148話
人間の国との交流は順調に進んでいた。
何せ、四天王を最初から4人とも巻き込んでしまえているのだ。始めこそ、地の四天王領でだけ、という話だったが、その内人間達は他の四天王領とも交流し始める。
風の四天王領の花畑に埋もれて喜び、水の四天王領の水中城の美しさに感激し、火の四天王領の荒々しい火山の様子に驚き。
人間達は存分に、魔物の国を堪能していた。ついでに、それについて回って魔物達も、他所の領地を堪能することになる。ヘルルートなどは元々が風の四天王領の出であることもあり、花畑では存分にはしゃぐ様子が見て取れた。尤も、やっていることはいつも通り、地面を駆けまわっているだけだったが。
……そんな中。
「おお、そうか。おめでとう」
ギルヴァスは水晶玉に向かって笑みを向け……その向こうのアーリエス4世に祝いの言葉を送る。
「これでようやく、本格的に人間の国は魔物の国と交流できることになりそうだ」
……今までの人間との交流は、あくまでも、王の個人的な命令で動く少人数が魔物の国へ滞在する、という程度のものであった。だが、これからはより大規模に、国を挙げて、魔物の国と交流し始めることができる体制が整うらしい。
「そうかあ。……なら、こちらもいい加減、動かないとなあ」
ギルヴァスは苦笑しつつ、そう言って……手を握りしめた。
そこには、ダニエラから返還された、魔王の力がある。
「あら。やっと、人間の国の方がカタがついたのね」
翌朝、ギルヴァスがあづさに報告すると、あづさはにっこり笑ってそう言って……ギルヴァスの胸を軽く小突いた。
「じゃあやっとあなたの出番、ってわけね」
「ああ。腹は括ったぞ」
ギルヴァスは苦笑しつつ、そう言った。
気分は落ち着いている。以前のように、冷静さを欠くこともないだろう。もし冷静さを欠いたとしても、あづさがきっと、ひっぱたいて正気に戻してくれるだろう。だからギルヴァスは、何も心配しなくていいのだ。
「久しぶりね。魔王様にお会いするの」
「そうだな。……もう、9か月になるのか?」
「そうね。あーあ、案外長かったわ。楽しかったけど」
あづさはそう言って大きく伸びをすると、にっこりと笑った。
「もう、一昨日、魔王様にお手紙は出してるのよね?なら、今日中に行ってきましょうか。ついでに魔王城の城下町で何か美味しいもの食べてくる、っていうので、どう?」
「うん。喜んで」
「やった!じゃあ、支度してくるわね」
ちゃっかりと遊ぶ約束も取り付けると、あづさは意気揚々と部屋へ戻っていった。支度に行ったのだろう。最近、またラギトがあづさのために服を持ってきていた。あづさは少々着飾るつもりなのかもしれない。
「……そういうことなら俺も少し着飾るかあ……」
ギルヴァスはあづさに引きずられるようにうきうきとした気持ちになりながら、自分も支度をすべく、部屋へ戻るのだった。
「……やっぱりあなたってちゃんとした格好すると、ほんとにちゃんとしちゃうのよね……」
狡いわ、というあづさの言葉と半眼とを受け止めて、ギルヴァスは喜色満面である。
「褒められると悪い気はしないなあ」
「そうね。ええ。正直、嫌味言いたくなるぐらい素敵よ、あなた」
「君もな。うん。綺麗だ」
「……それでもって、嫌味も言えなくなるようなこと、臆面もなく言うのよね、あなたって……」
あづさとしても、『褒められると悪い気はしない』のだが、それでも照れや戸惑いはある。
……あづさが選んで着てきたのは、膝上くらいの丈の黒いワンピース・ドレスだ。
少々しっかりした布地でできたハイネックでノースリーブの上半身部分と、その布地がチャイナドレスのように深いスリットを伴って膝上まで伸びるスカート部分。少々大人っぽすぎる代物だが、スカートの中に同じく黒のシフォン地めいた布をたっぷりと使ったパニエを履くことで、露出を減らして華やかさとかわいらしさを足している。
色を黒で統一したのは、琥珀色の石のアクセサリーが映えるように。ギルヴァスの腕輪の他、ラガルの城に囚われていた時にもらった琥珀の飾りをウエストのリボンの結び目に着けている。
無理をした背伸びにはならない程度に大人っぽく。それでいて、シンプルに。
……要は、ギルヴァスの隣を歩いていておかしくない格好。それでいて、魔王に会う上で無礼にならない格好を、という意図である。理由の比重としては、前者の方が多少重いが。
