33話
「な……んで、あんた、が……」
ファラーシアが唖然とするのを見て、ギルヴァスはそっと、ファラーシアの傍に屈んだ。
「ここは地の四天王領だ。ついでにお前が攻撃しようとした先には、配下達の地下住居がある。俺の領地、俺の配下の住処をお前の暴走した魔力で破壊されるわけにはいかないのでなあ」
ギルヴァスの言葉通り、ギルヴァスの背後には地の四天王城があり、その地下には亡命してきた風の者達や、一部の地の配下達が居る地下室もある。ギルヴァスはそれらを守るために身を盾にした。あくまでもラギトを守った訳ではない、と言い張れる。
「ついでに、俺はまあ、見ての通り頑丈なんだ。いくら風のファラーシアの攻撃とはいえ、きちんと守りの魔法を使っておけば耐えきれるさ」
更に、ギルヴァスはそう言って朗らかに笑った。
「この……野郎……よくも、よく、も……ぬけぬけと……!」
ギルヴァスは胸の傷を擦りつつ、できるだけファラーシアと視線を合わせるようにして言った。
「俺は地の四天王だ。この領地と配下を、守る義務がある」
ファラーシアはもう、それに答えなかった。答える余力も無かったのだろう。
そして何より……ファラーシアはギルヴァスの言う『守る義務』について、思うところがないわけでは、ないらしかった。
ふと、ファラーシアの体が輝く。
「な、何?」
爆発でもされたらたまったものではない。あづさはラギト共々身構えた。だが……あづさやラギトよりもファラーシア自身が驚愕し、絶望しているように見えた。
光り輝く自分の体を押さえ込もうとし、或いはもがいて何かに抵抗し。そうしているファラーシアを見て、あづさもラギトも首を傾げる。
「ああ、心配要らないさ」
その中で1人、ギルヴァスは落ち着いていた。
「ファラーシアは少し長めの眠りに就くだけだ」
長めの眠り、と聞いてあづさは真っ先に『永眠』の二文字を思い浮かべたが、どうやらそれとは違うらしい。ギルヴァスは落ち着いており、そして少々呆れたような顔でファラーシアを見つめた。
「そんなに抵抗しなくてもいいだろう。元々、『戻る』のを避けすぎだったんだから」
ファラーシアはギルヴァスの言葉を聞くと、憎悪を向けてギルヴァスを睨んだ。
「諦めろ。何にせよ、少し寝ていたほうがいい。そうしないと収拾がつかないだろうが」
ギルヴァスがそう言うや否や、ファラーシアの輝きは強く増す。ファラーシアは「嫌!」と小さく叫んで光に呑み込まれ……。
……そして光が収まった時。そこにあったのは、巨大な卵だった。
「これは……蝶の、卵?」
図鑑で、或いは学校の片隅の木の葉の上で見たものをそのまま巨大化させたような見た目のそれを見て、あづさは首を傾げる。
「ああ。まあ、ファラーシアの卵だな。そのうちファラーシアが孵る」
「えっ」
ファラーシアが産んだ、というわけではないらしい卵を見て、あづさは……先程、ギルヴァスが言っていたことを思い出す。
「もしかして、『戻る』って言っていたのは……『卵に戻る』っていうこと?」
「そういうことだ」
ギルヴァスは頷くと、ファラーシアの卵の様子を一通り確かめて、よし、とばかりに頷いた。
「ファラーシアは、不死蝶、という珍しい種族なんだ」
「不死、蝶」
鳥でなく、蝶。あづさはぽかんとしながらも、納得していた。
……要は、ファラーシアは、卵から孵ってやがて蝶の姿になり、そしてやがてまた卵の姿に戻る、ということなのだろう。さながら、物語の『不死鳥』が成鳥になると燃え尽きて、その灰の中から卵が生まれる、というかのように。
「ただ……まあ、卵から孵ると、幼虫の姿からだからな。俺はあれも愛嬌があっていいと思うんだが、ファラーシア自身としては美しくないから嫌なんだそうだ。それでここ100年くらいずっと、卵に戻らないように相当頑張っていたみたいだな。普通なら、30年もすれば卵に戻るんだが。今回は随分足掻いたもんだなあ」
ギルヴァスは苦笑しつつ、卵を抱え上げた。案外丈夫らしいその卵は、人間の子供くらいの大きさである。ギルヴァスの腕の中にすぽりと収まってしまった。
