34話
翌日から、ハーピィ達の休養が始まった。
羽が抜け落ちてしまったハーピィ達は、飛ぶには少々ふらつく。傷もまだ癒えておらず、無理も効かない。ならこのままもう少し地の四天王領で休んでいけ、というギルヴァスの言葉に従ったのである。
それと同時に、他の種族も残った。
彼らは特段、傷ついているわけではない。では何故、地の四天王領に残ったかと言えば……目的は至極単純。『恩返し』のためであった。
風の者達の中には、農作を行うことを得意とする種族が居た。
例えば、ビータウルスは養蜂の他に簡単な農業を行うことができ、ヘルワスプもその人手に加わることができた。
そんな彼らを中心に、風の者達は皆、地の四天王領の開拓を手伝うことになったのである。
……意外なことに、ローパーが思いの外、役立った。ローパーは地中に触手を伸ばしながら地中を進み、その地面を耕していったのである。ローパーが数体集まれば、ドラゴンに変じたギルヴァスと同等の働きをした。
ローパーの猛進やギルヴァスの攻撃によって一度乱暴に掘り起こされた地面は、その後、アラクネやヘルワスプ、スケルトンやゾンビ達によって綺麗に均され、次第に農園が生まれていった。
……そうして風のファラーシアが卵に返った日から1週間もすれば、元々侵食地帯であった場所は見事、農園に生まれ変わっていたのである。
「ギルヴァス様は地の魔法がお得意でいらっしゃるようなので、肥料の類はそれほど必要ないかと。その代わり、魔力を吸ってよく育つ作物を作るようになさってください」
「ありがとう。勉強になる」
スケルトンやローパーに混じってビータウルス達から農業を教わりつつ、ギルヴァスは晴れ晴れと笑う。
「しかし、本当に助かった。まさか侵食地帯が一月足らずで農園になるとはなあ」
「ほんとね。びっくりしちゃった。……でもこれでやっと、地の四天王領も食料供給が安定するわね。ありがとう。あなた達のおかげだわ」
「ああ。やっと文明的な暮らしになるなあ。本当に、何とお礼を言ったらいいか」
あづさとギルヴァスが揃ってそう言えば、ビータウルス達は恐縮しきった様子であった。
「いえ、元はと言えば、ファラーシア様から我らを守ってくださったあなた達のおかげなのです。だからこそ今、我らはこうして生きているのですから」
ビータウルス達は、そう言って深々と頭を下げた。
「それで、その……以前の、地の配下に、というお話、なのですが……申し訳ありません、無かったことにしてはいただけませんか」
「ん?いいぞ?……むしろ、そうするものだと今の今まで思っていたんだが……」
緊張していたビータウルス達は、あっさりとしたギルヴァスの返事に拍子抜けしたらしく、中にはへたり込む者すら居た。
「ラギトの元で働くのだろう?是非、そうしてくれ。このあたりも土地はこれから豊かにしていくつもりだが、やはり、風のところのように見事な花畑は生まれないだろう。ならば、蜂を眷属として従えられるお前達はそちらで働いた方がいいだろう?」
四天王と直接の約束ではなく、あづさとの話であったとはいえ、一度受けた話を反故にすることの非礼を理解していたビータウルス達は、ギルヴァスの言葉を聞いていよいよ、今まで自分達を従えていた風のファラーシアと地のギルヴァスが全く異なるものだったのだと知る。
「これからも俺達の良き隣人であって欲しい」
「……はい。是非」
ビータウルスは、差し出された手……ギルヴァスの大きな手と、あづさの柔らかな手とを順番に握って、自分達が救われたことを実感するのだった。
そして、更に3日後。
ラギトに率いられて、風の者達は皆、風の四天王領へと帰っていくことになった。
結局、地の四天王領は風の者達の一時避難所兼戦場となっただけだった、ということになる。
だが、誰の顔にも後悔の色はない。
「じゃあ、世話ンなったな!また遊びにくるからよ!寂しがンなよな!」
「あら。あなた、遊んでる暇なんてあるの?これから大変よ?『四天王代理』ラギト・レラさん?」
ラギトはこれから、『四天王代理』として風の四天王領を治めることになる。
何故『代理』かといえば……それが最も、余分な波風の立たない選択肢であろうと思われたからである。