「……しかし、少々気後れするなあ。あんまり綺麗すぎて」
「もうやめて。そろそろはっ倒すわよ」
「す、すまん。つい本心が漏れた」
「はっ倒すわよ!?」
あづさは、思った。
つくづくギルヴァスはこういったことに鈍すぎ……かつ、強すぎる。
それからあづさはギルヴァスの背に乗って、魔王城の城下町へと降り立った。
街の外れの方に降り立ったとはいえ、ギルヴァスが人間の姿に戻る頃には、周囲からの視線がすっかり集まってしまっていた。
そういえば、ギルヴァスはまだ多くの魔物にとって『裏切り者』で『四天王最弱』なのよね、と、あづさは思い出した。四天王達の誤解が解けて以来、あづさもギルヴァスもすっかり忘れていたが。
あづさは少々の居心地の悪さを覚える。だが、堂々と立っていることにした。あくまでも、ギルヴァスの隣にいて、おかしくないように。
「そういえば、出る前に聞けばよかったが……寒くはないか?肩が出ているが」
「まあ、風よけのコートは持ってきてるわよ。あなたの背中に乗るわけだし。今は平気。今日は暖かいものね」
「そうか?ならいいが」
一方、ギルヴァスは周囲からの視線などまるで気にならない、とでもいうように、あづさにだけ視線を注いでいた。
あづさがギルヴァスと視線を合わせると、ギルヴァスはにこにこと笑う。以前であればもう少し、彼は気まずげな顔をしたのだろうが……。
「さて、行こうか。参謀殿」
「……ええ。行きましょうか。まずはお昼ご飯ね!」
……どうやら、ギルヴァスはあづさが来てから、それなりに図太くなったらしい。
飲食店に入った2人だったが、あまりにも堂々としていたためか、入店を拒否されることもなかった。
物珍し気に、或いは明確な敵意を持って2人を見てくる魔物も居たが、そんなものは気にしない。
……何せ、食事があまりに、美味しいので。
「美味しい!すごい、口の中で溶けちゃった」
あづさは口の中に運んだ肉の一切れが、するりと溶けていくのを味わって歓声を上げた。
それは、濃密なムースのようでもあり、濃厚な蜜のようでもあり。舌にしっかりと旨味を伝えて、それでいてくどくはない。まるきり未知の味わいだった。
「魔法料理、って何のことかと思ったけど。これは、すごいわ」
あづさ達が今食べているものは、『魔法料理』である。
一体何のことか、と思ったあづさであったが、それはどうやら、調理法として『魔法』を使った料理であるらしい。
火の魔法で焼いたり、水の魔法で洗ったり、といった工程ではなく……例えば、肉に風の魔法をかけて軽やかな口当たりにしたり。茹で卵の黄身に水の魔法を掛けてしっとりとして滑らかな食感にしたり。中には、宝石に魔法を施して食用にしてしまうことすらできるらしい。
そういった、未知の調理法を用いて作られた料理は……非常に手が込んでいて、計算されつくした味わいを生み出していた。
とにかく、美味しい。
あづさは一口ごとに幸福感を得つつ、食事を進める。
「気に入ってもらえたようでよかった。ここの魔法料理は美味いんだ。前回もここで食事ができればよかったんだが」
「前回のも悪くなかったけどね」
前回、魔王城城下町に来た時は、ひっそりと宿に泊まって、人目を避けるようにして食事を摂るしかなかった。それはそれであづさは嫌ではなかったが、今、晴れ晴れとして嬉しそうにあづさを見つめているギルヴァスを見ていると、やはりこの店でこのように堂々と食事ができて良かった、と思う。
「ここのデザートはどれも絶品だが、宝石タルトがおすすめだ。食える宝石は俺も作れるが、ここまで美味くは作れない」
「へえ、面白そう。じゃあ私、それにするわ!あなたは?」
「ケーキ化フルーツにするかな。果物に風と火の魔法を組み合わせてそのままケーキにしたらしい。ふむ、ここ100年でできた新メニューらしいな。さっぱり味の想像がつかん」
「訳分かんないわね、それ……」
「一口、食べてみるか?」
「いいの!?やった!」
2人ははしゃぎながら、存分に食事を楽しんだ。今までこうすることが叶わなかったことを、忘れるように。
……その様子を見ていた周囲の魔物達は、不思議がる。四天王最弱、魔王軍の恥晒しであるはずのあの竜は、一体どうしてしまったのか、と。
