3話
暫し、鳥人とギルヴァスは黙って睨み合う。
……だが、やがてギルヴァスがため息交じりに口を開く。
「悪いが、今は渡せるものが何も無いんだ。諦めて帰ってくれ」
それを聞いた鳥人は、げらげらと笑った。
「おいおいおい!面白ぇ冗談だな!じゃあ今、せっせと磨いてるそれは一体何だ!?」
当然だが、ギルヴァスの手の中には、丁度加工中だった宝石がある。ごく大粒のそれはすっかり磨き上げられ、今や僅かな光にも煌めいてよく目立つ。隠し通すことはどう考えても不可能だった。
「いい石じゃあねえか。なあ?……それ、寄越せよ」
「これは魔王様に献上する予定の品だ。渡すわけにはいかない」
ギルヴァスが鳥人を睨み上げると、鳥人はそれをせせら笑った。
「ああそうかよ。俺は別にいいんだぜ?テメーが払わねえっつうんなら、しょうがねえ。俺は気にしない。……でも、俺の知らないところで、俺の部下がうっかり森林地区を襲っちまうかも、しれねえよなあ?」
鳥人はギルヴァスの顔を覗き込んで、如何にも楽し気に言う。
「そうなった時、苦しいのは誰だ?森林地区にはテメーの大事な大事なザコ共がいっぱい住んでるんだぜ?もし森が無くなっちまったら、食料の供給もできなくなるよなあ?そうだよな、テメーが多少頑張ったって、ザコ共がやられねえかっつったら、また別の話だしよお。なあ?」
「……貴様」
「おおっと。だから俺は知らねえっつってんだろ?俺の部下が勝手にやっちまうかもしれねえって、そう言ってるだけだよ!な?」
ギルヴァスがぎろりと鳥人を睨むと、鳥人は慄いたように数歩距離を取り、おどけたようにそう言ってのける。
「俺が部下を抑えてるから、あの森林地帯は無事なんだぜ?そんで、そんな俺は宝石が必要なんだ。なあ。俺の苦労も分かってくれよなあ、地の四天王サマよお」
揶揄うような口ぶりに、ギルヴァスは黙って鳥人を睨み……そして。
「ちょっと!さっきから聞いてりゃ、何なのよあんた!」
あづさは、黙っていられなかった。
「その宝石、私の為のものでもあるのよ。だから、そんなに乱暴に持ってかれちゃ困るわ」
あづさは鳥人の前に割り込むようにして、鳥人を睨みつける。
「事情を説明してくれない?なんであんたはそんなにこの石を持って行こうとするのよ?」
だが鳥人は全く堪えた様子もなく、あづさの問いに答えることもなく……数度、目を瞬くと、感嘆らしきため息を1つ、吐いた。
「……こりゃあ、驚いた。おい。おいおいおい。なんだってこんな所に異世界人が居るんだ?」
身を乗り出してあづさの顔を覗き込んでくる鳥人から逃れるべく少々仰け反りながら、あづさはそれでも鳥人を睨む。だが鳥人は全く気にした様子もなく、むしろ目を輝かせるようにして、あづさを見つめる。
「まさか、全財産叩いて召喚したのか?まあ、こいつ1人居りゃあ、荒れ地もなんとかなるかもしれねえもんなあ……へえ」
鳥人はしげしげとあづさを見つめ……ぱっ、と、顔を輝かせた。
「悪くねえなあ。うん、いい。すごくいい。体は多少貧相だけど、中々可愛いじゃねえか!よし、気に入った!」
バサ、と音を立てて、鳥人の腕である巨大な翼が広げられる。
突然に視界を羽毛で埋め尽くされたあづさが慄く間もなく、巨大な翼があづさを包み込んだ。
「なっ、何すんのよ!」
あづさが抗議の声を上げるや否や、鳥人もまた、声を上げていた。
「今回はこれにする!石は……まあ、今回は勘弁しといてやるよ!」
「おい、待て」
ギルヴァスは立ち上がって、憎悪の表情を鳥人へと向けた。……そして、その手に握った宝石を突き出す。
「……石はやる。もう帰ってくれ」