「まあ、そういうわけで、今回の戦いはファラーシアにとっても悪くなかったはずだ。いい加減卵に戻らないと、魂が傷ついて戻れなくなっていただろうし……」
「在るべき姿で居た方が、負担は少ない、ってことね」
「ああ。自分に流れる時間を堰き止めるなんて、するべきじゃないと俺は思ってる。……まあ、ちょっとならいいんだが。だが、70年あまりは、ちょっとやりすぎだな」
「そうね。70年も不老で居るって……まあ、人間だと考えられないわね」
つくづく、ここは異世界なのだな、と思いつつ、あづさは卵をそっと撫でた。
しっとりとして少々硬めの弾力のある表面は、それなりに撫で心地がよかった。
ギルヴァスは抱えた卵をあやすように揺すって、さて、と考える。
「さて。卵はひとまず、風の四天王領に送るか、或いはうちで預かるか、だが……」
その時だった。
「それ……ファラーシア様、か?」
声を掛けてきたラギトはファラーシアの卵を見て、目を丸くしていた。
「ああ。そうだな。卵に戻ったところだ。その内孵って幼虫になる。それから蛹になって、また元の姿に戻るだろう」
「へー」
ラギトは物珍し気にファラーシアの卵を眺めると……ぱっと顔を明るくした。
「これ、綺麗だな!」
ラギトは卵を抱えたギルヴァスの周りをくるくる回りつつ、卵を眺めて楽しげであった。
「光が当たるとキラキラして宝石みてえだ!これ、生き物なんだろ?中にファラーシア様入ってんだろ?なのに透明ってすごくねェか!?」
「まあ……そうだな」
なんとも言えない顔でギルヴァスとあづさが見守る中、ラギトはすげえすげえと言いながら卵を眺め続けた。……そして。
「こんなに綺麗な卵なら、俺が預かってやってもいいぜ!」
そう、申し出たのである。
「分かっているか?これはファラーシアだぞ?いいか?ファラーシアっていうのはさっきまでお前達が戦っていたあいつだ」
「分かってるっつの!ンだよ、俺のこと馬鹿だとでも思ってンのかァ!?」
あづさもギルヴァスも『思ってる』と思いつつも、それは口に出さなかった。
「……いや、ほんとに、これがファラーシア様だっつうのは分かってる。けど、なら余計にお前らには任せとけねェよ。風の者達の問題だからなァ」
ラギトはラギトなりに、思うところがあるのだろう。自分達を苦しめた者がか弱い姿になってしまったのを見て複雑そうな顔をし……だが数秒後には、また明るい顔になっていた。
「それに!美しさに罪はねえ!ファラーシア様……いや!ファラーシアは!むかつくババアだったけど!でも綺麗だし!それにこの卵もつやつやしてキラキラして宝石みてえで綺麗だ!文句ねェだろ!」
「……そうか。なら、お前達に卵は託そう。だがまずはお前の手当だな。怪我をしているだろう?」
ギルヴァスはそう言うと、ひとまず卵を抱えたまま、ラギトを伴って地下へと移動することにした。ラギトは元気な様子ではあるが、怪我は多く残っている。まずは治療。次に休息。卵の処置はその後でも良い。
「あーあ、そうだなァ……うー、羽、生え揃うまでに大分掛かりそうだよな……」
ラギトは自分の羽が抜け落ちてしまっているのを見て、なんとも悲しそうな顔をする。
「あら。名誉の負傷でしょ。胸張りなさいよ」
「つってもよー……」
あづさが慰めてみても、ラギトとしてはどうにも、スカスカになった翼が気になるらしい。美しさを大切にしている種族であるからこそなのかもしれない。
……ラギトがしょんぼりとしている様子を見ていて、あづさはふと、現代文の教科書で読んだ内容を思い出した。
「私が居た世界には、『ミロのヴィーナス』っていう有名な石像があるのよ。すごく綺麗な女の人の石像で、でも、発見当初から両腕が欠けてるの」
唐突に話し始めたあづさに、ラギトはきょとんとする。だが、一応『凄く綺麗な女の人の石像』の話には興味があるらしい。
「……何故、ミロのヴィーナスが美しいかっていったら、『腕が無いから』なんですって」
