19話
ラギトにギルヴァスの新しい礼服を調達してくれるよう、代金になる宝石と共に頼むと、ラギトは喜んで帰っていった。
「……あいつもまさか、次の風の四天王にされる計画が立ってるとは、思ってないだろうなあ」
飛び去っていくラギトを見送りつつ、ギルヴァスは遠い目をした。
まさか、今回の『戦争』の計画に、しっかりとラギトまで組み込まれているとは、ラギトも思うまい。
本人が何も知らないところで勝手に計画が進行していることを少々憐れに思いつつ、しかし、ギルヴァスもこの計画を止めるつもりはないのだから同罪である。
「思われてちゃ困るわよ。あいつには何も知らないままで居てもらった方が都合がいいわ」
「その方が扱いやすいか?あれはあれでも隊長に抜擢される人物だ。計画に乗らせることができれば、強い味方になるとは思うが」
ギルヴァスが不思議そうに問うと、あづさは……少しばかり困ったように、答える。
「……そうじゃなきゃ、あいつが自主的に謀反を企てたことになっちゃうじゃない」
「……成程」
ギルヴァスは感嘆のため息交じりに頷いて……言った。
「君は強いだけでなく、優しいなあ」
「るっさいわね、どういう意味よ!」
「そのままの意味だが……」
あづさはギルヴァスを小突きつつ、しかしこの男は皮肉でも嫌味でもなく、本当に心の底から『優しい』と言ってくれていることは分かっていたので、余計に居た堪れない思いに包まれることになった。
どうにも、ギルヴァス・エルゼンという男は、あづさとっては少々、素直に過ぎる。
城に戻った2人は、早速、風の四天王、ファラーシア・トゥーラリーフから送られてきた招待状を確認する。
「……まあ、いつもの内容だ」
「見せて」
あづさは招待状を受け取り、中を確認する。
……その時、あづさは、失念していた。
ここが異世界だということを。
だが、失念していたので、違和感に全く気付けないまま、あづさは招待状を読んでいく。
「場所は風の四天王領、風の四天王城。パートナー同伴。ドレスコード有り。当然ね。日時は……7日後の夜?結構早いわね。というか、急よ。急だわ。せめて1か月前とかに来るものなんじゃないの、こういうのって」
「どうだかなあ……魔王様からの招集はぴったり1月前に来るが、風の奴からは大体こんなものだなあ」
「ああ、やっぱりそうなのね。うん、風の四天王って、相当にせっかちなのかしら」
「まあ、のんびり屋ではないなあ。だから俺とはそりが合わないみたいだ。顔を合わせる度にノロマと罵られる」
「でしょうね」
片や、引きこもりがちののんびり屋。片や、派手好きのせっかち。どう考えてもそりが合わないはずである。
「まあ、いいわ。それまでに準備を進めないとね」
あづさは、ひとまず必要なものを考える。
「ええと、衣装はラギトに頼んだし、次はあなたの身づくろい。他に手土産が必要かしら?……あと、硫酸銅の結晶。綺麗なのが見つからなかったら再結晶させて作りましょう。それから……そう、スライム!」
「りゅ、硫酸銅……?スライム……?」
「ええ。できれば城に何匹か住まわせておきたいのよね」
何が何だか、という顔のギルヴァスを前に、あづさは楽し気に言う。
スライム、と聞いてか、あづさの肩に乗っていたスライムがぷるぷると揺れる。
「ほう。それはどうして?」
「あら、決まってるじゃない」
あづさはスライムを抱きかかえて撫でてやりつつ、言った。
「誰かさんが傷を負った時の緊急治療用に、よ」
「そ、そうか……」
「ええ、そうよ」
暗に、『怪我して死ぬなんて許さないからね』という意図を表明しつつあづさが言えば、ギルヴァスもあづさの意図するところは理解できたらしい。
気まずげに頭の後ろを掻きつつ……ギルヴァスはふと、困った顔をする。
「しかしスライムを見つけるのは、中々骨だぞ」
「あら?そうなの?」
ギルヴァスの言葉を意外に思いつつあづさが尋ね返すと、ギルヴァスは頭を掻きつつ頷いた。
「水のあるところに居るんだろうが、特定のどこかに絶対に居る、とは言えない。何と言っても透明で不定形だ。俺も居場所を把握してない」
