149話
そして、夕方になりかけてきた頃。
「さて。こっちは存分に街を堪能してきたけど、あなた達も職務を全うしたんでしょうね?」
あづさとギルヴァスは、また門番達の前に立っていた。
門番達は不運にも、まだ交代の時間ではなかったらしい。『交代した後で来てくれればよかったのに』とでも言いたげな顔であったが、ひとまず、渋々と槍を退け、2人を門の前へ通した。
「ありがと。はい、お仕事ご苦労様」
そんなリザードマンの手に、あづさは上機嫌で紙袋を手渡す。リザードマンは思わずそれを受け取ってしまって、きょとん、とする。
「お菓子。みんなで食べて」
あづさとギルヴァスがにこにこと通り過ぎていってしまったのを見送って、リザードマンは、紙袋を確認する。
そこに入っていたのは、城下で高名な高級店の焼き菓子であった。要は、捨ててしまうには少々惜しい、と思わせる代物である。
……どこまでも図太い来訪者達にため息を吐きながら、門番のリザードマン達は、後で詰め所に持っていこう、と、そっと、紙袋を邪魔にならないところに置くのだった。
城の中に入ると、以前同様、また数々の視線が突き刺さる。
だが、そこにあるものは、嫌悪と侮蔑だけではない。
堕天使のような魔物はしげしげと2人を見つめては首を傾げ、ひそひそと何かを囁き交わす。
虚無がローブを纏ったような奇妙な魔物は、手にしていた大鎌を下ろしたまま、ぽかん、とした様子で2人が通り過ぎていくのを見送る。
立派な格好をして錫杖を手にした骸骨は、何か魔法を使ってこようとしたものの、あづさとギルヴァス、2人分の瞳をじっと向けられ、更には微笑まれて会釈までされてしまい、出し損ねた魔法を引っ込めて、すごすごと引き下がる。
……要は、何かが違う、と、魔王城の魔物達は皆、思っていたのである。
前回、魔王城を訪れたギルヴァスは、堂々としてはいても、それはあくまで処刑台に上る罪人のそれであった。
それがどうだろう。今のギルヴァスは、むしろ自分が裁く側だとでもいうかのような、強い自信と余裕を身に着けて、魔王城を闊歩している。
そして、ギルヴァスの隣を歩く、あづさも。
前回来た時は、ただ、この世界に不慣れな様子の少女であった。警戒はしていても、怯えを隠せていなかった。それが今は、楽しげに、好戦的に、それでいて優雅に堂々と。そんな様子で、周囲から注がれる視線に応えている。
下手に侮ったら、痛い目を見る。
魔物達はそんな感想を抱いた。
……そうして2人はそんな魔物達の間を通り抜けていき、魔王が待つ玉座の間へと真っ直ぐ向かって行くのだった。
玉座の間の前に立つと、見張りの兵がギルヴァスの姿を見て慌てたが、ギルヴァスは見張りの対応を堂々と待つ。
……見張りは伺いを立てに玉座の間へ入り、そして、少ししてすぐに戻ってくると、『入れ』というようなことを手短に伝えてくる。
ギルヴァスとあづさは礼を言うと、早速、魔王の待つ部屋へと足を踏み入れた。
「魔王様、お久しぶりです」
真っ先に口を開いたのは、あづさだった。にこりと微笑んで、魔王が居るのであろう闇をじっと、見据える。
「地の四天王領の領地改革のご報告に上がりました」
魔王は黙ったままじっと動かない。……だが、微かに蠢く闇からは、焦りのようなものが見て取れる。
「まず、領地の変化ですが、侵食地の緑地化に成功しました。それから荒れ地に水を呼び戻し、次第に緑地化が進んでいます。作物も育っていますね。ああ、そうだわ、魔物も増えました。大地を耕しているところです。鉱山も力を取り戻して、今まで以上に宝石を良く産出しています」
魔王はそれらの事情など、知っているのだろう。オデッティアも水を通してあちこちを探知できるのだ。魔王にもその程度のことはできると考えた方がいい。
「それから……風、水、火の四天王達との、協力体制を取り付けました。おかげで各領地との輸出入や人員の行き来もできて、それぞれ互いに潤っています。鉱山から採れる石がより良質になった分、風や水の四天王領の研究機関の研究も進んでいるようです。地の四天王領の改革に伴って、他の四天王領も発展しています。まあ、ご存じなんでしょうけど」
