154話
「……勇者に欠点、かあ……」
「そうよ。例えばだけど……まあ、真弓については、要領が悪いとか、引っ込み思案とか、そういう『欠点』があるってことになったのかもしれないわよね。それからあの子、そんなに頭脳明晰ってわけでもないし、運動ができる方でもなかったわ。まあ……そういうことを含めれば、コストダウンになったのかもしれないわよ」
「だ、だが彼女は誰よりも高潔な魂を持って」
「知ってるわよ。あの子みたいな子、2人と居ないわよ。いい?ラガル。私、あの子の価値はあなたよりもよーく知ってるんだからね?」
あづさはラガルを一睨みして黙らせると、それから、オデッティアに向き合った。
「ねえ。他に何か、思いつかないかしら。魔法的な観点からして、どういう勇者なら低コストで召喚できそう?」
「それはなんとも難しい問いよなあ、あづさ」
オデッティアは珍しく困った顔をしつつ、宙に視線を彷徨わせる。
「そう、だな……やはり、阿呆の方が、楽に召喚できるようには思う。魔力をそれほど多く持っていない者も、そうであろうな。それから……やはり、居ても居なくてもいいような、そんな者ならば『低こすと』なのであろうよ」
居ても居なくてもいいような。
その言葉に、あづさは少々、ドキリとさせられる。
「運命をそれほど捻じ曲げずともよいならば、消費する供物も魔力も、格段に抑えられるはずであろう?」
「……まあ、何となく、分かってきた、わね。勇者召喚は、勇者の質が低いほど低コスト。ついでに、居ても居なくてもいいような人なら猶更、ってことかしらね」
あづさは部屋に戻ってそう結論を出す。
「俺はさっぱり分からんぞ。それだと、君がラガルの魔法で召喚された時、供物が少なく済んだ理由にならんからなあ」
一方、ギルヴァスは納得のいかない顔をしていた。
「君の能力はとても高いし、居ても居なくてもいい、というような人でもないだろう」
どうやらギルヴァスは、あづさの価値が低い、っということになるのが面白くないらしい。何とも不機嫌そうなギルヴァスの顔を見て、あづさは思わず笑ってしまう。
「高く買ってくれてありがと。でもそうね。私も正直なところ、そう思うわ。驕るわけじゃないけど。私、人並み以上に色々なことができるつもりよ」
「うん。その通りだ。……君は望みうる限り、最高の人材だからなあ。うん」
ギルヴァスが満足げにそう言うのを聞いて、あづさはいよいよおかしくて仕方がない。だが、自分の価値を他者に認められる、ということは少々気恥ずかしくとも、それ以上に嬉しい。
「……しかしそうなるとやはり、君の召喚の時には何か、ラガル以外の誰かが介入して代わりに供物を捧げた、としか思えんなあ」
ギルヴァスは表情を一転させて、今度はまた、唸りだす。
……ラガルが用意した供物は、想定の半分しか消費されなかった。そしてあづさはラガルの意図とは異なり、地の四天王領の荒れ地に召喚された。更に、あづさは12時間分の記憶を失っている。
あづさの価値が高かろうが低かろうが、何かがあったことは、間違いないのだ。
「ま、いいわ。私については、私も考えてみるつもりだから。今は人間の国との合意を目指しましょ」
「うん、そう、なんだが……果たして実現できるん、だろうか」
ギルヴァスは歯切れ悪く、零す。
「人間側は勇者を召喚できる、らしい。勇者の力が無くとも、ひとまず異世界人なら魔力は多い場合が多い。武力になる。……それを手放せ、というのは、人間側にとってあまりにも、不安だろう」
ギルヴァスの意見は尤もである。
人間の国を守るものは、魔物の良識のみ。もし魔物が悪意を持ったなら、その時、人間は滅ぶ。それを避けるために、人間側は勇者が欲しい。
だが一方で、魔物側としては、勇者が召喚されることは資源の消費という点でも、異世界人保護の観点からも、あまりにも非合理なのだ。
この、永遠にも思える平行線は、如何ともし難い。
するとあづさは、笑う。
「ええ。まあ、何とかなると思うわ」
きょとん、とするギルヴァスの前で、あづさはにっこりと笑う。
「要は、魔物が人間の国を攻めない保証があればいいんでしょ?」
翌日。
再び開かれた会議の席で、あづさが真っ先に発言する。
「提案よ。昨日の議論の打開策なんだけれど」
前置きもなく唐突に始まったあづさの発言に、人間側の者達と、特に何も事前に知らされていなかったラギトが不思議そうな顔をする。
……この発言をあづさが行うのは、あづさが人間だからだ。
異世界人とはいえ、人間であるあづさであるならば、人間達にそこまでの警戒は与えないだろう、と判断されたのである。
同じことを言うのでも、魔王が言った場合とあづさが言った場合とで、警戒される度合いは大きく異なるだろう。何よりあづさには、人間の国に潜入して活動していた経験がある。顔を知っている者からの提案ならば、多少、受け入れやすいはずだ。
それらを踏まえて、あづさは自信を持って、言った。
「結界、もう一枚作ればいいんじゃないかしら?今度は、人間に好意を抱いていないと通れない奴!」
……そして。
その後も細々とした取り決めが為されたが、大筋は決定した。
まず、魔法学校で人間達の交流団と希望者が魔法を学ぶ。その勉学を元にして、彼らが、結界を設ける。そして結界が完成したならば、そこで初めて、勇者の召喚を互いに管理し始めよう、と。
先の長い話ではある。だが、これが人間側が安心でき、魔物側が不利益を被らないための一番の策だろう。
