127話
それからミラリアは話し始めた。今まで重ねていた嘘を解いていくように、『真実』を。
……つまり、ミラリアは魔物であるということ。あづさは異世界から魔物の国にやってきた者だということ。そして、本当の名前も。
「ミラリア……そう、ミラリア、ね」
「ええ」
「それで、私は、降矢あづさ。異世界人……」
あづさは確認するように言葉を呟いて、そして力強く頷いた。
「分かったわ。『思い出した』っていう感覚の方が近いかしら。でも、分かるの。それが嘘じゃない、本当のことだって」
あづさは椅子の背もたれに少々体重を掛けつつ、ため息を吐き出した。
「変な感じだわ。……まさか、これが魔王の罠、ってことはない、わよね?」
「違うぞ。断じて」
「あらそう。尤も、あなたがどう言ったとしても、それが嘘じゃない保証もどこにも無いんだけどね」
そう言って少々の警戒を残してあるように主張しておきつつ、あづさは深々とため息を吐いた。
「お姉様が血の繋がりが無いどころか、生まれた世界すら違ったなんてね。種族も違ったわけだし……」
そこであづさは、ちら、と他の者達の様子を見た。
傭兵達の驚きと戸惑いは予想通り。フォグの読めない表情も想定内。ラギトは他人事のように「へー。すげー」とよく分からない感想を漏らしつつ、茶菓子をもりもりと元気に食べ続けている。
……そしてシャナンは。
「マリー嬢。あなたは……魔物、だったのですか」
シャナンは絶望したようにそう、問いかける。愛した女が魔物だったと知って、その衝撃は如何ばかりか。シャナンの表情にもそれはよく表れていた。
「ええ。私は人間ではありませんね」
「そのように騙されている訳では、なく?だってあなたはどう見ても……その、人間だ」
シャナンの縋るような、祈るような問いかけにも、ミラリアははっきりと答える。
「はい。証明する手段など何もありません。私の体は人間のそれとほとんど変わりがありませんし、魔法を使える人間だって居ないわけではない。……しかし、どうしてもどこかに人間と魔物の境を定めるというのならば、私は魔物だということになるのでしょうね」
……実際、ミラリアが魔物であるという証明をすることは難しい。
ミラリアの怜悧で儚げな美貌も、並の人間より遥かに多い魔力も、そして誘惑の歌声も、彼女がローレライだからこそ持ち合わせているものなのかもしれない。だが、人間がそれらを手にすることができないとは限らないのだ。
ミラリアの言った通り、『どうしてもどこかに人間と魔物の境を定めるというのならば』、彼女はローレライ。魔物なのである。
「そう……ですか」
シャナンは只々、困惑したように尻すぼみな返事をして、頭を抱える。
恐らく彼の中には、『マリー』への愛と魔物への嫌悪という相反する感情が渦巻いているのだろう。
人間の国の人間達は、魔物というものに嫌悪感を抱くように生きてきたのだ。それが誰かの意図したものであろうとなかろうと、染みついた感覚……特に嫌悪の類をすぐさま克服しろ、というのは無理な話であろう。
愛があれば何でも乗り越えられる、などというのは幻想である。あづさはそれも重々承知していた。
……だが、魔物であるミラリアへの好意が、人間と魔物とを近づけるきっかけになったなら、と、願わずにいられない。
「魔物の国の境界にある結界ってもしかして、『魔物に好意を抱く者しか通れない』っていう結界だったのかしら」
あづさがそう零すと、傭兵達もシャナンも、そしてフォグも、はっとした表情を浮かべる。
傭兵達やシャナンは、魔物とは知らずにミラリアへ好意を抱いていたから結界を通ることができた。
そしてフォグは1人、ミラリアに好意を抱かないままだったため、結界に触れて指先を消し飛ばすことになったのだ。
「ふむ、そうかもな。俺は普通に通れたから何とも思わなかったが……もしかしたら、先代の魔王様が生み出した結界はそういう効果だったのかもしれない。あの方もまた、人間とは和平を望まれていたから」
ギルヴァスがそう言ってしみじみと頷くと、いよいよ人間達は困惑するしかない。
「……和平を、ということでしたが、一体何が目的なのですか?」
そんな中、シャナンが苦しそうにそう尋ねる。
「マリー嬢を攫って、レイス嬢を城へ来させて、それで和平、ですか?」
「そうだな」
「なぜこのように回りくどいやり方をしたのですか?和平を結ぶと言うのならば、最初からそう言えばよかったではありませんか!あの場には国王陛下もいらしたのに!」
食って掛かるような攻撃性は、自分を保つための鎧なのかもしれない。そんなことを思わせる様子でシャナンはそう言ったが。
「悪いが俺は、人間の王を信用していない」
ギルヴァスは先ほどまでの笑みを一変させた。
「俺の狙いは人間の王じゃない。……君達なんだ」
「……え?」
「君達30名ほどの人間達に魔物の国の現実を知ってもらうことが、今回君達を招いた目的だ」
静まり返った茶会の席を見渡すと、ギルヴァスはさらに続けた。
「俺は、先代の魔王様と勇者マユミを人間の王の手の者が殺したと思っている」
すると、当然のようにざわめきが起こった。
傭兵達もそうだが、それ以上に、勇者の子孫であるシャナンの驚きは大きかったらしい。