あづさはにっこりと笑って、闇と相対する。
「約束の1年にまだ到達しない状態ですが、それでも、十分に領地改革できたのではないかと自負していますけれど。如何かしら?」
闇の向こうへ堂々と胸を張って、あづさは微笑む。
……すると、闇が蠢いて、返事をする。
「……見事な働きだ。死んだ大地が斯様に蘇るとは、思い難かったが」
「お褒めに与り光栄です」
魔王でも焦ったり困ったりするのね、と可笑しく思いつつ、あづさはまた微笑んで……それから、少々の勿体をつけて、言う。
「ああ、それからもう1つ。素晴らしい成果をお聞かせしたいの」
身構える魔王を前に、たっぷりと間を置いて……笑う。
「人間との交流を開始しています」
「……何のつもりだ、ギルヴァス・エルゼン」
闇から生まれた腕が、ギルヴァスへ向かう。
「うん。それがいいと思った。先代様の願いだったからな」
だがギルヴァスは、その腕を掴んで止めると、そう、言い切った。
「先代の……!?貴様!自分が何を言っているのか分かっているのか!」
「あら、魔王様。お気を静めて?あなたと約束したのはそっちじゃなくて、私でしょう?」
あづさは子供を宥めるように……いっそ揶揄うように、魔王へ声をかける。途端、魔王の殺気があづさに向いたが、あづさはそれを浴びて尚、堂々と立つ。
「私が判断したのよ。色々、分かっちゃったものだから。だから、人間の国と交流すべきだと思ったの」
「馬鹿なことを!そんなことをして、何になる!人間共との和平だと!?それは一体、何のためだ!先代を殺した愚かな人間共を、今代でこそ、蹂躙してやるべきだろう!」
魔王が声を荒げるのを聞いて、あづさは思う。
ああやっぱり、魔王様に知らせないまま人間の国に行ってきて正解だったわね、と。もし魔王が知っていたら、さぞかし話がこじれたことだろう。
「それからもう1つ。私の成果ですけど」
あづさは魔王の声と怒りを遮るようにして、言った。
「先代魔王様の死の真相を、突き止めました。それから……『魔王の力』の在処も、ね!」
魔王は明らかに動揺していた。
確かに、魔王はもう200年近くを生きている。だが、『たかが』200年程度だ。魔王の種族であれば、千年程度、生きても全くおかしくない。
魔王としても、未だ半人前だ。制約によって、就任から100年は魔王としての力のすべてを使えない、ということになっている。否、そうでなくても、そもそも、今の魔王の手元に、魔王の力は無かった。
本来ならば、代替わりの際に譲渡されるものが、どこにも見当たらなかったのだ。先代の遺体を前に、只々途方に暮れた記憶は今も生々しい。
魔王は、自分に力が無いことを気取られぬよう、生きてきた。魔王としての力を持たぬ魔王など、侮られる。侮られれば、国を動かせない。
只々、虚勢を張り続け、自分の力を隠し続けた。それは、自分のためであり、国のため。
……だが。
「あなた今、魔王の力なんて、持ってないでしょう?」
魔王より遥かに年下の少女が、魔王より優位に立って見える。
あづさは闇の中に居る魔王を、まるで闇すら見透かしているかのように真っ直ぐ見つめて、笑う。
「それでね。今、魔王の力は……彼に、あるのよ」
あづさの笑みが、魔王には死神の笑みのようにすら見えた。
「この意味、分かるかしら?」
魔王は、自分が築き上げてきたものを全て破壊されることを、強く予感したのである。
「おのれ、四天王最弱が!」
魔王はそう吠えて、闇の中から闇で形作られた腕を伸ばす。今度こそ、ギルヴァスを殺そうと。
だが。
「あら。誰が四天王最弱ですって?」
あづさが笑う。そして魔王の伸ばした腕は……あっさりと、ギルヴァスに捕まれ、止められていた。
魔王の方を真っ直ぐ見つめる琥珀の目、酷く力強い。
そこに居たのは、最早、四天王最弱であったはずの者ではなかった。




