36話
「……驚いたな」
そして小一時間後。
ギルヴァスは感嘆のため息をゆるゆると吐き出していた。
「一番簡単なものとはいえ、4つの属性の攻撃と防御を1時間で習得、とは……君は天才か?」
ギルヴァスの目の前では、あづさが指先から小さな花火を出したり、水玉を出して宙に浮かべたり、と、簡単ながら様々な魔法を使っていた。
「天才、ね。悪くない称号だわ」
あづさは上機嫌にそう答える。……魔法をすぐに使いこなせるようになったことも上機嫌の理由の1つだが、それ以上に、自分が使っている魔法というものが楽しくて、あづさはたいそう上機嫌である。
「でも、もっと難しいのは練習しなきゃだめね」
「うーん、君は天才だが秀才だなあ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
あづさは苦笑しつつ、指先から火の玉を出して、それを小鳥の形に変えるように努力してみた。しかし力加減がよく分からず、火の玉は捻れて弾けて、消えてしまった。
だがそれを数度繰り返したころ、あづさの指先からは火の小鳥が飛び立つようになったのである。
「練習すれば成果になるって、いいわね。目に見える成果って好きだわ」
火の小鳥と戯れながら、あづさはふと、ギルヴァスを見上げた。
「……ねえ。私、練習したら、もっと難しい魔法も使えるかしら」
「そうだな。君なら難しい魔法も使いこなせるようになるだろう」
ギルヴァスが穏やかに笑ってそう答えるので、あづさは……恐る恐る、聞いてみるのだ。
「例えば……死んだ人を生き返らせること、とか」
「それは……」
ギルヴァスは言葉を失った。
そのまま、しばらく黙っていた。凍り付いたような表情で、ちらり、とあづさを見て……そして、揺るがない視線をギルヴァスへと向けながらも決して強くはない……珍しくも弱く脆そうな表情を見て、ようやく、ギルヴァスは言葉を発することができた。
「……難しいな。魔法も万能じゃない。あらゆることができる訳じゃない。制約は当然、ある。死者を蘇らせる、というのは……ゾンビやスケルトンとして、という意味ではないんだろう?」
「……ええ。そうね」
寂しそうなあづさの表情を見て、ギルヴァスは何か、言い表せない強い感情を覚える。じわりとした痛みにも似て、どこかもどかしい。
「誰か、生き返らせたい人が居るのか」
答えの分かりきった問いを投げかければ、あづさは随分と静かに頷く。
「……うん」
「……そうか」
怖いものなど何も無いとばかりにギルヴァスを引きずって異世界を駆けていく力強い少女が、今は年相応の、ごく普通の……ギルヴァスがその気になればすぐにでも潰れて死んでしまうような、そんな印象に映った。
「まあ、いいわ。もう諦めはついてるの。とっくに。だから私は私にできる事をするだけ。……生き返らせられるならそんなに嬉しいことは他にないけれど、でも、できないことについてうじうじ考えてるべきじゃないわ。うじうじするのはできることを全部やってから、って決めてるの」
やがてあづさは顔を上げて、いつも通りの力強い笑みを浮かべた。
「他の魔法も教えて?私、色んなこと、したいの」
「……ああ。教えた端から全て習得されそうだが。俺に教えられる範囲で、教えよう」
あづさは、先程までの話などまるで無かったかのように振る舞う。
その振る舞いは恐らく、ギルヴァスにもそう振る舞ってほしいからこその振る舞いだ。ギルヴァスはそう、感じ取って、あづさの望み通り、ただ楽しく、魔法教室を開催するのだった。
「やっぱり君は天才だな?」
「ええ、そうよ?」
そして翌日。あづさは一通り、『低級』と銘打たれた魔法をマスターした。
朝食の後に『ねえ、見て!』とあづさにせがまれてあづさに付き合って城の外に出たギルヴァスは、そこであづさが多少拙いながらも巧みに魔法を使いこなす様子を見せつけられ、只々驚嘆したのである。
「……異世界人というものはこうも……うーむ」
「あら。もしかしたら異世界人だから、じゃなくて、私だから、なのかもよ?」
