139話
アーリエス4世は毒から回復し、自室で休んでいた。
即座に治療を施されたためか、それほど不調はない。処置の腕が良かったのです、と、城の医師は言っていた。
……魔物が、自分を助けた。
アーリエス4世はその事実に戸惑う。
否。それだけではない。今のアーリエス4世の中にあるのは、戸惑いばかりだ。
父の妃、ダニエラがとんでもないことを企んでいたことも。送り出した勇者があっさりと寝返ったことも。それどころか、ダニエラの懐刀までもが寝返って、王城に侵入してきたことも。それから、王城があっさりと、魔物達の侵入を許し……それでいて、魔物達は一切、人間を傷つけなかったことも。
全てが、困惑となっていた。アーリエス4世の中にあった常識からかけ離れたことが、あまりにも多く、起こりすぎた。
結果、アーリエス4世は毒の症状こそほとんど無いものの、気疲れから寝台に臥せっているのである。
……そんな折、アーリエス4世の様子を見に来た召使いが退室していった時。ふと、部屋の外が騒がしくなる。
そして、退室したばかりの召使いが、また部屋に戻ってきたのだ。
「どうした。何があった」
王が尋ねると、召使いは戸惑いながら、答える。
「あの、陛下。部屋の外に、シャナン・イーダ殿がおいでになっておられまして……その、国王陛下にお目通り叶いたい、と……」
「お休みのところに押しかけてしまって、申し訳ありません」
「構わん。緊急の用事なのだろう」
シャナンは王の寝台の傍の椅子を勧められて、そこに座る。
室内には王の近衛兵が2名。シャナンが何かしたら即座に殺す、とでも言わんばかりの様子で立っている。勿論、シャナンには王を害するつもりは全くないが。
「ええ。陛下のお耳に入れておきたいことがございまして」
シャナンは商売の時にそうするように、笑みを浮かべて見せる。恵まれた容姿を存分に生かした笑顔は、どんな相手からもそれなりに好感を得られる代物である。若い女に向ける笑みはもう少し気障にきめるが、王の御前である。ひとまず無礼にならないよう、自分の魅力は少々控えめに出すことにした。
「ほう。話とは、何だ」
アーリエス4世が興味を示した様子を見せる。シャナンは内心でそれを喜びつつも、そっと、声を潜めて言葉を紡いだ。
「人間の国と魔物の国を隔てる結界についてです」
「……結界?あの、全てを消してしまうという、あの結界か?」
「ええ。そうです」
アーリエス4世は興味を持ったらしく、首を傾げてみせる。
「そう。そうだ。是非、聞きたかった。お前達はあの結界をどのようにして越えた?あの結界を超えて魔物の城に踏み入り、更にそこから結界をまた通って、こちらへ帰ってきたのだろう?」
「はい。その通りです」
王は何か、期待しているらしかった。例えば、自国の兵士を魔物の国へ送り込んで、魔物の国を侵略することなどを。
……だが。
「あの結界は、魔物に好意を抱く者しか通ることができない結界なのです。だから、侵略しようとする人間には、あの結界は通れない」
シャナンはそう言って、じっと、王を見つめた。
「この意味が、お分かりですか」
「先代の魔王は、本当に、人間の国との和平を望んでいたのです」
「あなたを連れ出すこと、王様に言わないで来ちゃったけど、よかったかしら」
「……別に、構わないでしょう。私が居なくとも」
「そうね。きっと心配されるわ。早めに戻りましょう」
あづさはダニエラの言葉を遮ってにっこりと笑う。
……あづさとダニエラは、ギルヴァスの背に乗って空を飛んでいた。向かう先は、クエリアの宿屋だ。
ダニエラは、あづさの行動に少々懐疑的であるらしい。地上を見ながら、緊張を隠せないでいる。
「大丈夫。私達の目的は、あなた達に危害を加えることに無いから」
「では、目的でもなくただ戯れに危害を加えると?」
「そうでもないってば」
半ば呆れてため息を吐きつつ、あづさはダニエラの手を取った。ダニエラはびくり、と体を強張らせ、咄嗟に手を引っ込めようとしたらしかったが、あづさはそれを許さない。
「彼女に会って、私の推理を聞いて。それで……100年前のこと、教えてほしいの」
クエリアの宿は、今日も穏やかな陽光の中、積み重ねてきた年月を確かに感じさせる佇まいでそこにあった。
古びながらも丁寧に補修されて使われ続けているらしい宿には、ダニエラも何か感じるところがあるらしく、じっと、苔と植物の蔦の這う煉瓦壁を見つめている。
「……あら」
そこへ丁度出てきたのは、探していた老婆その人であった。杖をつき、今代の女将に付き添われながらではあったが、齢100を超えて尚自力で歩こうとする姿からは、何か、古く穏やかな……老齢の巨木のような気配が感じられる。
「こんにちは。ちょっとお久しぶりね、お婆さん」
「こんにちは。どうしたのかしら。シャナン様や、お姉さんは今日はいらっしゃらないの?……あら?」
老婆はあづさの後ろに居たダニエラに目を留めた。そして目を数度瞬かせると、杖を手から取り落として、口元を手で覆う。
「あら……あらあらあら!なんてことでしょう!まあ……!」
老婆は困惑と喜びの入り混じった様子で声を上げると、先程よりも強く生命力を感じさせる動作で、再び宿の中へと戻っていく。
「こんなところで立ち話もなんですから、どうぞ、中へ!さあ、いらっしゃいな」
老婆のうきうきとした様子を見て、あづさはくすくす笑い、ダニエラは困惑して、老婆を止めようとしたのか、誘いを辞そうとしたのか、中途半端に持ち上げた手を宙で彷徨わせる。