「……信じられない。勇者を、王が殺す?何のために」
「それはそっちが知ってると、俺は思っていたんだがなあ」
ギルヴァスはそう言って苦笑いしつつ、ちらり、とフォグを見やった。
席に着くことなくあづさの後ろに立っているフォグは、一瞬迷うように視線を揺らしたが、それだけだった。
ギルヴァスはふと笑って、寂しげに言う。
「考えられる理由はいくつかあるが……まあ、勇者マユミが魔物との和平を望んだから、だろうなあ」
「ちょっと先に聞いてみたいんだが、君達個人の考えとしては、どうだ。魔物の国と人間の国が和平を結ぶ、というのは」
「私は賛成ね。無駄に殺し合うよりは、互いの技術と知識をやり取りできた方が利があるでしょうし」
あっさりとあづさがそう言ってしまえば、他の皆は少々驚いたような顔をしつつ……しかし、反対する者も居ない。
「そ、そうだね。あの人参だか大根だか分からない奴は可愛かったし。アタシはああいうの、好きだよ」
「この城の構造も気になるな。不思議な造りだ。建築技術も人間の国とは違うようだし、交流する利はある」
「それから、このお菓子。美味しいじゃないか。魔物の国も悪くないね」
傭兵達が口々にそう言いだせば、ギルヴァスは至極嬉しそうな笑みを滲ませた。
「……いや、驚いた。そう思ってもらえるとは」
「思ってなかったの?」
「ああ、そうだな。思ってなかった。……人間は魔物の国を侵略したいのだとばかり、思っていたが……そういうわけでは、ないんだな」
ギルヴァスは安堵のため息を漏らすと、続けた。
「だが恐らく、人間の王はそうではないだろう。きっと人間の王は、魔物の国との和平を、望んでいない」
誰も、反論できない。口の回るはずのシャナンも、王族に仕えているはずのフォグも。
「今回も俺の話など聞かずに殺せ、と言われていたんじゃないか?」
ギルヴァスの言葉が、皆の心に突き刺さる。本来ならば殺さねばならなかった相手本人にそう言われると、何とも気まずい。
「……そうだとしたら、何だと?」
「うん。その理由は、何だと思う?」
問いを問いで返されて、シャナンは怯む。
ギルヴァスの問いかけ……『王が魔王を殺せと命じた理由』について、思い当たるものなど1つしかない。
「それは、魔王に騙されないように、と……」
「始めから対話する道を捨てて、か?どうして、人間の王はそこまで魔物の殺戮をしたがる?」
だが続いた問いには、答えられない。
『何故、魔物の殺戮をしたがる』のか。
そう言われてみても、シャナン達、人間の国で育った人間からしてみれば、『魔物に奪われた人間の国の土地を取り戻す為』という大義名分以外、何所にも理由は有りはしない。
「そもそも、人間には魔物の国を侵略する理由は無いはずだ。少なくとも俺の知る限り300年余り、魔物は人間に手出ししないようにしてきたからな」
「何だって?」
更に、シャナンは驚愕することになる。魔物が人間に手出ししないようにしてきた、とは一体どういうことか。
ならば、200年ほど前の勇者であった、自分の祖先である勇者イーダは一体、何だったのか。
「人間が魔物を排除し、魔物の国を侵略しようとし始めたのは、ほんの600年前か700年前かその程度のことだ。……勇者の血筋も、6つか7つくらいしか残っていないだろう?」
シャナンは、頷くしかない。
勇者の子孫、として今も残る血筋はある。それらと懇意にしているシャナンであるが……だが、それでも現存する勇者の血筋は、シャナンの知る限り、5つ程度である。勇者マユミの血は途絶えたと見て間違いなさそうであるし、となると、ギルヴァスの言う通り、『勇者』が現れたのは精々その程度昔のこと、ということになる。
「そして、今、人間の国で魔物とされている者達も、昔は人間と共に在ったはずだ。……例えば、エルフなどはそうだろう?」
そして、ギルヴァスの言葉を裏付ける材料は、そこにもあった。
クエリアの町、勇者マユミが一時期だけ居たという宿に居た老婆。エルフの血が混ざっているという彼女の存在こそ、魔物と人間の垣根が昔はずっと低かったのだという証明ではないのか。
「俺にとっての100年は生の3分の1程度だが、人間からすれば一生よりも長い時間だろうからな。100年200年を超える話を信じてくれとは言えない。それに、君達には君達の既存の知識と観念がある。それをすぐに覆せとも、到底言えない。……だが、俺が人間と和平を望んでいる事は、本当なんだ」
ギルヴァスはそう言うと、人間達に頭を下げた。
「どうか、協力してくれないか。俺は真実を知りたい。そしてその上で、人間と魔物が殺し合わずに済む世界にしたいんだ」
皆がざわめく中、あづさは……ギルヴァスを真っ直ぐに見つめる。そしてしばらくギルヴァスを見つめた後、ふと、表情を緩めた。
「……私は、信じてもいいと、思うわ」
あづさは、そう、言った。
「そうか」
その瞬間だった。
「それが、お前の答え、なら……」
ぱっ、と、フォグが動く。ギルヴァスとラギトを意識して、2人の手が届きにくい位置からナイフを抜き、走る。
……そして、あづさに向かって、ナイフを突き立てた。
「俺は、お前を、殺さなければならない……!」
迷うように、どうしようもなく表情を歪めたまま。




