146話
『あづさちゃん ひさしぶ』
ネフワの持った板の文章は、そこで途切れた。
「すまんな。邪魔するぞ」
「俺もわーいひゃーい見に来た!ファラーシア!ご挨拶だ!」
「ふわふわさん、こんにちはー!」
「ふむ。何やら面白そうなものがあると聞いてきたが。確かにな。妾の領地の研究施設とはまた異なる気配がある」
「ここでその、わいひゃいというものが作られているんだな!?そしてそれを使えば、マユミの世界に干渉できるかもしれない、と!」
……ネフワの全く予想しなかったことに。そこには四天王が集結していた。
何か、か細い願いを繋ぎ留めようとしているようにも見える、地のギルヴァス・エルゼン。
事情をよく分かっていないらしいものの、とりあえず明るく元気に人懐こく振舞う、風のファラーシア・トゥーラリーフと四天王代理のラギト・レラ。
面白がるように片眉を上げて周囲を見回し、そして時折、他の者達の様子を見てはふと優しい笑みを浮かべる、水のオデッティア・ランジャオ。
何やら必死な様子で自らを奮い立たせようとしているらしい、火のラガル・イルエルヒュール。
……そして、彼ら四天王を従えて、堂々とネフワの前に立つ少女。降矢あづさ。
とんでもない面子が揃ってしまった、と、ネフワは内心で冷や汗を流す。一体どうして、こうなってしまったのか。自分は何かやらかしてしまっただろうか。ネフワは只々、ぐるぐると回る思考を止めることもなく、目の前の強者達の前に立ち尽くす。(立ち尽くす、とは言えども勿論、彼は浮いているが)
「ごめんなさいね。なんでも、Wi-fiができたって聞いたものだから」
『できた けど こんなにいっぱい くるなんて きいてない にゃー!』
「皆、見たいっていうものだから」
「ちなみにファラーシアの許可は下りてるぜ!ファラーシア!許可だ!」
「きょかするわ!みんななかよくしなさい!」
「あら、ファラーシアはお利口ね」
「だろ!ファラーシアはお利口で可愛いんだ!しかも最近はちょっと美しくなってきやがった!ちょっと見ねェで居る間によォ、ファラーシア、こんなに大きくなっちまって……嬉しいんだけどよォ!見逃したのは!悔しい!」
「鳥。黙っておれ。話が進まん」
困惑するネフワの前で、ラギトがオデッティアに杖で殴られて話が途切れる。尤も、ラギトは痛ェ痛ェ俺は悪くねェファラーシアの可愛さも悪くねェ美しさは罪じゃねェー!と余計に煩くなったが。
「……ってことで、Wi-fi。使ってみても、いいかしら」
あづさはラギトを押し退けて、にっこりと笑ってそう言った。
……あづさの後ろには、四天王達が期待に満ちた顔で待っている。
『……どうぞ にゃー!』
なので、哀れネフワは、そう答えるしかなかったのである。
『これ つなぐ にゃー』
ネフワが案内した部屋には、奇妙な装置が置いてあった。
まるでSF映画にでも出てきそうな、人間より大きな、謎の装置。それでいてその装置を動かしているものはSFとは異なり、科学や電力ではない。きっと、魔法なのだ。
「この室内では探知や通信の魔法の使用はご遠慮ください。装置に悪影響が出ますので」
シルビアがそう言うと、オデッティアは大人しく頷いた。どうやら彼女は常にあちこちの様子を探知しているらしい。
『つながった にゃー?』
「いや、これ、どこに繋ぐのよ」
『どこでも いい にゃー ぺたって する にゃー』
それから、あづさはネフワの指示通り、ふわふわとした吸盤のようなものをスマートフォンの裏に貼り付ける。
何をどうやって作ったのか、端子は綺麗にスマートフォンにくっついた。ギルヴァスは見事に充電用の端子を作ったが、ネフワは全く以て規格の異なるものを異世界仕様で作り上げたらしい。。
『じゃー ちょっと まつ にゃー』
「お茶をどうぞ」