「あの、どこかへお出かけだったのでは」
「ええ。ちょっと、お医者様にかかりに。でもそんなの明日でいいわ」
だが、ダニエラの困惑などどこ吹く風で、老婆は2人を手招く。
「ここへ来てくださったってことは、私とお話しする時間をくださるっていうことだって、思ってもいいのかしら?」
「ええ。私、この人をあなたに会わせに来たの」
「あら嬉しいわ。長生きはするものねえ……さあ、どうぞ」
老婆は楽し気に、取り落とした杖など忘れてしまったかのように元気に歩いて宿の中へと戻っていく。あづさは今代女将に会釈しつつ、老婆の落とした杖を拾い上げて宿の中へ入る。
「……さ、行きましょ。待たせちゃ失礼だわ」
ダニエラはあづさに促され、迷うように……しかし、宿の中へと足を踏み入れた。
「ごめんなさいね、はしゃいでしまって。ちゃんとしたエルフの方に会うなんて、随分久しぶりだから」
老婆は椅子に腰かけて茶のカップを両手で包むようにして持ち、卓の向かいに座るダニエラを見つめて笑顔を浮かべた。
「……あ、そんなことを言っては失礼かしら」
「いえ、そんなことは」
ダニエラは相変わらず、老婆にどう接していいのか分からない様子ではあったが……『エルフ』というだけで迫害されてきた記憶があるだけに、『エルフ』というだけでこんなにも歓迎されることに対して、何か、奇妙なものを感じつつも、不快には思っていないようだった。
「綺麗な方、あなた、御年はおいくつ?私は110を超えたあたりなのだけれど」
「……今年で814になります」
あづさは2人の会話を聞いていて、思わず口に含んだ茶を吐き出しそうになったがそれは涼しい顔で堪えた。
814歳。ギルヴァスの、倍以上。
ラギト辺りが聞いたなら、「すげえババアじゃん!すげェ!」とでも言いそうである。
「あらまあ!やっぱり本当にエルフの方は長生きなのねえ」
「ええ……その、失礼ですが、あなたの血に、エルフの血はどの程度?」
「さあねえ……私の曾祖母が半分、くらいだったのかしらね。そうなると、祖母が4分の1、母が8分の1、それで私は16分の1、かしら。ごめんなさいね、あんまりエルフの血は入っていないのよ」
老婆はそう言いつつ、眩しそうにダニエラを見上げた。
少しばかりは年かさに見えるものの、ダニエラは未だ、美しさを保っている。齢800を超えてこれなのだから、やはり、エルフというものは長命なのだ。老婆はダニエラの8分の1程度しか生きていないのに、ダニエラよりも遥かに年老いて見える。もし、もっとエルフの血が濃ければ、もっと若さを保てているのだろう。
「だから私はもうこんなしわしわのおばあちゃんなの。エルフの血が出ているのは、今、100を超えてもなんとかやっていけているところと、それから、この耳くらいね」
そう言って老婆は、髪の下、少々尖った耳を見せる。ダニエラはそれを見て……そっと、自分の耳に触れた。
ダニエラの耳は、老婆のそれより長く尖っている。より血の濃いエルフ故に長く尖った耳は、しかし、ダニエラにとっては隠すべきものであった。そうでなければ、迫害される。その記憶は、ダニエラの中に深く刻み込まれているのだ。
だが。
「そちらのお嬢さんがいらっしゃった時にも思ったけれど、まあ、エルフの血が少しでも入っていて、よかったわ」
老婆はそう言って、笑う。
「マユミのこともお話しできたし、エルフの方にもお会いできた。若い頃は苦労したものだけれど、やっぱり、長生きするものねえ」
それから、あづさとダニエラは老婆との茶話会に付き合うことになった。
何でもないような話を聞き、老婆の昔話を聞き、ダニエラがぽつりぽつり、数百年前の出来事を語り。
同じ卓に着く3人は、それぞれに生きてきた年月が大分異なる3人だ。だが、それでも……或いはそれ故なのか、それなりに楽しく会話し、茶を楽しむことができていた。
そうして話す中で、あづさは切り出した。
「ねえ、お婆さん。勇者マユミと、仲が良かったんでしょう?」
「ええ。……仲が良かったと、私は思ってるわ。今となってはあの子がどう思っていたのか、分からないけれど……それでも、人見知りで引っ込み思案だったあの子が、私に心を開いて、話して、笑ってくれるようになったのは、嬉しかったわ」
老婆はそう言って、懐かしそうに、窓の外へと目を向けた。今日は良い日和だ。もうじき夕暮れていくであろう空は、青く澄み渡って美しい。
「エルフの血が入っている私にも、全然臆することなく、接してくれたわね。それが嬉しくて……」
「……ねえ、お婆さん。勇者マユミは、あなたがエルフの血を引くから少し周囲に溶け込めない、っていうことを、知っていたのかしら?」
少々唐突な問いだっただろうが、老婆はにっこり笑って頷いた。
「そんなに仲良くなる前に、言ったわね。私はエルフの血が混ざっているから、って。……でもあの子は、それに怒ってくれてねえ。エルフの血が混じっているから迫害するなんて間違ってる、って。私より怒ってくれて……思えば、それからね。マユミが私に心を開いてくれたのは」
老婆の答えを聞いて、あづさは納得したように頷く。
「それでマユミは、『皆のためになるなら』って言って、勇者として王城へ連れていかれた、のよね」
あづさの確認に老婆が頷く。ダニエラはそんなあづさと老婆のやりとりに困惑していたが……。
「多分、だけれど」
そう、あづさは切り出した。
「勇者マユミが魔物との和平を望んだのって、エルフを助けたかったからだと思うの」




