138話
ギルヴァスは唖然とするダニエラをよいしょ、と担ぎ上げると、丁度ルカの槍に切り払われて触手が消えた個所から外へ出た。
「あら。随分火傷したわね」
そこへすかさず、あづさが回復魔法を使って傷を癒す。焼けた掌も他の火傷も、すっと痛みと熱が消えていくのを感じて、ギルヴァスはのんびりとした笑顔になる。
「……ところでダニエラは?随分びっくりしちゃってるみたいだけど?」
あづさが揶揄うようにそう言うと、そこでようやく、ギルヴァスはダニエラをそっと、床に下ろす。ダニエラは未だ、唖然としたままであるようで、彼女の周りの触手も、おろおろとするように弱弱しくうねるばかりである。
「すまんな。この国に着いてからは、初めて名乗る。俺はギルヴァス・エルゼン。この間は魔王を名乗ったが、あれは嘘だ」
「……嘘、なんて……ま、まさか、そんな」
「俺は、魔王軍にて地の四天王を拝命している」
ようやく現実を受け止め始めたダニエラを前に、ギルヴァスはのんびりと微笑む。
「つまり、俺をどうこうしてもその『魔王の力』とやらをどうにかすることはできない、ってわけだ」
ギルヴァスがそう言うと、ぴょこん、と懐からスライムが顔を出した。
「それから悪いが、こっちには気の利く部下がいるもんでなあ。ナイフは溶かさせてもらったぞ」
自慢げにスライムがぷるんと震えるのを眼前で見せつけられて、只々、ダニエラは呆然とし……しかし、表情を引き締めると、即座に魔法を使い始める。
「おっと」
それを難なく避けると、ギルヴァスはダニエラの背後に回って、ダニエラを抱きしめるようにして拘束した。
「は、離しなさい!まだ終わってはいませんよ!」
「うん。終わってないなら止めなきゃなあ」
至極尤もなことを言いつつ、ギルヴァスはダニエラに何か、魔法を使う。至近距離から使われた魔法は即座にダニエラに効いて、ダニエラはそこで意識を失ったのだった。
一通り負傷者を治療して、あづさはため息を吐き出した。それほど重い怪我は無かったものの、30人以上の治療を行ったのだ。強がってみても、やはり疲れた。
「よし。じゃあひとまず、上に戻るか。少し休憩した方がいいだろうし、ここじゃあ話をするにも落ち着かんからなあ」
「そうね。王様の様子も見てきたいし。行きましょうか」
あづさが促すと、ギルヴァスの胸に凭れるようにしてぐったりと意識を失ってしまったダニエラをさっと抱き上げて階段を上り始めた。
それを追いかけて、あづさも地下を出ていく。
先程まで光源が碌に無かった地下を出てしまえば、薄暗いはずの廊下も随分と明るく眩しく感じる。それと同時、熱の籠った地下とは一変、少々冷たい風が吹き抜けて、気持ちよく体が冷めていく。
「ねえ、ギルヴァス」
「ん?」
数歩進んで、あづさはギルヴァスに問う。
「ダニエラはなんて言ってた?」
ギルヴァスの腕の中、ぐったりと目を閉じているダニエラからは、先程までの狂気じみたものは感じられない。だが、その狂気じみた激情が彼女の中にあったことは、確かなのだ。目覚めた時、それが都合よく消えているとは思えない。
「ん……ああ、まあ……そうだな。できれば彼女自身から聞いた方がいいんだろうが……」
そこでギルヴァスは少々言いにくそうに言い淀み、それから観念したように、言う。
「彼女はエルフだったらしい」
「エルフ、っていうと、クエリアの宿……勇者マユミが滞在してた宿の、あのお婆さんと同じ、ってこと?」
「いや。彼女はエルフの血が少々混じっているだけだったらしいが、ダニエラは恐らく純血か、それに近いエルフだろう」
あづさはそっと、ギルヴァスの腕の中のダニエラの髪を一房持ち上げて、その下に隠れた耳を覗く。すると確かに、そこには尖った長い耳があるのだ。
「全然気づかなかったわ」
「幻影の魔法を使っていたらしいからなあ。まあ、これが知れたら、人間の国では生きづらかっただろうから……仕方ないだろうな」
あづさはそう言われて、思い出す。エルフの血の混じった老婆の言葉からは、確かに、人ならざるものに対する人間からの嫌悪が読み取れた。
