22話
ざわめく会場を真っ直ぐに突っ切るようにして歩いて、ギルヴァスは風のファラーシアへと近づいた。
「ファラーシア。本日はお招き頂き感謝する」
「え、ええ……?」
「オデッティアも変わりないようでよかった」
「ああ、そ、そちらも……変わり、なく……?」
戸惑う風と水の四天王は、只々ギルヴァスを見上げて唖然としている。そんな2人を見下ろしつつ、ギルヴァスは首を傾げていたが。
「こんばんは、ファラーシア・トゥーラリーフ様。お招き頂き感謝します。それにオデッティア・ランジャオ様も。御機嫌よう」
戸惑う2人の四天王の目の前にあづさが進み出ると、2人はまた困惑の表情を浮かべた。大方、地の四天王の所に異世界人が居るなど知らない、というところなのだろう、とあづさは察しつつ、ひとまず一礼して名乗る。
「アヅサ・コウヤです。ギルヴァス様のところでお世話になっております。……お噂はかねがね」
『お噂はかねがね』。この一言に、2人は何か思うところがあったのだろうはっとしたような顔はしたものの、しかし、続けてあづさが小箱を差し出せば、ファラーシアもまずはそれを受け取らざるを得ない。
「お招き頂いたお礼に、地の四天王領で採れた宝石を。お納めください」
ファラーシアは小箱を開けて、その中に収められた宝石を見た。
「あら、綺麗……」
青から緑にかけての色合いを持つ石は、ごく普通の宝石である。無論、その大きさと美しさはあづさの世界では博物館に納められるレベルであったが。
「ファラーシア様の羽の色の石を選んでまいりました」
あづさがそう微笑めば、ファラーシアも悪い気はしなかったらしい。宝石を懐にしまって、ファラーシアは微笑んだ。
「ギルヴァス。どうやらあんた、随分と出来の良い部下を見つけたみたいね」
「ああ。本当に、俺にはもったいないくらいの部下だ」
「お前の身支度も、あづさがやったのであろうな?」
「ははは、お見通しか。その通りだ。彼女に任せておくと大体上手くいく」
ギルヴァスは本心からそう言って、穏やかな、或いは呑気とも見える笑みを浮かべた。
「……ああ、そろそろ開式の時間か。じゃあ俺達は下がらせてもらおう。あづさはともかく、俺はここに居ると挨拶の邪魔になりそうだからなあ」
「では、また後ほど」
そして2人の四天王がまだ不思議そうな顔をしている間に、あづさとギルヴァスはさっさと2人の前を辞すのだった。
やがて、ファラーシアが大広間から上階へ上がる階段の途中に立ち、開式の挨拶が始まる。
それを聞きながら2人は会場の隅の方、壁にたっぷりとしたドレープをもって飾られている薄布を背に立って、そっと囁き交わしていた。
「うまくできていたか?」
「ええ。ばっちりよ。四天王2人とも、驚いてたわ」
2人は他の誰にも聞こえない声で囁き、笑顔を見せ合う。ファラーシアの挨拶は長々と続いているが、そのほとんどが自慢話のようなものだったのでその合間合間、聞いているふりはしつつも、2人はそっと、簡単な作戦会議を行う。
「それに、予定してなかったけど、あなたが私をやたらと持ち上げるもんだから、2人とも私に興味が湧いたみたいだわ。これ、使えるわね。多分私、あの2人に絡まれるから、あなたは離席して。そこで作戦その1をあなたが決行。いい?」
「分かった」
「その後、あなたが帰ってきたら私達2人が一緒に居るところを誰かに見せながら、かつ水の四天王に見つからないようにしながら、作戦その2を決行。こっちは私が仕込んでおくわ。それで後は予定通りよ。解呪の宝珠の奪還目指して頑張りましょう」
「面白いものだなあ。難しそうだと思っていたが、何とかなりそうな気がしてきた。こんな感覚は久しぶりだなあ」
打ち合わせを粗方終えたところで、ファラーシアの話も終わったらしい。拍手が巻き起こる中、2人も一緒に拍手して、ファラーシアの長話を讃える。
「……楽しみだ」
ギルヴァスの呟きを聞いてあづさがふと見上げると、そこにはドキリとするほど好戦的な目をしたギルヴァスが居た。