地の四天王領がどうなっているのか、噂程度に聞いている魔物は居ても、詳細など分からない。
あの四天王最弱はいつの間にあのように身綺麗になったのだ、向かいに座っている美しい少女は一体何者か、そして何故、こんな所に堂々と居る。
魔物達は口々に囁き合い、そして首を傾げる。
何から何まで分からずじまい、推測しかできないような状態だったが……1つ、今の2人を見ているだけで確かに分かることもあった。
どうやら地のギルヴァス・エルゼンは、目覚め、這いあがってきたらしい。
そう、魔物達は悟ったのである。
「あ、そう。じゃあいいわ。適当にぶらぶらしてからまた来るから。それまでに話、通しておいてね。次に来た時にも同じ態度だったら、今以上のをお見舞いするわよ」
あづさは鞭をしまって魔王城の門番にそう言うと、頬を手厳しくも叩かれてぽかん、とした門番達に背を背けた。
……門番達は、ギルヴァスが魔王に謁見したい旨を伝えるや否や、『そんなことは許さない』、『事前の約束もなしに地の四天王如きは通せない』、というようなことを言いつつ、武器を向けてきたのである。
当然、事前に魔王宛に書状を送ってある。だが、それがリザードマン達に知らされていないのか、はたまた知らされていながら、ギルヴァスを困らせるために嘘を吐いて突っぱねたのか。
どちらにせよ、仕方ない、とギルヴァスは思う。彼らにとって、ギルヴァスは憎悪と侮蔑の対象なのだ。
ギルヴァスは自分に向けられた槍の切っ先を避けることもせずに頬を切り裂かれ、そして……門番達の全く予想していなかったことに、ギルヴァスではなく、その後ろにいたあづさが、鞭を抜いて応戦したのである。
威嚇程度、ほんの一撃。それだけであったが、よくできた鞭は門番のリザードマンの頬をびしりと叩き、鱗の下の皮膚を裂き、そこから血を流させたのである。
そしてあづさはさっと回復の魔法をギルヴァスに施すと、先の言葉を投げつけて、リザードマン達に背を向けたのである。
「き、貴様……!」
リザードマン達は激高し、今度はあづさに向けて、武器を繰り出した。
……だがそれは、逞しい腕によって、いとも容易く遮られる。
「俺はいいが、彼女は駄目だ」
そして、優しげでありながら全く譲るところのない琥珀色の瞳にじっと見つめられて、リザードマン達は竦みあがる。
……リザードマン達は、実感した。
目の前にいる者は、竜。それも、地の四天王を拝命するほどの、力のある竜なのだ、と。
「まあ、よろしく頼む。こちらも手荒な真似はしたくないんでなあ」
ギルヴァスはにこにこと笑って手を振ると、あづさと共にまた、城下町へと戻っていくのだった。
「ほんと、失礼しちゃうわよね」
「うん。そうだなあ」
あづさはしっかり怒っているのだが、ギルヴァスはにこにこしているばかりである。あづさはそんなギルヴァスの顔を見上げて、半眼を向ける。
「……なんであなたは嬉しそうなのよ」
「いやあ、君の逞しい姿を見ているのは中々爽快なんだ」
「逞しい、って……ああ、さっきの鞭?そりゃ、相手がやってきたんだからあれぐらいやったっていいでしょ」
「うん。君のそういうところが良い」
これは何を言っても、ギルヴァスのにこにこ顔を崩すことはできないだろう。あづさは呆れてため息を吐く。
「まあ、それに……もうしばらく、君と町をふらついていられるみたいだからな。それは喜ぶべきところだろう」
更に、ギルヴァスは如何にも上機嫌な様子でそういうのだから、最早あづさは何も言えない。
「さて。折角だから店でも見て回ろう。やはり城下町だからな。色々な店があるぞ。服は間に合っているか?なら、宝飾店はどうだ?」
まるで、遊園地に来た小学生。アトラクションを前に、わくわくしている様子。まさにそれである。
あづさは内心でそう思いつつ……堪えきれず、笑いだす。
「宝飾店も別にいいわ。だってあなたが作る物以上のもの、置いてあるとは思えないもの」
そしてそう言うと、ギルヴァスの手を取って、引いていく。
「ちょっと、家具屋さんを見たいの。今の城って殺風景だから、ここで買わないにしろ、参考にしたくて。……どう?」
「……君も大概、人を喜ばせるのが上手いなあ……」
ギルヴァスはそう言って照れ入るように笑みを浮かべると、あづさに手を引かれて、のんびりと歩き出すのであった。




