128話
フォグは、ナイフが確かに柔らかなものの中に沈んでしっかり柄まで達したことを確認すると、柄から手を放して、2歩、3歩と後ずさる。
あづさは自分の胸に突き立てられた刃を見下ろして、ぽかんとしていた。
「……え?これ……」
更に、フォグはギルヴァスに向けて何かを投擲する。ギルヴァスはそれを振り払ったが、振り払った直後、ギルヴァスの周囲には何か魔法が渦巻き、濃い灰色の靄がギルヴァスを包み込んでしまった。
「……おい!テメェ!何しやがるンだァ!」
その中で真っ先に動いたのは、ラギトだった。飛ぶような動きでフォグへ迫ると、振り抜いた脚でフォグの側頭部を打ち据えた。
鋭い回し蹴りを食らったフォグだったが、即座に体勢を立て直すとそこで何か、集中し始める。
……それは、魔法の気配だった。
人間の国にほとんど無いはずの、強大な魔法。ギルヴァスを包んだ靄とも違う、濃く白く、光を乱反射して辺りを白く染め上げてしまうような、そんな霧が一気に室内に満ちて、視界が完全に閉ざされる。このような魔法を、人間が一瞬の集中で使えるというのはあまりにも異様だった。
……だが、ここに居る者達とて、伊達に魔物をやってはいない。
「霧も水なのですよ?ローレライに操れないわけがないでしょう!」
ミラリアの声が凛と響くと、たちまち室内の霧が一か所に集まっていく。後に残ったのは、大きな水の玉と、城の出口へ向かっていくフォグの姿。
「逃がすかよッ!」
それを、ラギトが追う。……その翼を、大きく広げて。
「なっ」
それに、この広間の誰もが驚いた。ただ能天気で明るく単純なだけだと思っていた青年が、両腕を翼に変え、吠えながらフォグへと向かって行くのだから。
瞬間的な加速も、短距離の高速飛行も、ハーピィの得意とするところである。ラギトは一瞬でフォグへと再び迫り、そこで美しくも鋭く、鉤爪を振り下ろした。
「っ」
だが、フォグはそれを耐え凌ぐ。手甲の板金を切り裂かれ、その下の腕から血を散らしながらもラギトの一撃をなんとか致命傷に至らせずに受け止めて、そこで再び、霧の魔法を使う。
「くそッ!見えねえ!」
ラギトはすかさず大きく羽ばたいてその霧を吹き飛ばそうとするが、そうしている間にもフォグは遠ざかっていく。
「詰めが甘いな」
だが、そこでフォグのくぐもった悲鳴と共に、涼やかな声が響いた。
「ギルヴァス様。こいつはどうしますか」
城の出口に待ち構えていたルカは、フォグの腹を容赦無く槍で突き刺して地面へ留めつけながら、そう尋ねたのだった。
ギルヴァスは先ほどまで靄に包まれていたというのに、全く何も堪えた様子もなく、頭を掻いていた。
「あー……とりあえず、回復を。あづさ、頼……あ」
「あーもう!はいはい、分かったわよ!私はあづさよ!ったくもう!」
諸々の化けの皮があちこちで剥がれてしまったが、あづさは何事もなかったかのように椅子から立ち上がると、地面に留めつけられたままのフォグに近づいて、彼の傷の治療を始める。
ルカは戸惑いながらも槍を引き抜き、そこへミラリアが水の玉を使って槍の代わりにフォグを拘束した。
そうしてフォグは魔物3体とあづさに囲まれて、拘束されながら治療されることになったのだが……その表情は、不可解そうに、呆然としていた。
「……何故、生きている。お前も、魔王も」
「悪いけど、私、そう簡単に死なないわよ。彼はもっと、ね」
「魔王については元々勝ち目の薄い賭けだった。だが、お前には……ナイフが柄まで刺さったはずだ」
「ああ、それね。……じゃあ、はい。返しておくわ」
混乱する様子のフォグの前に、あづさは自分の胸からナイフを引き抜いて出す。
……そのナイフはなんと、柄から少しの所から先、刃の大半を失っていた。
「な」
「このナイフね。溶かしちゃったみたい。……この子が」
そして、あづさの胸元からぴょこり、と顔を出したのはスライムであった。
「フォグは、裏切って、ら、ラギトも魔物、で、レイス嬢は、魔物、使い……?」
表情を引き攣らせつつ、シャナンは魔物3体とあづさ、そしてフォグを見て、今にも崩れ落ちそうな様子であった。
つい先ほど、ミラリアの正体を知ってしまって大きな衝撃を受けたばかりなのである。衝撃続きで精神がもたないらしい。
「あ、ああー……その、ごめんなさい。ええと、色々と隠してたことがあったっていうか、その……ああもう!滅茶苦茶よ!ラギト!あなた、誰に断って化けの皮脱いでるのよ!色々台無しじゃない!」
「だ、だってよォー!俺は、お前が殺されちまうと思って!」
「私なら何とでもなるわよ!回復の魔法だって使えるし、そもそもギルヴァスが私を死なせるわけないじゃない」
「そのギルヴァスだってなんかされてたじゃねェかよ!」
「ギルヴァスが大丈夫じゃないわけないでしょ!あんたじゃないんだから!」
「ンなの分かンねェだろ!こいつよく分かんねェ魔法使ってたし!分かんねェもん!俺は悪くねェー!」