「うん、そうだな。そう考えた方がまだ納得がいく……」
ギルヴァスは古い古い魔術の教本らしいものを閉じつつ、複雑そうな顔をしている。
「……そもそも4つの属性の魔法を全て使える、というのが、中々珍しいんだ」
「もう分かると思うが。魔法には5つの種類がある」
ギルヴァスはあづさを相手に、魔法講座を続ける。
「火、水、風、地、の4つの属性。それからそれら4つに当てはまらないもの。この5つだ」
「5つ目って、要は『その他』ってこと?」
「まあそうだな。無属性、といわれるものも含まれるが、単純に解明できていなかったり、本当に火でも水でも風でも地でもない何かの属性の魔法だったり、といった具合だ」
ふうん、とあづさは声を上げつつ、なんとなく頭の中で円グラフを想像した。想像の中の円グラフでは、『その他』が一番大きい。分類できなかったものを集めると案外多い、ということは、あづさもよく知るところである。
「……それで、だ。魔法を使うにはある程度の才能が必要だ、というような事を言ったかもしれないが……その才能の1つが、『属性』だ」
「属性……」
「ああ。例えば、俺はまあ、当然のようだが、地の属性を持っている」
逆に地の四天王が地属性じゃなかったら一体何なのよ、と思いつつ、あづさは頷いた。
「ファラーシアやラギトは風。オデッティアは水。ラガルは火だな。……と、まあ、こんな具合に、それぞれ属性がある。そして、その属性の範囲を超えて魔法を使うことは難しい。俺は地属性以外の魔法はほとんど使えないんだ。精々、低級までだな。……器用な奴なら、色んな種類の魔法を使いこなすんだが」
ふうん、とあづさは唸る。
ギルヴァスが決して弱い訳ではない、ということは、あづさはもう知っている。
ギルヴァスの言うところの『魔力』とやらはギルヴァスも多く持っているようであるし、守りの魔法については恐らく、相当に強い。
……だが、ギルヴァスは地属性以外の魔法は中々使えない、ということらしい。不器用な彼らしいな、とあづさは思う。
「それで、君については……まあ、低級とはいえ、全ての属性の魔法をくまなく扱えてしまっている。特定の属性が苦手、といったことはあるか?」
「特に何も感じないけれど」
「ああ、だろうなあ。そんな気はした」
ギルヴァスは深々と頷くと……あづさに向けて、苦笑を浮かべた。
「つまり君は、魔王様と同じ。無属性の存在なんだろうな」
「それって、全部の属性の魔法を苦労なく使える、ってことかしら」
「ああ。だが、それと同時に、特定の属性の魔法が得意になる訳じゃない、ということだ」
「成程ね。メリットもデメリットも薄い、ってこと」
あづさは納得しつつ、特に意味も無く手を握ったり開いたりした。
器用貧乏、という事なのかもしれないが、あづさ本人は、私にピッタリね、と思う。
「……まあ、そういうわけだ。君は練習すればしただけ、魔法が上達するだろう」
「あら、楽しみね」
「ただし」
ギルヴァスは1つため息を吐きつつ、言った。
「……そんなに一度に、練習しないでくれ。特に、ここから先、中級以上になると、魔力の消耗も激しい。あまり魔法の練習ばかりしていたら、体を壊すからな」
「分かったわ。練習はほどほどにする」
あづさはくすくすと笑いながら、ギルヴァスの言葉に従うことを決める。
気持ちは先へ進みたがるが、体を壊しては何にもならない。時にはのんびりすることもまた、必要なのだろう。
そうしてあづさはその日の昼前まで魔法の練習をして、午後はゆっくり休むことにした。
……だが。
「……あら」
部屋で教科書を捲っていたあづさは、ふと、目眩と吐き気を感じて教科書を閉じる。
耐えていれば、目眩も吐き気も収まった。だが、今度は背筋を寒気が通り過ぎていく。
ベッドの中に潜り込めば幾分楽になったが、今度は体の関節がどうにも痛む。喉もひりひりして痛み、更に、頭がぼうっとして、熱い。
……風邪を引いた。
そう気づいたあづさは、自分のことながら、呆れることしかできなかった。




