156話
翌日は主に、魔法学校の建設の日となった。
ギルヴァスがいつもの調子で城を建てると、そこにオデッティアが水を引き、ラガルが火を灯す。そうして、城ができてしまうと、それぞれにまた、動き始める。
徐々に力を取り戻しつつあるらしいファラーシアがラギトと一緒に風の魔法で大量の布を運んでくると、一緒に運ばれてきたアラクネたちが裁縫を始めて、寝具や着替え、その他様々な生活用品を作り始める。
オデッティアはミラリアと共に、教科書とする魔導書を編纂し始めた。液体であるインクを自在に操れるオデッティアならば、木版印刷などより余程早く、本を増産することができた。
ラガルはドワーフとレッドキャップ達に協力する形で、金物の製造を手伝わされていた。ラガルは自在に炎を操る。炉の役目に丁度良いのである。
そしてギルヴァスはというと……あづさと共に家具の類を生み出していた。
「本当なら木材で作りたいんだがなあ……」
「十分でしょ、これで」
ギルヴァスは不満なようだったが、準備の時間のことを考えると、石で作れるものは全て石で作ってしまった方がいい。結果、ギルヴァスは大理石の机や玄武岩の椅子を生み出し続けていた。
岩を操れるのだから、こうした家具の製造など楽なものである。デザインを決めるときは、あづさと一緒に魔王城城下町の家具屋を見て回った時を2人で思い出しつつ、ああでもない、こうでもないと口を出し合う。楽どころか、楽しい作業だった。
「あーあ、こんな調子でお城ができちゃうんだから、人間の国の人達はそりゃ、驚くわよね……」
「うーん、性格が悪い、と思われるかもしれないが、彼らの驚く顔を見るのは少し楽しい」
「あ、分かるわ、それ。……あ、もしかして、私に初めて魔法を教えてくれた時もそんなかんじだった?」
「そうだなあ。随分楽しそうにするものだから、こっちが楽しくなった」
当時のことを思い出しつつ、あづさはくすくす笑う。
やはり、この世界は素敵だ、と、あづさは思う。
城はあっという間に立つ。怪我はすぐに直せる。可愛らしい謎の生き物が沢山いる。驚くようなこともたくさんあって、飽きない。そして、自分の力で色々なことができる。
元の世界も、こうだったらよかったのにね。
あづさはそう思って、小さくため息を吐いた。
「お。庭の方も順調だな」
「わあ、本当!すごいわ。……あの子達、働き者ねえ」
窓の外を見れば、ヘルルート達がせっせと庭に花を植えている。いつの間に働かされていたのか、ルカは庭に池や小川を作る要員にされており、その横ではクレイヴが果樹を植える手伝いをしていた。確かに、ヘルルートには花の苗やマンドラゴラならともかく、果樹を運んで植えるのは辛いだろう。
……尚、庭の景観づくりの指揮を執っているらしいのは、ラギトである。美しさにこだわりたいらしい彼なら、それなりにうまくやるだろうと思われた。
「……こっちにも檸檬の木を植えるんだなあ。交流団の城の一角はもう檸檬畑になってるぞ」
「ああ、あっちの檸檬畑はクレイヴと、クレイヴに気を利かせたヘルルートのお願いを聞いたトレントとかゾンビとかスケルトンとかそんなとこの仕業ね。この間、檸檬貰ったわ。あなたも食べたと思うけど」
「ああ、あのケーキか!あれは美味かったなあ……」
「……まあ、そんなにいっぱい檸檬ばっかりあってどうするのよっても思うんだけど、クレイヴ本人よりもヘルルート達が植えたがるのよね……」
「ああ、ヘルルート達か。なら仕方な……まずい!ヘルルートがマンドラゴラを植え替えようとしている!止めてくる!」
窓の外を見ていて、大変なものを見つけてしまったらしいギルヴァスはさっさと窓の外に飛び降りていってしまった。あづさもギルヴァスを追いかけても良かったのだが、上から見ている方が面白くて、あづさは窓から高みの見物を決め込む。