「そ、そうなの……せめて、私にくっついてる子とあなたにくっついてる子、2匹は欲しかったんだけど……」
スライムって案外、貴重な生き物なのかしら、と、あづさは不思議に思う。どうなの?と腕の中のスライムに問いかけてみても、ぷるるん、と揺れるばかりで返事はない。
「まあ、虱潰しに水場をあたれば、新たなスライムを見つけられるかも……ん?」
だが、話していた2人の足元に、ぷるん、とした感触があった。
「……あら」
あづさは足元に屈んで、それを眺める。
「そういえば、城にも水場、あったわね……」
そこに居たのは、もう1匹のスライムだった。
「いつの間にこの子、紛れ込んだのかしら」
「さあなあ……もしかしてこっちが、あづさが荒野から連れてきた方か?」
「分かんないわね……顔もないし、特徴もないし……若干、魔王城に行ってきた方が大きい、かしら……?」
「スライムは個体の判別がほぼできないんだ。気づいたら増えていたり、気づいたら減っていたり……」
「これ、問題よね……」
あづさはひとまず、スライム達に向けて、おいで、と手を差し伸べる。だが、2匹揃ってあづさの手の中に収まろうと寄ってきてしまい、個体の判別はできなかった。
「……まあ、いいわ。私とあなたとで1匹ずつ、近くに置いておきましょ」
「そうだな」
結局、2人はそれぞれにスライムを分け、抱き上げるなり肩に乗せるなりしておくことになったのだった。
「そういえば招待状にはパートナー同伴で、ってあったけれど。あなた、今までパートナーってどうしてたの?」
スライムを抱きつつ撫でつつあづさが問えば、ギルヴァスはぎくり、とした顔をする。
……そして、ため息交じりに答え始めた。
「いや……その、一度、ヘルルートを連れて行ったんだが」
「えっ」
ヘルルート。つまり、丸々と太った、大根か人参。
華やかなパーティー会場に大根か人参かが混じっている様子を想像して、あづさは思わず吹き出しそうになった。
「……連れてって、どうなったの、それ」
「……まあ、2人とも怪我はなく無事に帰ってきたが、ヘルルートは二度と行かないことに決めたらしい」
何が起きたかは何となく察せられる。あづさは苦笑いを浮かべつつ、当時のヘルルートに同情した。
「それ以降は居ないままで行って馬鹿にされるのが常でなあ……まあ、俺1人馬鹿にされるだけなら被害があるわけでもないから……」
「それが被害だっていうことに気付いてね、ギルヴァス」
どうにも被害者慣れしすぎているギルヴァスに哀れみとも苛立ちともつかないものを感じつつ、あづさはため息を吐く。
「だが今回からはそんなことも無いな」
「え?」
そんなあづさの一方で、ギルヴァスは安心したように笑っている。
ギルヴァスの視線があづさへと向いているのを見て、あづさは……気づいた。
「あ……そうよね。私が居るものね」
「ああ。参謀殿。すまないが、パーティーへの同伴を頼む」
あづさは、思う。
自分が居れば、ひとまずギルヴァスは、居心地の悪さから解放されるのだな、と。
それと同時に、異世界人を引き連れているということで何かまた別の居心地の悪さを味わうのかもしれないが……そんなものは、あづさが一緒に被ればいいだけだ。
「ええ。勿論。その代わりしっかりエスコートしてね?」
「まあ、努力はしよう」
これだけでもどうやら、あづさがここに来た意味はあったらしい。
あづさはにっこり笑って、パーティーへの同伴を快諾してやるのだった。
「よし。じゃあ、あなたの身なり、整えましょうか」
「……え?」
続いてあづさはそう申し出る。
「その伸ばしっぱなしのボサボサ髪どうにかして、髭剃って、一通りお手入れすればそれなりに見られるものになると思うのよ」
ギルヴァスの恰好は、正に『草臥れた』という印象が強いものである。
髪は無造作に伸ばしっぱなしにしたような状態になっている。ぼさぼさとしているのも、碌に手入れをしていないのか。