ファラーシアはすっかり卵になってしまい、これから先、当分は治世などできるわけがない。ならばどのみち、四天王は代替わりするか、代理を立てるかしなければならない。
……どのみち、ファラーシアは手出しも口出しもできないのだ。ならば、より穏便な……『他の者達を納得させやすい』方を選んでおいた方が、何かと今後の話を通しやすい。
特に、代理とはいえ四天王の座に着いてしまったならば、これから水のオデッティアや火のラガルとも渡り合わねばならないのだから。
「だからだよ!息抜きっくらいしねェと息が詰まっちまうだろうが!」
ラギトはバタバタと翼を振りつつそう言うので、あづさもギルヴァスも思わず笑ってしまう。
「そうだなあ。その点、ここは見ての通りのんびりしているからなあ。まあ、支障がない程度に遊びに来てくれ」
「そうね。それに一応、地と風の四天王団の結束を強めておくっていうのも、大切な仕事だものね。待ってるわ」
ラギトが『そうだろうそうだろう』とばかりに頷くのを見て、2人はますます笑みを深めることになったが。
「じゃあな!ありがとな!」
ラギトがファラーシアの卵を掴んで飛び立つと、他の者達も続いて飛び立っていった。
口々に礼を言いつつ去っていく彼らが空をゆく様子はなんとも壮大であった。
「……行っちゃった」
そうして彼らが去った後には、なんとなく寂しさが残る。
ずっと、凄まじい数の住民が居た地の四天王城も、また、あづさとギルヴァス、そしてスライムと布団代わりにされているコットンボール達、という面子になる。
「なんだか寂しいなあ」
「そうね。……ま、でもこれで一件落着、ね!」
「そうだなあ。無事に風の者達も助かって……」
「そして私達は侵食地帯の呪いを解いて、農地を手に入れたわ」
あづさがうきうきと言うと、ギルヴァスはハッとした様子で言った。
「……そういえばそれが目的だった」
どうやら目的をすっかり忘れていたらしい。
「忘れてたの?あなたらしいけど」
「すっかり、ファラーシアとラギト達の戦いが目的になっていたなあ……」
ギルヴァスの言葉にあづさはくすくす笑う。こんな調子だから地の四天王は周囲に馬鹿にされているのだろう。
……でもそれでいいわ、とあづさは思う。
配下に八つ当たりする四天王より、配下になりそうな種族をみすみす手放してしまえるくらいの四天王の方がいい。自分の目的より他者の幸せを願ってしまうような四天王だから、良い。
「しかし……ファラーシアは卵から孵ったら、さぞ悔しがるだろうなあ。……うーん、少し気味が良い。趣味が悪いかもしれないが……」
「あはは。あなたはそれくらいでいいわよ。完璧な善人なんて面白くないわ。多少の毒は持ってなくっちゃね」
あづさは笑ってギルヴァスを肯定して、それからのんびりと背伸びする。
「あーあ、でも、良かったわ。これでとりあえず、地の四天王領、一歩前進、よ。できればあと、水の四天王が水を奪ってる状況を改善させたいし、火の四天王に持っていかれてる鉱山の力も取り戻したいけど……ま、それはまた後にしましょ。今日はもう疲れちゃった」
ふわ、とあくびをしてあづさがそう言えば、ギルヴァスはそうだろうなあ、と頷く。
「君はここ最近、夜遅くまで頑張っていたからなあ」
その言葉に、あづさは固まった。
「……えっ」
「ん?……ああ、すまない、内緒だったか?」
「え、いや、なんで、知って……るのよ」
あづさがたじろぐと、ギルヴァスは申し訳なさそうな顔をしつつ頬を掻いた。
「いや、風の者達の様子を見に、夜、少し出歩いていたんだが。その時、君の部屋の前を通ったら、灯りがついていたから」
「……ああそう」
「すまない」
ギルヴァスがますます縮こまるのを見て、あづさはため息を吐いた。
「別に、謝る事じゃないでしょ。内緒にしてもいないわよ、別に」
「そうか?ならいいんだが……」
明らかにほっとした様子のギルヴァスを前に、あづさはなんとなく、居心地の悪い思いをする。
「君は努力家なんだな」
特に、そんなことを言われては。
「……そう言われるの、あんまり好きじゃないのよ」
あづさは少々顔を顰めて、言った。ギルヴァスは不思議そうに見つめ返してくるのを見て、あづさは目を逸らす。
「だって……嫌味じゃない」
