144話
「……というわけだったんだが」
「成程な。つまり、向こうの黒幕はエルフだった、と」
翌日、ギルヴァスとあづさは他の四天王達を招いて、会議を行っていた。
集まったオデッティアとラガル、そしてファラーシアを連れたラギト、という以前同様の面子を前に、人間の国の土産である茶菓子を囲んで、人間の国で分かったことの報告会、としていた。
「エルフ、か。確かに盲点だったな。そうか、人間の国で上手くやっているものだと思っていたが……」
「まあ、連中は長生きなばかりで柔軟性は無い。おまけに数も少ないとなれば、能力が低くとも順応力が高く数も多い人間に駆逐されるのは無理もない話よ」
ラガルとオデッティアはそれぞれに感想を漏らしてため息を吐いた。
「だが、ひとまずこれにて、魔王様を脅かす存在は消えた、ということになるのだな?」
「まあそうだな。勇者マユミの失踪についても確証こそないものの、概ねの予測はできたことになる」
人間の国との友好関係が生まれつつあること以前に、元々の目的であった100年前の黒幕探しも無事、成功した、ということになる。
尤も、その黒幕本人が今、地の四天王城に滞在している、という事実に、ラガルとオデッティアは表情を引き攣らせていたが。
「……まあ、丸く収まったのならそれでよい。これで魔物の国も安泰、というわけよな」
「ある種、望みうる限り最高の結果になったな」
オデッティアが満足げにそう言えば、ラガルも頷いて同調し……そこでふと、オデッティアがラガルに、意味ありげな笑みを向ける。
「それに、ついでではあるが面白い話が聞けた。のう、ラガルよ」
……あづさは丁度その時、魔物の国に居なかったが。
オデッティアは、ラガルが勇者マユミに恋慕していたと知って以来、それをネタにラガルを揶揄って遊んでいるらしい。
「も、もうその話は止せ、オデッティア!」
「何を言っておる。つまらんだけの男にようやっと、面白い話の種が見つかったのだ。もう100年ほどは楽しませてもらうぞ」
「ひゃく……お、おい、本気か!?」
「さて。もっと面白い話でもあればそちらに乗り換えても良いがな」
オデッティアは至極楽し気に嗜虐的な笑みを浮かべる。あづさはそれを見て、ああ、オデッティアは今日も元気ね、とのんびり思った。
「しかし、どうやら勇者マユミは死んだわけではなさそうだ、ということが分かったのは、お前にとってうれしいことなんじゃあないか、ラガル」
一方で、ギルヴァスもまた、そう言ってにこにこと笑う。こちらはオデッティアとは異なり、揶揄う意図など無く、只々完全なる善意のみでできている分、ラガルとしても真面目に受け取らないわけにはいかない。
「……そうだな。どこかで、幸せに生きていてくれるなら、それで……」
「おや。これは本物か。ふむ、お前のような男が『幸せで居てくれるならそれで』とはの。いや、面白いぞ、ラガル」
オデッティアはくすくすと笑ってそう言う。ラガルはそれにまた、何とも言えない顔をした。
「勿論、会えるなら会いたい。一目見られるならもう一度見たいとも。だがそれが叶うとも思えん」
「ならばさっさと諦めてしまえばよいものを。そこでずるずると100年も引きずっているから面白い」
最早何も言えなくなったらしいラガルを見て、あづさは少々哀れに思い……そして。
ふと、思い出した。
「……そういえば、確かめる方法、あったわ」
「ん?何をだ?」
不思議そうに見つめてくるギルヴァスを前に、あづさは……言う。
「私のスマホ。真弓の写真くらい、入ってるわ」
部屋から持ってきたスマートフォンの画面を眺めながら、あづさは思う。
今まで、勇者マユミと真弓の照合を行わなかったのは、それに気づかなかったからではなく、気づかないように無意識に考えることを避けていたからではないか、と。
スマートフォンを操作する指が、冷たい。感覚が無い。
どうにも、確かめるのが怖い。
「あづさ」
ギルヴァスはあづさの様子に気づいて、そっと、あづさの指を握り込んだ。じわり、と伝わる他者の掌の温度が、あづさを我に返らせた。
「……大丈夫よ」
「しかし、無理をする必要もないだろう」
「でも、ここで無理しておかないと多分ずっと、引きずるわよ」
あづさは苦笑してそう言うと、もう一度、画面へ目を向ける。あづさが撮った写真の並ぶ画面を、下へ下へ、と動かしていく。表示される写真のサムネイルは、次第に過去のものへと遡っていった。
「大丈夫。確認しなきゃ前に進めないんなら、確認、するわよ。それくらい、できるわ」