……四天王が揃っていて、魔王さえも訪問している土地である。魔力が豊富だと踏んで、ヘルルート達はこの辺りにマンドラゴラ達を植えたがっていたらしい。だが当然ながら、人間達は全くマンドラゴラへの耐性が無い。下手すれば死にかねないのだから、こんなところにマンドラゴラを植え替えられてしまっては困る。
ギルヴァスはヘルルート達と、マンドラゴラの鉢植えを運ばされてきたらしいゾンビ達を説得して、別の場所をマンドラゴラ畑にする約束をしているようだ。
あづさはそれを眺めて笑いつつ、可愛らしい生き物達の平和なやりとりを存分に楽しむのだった。
そうして、朝から夕方まで作業していけば、魔法学校はそれらしく出来上がっていた。
教科書や魔法の道具などの準備、そして何より、教師となる者の準備が必要なので、開校にはまだ時間がかかるだろうが、少なくとも建物とその設備までは1日で概ね出来上がってしまった、ということになる。
土木建築業泣かせだわ、と、あづさはぼんやり思いつつ城を見上げた。
御伽噺に出てくるような立派な城は、きっと人間達にも喜ばれることだろう。そして、まさかこれが1日にして築かれたなどとは思うまい。
「みんな!ごはんよ!お仕事は終わりにして、なかよく食べなさい!」
ファラーシアの可愛らしい号令に、魔物達も人間達も、作業を切り上げてぞろぞろと城の中へ入っていく。風の四天王団の魔物達が夕食の支度をしてくれたらしい。外にまで、食事の匂いがふわふわと漂っていて、なんとなく懐かしく、温かい気持ちにさせられる。
「ご飯が終わったら、いよいよね」
城に入っていく途中、あづさはギルヴァスにそう言って笑いかける。するとギルヴァスは、苦笑いを浮かべて頷いた。
「うん。少し緊張するなあ」
……今度は、ギルヴァスが魔王と話す番である。
一体、どんな会話をしてくることやら。そして、どのような結論が出されることやら。
あづさはそれを思って少々楽しみになり……同時に、少々寂しくもなった。
「魔王様に魔王の力が戻るのか、それともギルヴァスが駄々捏ねるのかは分からないけど……まあ、あと3か月以内に、帰れるのね。私」
帰れる。そう、呟いてみても、実感は無い。
そこにあるのは、漠然とした予感と、それを抑え込む強い意志だけ。
「堪能しておかなきゃ、ね」
あづさは大きく息を吸い込んで、吐き出して、それから自分の部屋へ戻るべく、廊下を歩いていった。
「入れ」
魔王の部屋の戸を叩いたギルヴァスは、返事を確認してからそっと、ドアを開けた。
部屋の中、卓の上に酒瓶1本とグラス2つを用意して待っていたらしい魔王は、もう以前のように闇を纏うでもなく、少年めいた容貌をそのままにしている。彼なりに、思うところがあったのだろう。
ギルヴァスは魔王に促されて、魔王の前に着席する。少々緊張するが、避けては通れない道である。腹は括った。
「まあ、飲め」
「失礼する」
魔王はさっさと、酒瓶を魔法で傾けて中身をグラスの中に注いだ。そのグラスまでもがひとりでに動いて、ギルヴァスの前へとやってくる。
魔王が同じように自分のグラスにも酒を注ぎ、口を付けるのを待ってから、ギルヴァスも注がれた酒を呷った。
魔王が用意しただけあって、美味かった。恐らくは魔王城の酒蔵庫から魔法で取り寄せたものなのだろう。魔王はこの手の魔法を得意としている。
「あの異世界人を余に渡す気は無いか」
そして魔王は、唐突にそう話し始めた。
「すまないがその気はない」
「そうであろうな」
答えなど分かり切っているであろうに、魔王はギルヴァスとの短い問答を挟んで、また酒のグラスを傾ける。酒が減るペースは遅々としている。思考を鈍らせる気は無いのだろう。一方のギルヴァスは、むしろ自分の臆病が何よりの障壁であるので、これ幸いとばかりにさっさとグラスを空にしかねない勢いで飲み進めているが。
