27話
「し、死ぬかと思った……」
やがてギルヴァスの指示でローパーはラギトを解放し、ラギトは草地にへたりこんでぐったりとすることになった。
「お疲れ様。捕まえちゃってごめんなさいね」
「ったくよォ、一体どうなってやがるんだ!ここら、ローパーが居るってことは侵食地帯だろ!?なのに草生えてるし!」
「早速解呪したのよ。解呪だけじゃなくてギルヴァスが頑張った結果がこれだけど」
ラギトがローパーに捕まってしまった理由の1つは、侵食地帯の境目が分からなかったことらしい。
侵食地帯はすっかり草地になってしまっていて、確かに、森林地帯との境目は分かりづらい。ラギトはローパーの生息域に突入していることに気づかず低空飛行してしまい、そこを地中に埋まっていたローパーに捕まってしまったのだった。
「1日でかよォ……化け物じゃねえかこんなの……」
「お褒めに与り光栄だな」
「褒めてねえっつの」
ラギトはげしげしと軽くギルヴァスを蹴りつけたが、ギルヴァスは楽しそうに笑っているばかりである。
……あづさもラギトも知り得ぬことであったが。
ギルヴァスは大地を一気に草地にするという高度かつ広範囲に及ぶ魔法を使って……その疲労と消耗から、却って少々気分が高揚してしまっていたのだった。
「そう言えばラギト。さっき知らせを持ってきた、って言ってたけど、何のお知らせ?」
「うおッそうだった!」
草の上でぐったりしていたラギトはあづさが問うとたちまち姿勢を正し……ギルヴァスに向かった。
「ん?俺宛ての要件か?」
「あァ。……地の四天王、ギルヴァス・エルゼンに吉報だ。今朝方、風の四天王ファラーシア・トゥーラリーフ様がお目覚めになられた。今日はこの吉報を伝えに来た」
ラギトの言葉に、ギルヴァスもあづさも驚いた。まさか1日足らずで回復されてしまうとは。
もう少し多く毒を盛ればよかったか、などと2人がそれぞれに思う中、ラギトは2人の向かいに座り込み、険しい表情を浮かべる。
「……だが、お目覚めになられただけだ。会話もうまくできてねェんだ。起き上がれもしてねえ。だから、もうしばらく、『猶予』はある」
「『猶予』?一体、何の?」
あづさが問い返すと、ラギトは……へにゃ、と情けない顔をしながら、言った。
「ファラーシア様が怒り出すまでの猶予だ」
「碌に体も動かせねえ衰弱ぶりなのに、ファラーシア様はもうお怒りでよォ……パーティーを潰された事も、恥をかかされたことも、全部お怒りなんだよなァ……」
「そ、それは……そうでしょうね……」
ファラーシアは明らかに、気位が高い。派手好きで、自分を飾ることをよく好む。そんな人柄の彼女が、自分が主催したパーティーを中止に追い込まれ、更には自分が毒を盛られて倒れるという失態まで犯してしまった。これに怒らないわけがないだろう。
「……ビータウルスどもは、どこかに逃げることを計画してるらしい」
「え?」
「蜜が毒だったかもしれねえんだろ?なら当然だ!逃げなきゃ一族丸ごと殺されかねねえよ!あのババアはそういう奴なんだ!」
器用にも足で頭を掻きつつ、ラギトは喚くように言い募った。
「他にもヤバい奴らは居る。戦うことに向いてねえ種族は大体皆、震えてる。戦える奴らで頑張って盾になってやろうとしてるけど、それだって全部は無理だ。俺も羽、毟られるかもしれねえし……」
「あら、あなたも何かしたの?」
「してねえよ!したとしてもあのババアのワガママの為に動いてただけだっつうの!それでも八つ当たりされるかもしれないだろ!」
心底困り果て、疲れた様子を見せながら、ラギトはやり場のない怒りを発散させるかのように声を荒げた。
「っくそ、なんであんなババアが四天王なんだよッ!」
「……ねえ、ラギト。1つ、提案があるんだけれど」
あづさが申し出ると、ラギトはじっとあづさを見つめた。じとりとした、それでいて縋るような視線は、ラギトが切羽詰まった状況であることを強く感じさせた。
だからこそ、あづさは救いの手を差し伸べるように、言うのだ。
「地の四天王領を彼らの避難場所にすることはできないかしら。なんなら、地の四天王団への移籍でもいいわ」
これにラギトは、ぽかんとした。理解が追いついていないらしい。
「ねえ、どう?こっちに来た種族は守ってあげられるわ。そうすれば、ラギト達が盾になろうと頑張らなくてもいいんじゃないかしら」
「そ、それは……」
ラギトはやがてあづさの言葉を飲み込んでいき、そして、あづさに険しい表情を向けた。
「……俺達に、ファラーシア様を裏切れって言ってんのか」
「ええ。そうよ!」
だがあづさはラギトの視線にも怯まず言い切る。