蜜色の酒のグラスが1人1人に配られ、乾杯の音頭がとられる。あづさは皆に倣ってグラスを掲げたものの、中身を飲み干す気にはなれずに少々戸惑った。
「あづさ」
そこにギルヴァスが手を差し出してきたのでグラスを渡すと、さっとグラスを取り上げられ、かと思えばすぐに空になったグラスがあづさの手に戻された。
「あ、ありがと……飲んでもらっておいて何だけど、あなた、大丈夫なの?」
「ああ。生憎、中々酔っぱらえない性質でなあ。風のところの蜜酒程度じゃあ、樽で飲みでもしない限り、そうそう酔わない」
「嘘でしょ……?そんなに強いの?」
「まあ、一応は竜だからなあ」
竜って一体何なのよ、とあづさは内心で思いつつ……ふと、自分達に近づいてくる人影に気づいてそちらを向く。
「よお!あづさ!」
「あら、ラギトじゃない。来てたのね」
「ま、俺も幹部サマだからな?当然、こういうパーティーには呼ばれてるってわけだ!」
翼を掲げてにこにことやってきたハーピィは、あづさの手に翼で触れて、またにこにこ如何にも機嫌が良さそうに笑う。
「そういやあづさ、俺が持ってった服、着てるんだな!」
「ええ。これ、気に入ってるの。着心地もいいし。助かってるわ」
「へへへ。そうかー。やっぱり俺の目に狂いはなかったってことだよなァ?な?」
ラギトはにやりと笑って胸を張った。どうやら、自分が選んで持ってきた服をあづさが着ているということが嬉しいらしい。
「あなたもその服、似合ってる。素敵よ」
「ん?当然だろ!だって俺だぜ?ま、そっちの地の四天王サマも悪くはねえけどよォ。やっぱり美しさに関しては、地のものより風のものだよなァ!」
ラギトは自慢げに翼を広げている。ラギトの格好は、あづさには『どこかの部族の民族衣装』といった印象に感じられた。複雑に刺繍が施された布に、色とりどりの房飾りがつけられて、帯に飾られた宝石が煌めき、鈴が涼し気な音を立てている。派手といえば派手なのだが、元々派手な翼を持つハーピィだからか、ラギトにはよく似合っていた。
「この服、凄いわね。綺麗。……そういえば、風の四天王団の魔物達って、皆おしゃれ好きなのね」
ラギトは派手な格好をしているが、派手なのはラギトだけではない。
派手さで言えば風の四天王ファラーシアが随一であるし、他にも、アラクネと思しき魔物も、手の混んだドレスをふわりと着こなしているのが見える。
頭に大輪の花を飾っている美しい女は、もしかしたら花の魔物なのかもしれない。ドレスの裾からちらりと覗く脚は、木の根によく似ていた。
「そりゃァな!風のものだからな!美しいに決まってる!」
どうやら、所属する団ごとになんとなく、性質や好みが似通うらしい。……否、単に美しくない種族を地の四天王領に追いやった結果、風の四天王団の魔物が皆美しくなった、というだけかもしれないが。
「特に俺達ハーピィは、美しいものは何でも好きだ。キラキラしてりゃあ余計いい!だから宝石は好きだし、あづさも好きだ!」
「えっ」
「最初は嫌な奴だと思ったけどよォ、でも話してみたらそれなりに話せる奴だったし、そもそも美しさに罪はねえ!な!」
あづさは思わずどうしたものかと困惑したが、一方でラギトがあづさの困惑など気にもせず、ただ「いいなあ、綺麗だなァ、綺麗なもの着てたら余計に綺麗だなァ」などと言いながらあづさの周りをくるくる動き回るのを見て、あづさはやがて吹き出す。
「……あなたって本当にシンプルね、ラギト」
「ん?おう!そうだろ!」
後で『シンプル』の意味を教えてやろうと思いつつ、あづさは苦笑するのだった。
ラギトと雑談していたあづさとギルヴァスだったが、そんな2人に近づいてくる者がある。
「あづさとやら。少し、よいか」
「私達、あなたに興味があるのよねー。ちょっとお話しましょ?」
ラギトを半ば押し退けるようにして近づいてきたのは案の定、水の四天王オデッティア・ランジャオと、風の四天王ファラーシア・トゥーラリーフだった。
あづさとギルヴァスは一瞬目配せすると、ギルヴァスは一歩引き下がった。