結界の作成には当然、魔物達も協力する。流石に、少し魔法を学んだだけの人間達に、先代魔王が生み出した結界と同種のものが作れるとは思えない。
何なら魔物だけで作ってしまった方が余程早く余程安全なのだが、それでは人間達が不安、ということで、このような形になった。
幸いにも、寿命差がここで役に立った。
人間にとっては『ゆっくりと時間をかけて解決する案件』として受け止められ、魔物には『それほど時間もかからない案件』として受け止められたのである。人間の数年と魔物の数年の間には、大きな感覚の差があるのだ。
そう。
今回の交流は、人間にとっては緩やかなものとなる。だが、魔物からしてみれば、それほどの時間はかからない。
魔物を排除し忌み嫌ってきた人間達には魔物を受け入れるのに時間が必要なのだろうし、魔物はそれほど気にしていないので特に時間は必要ない。
……こうした両者の特性の違いが、見事、両者のニーズに応えるための鍵となったのだった。
「それでは今後もよろしく頼むぞ、人間の王よ」
「こちらこそ。より良い関係が築けるよう、互いに全力を尽くそう」
……かくして、第一回人魔会談は平穏かつ有意義なものとして幕を閉じた。
分裂以来800年に渡って国交を絶っていた両国が、ここでようやく、和平を結んだのである。
まだまだ為すべきことは幾らでもある。それでも、これは大きな一歩であると言えるだろう。会議に出席した全員が、それを実感していた。
「いつでも待ってるからね!いつでも遊びに来てね!いっぱい来てね!」
「ファラーシアがこう言ってンだ!お前らいっぱい来い!いいな!」
見送りの魔物の魔物らしからぬ無邪気さと能天気さに人間達は苦笑しつつ、再びの訪問を約束し、人間の国へと帰っていく。
「……俺が送ってやればよかっただろうか」
「やめておけ。ただの人間共には竜の背はちと速すぎるであろうよ」
「じゃあ俺が運んでやりゃあよかったかなァー」
「やめておけ。お前が運んだら途中でうっかり落とす未来が見えるわ」
「すげえ!オデッティアは未来見えンのか!すげェなァ!」
人間達を見送って、魔物達は気の抜けた会話を繰り広げる。
特に、オデッティアはここ数日で気疲れしたらしい。少々疲れた表情でため息を吐くと、眉間を指で揉んだ。
「……この世界は広いものよな。妾の知らぬものがまだまだ多くあると見える。少なくともこの鳥のような阿呆は生まれて初めて見た」
「ンだとォ!?」
「ラギト。オデッティアはあなたのこと、珍しいって言ってるのよ。つまりレアよ。レア」
「ン!?そうなのか!ならいいや!ところでレアってなんだァ?まあいいか!」
「それでいいのか……」
なんとも平和な、気の抜けた会話である。平和のあまり、ヘルルート達がやってきて、四天王の足元をくるくると走り回っている。
だが、今はこのくらい気が抜けていてもいいだろう。何せ、800年ぶりに人間と魔物が和平を結んだのだ。その大仕事の後なのだから、このくらいは許されて然るべきである。
「ご苦労だったな」
気の抜けた四天王とラギトとあづさの前に、魔王がやってきた。
少年らしい姿を隠すことなく、しかしそれでいて王としての不足を感じさせることもなく気を張り続けた彼もまた、気疲れしたらしい。少々、疲れた顔をしていた。……だが、疲れていながらも、達成感に満ち溢れた、穏やかな顔だった。
「お前達の働きを高く評価する。今後も魔王軍のため……そして、隣国との和平のため、力を尽くせ」
四天王がそれぞれに了承の意を示すのを見て、魔王は僅かに満足げな表情を浮かべた。
「今日はよく休め。また明日から働いてもらうことになるだろうが……特に、ギルヴァス・エルゼン」
魔王は、ギルヴァスをじっと見つめた。
魔の王に相応しい、力強く底知れない視線を柔らかく受け止めて、ギルヴァスはにこにこと笑みを浮かべる。
「世話をかける」
魔王はそうとだけ、言った。
だがその短い言葉の中には、恐らく、100年に渡る誤解と冷遇の謝罪もまた、含まれているのだろう。
「……世話だなんて、思っちゃあいない。ただ、そうだなあ……」
ギルヴァスはその言葉の裏まで読んで、その上で、答える。
「うん。只々、嬉しい」
本心から出た言葉は、随分とありふれた、柔らかいものだった。
だが、ギルヴァスにとっては新鮮かつ重い言葉である。100年弱の間ずっと、ギルヴァスは『嬉しい』なんて思うこともなく過ごしてきたのだから。
「まずは魔法学校の建設だな。任せてくれ。立派なのを1つ、こさえよう。そうだなあ、この会議場と同じような造りにするか。……考えるだけで楽しくなってくるなあ。何なら今日中にもう造り始めるか」
「休め」
「……ご命令なら仕方ない。明日から始めよう」
うきうきとして何とも楽しげなギルヴァスを見て、魔王は微かに苦笑を浮かべた。
……この1年弱で、随分と色々なことが、大きく動いた。そうでなければ、魔王が今こうして闇も纏わずにここに立っていることなど有り得なかっただろうし、ギルヴァスが楽し気にしているのも、それを見るオデッティアとラガルもやはり苦笑しているのも、ラギトとファラーシアがきゃあきゃあと何かはしゃいでいるのも、それら全てが存在しなかっただろう光景だ。
これらの光景を実現させたのは……。
「降矢あづさ」
魔王は、あづさに呼びかけた。
魔物の国を、世界を大きく変えた少女に。
「話がある」