「では、あの異世界人を元の世界に帰す気はあるか?」
だが、続いた魔王の言葉に、ギルヴァスの手が止まった。
「どうやら、いたく執着しているようだが。お前は、自分を救って世界をも変えたあの異世界人を、手放せるのか?」
魔王の言葉は実に鋭い。ギルヴァスの心の内などとうに読めているのだろう。読めた上で理解できるかどうかは別としても、概ね、ギルヴァスが何に迷い、何に怯えているのかは知れているはずだ。
「……正直、手放したいとは思えなくてなあ。うん。彼女が帰りたいと望もうが、そうするのが正しかろうが、そうしたい、とは思えない」
元より偽るつもりもない。ギルヴァスはあっさりとそう言って、
「だが、俺が手を放し損ねたら、彼女が引っ叩いてくれることになっている」
「……引っ叩く?」
「うん。鞭で」
魔王がグラスを取り落としかけたが、そこは流石に魔王である。グラスを落とすような失態は回避した。
「だから心配しなくていいと言われた」
「……要は、時が来たならば、あの異世界人に従う、ということか」
「うーん、というよりは、従わせられる、だなあ。うん。従う気はないぞ。従わせられるのは間違いないが……」
心情的な問題でしかないそこを強調して言えば、魔王はいよいよ、呆れかえったような顔をした。『こんな奴に魔王の力を奪われているのか』とでも言いたげな顔である。実際その自覚はギルヴァスにもあるので、ギルヴァスは只々苦笑するしかない。
「……ならば魔王の力を返還せよ。余なら、何の問題もなく、あづさを元の世界へ帰せる。お前も見苦しい様を曝さずに済むぞ」
魔王は苦い表情のまま、ギルヴァスにそう言った。要は、ここが本題なのだ。
魔王は魔王の力を返してほしい。それを遠回しに言ってくるのだろうな、ということくらいは、ギルヴァスにも予想がついていた。だからこそ、ギルヴァスが魔王の力を帰したくない理由であるあづさについて、あれこれ聞いてきたのだろう、と。
……だが。
「うーん、すまんな。それも断る」
ギルヴァスは、そう、答えた。
「……貴様、謀反を起こす気か」
「ああ、いや、そうじゃない。そうじゃないんだが……ええと、どこから説明するべきか……」
気色ばんだ魔王の表情の裏に怯えのようなものを見つけてしまい、ギルヴァスは何とも申し訳ない気持ちになった。
年下の魔王は、魔法を操る能力も元々持つ魔力も魔物の国随一であるが、やはり、年相応な部分もまだ残っている、ということなのだろう。
年をとっているからどうだ、などと驕る気にはなれないが、それはそれとしても、ギルヴァスは目の前の魔王を納得させなければならない。
それは魔王の為でもあり……何より、自分の望みを叶えるために。
「……まず、あづさが元の世界に帰りたい理由、なんだが。彼女は復讐のために、元の世界に帰るんだそうだ」
唐突に始まったギルヴァスの話に、魔王は訝し気な顔をした。
「彼女が今、置かれている環境はそう恵まれたものじゃあないらしい。両親からは半ば育児放棄されているようだし、学び舎では嫌がらせを受けているらしい。そして……唯一無二の親友を亡くした、と。その唯一無二の親友、というのが、勇者マユミだ」
100年前のことに話が及べば、魔王は少々訝し気ながらも興味を示す素振りを見せた。
100年前の出来事は、魔王にとっても忌むべき事件であった。それについてより深く知りたいと思う気持ちは確かにあるのだろう。
「そしてあづさは、12時間分の記憶を失っている。この世界に来る直前12時間分の記憶が、彼女には無いそうだ」
「……異世界からやってくるための供物となった、ということか?」