鳥人はあづさを翼の中に抱き竦めながら、ギルヴァスを嘲笑う。
「へえ!こいつに加えて石もくれるのか!ははは。勇者に負けた奴はやっぱ違うよなあ。さっすが、四天王最弱サマ!」
「分かっているだろう!彼女は置いていけ!彼女はものじゃない!」
吠えて、ギルヴァスは……牙を剥く。
「……それとも、ここで死ぬか?」
鳥人は一瞬慄いたものの、一瞬後にはつまらなそうな顔を作って、やれやれとでも言うかのようにあづさを離した。
「ったく、マジになっちまって、みっともねえなあ、おい。名前だけでも四天王なら、もう少し余裕のあるやり取りはできねえもんかなァ」
そしてギルヴァスの手から宝石を奪い取ると、その両腕の翼で宙に浮く。
「今日はイイもの見せてもらったことだし、これで勘弁してやるよ!けど……そうだな。3日後だ!3日後、また遊びに来てやるからな!その時はもっとイイもの寄越せよ!」
最後にそう言い捨てると、鳥人はその鉤爪の足にしかと宝石を掴んだまま、窓の外へと飛び立っていってしまったのだった。
「な……なんなのよ、あいつ……」
呆気にとられたあづさが呆然と呟くと、ギルヴァスは長くため息を吐いて、椅子にどかりと腰を下ろした。
「ハーピィだ。風の四天王のところの幹部の1人だ。風鳥隊を率いている奴だな。名は何と言ったか……」
「そういうこと聞いてるんじゃなくって」
ギルヴァスはため息の後、申し訳なさそうな顔をあづさに向けた。
「……すまない。もうしばらく、ここに滞在してもらうことになる。何か用意できるまで、ということになるが……ああ、大丈夫だ。また明日にでも鉱山に行ってくる。きっとすぐに何か見つかる。だから、それほど長くは待たせないはずで……」
「そっちでもないわよっ!」
ばん、と机の上に手を叩きつけて、あづさはギルヴァスを睨む。
「……四天王だかなんだか知らないけど。恩人にこんな事言うのも恩知らずって言われそうだけど。私が口出す筋合い、無いかもしれないけど。……言わせてもらうわ」
烈火の如く瞳を怒らせて、あづさはギルヴァスに詰め寄って、叩きつけるように問う。
「あんだけ馬鹿にされて!四天王最弱とか言われて!悔しくないの!?」
「くや……しい?」
「私は!なんかよく分かんないけど!悔しいわよ!」
ぽかんとした様子のギルヴァスがまたなんとも腹立たしい。
搾取されすぎて、慣れすぎて、地獄を地獄と認知できないその姿が、腹立たしい。
あづさはこの種の人間を、よく知っている。
「優しい奴が食い物にされるなんて、腹が立ってしょうがないわ」
だからこそ、許せない。
「……見くびってもらっては困る」
ギルヴァスは痛みを堪えるような顔で、じっとあづさを見た。その動作は静かで、あくまでも穏やかだ。
だが。
「俺とて、何も思わないわけではない。蔑ろにされて、それに甘んじるしかないこの状況に、何も思わない訳が、ないだろう」
琥珀色の瞳は、笑ってなどいない。
確かな憎悪が、そこにある。
ギルヴァスの視線に気圧されたようになっていたあづさだったが……ギルヴァスがぎこちなくあづさから目を逸らすとほぼ同時。あづさはぱっ、と、顔を輝かせた。
「なんだ、よかった!悔しいならよかったわ!」
「は」
「何とも思わない、とか、しょうがない、とか、へらへら笑って言われたらぶん殴ってやるところだった」
にこりと笑って、あづさはギルヴァスの横に寄り、少しばかり身を屈めて、座っているギルヴァスの視線の高さに合わせた。
「悔しいのよね?」
「……ああ。悔しい」
唐突なあづさの言葉に困惑した様子ながらも、ギルヴァスは確かにそう答える。
悔しい、と。
