おまけ『彼女は荒野に在る花だった』
それから月日は流れ、梅が咲き、沈丁花が咲き始める季節。
……あづさは転校の手続きのため、書類作りに追われていた。
「かんっぺきに出戻りよね、これ」
「まあ仕方ないなあ……」
元居た学校に再び転校する、という、傍から見ていたら全く以て意味が分からないであろう手続きを行いながら、あづさはのんびりと、窓の外を見る。
外に見える桜の木は、まだ固いながらも蕾をつけて、風にふわふわ揺れていた。
「ま、いいわ。これから勉強、遅れに遅れた分、取り戻していかなきゃいけないし。『リハビリ』も頑張らなきゃならないし。やる事沢山あるんだから、色々気にしてる暇なんて無いわね」
……あづさはあの日、救急車で運ばれて緊急の手術を受けた、『ということになっている』。
その辺りは全て、ギルヴァスが何かやったらしい。彼曰く、「魔王の力って便利だなあ」とのことで……どうやらギルヴァスは、魔王の力を結局返さないまま、こちらの世界へ来てしまったらしかった。
それを聞いたあづさは大変なことになったと慌てたのだが……どうやら、魔王の力がギルヴァスに『貸し出される』ことも含めて、ギルヴァスがこちらの世界へ来ることは全て魔王と他四天王の了承済みだったそうだ。
あづさは「何で言ってくれなかったのよ!」と怒ったが、ギルヴァスも「君だって言わなかっただろう」と、珍しくもこちらも少々怒りつつ言い返してきたので、あづさは引き下がるしかなかった。
何だかんだ、生き残ってしまったことはあづさにとってプラスになった。
元々、真弓殺しの犯人達にあづさ殺しの罪を着せる予定だったところを、あづさは死ななかったのだ。リカバリが大変になった、という点は大いにあったが……それ以上に、メリットが大きかった。
何せ、あづさが最も恐れていた『死人に口なし』の状況からは逃れたのだ。あづさが口を閉ざさない限り、幾らでも情報を流すことができる。学校側が隠蔽しようとしても、犯人達が今更足掻いても、最早あづさは止められない。
そうこうしている間に、マスコミが騒ぎ、インターネット上の『善意の第三者』達が犯人達の真弓殺しまで引きずり出しては叩き始め……概ね、あづさの思惑通りにことは運んでいったのだ。
そして何より、ギルヴァスが居るということは、あづさにとってプラスになった。
自分の身を爆弾として最後の抵抗を試みたあづさであったが、世間はあづさを悲劇のヒロインに仕立てたがった。そしてあづさを盾にして、『社会の悪』『子供達の心の闇』をあげつらうようになったのだが……そのように汚れたやり取りをする中で、あづさの支えになったのは、真弓の両親と、ギルヴァスだった。
真弓の両親はあづさが病院に運ばれてから、あづさの両親よりも先にあづさの元へと駆けつけ、あづさの無事が確認できると誰よりも喜んでくれたのだ。それからあづさが情報や世間の中で戦う間も、真弓の両親が何かと支えになってくれた。まだ子供であるあづさを守るため、彼らは大いに力を尽くしてくれた。
だが、真弓の両親としても、あづさの大怪我に取り乱している状態だったので……そしてあづさの両親はといえば相も変わらずの放任主義であったので……動乱の中、あづさの精神の支えとなったのは、専らギルヴァスであった。
……ギルヴァスはあづさの他に唯一、あづさの計画を知っている人物である。彼がいることで、あづさは孤独にならずに済んだ。
それは純粋に、ありがたいことだった。
……そうして無事、あづさは『学校の高所から転落させられたものの奇跡的に命が助かった』という身分を手に入れることができ、その身分を盾に隠れているだけで、勝手に真弓殺しの犯人達は追い込まれていき、裁きを受けることとなったのだった。
勿論、今回の事件の被害者であり一躍時の人となったあづさが学校に居続けると何かと厄介、ということで……学校側からはそれとなく転学を勧められ、あづさは一も二も無くあっさりと、元の学校への転学を希望することになったのだった。
こうして4月からまた元の生活に戻る予定となったあづさは、少しずつ日常と平穏を取り戻していきながら……『最後の謎』に直面することになる。
「そういえば、真弓はあなたに『ヒース』って名乗ったらしいじゃない?」