「うん。分からない。あづさは恐らく、ラガルが勇者マユミ本人か勇者マユミに近しい異世界人の誰かを召喚した魔法で召喚されたのだと思う。しかし、ラガルが用意した供物は半分しか消費されず、あづさは火の四天王領ではなく、地の四天王領の荒れ地に突然召喚されることになった。12時間分の記憶を失って」
魔王はふむ、と唸って視線を彷徨わせる。魔法について魔物の国で誰よりも学を修めた魔王であるので、何か思い当たることがあるらしい。
「成程な。つまりあづさは、誰かの妨害か介入を受けた、ということか」
「妨害か介入、とは」
「魔法に横槍を入れた者が居たのだろう。供物はラガルの用意した半分の他、そやつ自身のものと、あづさの記憶で賄われた。そう考えるのが妥当だろう。そうして犯人は、わざわざ地の四天王領へあづさを移動させた」
あっさりとそう言って、魔王は指を組む。
酒を飲んでいる場合ではなくなったらしい。思考に全ての力を注いでいるらしく、最早酒のグラスはその存在すら魔王に忘れ去られたものと見える。
そして魔王は色々と思考を巡らせ終えたらしく……真っ直ぐに、ギルヴァスを見つめて、言った。
「さて。そうなると余は真っ先にお前を犯人と疑うが?」
魔王の目が、鋭く光る。
……ギルヴァスは自分に及んだ疑いを反芻して、そして、『確かに俺が犯人だと色々と辻褄が合うなあ』などとのんびり考え……それからようやく、疑いを否定し始めた。
「い、いや、違う。俺じゃない。俺にはそんなことできないぞ」
「知っている。お前がそのような真似をできるとは思えん。技術は無く、技術を補えるだけの魔力があるでもなく、そして異世界人召喚に使えるような供物など、あの当時の地の四天王城にはお前の角程度しかなかっただろうからな」
魔王は涼しい顔でそう言うので、ギルヴァスとしては少々恨めしい。
「犯人が誰か、など、考えるだけ無駄だろう。もしかしたら、ただ偶然、宙を漂っていた魔力にぶつかったあづさがたまたま魔法に巻き込まれた、というようなことも考えられる。可能性を挙げればきりがない」
魔王はそう言うと……ギルヴァスの顔を見て、ふと、目を細めた。
「だが、あづさ自身はどうやら、何か勘づいているようだな?」
「消えた12時間分の記憶の中で何があったのか、恐らく、もうあづさは勘づいているはずだ。風の四天王団雷光隊のネフワが発明したひゃいひゃいとやらで情報を得ていた」
「それは恐らくWi-fiだが」
「……とにかくそのふぁいふぁいで、12時間分の記憶の一欠片となる情報を取り戻すことに成功したらしい。その一欠片から、12時間分の記憶を丸ごと推測できたとしてもおかしくはない。彼女は賢いから」
ギルヴァスには分からないことだったが、あづさには分かるのだろう。情報の欠片を得た時、あづさの表情が違った。尤もそれはすぐ、勇者マユミからの手紙らしいものを受信したことによって掻き消されてしまっていたが。
「だがあづさは、それを俺に伝えようとはしていない」
……そしてあづさは、何か分かったであろうことを、決して口にはしなかった。人間の国との和平に向けて動いている途中も、その後も。十分に時間はあったはずだったが、ギルヴァスには何も言っていない。
つまりあづさは、ギルヴァスには言うつもりが無いのだ。
「お前はそれを尋ねたのか」
「……尋ねるべきではないと、感じている。恐らく彼女は、隠そうとしているから」
あづさから言いだそうとしないということは、彼女はギルヴァスに話す必要が無いと思っているか……或いは、隠しておこうと思っているかのどちらかだろう。
そして、もし、あづさがギルヴァスに隠したいことがあるとすれば、それは……。
「あなたに魔王の力を返す前に、あづさに何があって、あづさがこれからどうするつもりなのか、全てを解明したい。協力してくれないか」
ギルヴァスがそう言えば、魔王は苦い顔でため息を吐き、頷くのだった。