「だってそうでしょう?先に裏切ったのはどっち?庇護すべき種族、自分の配下に八つ当たりすることって、四天王からあなた達配下への裏切りなんじゃないの?」
今度こそ、ラギトは沈黙した。
自分の常識を揺るがされた衝撃と、今まで苦しんだことの憎しみ。そして疲れ切ったところに差し伸べられた手に縋ってしまいそうになる自分との葛藤に、ラギトは黙って悩み続けた。
「……だ、大体、そんなことしてみろ。矛先向けられンのはお前らなんだぞ?そんなの」
「平気よ。そんなの」
何とかラギトが絞り出した抵抗の一言も、あっさりとあづさに溶かされてしまう。
「そのくらい、何とでもする。こっちのことなんて考えなくっていいわ。あなた達のことだけ、考えて」
ラギトはまた黙りこくった。しかしそれは悩む時間のための沈黙ではなく、溢れる感情を抑え込むための沈黙であり、出てしまった結論を口にするための沈黙だ。
「……なんで、他所の四天王団のことに、首突っ込むんだよ。危険だろーが。なのに、なんだって、こんな提案するんだよ」
ただ、思い切りがつかないばかりにラギトはなんとか、そんな言葉を発するに留まる。それすらも、口に出すのに努力が要ったが。
「あら。当然、打算ばっかりよ?」
「へっ?」
そしてあづさの微笑みと共に発された返答を聞いて、ラギトは気が抜ける。
「まあ、保護した種族が私達にいい印象を持ってくれればそれだけで価値があるし。風の四天王の評判が落ちれば相対的に私達の評判は上がるわけだし。何なら、この機会に風の四天王に盗られっぱなしの領地も返してもらえるかもしれないし。ね?」
ラギトが只々ぽかんとしつつ情けない顔をするのを見て、あづさはくすり、と笑った。
「……でも、打算だけじゃ、こんなこと、しないわ。分かってると思うけど」
ラギトもそれは分かっている。
本当に打算づくでラギト達を食い物にしようとするのならば、ラギト達配下とファラーシアが戦って、両者共に疲弊したところを叩き潰す方が明らかに効率的だ。あづさならばそのための口実程度用意できるのだろうし、ギルヴァスが本気を出したなら、弱ったファラーシア程度、何とかできてしまうかもしれない。
そんなあづさがこうして申し出ているのも、隣でギルヴァスが穏やかにそれを聞いているのも、全て、打算を超えた何かのためなのだ。
「頼って頂戴。ね。だって私達、友好関係を結んだ仲じゃない。困ってたら助けたいわ。損得抜きにしたってそう思うのは、間違ってるかしら」
「間違っては、ねェ、と、思う。……でも、賢くは、ねェぞ」
「そうね。馬鹿かもね。でもその方が楽しそうだとは思わない?」
ラギトはもう、迷わなかった。翼を広げてその中にあづさを抱き込むと、言った。
「ああ!楽しそうだから乗ってやるよッ!」
その日。ファラーシアは寝台の上で、沸々と湧き上がる怒りと共にあった。
自分が今こうして寝台の上に居なければならない状況にも腹が立っている。準備してきたパーティーを潰され、自慢の美しさを披露する機会を減らされたことにも腹が立っている。
ましてや、自分に毒が盛られ、公衆の面前で倒れ、嘔吐して意識を失ったなど、美しさの対極にある。自分がそんな美しくない姿を晒す羽目になったことに、最も腹が立っている。
「……許さないからね」
ファラーシアは誰にともなくそう呟いて、慚愧の念に表情を歪める。
憎むべきは失態を犯した自分であり、そしてそれ以上に、毒を盛られることを許した無能な部下達であり……。
そして、地の四天王、ギルヴァス・エルゼンだ。
「絶対に、あいつよ。あいつが……!」
いきなり見目を大きく変えてきたこともそうだったが、何よりも、異世界人の少女を連れてきたことが気に食わない。
自分達には無い貴重な知識を、ただ『拾った』というだけで独り占めにしているギルヴァスが……そうすることで立場を取り戻したかのような顔をするギルヴァスが、気に食わないのだ。
……ギルヴァスには、四天王最弱として虐げられていてもらわねばならなかったのだ。そうすることでファラーシアは鬱憤を晴らすことができ、そして、魔物の国全体も、1つの調和を生み出す。
無能で臆病な地の四天王。嘲笑われるためにそこに居るべき人物が、しかし、今は異世界人を従えて堂々としている。そんな事は許されるべきではない。
ファラーシアはギルヴァスを憎むことの一環として、ごく自然に、今回自分に毒を盛ったのはギルヴァスに違いないと思っていた。いっそ強迫的な、何の根拠もない疑いではあったが、ファラーシアとしてはそれが真実であろうが誤りであろうが関係ない。ただ、『地の四天王は罰されるべき』。彼女は憎しみのやり場を、そこへ求めたのだ。
「見てなさいよ。今に……」
ファラーシアは強い憎悪を瞳に湛えて、呟いた。
「今度こそ、潰してやるわ」