「ん?ああ……そうだな。初めて会った時、彼女はヒースと名乗っていた。まあ今思えば偽名だったわけだが……」
唐突なあづさの発言に、ギルヴァスは少々首を傾げつつもそう答える。
「あれね。私、分かったわよ」
ギルヴァスの顔を見つめてにんまり笑いながら、あづさはスマートフォンを取り出して、その画面を見せた。
「生意気ね。あの子、私に隠してることあったんだわ。ね、見てよこれ」
差し出したスマートフォン。そこには文字が沢山並んでいた。
ギルヴァスが彼にとっての異世界語で書かれたそれらを読み進めていこうとするのを見つつ……あづさは、さっさと結論を出した。
「小説書いてたのよ。あの子」
「……よく見つけたなあ」
「ええ。ペンネームが『ヒース』だったわ」
「ああ、それで見つけたのか」
それにしても大分頑張ったなあ、などとギルヴァスは呟く。あづさはそれを聞きつつ、聞かないふりをした。
たった3文字のペンネームだけから、真弓の痕跡を見つけることなど不可能である。インターネットの海は広く深い。
……探し出せたのは、ほとんど奇跡に近い。だが、それでもあづさはなんとか、やり遂げたのだ。
真弓が通っていた高校の、文芸部。そこが発行していた部誌を手に入れて、そこから真弓が書いたであろうものを見つけ出したあづさは、それを辿ってインターネット上にあった真弓の痕跡を見つけ出したのだ。
真弓は見つけられることを望んでいなかったかもしれないが、だが、まあ、許されるだろう、とあづさは思っている。
今までも、真弓が何か隠し事をしては悉く見つけてきたあづさだ。真弓の方もいい加減諦めがついているだろう。「しょうがないなあ、あづさ相手だもん」なんて言って笑うに違いない。
「その小説はどんな内容なんだ?」
「それがね!」
そしてあづさは、笑う。
「……大体1人で何でもできる、やたらと頭の切れる女の子が、魔法と魔物の世界で大活躍、って話なのよ」
それを聞いたギルヴァスは、目を瞬かせ……首を傾げた。
「……君の話みたいだなあ……」
「正直、自分でもそう思うわ。なんか、傲慢なようだけど」
あづさはそう言って苦笑しつつ……ぽつり、と呟く。
「嬉しいわ」
嬉しい。
真弓にとって自分が、物語の主人公にできるくらいの存在であったことが、嬉しい。
「……ヒース、というと、花の名前だな」
あづさがスマートフォンの画面を見つめていると、ギルヴァスがふと、そう言った。
「あら。随分花屋さんが板についてきたわね?」
「まあ、覚えることは多いからなあ。うん……」
ギルヴァスはとりあえずこの世界で生きていくために、花屋を始めていた。
……土さえあればあとは気合いで草を生やしたり花を咲かせたりすることができる、という反則級の能力を持つギルヴァスは、とりあえず花屋を始めていたのである。
店舗を借りるための資金を得るまでは、実店舗無しのネット通販花屋をやっていたのだが……要は、ギルヴァスはもう粗方、この世界に馴染んでしまっているのである。始めの数日こそ「いんたーねっと?」と首を傾げていたギルヴァスだったが、やはり能力は高いらしい。今やほとんど問題なく、現代機器を使いこなしている。あづさとしては舌を巻く思いというか、納得がいかないというか、なんとも複雑な思いであった。
「『ヒース』というのは、別名でエリカ、とも言うらしい。花屋にあるのは大抵そっちの名前だな」
「文学作品に出てくる時は大体前者よね……まあ、実際、結構地味な花よね」
ヒース、と検索して出てきた画像を見て、あづさは首を傾げる。
花がつくとはいえ、小さく地味。どちらかと言えば花というよりは草や木の枝に近いような。『ヒース』はそんな植物である。
「どうしてあの子、ペンネーム、これにしたのかしら」
あづさが首を傾げていると、ギルヴァスはきょとん、とした。
「そこには気づかないのか」
「え?」
ギルヴァスがおかしそうに笑うのを見て、あづさもまた、きょとん、とし……。
「……『ヒース』は荒野に咲く花、なんだそうだな」
ギルヴァスの言葉を聞いて、目を見開く。
「荒野に咲く花。……まあ、もしかしたら、『降矢』と共に在る花、ということだったのかもしれない」
「……そう」
都合のいい解釈だ。
……だが、それでもいい。そう傲慢に割り切ることにした。
だって真弓は、そういう人だったのだから。