「はあ?意味分かんねー……ん!?もしかして異世界人って腕が無いのが好きなのか!?」
「違うわよ。変な誤解しないで」
慌て始めたラギトを制しつつ、あづさはラギトの羽を撫でつつ解説してやった。
「『無い』って無限の可能性なんですって。そこにどんな腕があったのかな、って想像したら、その想像は、どんな腕よりも美しい腕を生み出すの。不完全な姿は、完全な姿の美しさを想起させる。それはどんな現実の美しさにも勝る。……それってあなたにとっては『美しさ』にならないかしら?」
「……んー?んー?……んー?」
ラギトは理解が追いつかないらしく、首を傾げていたが……やがて、表情を明るくした。
「つまり俺は美しいってことだな!」
至極単純かつ、情緒も繊細さもあづさの思いやりも何もかも削ぎ落したような大味な結論に、あづさはため息を吐いた。
「もうそれでいいわよ」
地下に戻った者達は、待機していた者達からの賛美を浴びながら、丁寧に治療を施された。
アルラウネが種々の薬草から作った薬を塗り、アラクネが自分達の吐いた糸で作った包帯を巻く。すると傷の痛みが楽になり、治りも早くなるのだという。
ラギトは体のあちこちにできてしまった傷に薬を塗られたり包帯を巻かれたりしながら、ふと、ギルヴァスを見る。
……ギルヴァスの胸から腹にかけて、擦り傷や切り傷がある。彼が、ファラーシアの最後の悪足掻きを受け止めた時の傷だ。
「……っつうかよォ、地の四天王サマよォ。さっきはファラーシアの攻撃、体張って受け止めるとかよォ、中々ブッ飛んだ事してくれたじゃねえか」
「ん?ああ、頑丈だけが取り柄だからなあ」
「いいよなァ。俺がボロボロになってんのによォ、あんたはかすり傷だもんなァ……」
「まあ、頑丈だけが取り柄だからなあ……」
ラギトはギルヴァスを見つめ、それから傷だらけの自分を見て……少々妬ましげに、ギルヴァスに棘のある言葉を投げかける。
「へー。んじゃあ次は俺の代わりに攻撃全部受け止めろよなァ。それだけが取り柄なんだろ?」
「ああ。構わないぞ。いつでも呼んでくれ」
「えっ」
だが、棘のある言葉を投げたのに、ギルヴァスから明るく朗らかな答えが返ってきて、ラギトは困惑する。
「今回は俺が手を出したらお前達の立場も危うくなる状況だったからな、加勢できなかったが。だが、元々俺の力は誰かを守るためにあるものだ。役に立つなら嬉しいぞ」
「え、え……そ、そう言ったってよォ、俺守ってどうすんだよ。あんたに得は無ェだろ?」
ラギトは自分が妬みから投げた言葉に全て善意で返されてたじろぐ。遂に卑屈で不安げな言葉まで吐き出したが……ギルヴァスは、それにも穏やかに答えるのだ。
「何言ってるんだ。友好関係はまだ無効じゃないだろう?」
「うん!そうだ!俺達ユーコーカンケーだ!」
「そうだなあ」
「仲良くしてやるよ!だから仲良くしてくれ!」
「うん、それは嬉しいなあ」
「そうだよなァ!ユーコーカンケーだ!助け合うんだ!壁が欲しかったらお前を呼ぶ!代わりに美しいものとか速いものが欲しかったら俺を呼べ!いいな!な!そうしよう!」
「ああ。そうしよう」
「お前良い奴だ!あづさも最初はイヤな奴だと思ったけど良い奴だった!お前も良い奴だ!なんだよ、地の四天王領の奴らって皆良い奴かよ!」
ラギトはすっかりギルヴァスに懐いた様子で嬉しそうに翼をぱたぱたさせている。
ギルヴァスもそんなラギトを見て純粋に喜んでいるらしく、満足げに頷いていた。
「……本当にあなた達って、シンプルだわ」
そんな2人を見て、あづさはそう、感想を漏らした。
「おう!そうだろ!」
「ええ。本当にね」
『シンプル(単純)』の意味を知っているギルヴァスは少々複雑そうな顔をしたものの、ラギトは単に何か褒められたと思ったらしく堂々と胸を張った。あづさはそれにまた笑みを漏らしつつ、言う。
「かっこよかったわよ。2人とも」
あづさは2人を素直に讃えつつ、ひとまず、この戦いが上手く収まったことを只々喜び、安堵するのだった。