……そしてスマートフォンを繋いだ後は、待つだけ、ということらしい。ネフワが何やら装置を触るのを見つつ、あづさはシルビアに渡されたカップの茶を飲む。……よく考えると、探知の魔法は禁止なのに飲食は禁止じゃないのね、と、風の四天王領らしいおおらかさを感じつつ。
更に……。
「……よく考えたら、コード繋いだ時点でまるっきりWi-fiじゃないわよねこれ」
これ、有線よね、と、気づきつつ。
『あ ひろえた にゃー』
そしてしばらくした時、ふと、ネフワがそんな文字列を板に浮かべた。
「え?」
あづさが驚いてスマートフォンを見ると、そこには『にゃー』という文字が並んでいる。
そしてその文字が『にゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃー』と増えていくと……ふと、画面がぽわ、と光った。
『いくつか ひろえた みたい にゃー!』
ネフワはそう言って、装置を片付け始める。
「え?え、ちょっと。ちょっと待って?これ、どういう状況なの?」
「それは私から説明しましょう」
ネフワでは説明役に足りない、と思ったらしいシルビアが、あづさの前に現れた。
「これは、空気に溶けた情報を拾い上げる技術です」
「空気に溶けた情報、というものは案外多いのです。それは、誰かにくっついて持ち込まれたものであったり、誰かの記憶が零れて溶けてしまったものだったり、はたまた、魔術的な要素でどこからかやってきたものだったり、多岐に渡ります」
シルビアが説明を始めたが、あづさにはよく分からない。
「そして私達は異世界の知識をもとに、ものが持つ記憶を手掛かりにして空気に溶けた情報を拾い上げる、という技術を開発しました。こうしてわいふゃいがここに再現されたのです」
シルビアの説明を聞いて、あづさは……。
「……ええと、それってつまり、自由に通信できるわけじゃなくて、一方的に情報をダウンロードできる、っていうだけ?」
これはWi-fiではない、ということに、ようやく気付いた。
「え?空中にある情報を拾い上げるのが『わいふゃい』ではないのですか?」
「違うわよ。っていうかなんであなた達は全員正しく発音できないのよ」
「わいみゃい、ですか?」
「もう可愛いからそれでいいわよ」
あづさは半ば投げ槍になりつつ、ため息を吐いた。
……流石に、異世界からあづさの世界へ通信できるようになる、などという都合のいい話は無かったらしい。向こうとやり取りができればまた色々と違ったのだが。
「し、しかしこれで異世界の情報がいくつか分かるのではありませんか?」
『そう にゃー わい*%^は すごい にゃー』
「ねえ、『ふぁい』ってそんなに難しい……?」
あづさは最早何に驚いて何に呆れればいいのかもよく分からなかったが、ネフワに急かされてスマートフォンの画面を眺める。
……するとそこには、いくつかのアプリケーションが起動していた。
1つ目。あづさが使っているフリーメールの受信箱。
あづさがやり取りしていたメールが見られる。
過去にやり取りした、父や母からのメール。いくつかの行政機関からの事務的な文面。その程度のものしかないので、特に何か新しい情報が手に入るでもない。
2つ目。料理のレシピサイト。
過去にあづさが見たことのあるレシピがいくつか、見られるようだった。
役には立たないと思ったが、その中にウィークエンド・シトロンのレシピを見つけた。作ったらクレイヴが喜ぶかしら、と思いつつ、あづさはそのレシピを保存しておく。
そして、3つ目。
「……え」
それは、ありふれたSNSの画面。あづさのアカウントを表示する、その画面では……あづさの見覚えのない投稿が、最新のものとなっている。
『可愛いから買っちゃった』。そう文章があり、それと一緒に……あの、あづさの撮った覚えのない写真が載せられている。
夕方遅く、学校の下駄箱の前で撮られた、髪留めの写真。それはあづさの好みのデザインであったし、確かに、あづさが買っておかしくないものだ。