あづさの指は、迷うことなく画面を動かし……そして。
1つの写真で、止まった。
あづさはその写真を眺めて、しばらくじっとしていた。
そこに写る自分と、もう1人の少女。
草野真弓。
あづさの一番の親友である少女であり……もう会えない少女である。
「……ああ」
あづさの後ろから画面を覗き込んだギルヴァスは、少々、表情を曇らせた。その反応と漏れ出た声で、あづさは真実を悟る。
「ヒース、だ。俺が会った勇者は、彼女で間違いない」
「何だと!?」
ラガルもすかさずあづさの後ろに回り込むと、スマートフォンの画面を覗き込んだ。
……そしてそこで息を呑み、言葉を失ってただただじっと、画面へ視線を向けたまま、動かなくなる。
「どれどれ……ふむ、まあ、凡庸な少女に見えるな。到底、勇者には見えん。隣に描かれているあづさの方が余程、勇者らしい」
同じくしてあづさの手元を覗き込んだオデッティアは、そんな感想を漏らし……しかし、薄い溜息と共に微笑を浮かべて、続ける。
「だが、確かに勇者なのであろうな。……優しい性質はこの絵からも十分に見て取れる」
オデッティアは慈しむように、スマートフォンの縁を撫でた。その手が視界に入ったからだろう、ラガルはようやく、忘れていたらしい呼吸を深く吐くと、自らを律するように両手を強く握りしめ、あづさに問う。
「……彼女は、死んだのか」
「ええ。死んだわ」
あづさはといえば、言葉を発するのにラガル程の覚悟は要らなかった。もう幾度となく自分の中で確認し続けた言葉だ。発することに今更、躊躇いは無い。
だが、『死んだ』とはっきり聞いたラガルは、それを受け止めるのにまた少々の時間が必要だったらしい。
拳を握り込み、俯くラガルの背を、ラギトの翼が慰めるように撫でる。次いで、ファラーシアの手もラガルの背をぱしぱしと叩いて、ラガルはようやく、次の言葉を発することができた。
「どのようにして……彼女は、死んだ。無理にとは、言わないが……教えてくれないか」
あづさは表情を失って、言い淀む。
『死んだ』とはあっさり口にできたあづさでも、これを口にするのは、何か、躊躇われた。
言葉に出して音になってしまったら、もう一度、それについて考えてしまいそうで。
……だが、あづさは隣に座っていたギルヴァスの手を勝手に握ると、そこに体温を確かめて、自らを律する。
そして遂に、真弓の死を、伝えることができた。
「……学校の屋上から落ちたの。それであの子は、死んだわ」
「事故、か」
ラガルがそう、掠れた声で言う。それは、どうかそうであれ、と言っているようでもあったが、あづさは容赦なく、真実を伝える。
「表向きはそういうことになってるわ。でもね」
「あの子は、殺されたの。自分で飛び降りたんでも、事故でもなく。突き落とされたのよ」
「……なん、だと」
ラガルは唖然とし、それから、その瞳の奥に激しく炎を燃え上がらせる。
「何だと!?何故彼女が殺される!何か、恨みを買うようなことをしたわけでもないだろう!そうだ、犯人はどうした!勿論裁かれ、然るべき処遇を受けた後に殺されたのだろうな!?」
ラガルは激情に任せてあづさの肩を掴む。その手からめらり、と炎が揺れるのを見たギルヴァスは、即座にラガルからあづさを引き離しにかかった。
「落ち着け!」
そして一方でオデッティアは、ラガルの頭から水をかける。
ラガルの激情から生まれた炎は、オデッティアの一喝と水の魔法によって完全に鎮火した。
「あづさ、大丈夫か」
ギルヴァスはあづさの肩の様子を見たが、ひとまず、火傷などにはなっていなかった。どうやら、ギルヴァスの腕輪があづさを守ったらしい。瞬間的にとはいえ、四天王の攻撃を零距離で受けて尚、あづさを無傷のまま守ったのだから、腕輪を着けさせた価値はあったのだろう。ギルヴァスは安堵のため息を吐き出した。
「……さっき、言ったでしょ。『表向きは』そういうことになってる、って」
あづさはギルヴァスにもオデッティアにも反応せず、ただ、ラガルを見つめ返した。
その瞳には、火の四天王のそれに負けずとも劣らない、ぎらついた憎悪の炎が燃えている。
「犯人は誰も、裁かれてないわ。特に反省もしてない。ただ、今日ものうのうと生きてるんじゃない?」
ラガルもあづさ自身も構わず傷つけるような、そんな言葉を吐き捨てて、あづさは……目を、閉じた。
「……だから私は、元の世界に帰らなきゃならないの。あの子の真実を公表しなきゃいけないし、犯人は裁かれるようにしなきゃ、いけないから」
「……それが、私が元の世界に帰りたい理由よ」