ラギトがバタバタと翼を振って抗議の声を上げ始めるのを見て、あづさはいよいよ……降参の意を示すべく、両手を挙げた。
「ギルヴァス。色々と予定が狂っちゃったけど、もう全部ぶちまけちゃっていいわよね?」
「ああ。こうなってはもう仕方ないしなあ……うん、色々と予想外だった」
「ほんとにね。まさか、魔王がどうこうなる前に私が刺されるとは思わなかったわ。ついでに、それでラギトが焦って羽出しちゃうとも、ね」
「俺は悪くねェもん!」
「……まあ、そこのところについては、フォグと言ったか、そこの彼に話してもらうことになるだろうが……他の者達については、もう、明かしてしまうしかないだろうなあ……」
ギルヴァスは深々とため息を吐くと、のそり、と立ち上がって、ぺこ、と頭を下げた。
「すまない。改めて、名乗らせてもらう。俺はギルヴァス・エルゼン。……地の四天王を拝命している」
そしてあづさもその隣に立って、ぺこり、と頭を下げた。
「改めて、降矢あづさ。異世界人よ。魔物の国に召喚されて以来……地の四天王団の参謀をやってるわ」
……この、改めて行われた自己紹介に。
傭兵達とシャナンは、最早開いた口も塞がらない程に驚き、何も言えないまま黙るのみとなったのだった。
「え、ええと……レイス嬢。これは、その……あなたの記憶が、戻った、という、こと、ですか?」
「ああごめんなさい。それも嘘だわ。ただ、人間の国の状況もよく分かってなかったからとりあえず記憶喪失で押し通させてもらったのよ。だって常識も何も分からないんだもの」
シャナンの問いに、早速とんでもない告白を乗せて返したあづさは、自分の返答の先でシャナンがまたも呆然とするのを見ていた。
「……ええと、ついでに言わせてもらうと、あれね。ミラリアは水の四天王団の隊長。ちょっと地の四天王団に貸し出してもらってるの。そこのルカも同じね。ええと、それから……ラギトは、風の四天王団の四天王代理ね。今のところ、風の四天王団のトップ、かしら……」
「おう!ラギト・レラ四天王代理だぜ!よろしくしてやるぜ!」
「ちなみにラギトの性格には何の嘘偽りも無いわ。こいつが天才と紙一重向こう側なのは素よ」
続く種明かしと登場人物紹介に、人間達は只々、何も言えずに魔物達を眺める。
化けの皮を脱いでしまったミラリアは少々気まずげに椅子に座ってため息を吐き、ルカはフォグを警戒しながらも、ぺこり、と、一応人間達に会釈し、そしてラギトは「動いたから腹減った!」と言って元気に茶菓子の卓へと戻っている。
「え、ええと……つまり、レイス嬢。あなたは、元々、勇者ではなく、その、魔王軍の一員だった、と……?」
「うーん、それについてはちょっと微妙なところね。私、もしかしたら本当に勇者かもしれないのよ。ただ、たまたま召喚された先が人間の国じゃなくて魔物の国だった、ってだけなのかも」
あづさの返答に、シャナンは理解が追い付いていないような顔をした。
「……勇者が人間の国の味方だなんて、決まってないでしょ?」
シャナンの表情から疑問を読み取ったあづさがそう言えば、シャナンは、いや、とか、しかし、とか、そういった曖昧な言葉を零すばかり。
「けど、私が人間の味方だっていうことは変わらないわ。人間の国、人間の王の味方にはなれないけど、人間と和平を結びたいのは本当なの。そのためにこんな回りくどいことをしていたってわけね」
「は、はあ……」
シャナンをはじめとして、人間達は理解が追い付いていないらしい。あづさとギルヴァスは顔を見合わせると、ひとまず時間を置くことを決めた。
「ええと、その、そういうわけで……君達にも理解の時間が必要だろうし、何より、長旅の後だ。疲れているだろう。今日はゆっくり休んでいってくれ。客室に案内しよう」
「あ、勿論、信用できないなら無理して泊まらなくてもいいわ。そこは皆が自由にして頂戴。とは言っても、この城、ここに居る4人以外の魔物って、ヘルルートかコットンボールくらいだから、全然危険なんて無いんだけど……」
あづさとギルヴァスがしどろもどろにそう言いつつ人間達を案内し始めると、人間達は最早考える力も碌に残っていないらしく、全員大人しくついてきた。
あづさ達は彼らを客室へとそれぞれ案内し、簡単に施設の説明をした後、彼らが客室で休みだしたのを確認して……深々と、ため息を吐くのだった。
「……なんか、色々と失敗したわね」
「うーん、まあ、でもどこかでは明かさなければならなかったことだ。うん。なら今でよかったということにしておこう」
「ラギトが羽出さなければ誤魔化せたかしら……」
「いやあ、その後俺も、君の名を自然に呼んでしまっているしなあ……まあ、こうなる運命だったと思うことにしよう」
2人はそう言ってため息を吐き合い……そこでふと、顔を見合わせて笑った。
「……そういえば、お帰り。言っていなかったな」
「ええ。ただいま。言ってなかったわ」
何はともあれ、無事の帰還だ。あづさとギルヴァスは、失敗はさて置くことにして、互いの無事を喜び合うことにした。