「あづさ。俺は飲み物を取ってくる」
「ええ。行ってらっしゃい」
するり、と消えていくギルヴァスを見て、オデッティアとファラーシアはそれぞれに何やら残念そうな顔をしたが、ひとまずあづさだけでも捕まえられたので良しとすることにしたらしい。
2人の四天王の女達はあづさと向かい合って、にこりと微笑んだ。
「まずは、ようこそ、この世界へ。ね?あなた異世界人でしょ?」
「ええ。多分そうなんだと思います」
「まあ、他に人間など居るはずもないな。我ら魔物の国に人間が居たなら、それは裏切り者か闇市で買われた奴隷か、はたまた不運な異世界人よ」
やはり一目であづさの正体には気づくらしい。異世界人、という身分を明らかにしつつ、あづさは静かに警戒した。
あづさの唯一の武器は、あづさの世界の知識である。それなくして少々肝が座っているだけの女子高生がこの世界を生き抜けるはずがない。
だからあづさは、自分の武器を不用意に相手にもたらさないよう、気をつける必要があるのだ。どうせ相手も、あづさの知識が狙いなのだろうから。
「ねーえ?あづさ。ギルヴァスの奴は気が利かないんじゃない?何か困ってることは無い?」
早速、ファラーシアはそう言ってあづさに困ったような笑みを向ける。
「いきなり異世界に来て、不安でしょう?なのに落ちてきた先があいつのところなんて、ついてなかったわね」
ついてなかった、という言葉は本心なのだろう。そこにギルヴァスを嘲る響きがあったとしても、それ以上に、ファラーシアは心底、あづさが不運だったと思っているのだ。
実際、地の四天王領には何も無い。作物が育たない荒涼とした土地。弱い配下。虐げられるだけの王。……環境としては、魔物の国の中で最悪である。間違いなく。
「あなたが身なりを整えてやったみたいだけれど、そうする前のあいつは知っての通り、美しさからかけ離れていたものね。見た目も中身も泥臭くって、とても一緒に居たい相手じゃあないでしょ?」
「それに何より、あれは負け犬よ。竜の血を引いているが、あの零落ぶり。四天王最弱故に、領地すらまともに管理できん。地の四天王領の荒れ様は水の都にまで届いておるぞ」
だが、あづさは2人の四天王があづさを案じつつ発するその言葉に、どうしようもない抵抗を覚える。
ギルヴァスは一緒に居たくない相手なのか。ギルヴァスは負け犬なのか。
彼は、四天王最弱なのか。
「ねえあづさ。あなたが望むなら、私の所に来ない?」
「これ、ファラーシア。抜け駆けするな。……あづさよ。何なら、水の四天王団に迎え入れてもよいぞ。お主は賢そうだ。参謀の任に就けてやってもよい」
「抜け駆けはどっちよ。ねーえ、あづさ。私だって同じよ?私ならあなたを有効に使えるわ。私なら、ギルヴァスよりしっかりしてて頼れる主になれるわ!ご褒美だっていっぱいあげちゃう!貧乏くさい生活なんてさせないわよ!」
「なら水の四天王団とて負けてはおらん。妾こそ、善き主であることを約束しよう。望む物は惜しみなく与えようぞ」
あづさを欲して笑みを浮かべる2人を前に、あづさは……笑う。
「ごめんなさい。私、欲しいものは自分で手に入れたいの」
ファラーシアもオデッティアも、一体何のことか、と目を瞬かせる。そんな2人を見つめて蠱惑的にも唇を弧の形にしつつ、あづさは、言った。
「豊かな領地も、強い配下も、全部全部、私の手で手に入れたいの。優秀な主だって、そう。私が優秀な主を生み出した方が、きっと楽しいわ」
「だから私には、不器用で鈍くて優しくて強くて……一緒に何かを作ってくれる相棒が1人居れば、それで十分なの」
唖然として言葉を発せなくなった風と水の四天王を、ギルヴァスはやや離れた場所から見ていた。
「……参ったなあ」
あづさの静かに強く通る声が、四天王2人を前にしても揺るがない瞳が、酷く美しく見えた。
「彼女に勝てる気がしない」
あづさの姿を眩しく眺めながら、ギルヴァスはそう呟いて、ゆったりした足取りで進む。
飲み物のグラスと作戦成功の報告を携えて、あづさの元へ。




