23話
「話が弾んでいそうだな」
ギルヴァスが女3人の中に戻ると、四天王2人は少々憎々し気にギルヴァスを睨む。一方であづさは安堵しつつ、ギルヴァスが飲み物を持ってきたことに対して礼を言う。
あづさはギルヴァスから黄金色の飲み物が入ったグラスを受け取って、中身をちびり、と飲む。
……どうやらそれは、レモネードのようなものだったらしい。蜜のとろける甘さと果実の爽やかな酸味と香りが溶け合って、中々に美味しい。
ギルヴァスはあづさのために、アルコールの入っていないものをわざわざ選んできてくれたらしい。一方でギルヴァスはしっかりと、酒らしいものを飲んでいたが。
「ああ。あづさを我が団に迎え入れたいと思ってな」
「悪いがそれは駄目だ」
「つれん奴らだ。あづさ自身にも断られたぞ」
「そうか。それはよかった!」
「良くないわ」
オデッティアは冗談めかすように言って、しかしその目はしかとギルヴァスを睨んでいる。
「……して、ギルヴァスよ。一体どうやってあづさを手に入れた?」
「ああ、それ、私も気になっていたのよねー。だってあなたが異世界人を召喚するなんてできるはずがないし。……ねーえ?まさかとは思うけど……」
ファラーシアもまた、ギルヴァスを睨んで、言った。
「勇者じゃ、ないわよね?」
ギルヴァスは自分を睨み上げてくる目をじっと見下ろした。表情もなく、ただ岩のように静かに見下ろすその目は、怒りを湛えているわけでもないのに、ファラーシアに威圧感を覚えさせた。
「ああ。違う」
やがてギルヴァスが穏やかな笑みを浮かべると、張り詰めた空気が緩んだ。
「あづさは拾ったんだ。丁度、うちの荒野に落ちてきてくれて」
「へえー、そう。運が良かったのね」
「ああ。流れ星を捕まえられたようなものだなあ」
ギルヴァスはすっかり嬉しそうにそう言って笑うと、ひょい、とあづさを引き寄せた。
「じゃあ、これ以上あづさが勧誘されない内に失礼するとしよう。楽しませてもらう」
「……ええ。存分に楽しんでいくといいわ。折角今日は珍しく、堂々としていられるみたいだしね」
「ああ。ありがとう。じゃあ、2人も楽しんで」
ギルヴァスは嫌味に気づいているのかいないのか、ただにこにこと笑いながら、あづさを連れてその場を去るのだった。
「変なことはされなかったか」
「そうね。今のところ一番変なことをしてくれてるのはラギトかしら」
「ははは。確かになあ。くるくる回ってたからなあ……」
さて、ギルヴァスが戻ってきたことをきっかけに、あづさとギルヴァスは四天王2人の前から辞すことができた。
ようやく2人で話すことができる。あづさは早速、ギルヴァスに問う。
「それで、上手くいったの?」
「ああ。……見ろ。あれだ」
四天王2人がヒソヒソと何かを囁き合っているのを見つつ、あづさは……四天王2人に、ウェイターがグラスが3つ乗った盆を運んでいくのを見て、ぎょっとした。
3つのグラスのうち1つには、鮮やかな青色の液体が湛えられている。
どう見ても、硫酸銅色である。
「えっ、あれ、そのままいったの?」
「なにかまずかったか?」
「だ、だって青い飲み物なんてどう見ても不審じゃない!」
「そうか?」
しかし、ギルヴァスが不思議そうにしているのを見てあづさもまたそれを不思議に思っていると……ファラーシアとオデッティアはウェイターを呼び止め、それぞれにグラスを取る。
オデッティアは盆の上を見ると、少々顔を顰めつつ、琥珀色の液体のグラスを選び……そしてファラーシアは、青い液体のグラスを選んだ。
「……選んだ……」
どうやら異世界人の感覚からすると、青かろうが赤かろうが構わずに飲めるらしい。
あづさは『どうやって色を隠せそうな食品に硫酸銅を混入するか』に悩んでいたので、いっそ拍子抜けであった。
「異世界人ってほんと、すごいわ……」
「そうか?」
只々不思議そうな顔をするギルヴァスを見上げて何とも言えない気持ちになりつつ、しかしあづさはより気になることを先に聞いておくことにする。
「ねえ、ギルヴァス。あのグラス、どうやって毒を仕込んだの?それに、どうやって風の四天王に『青いグラス』を選ばせたのかしら」
「ああ、そんなに難しいことじゃない。毒は宝石を砕いておいて、ウェイターが他所から話しかけられている隙に断って奥のグラスを貰いつつ、手前のグラスに落とせばいい。一瞬だ」
「砕いたの?素手で?」
「ん?ああ。脆かったからな、難しい事じゃないだろう?」
あづさは『信じられない』というような顔をして見せたが、ギルヴァスは気にする様子もなく笑って、ウェイター達を示す。