服装も地味で古びており、無精髭すら生えていて、背筋は伸びておらず……全体的に『草臥れて』いるのだ。
整えればそれなりのものになるだろうに、勿体ない、とあづさは1人、ギルヴァスの無精に腹を立てる。
「うーん、髪、かあ。……できればあまり短くしたくないんだが」
だが、ギルヴァスは難しい顔をしつつ、長い前髪を摘まんで眺めている。
そんな様子を見て、あづさは……はた、と、気づいた。
「……もしかして髪、意識して伸ばしてるの?」
「ああ。一応は。……おかしいか?」
ギルヴァスの返事に、あづさは驚く。まさか、単なる無精ではなかったとは。
「ええと……少し珍しくて。私の居た世界だと、男の人が髪を伸ばすのは珍しい事だったから」
あづさがそう答えると、今度はギルヴァスが驚く番だった。
「そうなのか?それは俺からするとまた珍しいが……あ、そうか、異世界人は魔法を使わないんだったなあ」
「え?」
『魔法を使わない』ことと『髪を伸ばすのは珍しい』ことと、何か関連があるのか、とあづさが不思議に思うと、ギルヴァスは早速解説を始めた。
「俺が髪を伸ばしているのは、いざという時の為の備えだ。体の一部を代償に魔術を用いる時、髪が長ければそれを使うことができる。髪を身代わりにするのは昔からよくある魔術なんだ」
「ああ、そういうことなの」
異世界の文化に触れて、あづさは唸る。
しかし、よくよく考えてみるとあづさの世界にも、髪をお守りにしたり呪いに使ったりという文化はあった。
どんな世界でも、そういったところは共通しているものらしい。
「……でもあなたの場合、それを口実に手入れを怠って伸ばしっぱなしにしているだけのようにも見えるけど」
「ははは。違いない。うん、手入れが面倒なんだ」
「やっぱりね!」
あづさは呆れかえりつつ、ギルヴァスの髪を見る。
どう見ても伸ばしっぱなしである。
仮にも魔法の代償として伸ばしている、というのなら、もう少し手入れをして綺麗に伸ばしておけばいいのに、とも思うが……要は、『手入れが面倒』なのだろう。
「しかし、俺と違って君はきちんと手入れしているんだな。特に魔術の為、というわけでもないのだろう?」
ギルヴァスはそんなあづさの内心を知ってか知らずか、あづさの髪を見てそう言う。
ツーサイドアップにまとめた黒髪はさらりと長く、少なくともギルヴァスのような『伸ばしっぱなし』とは全く異なる。
「そうね。魔法を使える訳でもないし、まあ、なんとなく、よ。特に理由は無いわ。重いからそろそろ切っちゃってもいいかな、って思いもするんだけど……でもなんとなく、気に入ってて。切るのってちょっと勇気がいるのよね」
あづさの髪へのこだわりは、一般的な女子高生のそれと同等だろう。
命をかけるほどではないが、蔑ろにしたいものでもない。それなりに大切な、自分の一部だ。短く切るには思い切りが要る。
……そして何より、あづさ自身、自分の髪が気に入ってもいた。長く艶やかな黒髪は、あづさが誇れるあづさの一部分である。
「そうだな。切るのは勿体ない」
ギルヴァスもまた、あづさの言葉に嬉しそうに頷く。
……そして。
「君の髪は綺麗だ。もし夜空を糸にすることができたならこんなかんじなのかもしれないなあ」
そう言ってギルヴァスは、あづさの髪の一房を摘まんで、宝石でも見るかのように見つめた。
「……あなた素面よね?」
しばらく固まっていたあづさは、ようやくその一言を絞り出す。
「ん?そりゃあ当然そうだ。酒なんてこの城にもう残ってないからなあ」
「じゃあ何!?その台詞って何よ!?素面でコレなの!?異世界人って皆こうなの!?よくもそんな台詞、恥ずかしげもなく言えるわね!?」
「え、あ、すまん。嫌だったか」
何か気に障ることを言っただろうか、とギルヴァスが戸惑うのを見て、あづさはまたいっそう、やり場のない照れを持て余す。
「ほら!さっさとお風呂入ってきて!あなたの髪、切り揃えるから!」
「あ、ああ。分かった」
結局、ギルヴァスは猛然とした勢いのあづさに追いやられて、浴室へと向かうことになったのだった。




