133話
明るい空からドラゴンが王都の傍に降り立った、ともなれば、流石に見張りの兵が気づく。
そして兵士達の報告によって、アーリエス4世もダニエラも、ギルヴァス達の来訪を知ることになるだろう。
「ま、どう足掻いてもこっちとは戦力が段違いでしょうけど」
あづさはそう言って胸を張りつつ、傭兵達を振り返った。
「皆、準備はいい?」
「おう!」
「勿論だよ!」
あづさの声に応える傭兵達の武具は、王都を出発した時から大分変わっている。
……何故なら、地の四天王領で、ドワーフとレッドキャップ達が作った武具をそれぞれに支給されたからだ。
人間の国の王城の武具庫にあった武具よりも、ドワーフが鎚を振るって作った武具の方が勝る。それは、加工技術の差によるものなのだろう。
そして、人間と魔物の戦力の差は、武具によるものだけではない。何よりも大きな違いは、……魔法の有無だろう。
一行は何の苦労もなく町の中に入り込む。石造りの街壁など、ギルヴァスにとっては何の障害にもならない。
街壁を変形させて通り抜け、人通りの少ない朝の街を進み……遂には城の前に辿り着く。
「お、来たな」
ギルヴァスは城壁の向こう、城から矢が射掛けられて飛んでくるのを見て笑う。
……そして、ごく短い集中の後に、地面から岩壁を生み出した。
矢は岩壁にぶつかって弾かれる。矢に魔法が掛かっていれば薄い岩壁程度は貫いてくるのだろうが、人間の国の矢相手では、これで防御は十分だ。なんとも呆気ない。
「さて。今の内に中に入るか」
ギルヴァスはのんびりとそう言うと、また岩を地面から生み出して、階段を作る。その階段は城壁に上がるためのものである。
「門を張っているであろう兵士達には悪いが、まあ、ここからお邪魔させてもらうとしよう」
そしてギルヴァスが先頭に立って、階段を上っていく。途中でまた矢が射掛けられたが、今度は突然吹き荒れた風によって、矢は全て宙で動きを止め、やがて地に落ちてしまった。
「どうだ!見たか!すげェだろ!」
風の魔法を使ったラギトは自慢げにそう言うと、胸を張って翼を広げた。
広げた翼は王城からよく見えるだろう。人ならざるものとしての存在を特に何も考えずに主張したラギトは、傭兵達の景気のいい賛美を受けてますます自慢げになる。
「ほら、どんどん行くわよ。高い所に居たら狙われ放題でしょ」
あづさはラギトを押してさっさと城壁を乗り越えさせる。後に傭兵達が続いたが、彼らはギルヴァスやラギト、ミラリアやルカの魔法が守った。
そうして傭兵の後にミラリアが続き、その後ろにシャナンが続き、最後尾のルカとクレイヴが城壁を乗り越えて、全員が城壁の内側に入ってしまった。
「よし。全員怪我は無いな?」
「怪我をしたらすぐに言ってね。敵でも味方でも、治療するわ」
何の緊張感もなく、和やかな空気の元、ギルヴァスとあづさは皆を先導して城の中へと入っていく。当然、兵士があづさ達を食い止めようとやってきたが……ミラリアが誘惑の魔法を使えば、相手を傷つけずして無力化することもまた容易である。
中にはミラリアの魔法を掻い潜ってくる者も居たが、そういった者達はルカがそっと対処した。その対処も、あくまでも相手を傷つけずに武器を奪い、戦意を折っていくだけ。
……人間の国と魔物の国の圧倒的な力の差が、安全で平和な進行を生み出していた。
「なんだと」
アーリエス4世は、兵士からもたらされた情報に思わず腰を浮かせた。
「何故、魔王がここへ?しかも、勇者も共に、だと?意味が分からん!」
玉座から中途半端に立ち上がりかけた姿勢のままアーリエス4世は声を荒げて、それからようやく、我に返ったように着席した。
「……して、向こうの狙いは、何だ」
「はっ。そ、それが……」
兵士はアーリエス4世の問いに答えようとして言葉に詰まり……しかし一睨みされて黙っているわけにもいかない。姿勢を正して、声を上げた。
「戦う意思は無いと、主張しております!」
ダニエラは部屋のバルコニーから身を乗り出して、地上の様子を見た。そこにはあるはずのない光景……勇者と魔王と魔物と傭兵達、そしてフォグまでもが城の中庭に入り込んで兵士達と戦っている光景を、愕然として眺めた。
……否。戦っているのではない。
彼ら侵入者は、『戦っていない』。
「……何が、起きているのですか」
魔王の様子を見れば、明らかだった。彼らは、戦おうとしていない。あくまでも、城の兵士達が攻めてくるのから身を守っているだけ。
それも、兵士達を傷つけぬようにと、配慮されているのだ。魔王はその魔法で砂の壁を作り出すと、突進してきた兵士を柔らかな砂で受け止めてしまう。勇者の傍にいる魔物達も、それぞれ兵士を無力化するような魔法を使いはしているものの、殺傷を目的とした魔法は1つたりとも使われていない。武器が使われても、剣の柄や平を使うだけ。刃に切り裂かれる兵士は1人も居ない。
それは、圧倒的な力の差を見せつけんばかりの行進だった。
「どうして、こんなことに?フォグは……何を、して」