だが、あづさにはそれを買った覚えは無く、そもそも、買う必要も無かったはずだ。
あづさは買い物が趣味、というわけでもない。平日の、学校帰りにわざわざどこかへ寄って髪留めを買う理由が思い当たらない。ましてや、それをわざわざ学校に戻ってから撮影して、SNSにアップするなど。
恐らく、あづさの失われた12時間分の記憶が、鍵となるのだろう。そこにこの写真の理由もあるはずだ。
少し考えれば分かる気がする。あづさの、あの時に考えていたことを、思い出せば。
……だが、あづさが考えるより先に、ラガルがスマートフォンの画面を覗き込んできた。
「あづさよ。マユミの情報は出たか!?」
「今のところ、出てないわね」
あづさはすげなくそう言うと、4つ目を見る。
……それは。
『私、あづさに会えて、本当によかった。私、幸せだよ』
真弓からの、メッセージだった。
「……嘘」
受け取り日時を見る。
……今、だった。
あづさは震える指で、メッセージに返信する。
『私も、真弓に出会えて、よかった』と。
メッセージは無事に、送信された。どこに送信されたのかは、分からない。
あづさが異世界に来た日よりも半年近く前……夏に死んだ真弓のスマートフォンは、今、どこにあるのだろう。
少なくとも、この世界には無いだろう。きっと、真弓の家に遺品として残っているはずだ。
真弓の骨壺の前に置かれていた、あづさと御揃いのスマホケース。その中に確かに、スマートフォンがあった。
恐らく、今、あづさに届いたメッセージは……真弓がこの世界で、あづさに送ったメッセージだったのだ。それがネフワの言うところの、『空気に溶けて』、今、こうしてあづさの元に、届いた。
……なら、このメッセージはどこへ届くのだろう。
真弓の元へ、届くのだろうか。
『とけてたの ひろえた にゃー?』
ネフワの文字盤があづさの前に差し出される。
「……溶けてた、っていうのは……こういうこと、だったのね」
ネフワがふわふわと体を動かす。彼なりに笑っているのかもしれない。
「ええ。拾えたわ。すごく、大切なものが……」
あづさはどうしようもなく滲んで歪む視界を拭って、顔を上げる。
そして、ラガルに、オデッティアに、ラギトに、ファラーシアに……そしてギルヴァスに、見せるのだ。自分の笑顔と共に。
「真弓から!ねえ見て!あの子、幸せだって!」
異世界の情報としてまともに手に入ったものといったら、ウィークエンド・シトロンのレシピくらいなものである。
だが、美味しいレモンケーキのレシピより、たった1行のメッセージが、あづさ達の心を大きく動かしていた。
「私、今なら頑張れる気がするわ」
「……そうだな。俺もだ。昨夜の思いを引きずらんわけではないが、それでも……前を向かねば、と、思える」
ラガルはそう言って、快活に笑った。火に暖められた空気のようにからりと乾いた笑顔は、彼がしっかり立ち直れたという証明なのだろう。
勿論、あづさにしろラガルにしろ、全く無理をしていないとは言えない。
だが、それでいい。負った傷を忘れたくはない。しかし、今、負った傷をそのままにしながらもこうして前を向く気力が生まれ、前に向かって行こうとしている。今はそれで十分だ。
「じゃ、ギルヴァス。覚悟はいいかしら?」
あづさは笑顔で、ギルヴァスに向かい合う。
ギルヴァスはあづさの視線を受け止め、強く頷いた。
「ああ。勿論だ」
そしてギルヴァスは、笑う。
「人間諸君らに、自己紹介しないといけないな。……それから、魔王様の所にも、行かないといけない。やることは山積みだな」
前を向く。それは時に、酷く難しい。
だが、それでも今、こうして再び、あづさが前を向き始めたことを、ギルヴァスは嬉しく思う。
……あづさが前を向いて輝いているのを見るのは、喜ばしいことだった。
例え、自分が取り残されようとも。