ギルヴァスも同じことを思っているらしく、何とも労しげな眼でダニエラを見つめる。
「……彼女の気持ちも、理解できる、と言っては烏滸がましいんだろうが……全く分からない、と言ってしまうのは、あまりに不誠実だな」
「……そう」
ギルヴァスの表情から様々な感情を読み取って、あづさは少々物憂げな気持ちになりつつも、苦笑して言った。
「やっぱりあなたって、優しいのね。閉じ込められて、結構酷い火傷負わされて……多分、ナイフもやられたんでしょ?スライムが自慢げだったけど」
「ああ。役に立つなあ、スライムは」
「そうね。……で、そういうことされてもあなた、彼女に辛く当たりは、しないでしょう」
甘いといったらそれまでなのだろう。ギルヴァスには、ダニエラにとどめを刺しておくという選択肢もあった。魔物の国の平和を考えるなら、ここで殺しておいた方が余程安全だったかもしれない。だが、ギルヴァスはそうしなかったのだ。
その甘さを、あづさは、優しさだと思っている。
「優しい、かあ……」
ギルヴァスは数度目を瞬かせると……ふと、にやり、と笑った。
「妬いたか?」
その言葉に今度はあづさが目を瞬く番だった。
まさかそうくるとはね、と思いつつ、しかしあづさもまた、にやりと笑って返す。
「……ええ。悪い?」
「いや、嬉しい」
ギルヴァスは息を漏らすようにして笑い声を上げると、そのままけらけらと笑いだす。
「はは、君が、妬く、かあ。冗談でも中々嬉しいなあ、それは」
「あら。私、割と嫉妬深い方だと思うけど」
「それは知らなかったなあ。うん」
くすくす笑いながら、あづさはギルヴァスを小突いてみせた。ギルヴァスはそれすら何か楽しいらしく、くつくつと笑いを抑えきれずに漏らしている。
「さて。じゃああんまり妬かれない内にダニエラはどこかに寝かさせてもらって、俺は両腕を君のために空けることにするかな」
「随分上機嫌ね、あなた」
あづさは苦笑しつつ、またギルヴァスを小突く。するとギルヴァスはにっこりと、満面の笑みを浮かべた。
「ああ。今日はちょっと、浮かれててなあ」
ダニエラをベッドに寝かせると、王城の医師達が右往左往し始める。ギルヴァス曰く、魔法で気絶させただけなので、放っておけば無事に目を覚ますだろう、ということだった。
……そこであづさ達は待機することになる。無論、傭兵30人余りが部屋に屯しているのもあんまりであるので、とりあえず、あづさとギルヴァスだけ。
「起きないわねえ」
「そんなに深くは眠らせなかったんだが。うーん、少し加減を見誤ったか」
あづさとギルヴァスはダニエラを見守りつつ、適当に雑談に興じつつ、のんびりと時間を過ごした。
そうしてしばらく経ち、気を遣った城の使用人が2人のために用意した茶と茶菓子も無くなってきた頃。
「ん……」
ダニエラは小さく呻いて、目を開けた。
「あ、気が付いた?」
あづさがにっこり笑って声をかけると、ダニエラは徐々に現実に戻ってきたらしい。上体を起こし、目を見開き、目を動かし……自分が置かれている状況を把握しようと努めているらしかった。
「ここはあなたのお部屋。気絶したから運んできたわ」
「な、何故」
「他の場所の方が良かったか?そうだったらすまん。気が利かないものでなあ……」
只々混乱している様子のダニエラは、微笑むあづさと少々申し訳なさそうなギルヴァスを見て、声を荒げた。
「何故!私を殺さなかったのですか!」
目覚めてすぐに興奮状態になったからだろう、ダニエラは強い目眩を感じたらしく、ふらつく。あづさはその肩を支えながら、そっと、ダニエラに囁く。
「あなたを殺さなかったのは、会わせたい人が居るからよ」
「会わせたい?一体、何を企んでいるのですか?その会わせたい人というのは人買いですか?エルフを売ればさぞ高値がつくでしょうね!」
ダニエラは不審げにあづさを睨みつける。だがあづさは、怯まない。
「クエリアの宿の先々代の女将さん。エルフの血を引いている方なんだけれど。……勇者マユミと、親交があった方よ」