ずっと、あづさと共に在ってくれたのだから。
「そういえばヒース……エリカの花、どこかで見た事あるわ、って思ったんだけど。これ、ラガルが真弓に、って渡してきた髪飾りの花だったわね」
あづさはふと、スマートフォンの画面の写真を眺めてそう言いつつ……思い出す。
「……そういえば私、ラガルに申し訳ないことしたわ」
唐突にあづさがそう言った事で、ギルヴァスは首を傾げた。
「預かった髪飾り、どこかで無くしちゃったみたいで……」
「ああ、あの、炎色の奴か」
別れ際、ラガルが手渡してきた、炎の色をした花の髪飾り。今思えば、あの時のラガルはあづさがギルヴァスに助けられることを知った上であれを託してきたのだろう。だから「供えられなくても元の世界へ運んでくれるだけでいい」などと言ったのだ。
……だが、その髪飾りの所在が、問題だった。
「セーラー服のポケットの中に入れたはずなのよ。でもなくなっちゃってて……落としたってわけでもなさそうよね。警察の人にも聞いてみたけど、現場には何も残ってなかったみたいだし」
そう。あづさはラガルから真弓へと託された髪飾りを、紛失してしまっていたのである。
だが。
「ああ、それなら多分、真弓が持って行ったんだろう」
ギルヴァスはあっけらかん、とそう言った。
「……えっ」
ぎょっとしつつあづさがギルヴァスの顔を見つめれば、ギルヴァスはけらけらと楽しそうに笑った。
「そもそも、君を俺のところに届けてくれたのは真弓だ」
「……ええっ?ちょ、ちょっと待って。どういうことよ。それ、聞いてないわよ、私」
「うん。言わなかった」
どこまでも楽しそうにそう言って、ギルヴァスはふと、あづさの左腕に触れた。セーラー服の下になってしまっているが、そこには確かに、ギルヴァスから貰った腕輪がある。あづさもまた、その腕輪の力……ギルヴァスの能力に思い当たって、納得した。
「まあ、俺達としても、確証が持てる訳じゃない。単なる偶然の可能性も、大いにある。……だが、『勇者の力』を持ち帰った真弓以外に、君の召喚先をずらせた者は居ないんだ」
言われて、あづさは考えて……そして、じっとりとした目でギルヴァスを睨むことになった。
「……早く言いなさいよね」
「はは、すまん。言う機会がなかったもんで……まあ、許してくれ」
ギルヴァスは苦笑しつつそう言った。……恐らく、これを聞いてもあづさが取り乱さないくらい落ち着いてから話すつもりだったのだろうな、という程度のことはあづさにも察しがついたので、これ以上はあづさも文句は言わない。
「まあそういうわけで、多分、あの髪飾りは真弓が持って行ったんだろうな、と、俺は思ってる」
「全部何もかも偶然だったかもしれないけどね。でも、まあ……そう思った方が、私にとって都合がいいわ。だから、そう思うことにする」
何もかも都合のいい解釈ではある。
だが、もし、真弓の意思がまだどこかに残っていて、それがあづさを救ったのなら……あづさは、救われようと、思う。
真弓が望んだとおり、生きて、1人のうのうと生きて……生きていこうと、思うのだ。
「よし、これで終わりっ!」
必要書類を書き終えて、あづさは大きく伸びをする。
「さーて。これで転学の手続きも終わるし……これから1か月、どうしてやろうかしら?」
花が咲き始めた季節。あづさが復学するまでには1か月程度、暇がある。
「何。君の好きなようにすればいいさ」
「そうね。好きなようにするわ。それでとびっきり楽しんでやるの」
あづさはそう言うと……にっこりと、笑った。
「とりあえず、当面の目標は供物集めね!」
「……えっ?」
「異世界人は魔力が多い、って言ってたけど、それってつまり、この世界にあるものってそれなりに供物として有用ってことじゃない?なら、頑張って集めれば、もう一回、私とあなたが異世界に行くことも可能でしょ?なんなら、もしかしたらどこかに真弓が遺した『勇者の力』があるかもしれないし。それ見つけちゃえば、あとは案外簡単な気がするわね!」
「……ん?」
戸惑うギルヴァスに満面の笑みを向けて、あづさは言った。
「この春休みは異世界でバカンスってことにするわよ!」
完結しました。後書きは活動報告をご覧ください。
また、3月6日(金)22時より新連載を始める予定です。よろしければそちらもどうぞ。