ダニエラが見下ろす一行の中に、フォグもいる。彼はダニエラが認めたその体術を用いて兵士達を絞め落とすことはあっても、ダニエラが仕込んだ暗殺術を使うことは無かった。
……そして、ちらりと、フォグの視線が上を向き、ダニエラと目が合う。
そこに、気まずさは無かった。
ただ、堂々として、更には生気に満ちた目が、そこにあった。
「……フォグ」
何を間違えたのか。ダニエラは自問するが、答えは無い。ただ、自分は自分の腹心に裏切られた。その事実だけが、明確である。
ダニエラが呆然とする中、フォグは何事か、勇者と魔王に言う。すると勇者も魔王も、周りに居た傭兵や魔物達も、皆が一斉にダニエラの方を向き……そして、皆がそれぞれに、笑うのである。
それは、探していたものが見つかった安堵めいた穏やかな笑みであったり、獲物を見つけた捕食者の笑みであったり、はたまた、珍しいものを見つけた好奇心めいた笑みであったり。
種々様々な笑みを向けられ、瞬間、ダニエラは怯む。
……そしてその一瞬で、相手は、動いた。
「よっしゃー!見つけたぜッ!」
元気に張りのある青年の声が響いたかと思うと、ダニエラの目の前に、それが迫っていた。
「な」
ダニエラの前へ、瞬時に迫ったのは、大きな翼。
腕の代わりに翼を擁し、足の代わりに鉤爪のついた鳥の脚を持つその青年は、ダニエラの前に勢いよく羽ばたいてやってくると……その鉤爪で、ダニエラを掴もうとしてくる。
「捕まえたへぶっ」
「そう簡単に行くと思わないことよ」
だが、ダニエラとて無力ではない。むしろ、この国の中では指折りの魔法使いなのだ。
咄嗟に岩石を生み出して青年の目の前に浮かべてやれば、鳥の青年は自らその岩にぶつかっていった。
「痛ェ!何すんだこのアマ!」
緊張感が在るのか無いのか、鳥の青年はダニエラの目の前で即座に体勢を整えると、またダニエラへ突進してくる。その加速も、加速した直後、ダニエラの魔法を読んで急に動きを変える瞬発力も、全てが人間にはありえないものだ。
だがダニエラは慌てずに対応した。
バルコニーから部屋の中へと逃げ込みながら水の魔法で壁を生み出し、その外側を炎で炙る。鳥の羽が少々炎で焦げると、青年はぎゃあぎゃあと口汚く文句を言ったが、それに耳を貸す余裕はない。
何故ならば、次なる敵がまた、バルコニーから侵入してきたからである。
「悪いが、お前に聞きたいことがある」
「大人しく捕らえられなさい」
美しい男女の魔物はそれぞれ水のように流麗な動作でダニエラの前に立つと、それぞれに身構えた。
一瞬の緊張の後、即座に両者は動き出す。相手が水の魔法を使ってくるであろうことを予想して、ダニエラはそれに対抗する火の魔法と地の魔法をそれぞれ使い、防壁を築き……しかし、その読みが外れる。
男の方は、水の魔法を纏っているのに、魔法などまるで関係ないとでもいうかのようにその手の槍を携えて直接ダニエラを狙いに来た。
それを防壁で防ぎ、更に防壁を周り込んで来ようとする男の攻撃から身を躱し……しかし、ダニエラの抵抗はそこまでだった。
「大人しくしなさい、と言ったでしょう」
勇者の姉と名乗っていたはずの女は、今や魔物としての本性をしかと表していた。その目がじっとダニエラを見つめたかと思えば、ダニエラはくらりと、目眩に似たものを覚える。
そしてダニエラの姿勢が傾いだ瞬間、ダニエラの足首が水の縄に捕らえられる。
あ、と小さく悲鳴を上げ、ダニエラが転倒する、その時。
「よし!今度こそ捕まえたぜッ!」
ダニエラの腰のあたりを、鳥の鉤爪がしかと掴んでいたのである。
「おお、成功したか」
「ヨユーだったぜ!すごいだろ!」
「ええ。すごいわ。お手柄ね。ルカとミラリアも。ありがとう」
「もっと褒めろ!もっと褒めろ!」
「はいはい」
中庭に戻ってきたラギトは、ばさばさと羽ばたいて滞空しながら、その足に掴んだダニエラを見せつけては胸を張る。ルカとミラリアは冷静に、そのダニエラに水の魔法で拘束を施していった。
「フォグ!」
そんな中、ダニエラは声を荒げて彼の名を呼ぶ。
「これは一体、どういうことですか!フォグ!」
優雅な声を震えさせて、必死にそう問うダニエラだったが……返ってきた答えは、にべもない。
「ああ、悪いな。裏切らせてもらう」
あっさりとして簡潔で、余計な感情など何1つとして見当たらないその言葉を発して、『フォグ』ではない『クレイヴ』は、じっとダニエラを見下ろした。
「一生の内に一回くらい、こういうことがあっても、いいだろ」
「……フォグ」
彼の浮かべた微笑は、ダニエラの見たことのないものだった。ただ淡々と任務をこなし、言うことを聞いていた男の姿では、なかった。
「さて。じゃあ感動の再会のところ悪いけど、いいかしら?」
愕然とするダニエラの前に、あづさはひょこり、と顔を覗かせて、にっこりと微笑む。
その、天使のような悪魔のような笑みを見てダニエラは、いよいよ、後がないことを悟った。
「色々、聞かせてもらうわよ。王の御前で、ね」