「嫌味?」
「頑張ってるからできます、っていうよりは、頑張らなくったってできる奴はできる、っていう方が嫌味が無いでしょ」
一瞬、あづさの視界の端で、ギルヴァスが動揺したのが見えた。
「……私、全力を尽くしたいの。色んなこと、必要なこと……特に好きな事は自分の手でできるようでありたいし、自分の手でやることは全部最高の出来にしたい。でも、それを好ましく思わない人って案外多いのよ、っていう。それだけの話」
もう終わり、とばかりにあづさが手を叩けば、ギルヴァスは少々気まずげに頷きかけ……だが、意を決したようにあづさの頭に手を伸ばした。
そして、遠慮がちに、頭を撫でる。
「な、何よ」
「うちの参謀殿は優秀だ。俺はそれを、嬉しく思ってる。その優秀さが、努力によって培われたものであっても、天賦の才によって生まれるものでも。どちらであっても、両方であっても、嬉しい」
今度は、あづさが動揺する番だった。
「君が、ここに来てくれてよかった」
「……そう」
「ああ」
最後にぽんぽん、とごく軽く頭を叩くようにしてあづさの頭から手を離すと……ギルヴァスはあづさを抱き上げた。
「へっ!?」
「まあ、ついでだ。部屋まで送ろう」
「ちょ、待ちなさいよ!下ろしなさいって!まさかあんた、私が自力で歩けないとでも思ってんの!?」
「そうは思ってないが。まあ、いいじゃないか」
「良くないわよ!何なのよ!下ろしなさいこのポンコツ!」
「すまんな、何となく君を運びたくなった。ははは」
あづさは暴れたが、その内、ギルヴァスに抱えられた自分の腕の中に、コットンボール達が飛び込んでくる。そうなってしまっては、不用意に暴れられない。下手に暴れたら、軽くふわふわとしたコットンボール達は簡単に腕の中から零れ落ちてしまうだろう。
あづさは諦めて、ギルヴァスに運ばれることになった。
「じゃあ、お休み」
「ええ。次は無いわよ!」
「ははは。すまんすまん」
あづさが怒って見せてもギルヴァスはまるで堪えた様子もなく笑う。
「じゃあ、また明日」
そしてそう言われて、あづさは……仕方なしに、ため息を吐きつつ、苦笑交じりに返すのだ。
「ええ。また、明日」
あづさは自分のベッドの上にコットンボール達を下ろす。
自由気ままな彼らはベッドの上に零されると同時、好き勝手に跳ねたり飛んだり吹き飛ばされたりしながら戯れ始めた。
そこにスライムも混じって、ベッドの上は静かに賑やかになる。
……そんな魔物達を見ていると、あづさの気分も少々落ち着いてきた。嫌な事を思い出してしまった時には、こうして可愛いものを見るに限る。元の世界に居た時も、猫や鳥の画像を見るのが好きだった。
物を言わない癖に妙に可愛い魔物達を見つつ、あづさはベッドに腰かけ……しかし、ベッドサイドの机の上に、教科書や資料集を出しっぱなしにしていることに気付く。
ファラーシアと戦うと決めた時から、机の上はこの調子で散らかっていた。
それはギルヴァスが察していた通り……夜、教科書や資料集を読んで、少しでもこの世界で使える情報は無いか、と探していたからなのだが。
……あづさは1つため息を吐く。何にせよ、色々と一段落着いたのだ。一度、整理してもいいだろう。
机の上の教科書をきちんと閉じて、鞄の中にしまおうか、と考え……やめる。どうせ1年はこの城に居ることになりそうなのだ。一々鞄の中にしまわなくてもいいだろう。
教科書にノート、資料集に便覧までしっかり揃った勉強道具は、元々、鞄の中に入れると少々鞄がきつかった。
あづさは結局、机の上に教科書類をそろえて置いておくことにした。
そして、今回、調べものをしていくにあたって、ルーズリーフにとったメモは……少し迷った後、ファイルに入れて保管することに決める。
授業で使うプリントや重要なものは、決まって1つのファイルの中にしまってあるのだ。
あづさはそこにルーズリーフを収めつつ、折角だ、ファイルの中身を整理しようとし……。
「……あら?」
首を、傾げる。
そこにしまっておいた、と記憶していたものが、1つ、足りなかった。
「……志望校調査が、無いわ」
朝、確かに鞄にしまった記憶があるそのプリント1枚だけ、ファイルの中に足りなかったのである。