「それから、彼らは蜜蜂の魔物なんだが……彼らはこういう時、円を2つ並べたような形の軌跡で動き回りたがる。だから、どのウェイターがどういう道を通るかは、大体推測できる」
そういえば蜜蜂って8の字を描くみたいに飛ぶんだっけ、とあづさは思い出した。ここは異世界でも共通らしい。
「そうしたら、君達が居る辺りを通るであろうウェイターが運ぶ盆がどれかも、大体見当がつく。まずはその盆の中で一番派手なグラスの中に、硫酸銅を入れればいい」
「ああ、派手好きだから、グラスで選んでるってこと?」
「そうだな。ついでに、オデッティアは格好を見て分かる通り、どちらかと言うと派手なものはあまり好きじゃない。ついでに彼女は偏食でなあ。特定の果物が嫌いなんだ。だから、グラスにその果物が飾ってあったら、間違いなくオデッティアはそちらを選ばない」
あづさは、周囲を動き回るウェイターが運ぶグラスの縁に、レモンの輪切りめいた果物が飾られているのを見て、ああ、成程ね、と納得する。
「あとは、君達の方へウェイターが行く前に、ある程度盆の上のグラスの数を減らしておけばいい。特に派手な奴を狙って減らせば、ファラーシアが取るグラスは限られる」
……そしてあづさは、一瞬何のことか理解できずに考えたが……すぐ、結論が出た。
「つまり、あなた1人で何杯も飲んだ、ってことね?」
「ああ。そういうことだ。派手な見た目の奴は大抵女性向けでなあ。酔うより先に、甘さでやられそうだったが……」
軽めらしいとはいえ酒を数杯飲んだとは思えない素面で、ギルヴァスは笑った。
「……さて。では次を急ごう。騒ぎが起きる前に次の仕掛けだろう?」
「ええ、そうよ。でもね、もう平気」
あづさはそう言うと、そっと、壁を飾る薄布の一枚を揺らした。
ギルヴァスがきょとんとしていると、あづさはにこりと微笑んで……広間の端に置かれている蜜酒の大壺の方を眺める。
ギルヴァスも不思議そうにそちらを眺めるが、特に何も見当たらない。そうこうしている内に、ファラーシアは酒を飲み進め……そして。
「……っ!」
唐突に、口元を押さえてしゃがみこんだ。
「なっ……ファラーシア!」
鋭くオデッティアの悲鳴が会場に響き、そして会場の視線がファラーシア達に集まる。その瞬間……あづさもまた、ファラーシア達を見て驚きの表情を浮かべながら、そっと、壁の薄布を揺らしたのだった。
会場がざわめく中、全ての視線がファラーシアに向き……そしてその影で、ひっそりと。特定の蜜酒の大壺の1つへ、天井から煌めく欠片が零れていく。
きらきらと煌めきながら落ちていくそれは、しかし、きらびやかな会場の中、ざわめきと混乱の中では誰にも気づかれない。
唯1人、ギルヴァスはそれに気づいて、そっと、天井付近の様子を見る。
……そこに居たのは、魔法のシャンデリアの煌めきに身を隠しながら天井にへばり付き、硫酸銅の細かな欠片を落としていく……スライムの姿だった。
「ギルヴァス!ファラーシア様が!」
「あ、ああ」
あづさに引っ張られるようにしながら、ギルヴァスもまた、床へ横たわったファラーシアへと駆け寄る。
すると、そこでは既にオデッティアがファラーシアの介抱を行っていた。
ファラーシアは嘔吐してぐったりとしていた。どう見てもただ事ではない状況である。
「オデッティア。ファラーシアは」
「今、癒やしの術を掛けておる!だが……これはただの魔術ではなさそうだ」
オデッティアはファラーシアの脈を診たり、ファラーシアの顔を覗き込んだりしながら、何か、見えないものを見るように目を眇める。
「呪い……か、或いは、毒、だが……いずれにしてもこれは見たことがない。分からん。このようなこと、一体誰が」
オデッティアが表情を険しくする中、ファラーシアの部下と思しき魔物達が寄ってくる。
蜘蛛の魔物アラクネや、花の魔物アルラウネ。蜜蜂めいたものや蝶めいた魔物も寄ってきて……そして、その中にはラギトもいた。
ラギトは倒れたファラーシアを見て唖然としていたが、やがて、はっとしたように声を上げた。
「ファラーシア様は解呪の宝玉を持ってたはずだ!呪いだったらそれで解ける!」
ラギトの声を聞いた他の魔物達が動き、どこかへと駆けていく。解呪の宝玉を取りに行ったのだろう。
……そうして、魔物達がざわめく中、オデッティアはファラーシアが取り落としたグラスと飛び散った酒を見つめ、その酒に指を浸す。
その一方でギルヴァスは自分の上着を脱いで横たわったファラーシアへ掛けてやりつつオデッティアの様子を窺う。
更に一方ではそんな彼らの様子を不安げに、或いは興味深げに眺める者が居り……そして。
あづさはそっと壁に寄り、天井から薄布に隠れて這って戻ってきていたスライムをそっと、自分のスカートの内側へ招き入れるのだった。