「そう。私もあの鳥には腹が立ったわ。それにあの鳥、ほっといたらまた宝石を盗みに来るんでしょう?私が帰るための魔王様への貢ぎ物、そう度々持ってかれちゃ困るわ。……っていうことで、利害は一致すると思うのよね」
「利害?一体何の」
「ねえ。私に色々教えて」
あづさは笑う。自信に裏付けられた笑みは力強く、そして、何とも楽しげだった。
「あなたのことも、この領地のことも、私のことも。隠してることもありそうじゃない?特に、『異世界人』のこととか」
ギルヴァスはどきり、としたような顔をしたが、あづさは気にせず続けた。
「勿論、タダでなんて言わないわ。あなたがこの世界の知識をくれるなら、私も私の世界の知識をあなたにあげる。……それで案外、色々と解決できちゃうかもよ?」
「それは……解決、できるものがあれば、そんなに嬉しいことも他に無いが……」
「とりあえず!私、恩知らずになるつもりはないわ!あなたが荒野で行き倒れてた私を助けてくれたんだもの、その分、いいえ、倍はあなたを助けたい。それにね、元の世界に帰るまではできるだけ快適に過ごしたいじゃない?……だからあなたの領地改革、手伝ってあげるわ。そうね。だからまず、手始めに……3日後」
ギルヴァスは只々ぽかんとして、あづさを見上げる。
あづさはそんなギルヴァスの耳元で、囁いた。
「あの鳥、焼き鳥にしてやりましょ。……どう?」
「……焼き鳥」
いかにも、ぽかん、とした様子でギルヴァスはただあづさの言葉をオウム返しにする。
「ええ。焼き鳥。そうじゃなきゃ唐揚げでもいいし、ローストチキンでもいいし、羽毟ってクッション作ってやるんでもいいわ」
ギルヴァスはあづさの言葉通り、ハーピィが哀れにも焼いて料理にされたり、羽を毟られてクッションを作られたりする様子を思い浮かべて可笑しいような哀れなような、そんな気分になって、そんな顔であづさをまじまじと見返す。
「つまり、彼を、倒す、と?」
ギルヴァスが発した言葉は、長らく口にしなかった言葉だった。久しぶりすぎて違和感や抵抗感がある。
だが、それをあづさは笑顔で肯定した。
「そうよ!まあ、もしあなたがやりたくない、っていうならやめるけど。でも、できない、っていう理由で諦めてるだけなら、やるわよ」
やりたくない。できないから諦める。
ギルヴァスは自分自身がいつの間にか、その区別がつかなくなっていたことに気づく。
だが、今、ギルヴァスの目の前に居る少女は、そんなことお構いなしに手を差し伸べてきている。
「それは……君は、我が軍の、参謀になってくれる、ということか」
「参謀?参謀、ね……うん、悪くないわ。かっこいいじゃない。それでいいわ」
「ここに、居てくれるのか」
「ええ。助けてもらった恩があるし。少なくとも倍にして返すまではここにいるわよ。……その、あなたがそう望むなら」
確認に確認を重ねても、あづさはそれらを何でもないことのように肯定し続けた。
「……なんかあなた、ちょっと頼りないけど。少なくともあの鳥よりはずっといいわ」
「それは……光栄、だなあ……」
ギルヴァスは何と言うべきか、困る。何か言わねば、と思うのに、何を言っていいのか分からない。
だが、それすら見透かしたように、あづさは問うのだ。
「で、やるでしょ?」
ここまでお膳立てされたなら、後は簡単だった。どうすればいいか、ギルヴァスにも分かった。
「ああ」
ギルヴァスは、差し出された手を握った。
少し強く握ったら砕けてしまいそうな手を、そっとそっと握る。
「じゃあ決まりね!よろしく、地の四天王様!」
「ああ……よろしく頼む、参謀殿」
かくして、地の四天王の軍勢に、少々風変わりな参謀が1人、加わったのだった。




