広がった。
これは、一匹のスライムを机の下などに隠してみても変わらなかった。何なら、部屋を跨いだり、城の外に出たりしても変わらなかったのである。
「……ね?予め、スライムの形と伝えたいことを取り決めておけば、連絡手段としてスライムを使えるわ」
「成程……」
ギルヴァスはスライムを眺めつつ、只々感嘆のため息を吐く。
そして、つん、とスライムをつつくと、2匹のスライムは同時に同じ箇所をうにょん、と凹ませるのだった。
「スライムの事が分かったのって、もしかして私達が初めてかしら」
「かもしれん。元々スライムは水の四天王団に居たわけだが……オデッティアは、スライムを嫌っていたからな。自分の団から追い出したくらいだ。調べてみる気にもならなかっただろう」
「ふーん。勿体無いことするのね」
スライムはこんなに可愛いのに、とあづさは思いつつ、ぷにぷにとスライムをつついた。この物言わぬ魔物はどうしたことか、妙に愛嬌があって可愛らしいのだ。何を考えているのかはよく分からないが、何を感じているのかくらいは分かる。そんなこの生き物を、あづさはすっかり気に入っていた。
「……全てにおいて、そうだと思うが……そのものの価値は、そのものが決められるわけじゃあない。誰かに価値を見出されて初めて、価値を得るのだと、俺はそう思う」
唐突にギルヴァスがそう話し始めるので、あづさは少々驚きつつも頷く。
「結構シビアなこと、言うわね。まあ、そういう面もあると思うわ。自分がどんなに能力を持っていたって、他者に評価されなかったらそれまで、っていうのは、よく分かるもの。……周り全員がおかしいんだとしても、自分の評価がそう決まったらそういうことになっちゃう。まあ、よくある話よね」
あづさは、美術の教科書に載っているような芸術家達を思い浮かべる。死後にその絵画の価値が認められた者達も多い。それは、生前の周囲の評価が不当だったのか、はたまた、死後に不釣り合いな評価を与えられただけなのか。そんなことはきっと誰にも分からない。
「まあ、スライムなんかは、他者からの評価なんてまるで気にしていなさそうだが……スライムは君に価値を見出されて初めて、価値あるものになった。この領地全てがそうだ。他の団で捨てられたものが集まった領地だが、君は価値を見出してくれるだろう?俺は、それが嬉しい」
だがひとまず、ギルヴァスは嬉しそうにしている。あづさが価値を見出したことで。こんなにも。
「……そうね。そう。それ、あなたもよ。ギルヴァス。私はあなたにも価値を見出してるから。それこそ、他の四天王なんかより、ずっと」
あづさは更に、畳み掛けるように言う。
「それでね……誰もあなたの価値に気づかないのに私だけは気づいた!っていうのって……ちょっぴりずるい幸せよね」
悪戯っぽくあづさが笑うと、ギルヴァスはぽかんとし……それから、照れたように笑った。
「それは……照れるなあ」
「ええ。存分に照れて頂戴。私、あなたが照れてるの、結構好きみたいだわ」
スライムにそうするようにギルヴァスをつつくと、ギルヴァスは何やら複雑そうな顔をする。
「……少しばかり悪趣味だなあ、それは、なんとも……」
「あら。ちょっぴり悪趣味なくらいのことが一番楽しいと思うけれど?」
「うーん……いやあ、君には敵わんなあ……」
ギルヴァスは困り果てた顔をしていたが、あづさにつつかれて笑いかけられる内、諦めの速さ故に『まあいいか』と納得したらしい。
そんなギルヴァスを見て、あづさは……思うのだ。
自分だけが誰かの価値を知っている、ということは、その対象が自分であっても、仄暗くひっそりとした楽しみだ。
しかし、特にその対象が他者であると……自分だけが気づいた価値を、皆に認めさせたくなる。
……次は火か水の四天王ね。あづさはそう心の内で思って、笑みを漏らした。




