12話
「はい。これが硫酸銅。綺麗でしょ?」
城に戻ったあづさは、化学の教科書を開いて、2人に硫酸銅の写真を見せた。
「すっげえ綺麗な絵だな!」
「これは……さぞ高名な画家が描いたのだろうな」
「あっ、まずそこからなのね」
まず2人は『写真』というもの自体に驚いてしまってあづさの説明は進まなかった。確かに異世界からすれば、写真は驚くべき技術なのかもしれないが。
頃合いを見て2人の興味を硫酸銅自体へと移行させつつ、あづさは話し始める。
「この綺麗な青い石なんだけれど、正体は銅よ」
「銅?金属が、こんな石になるのか」
「そんな事言ったら大抵の宝石は金属なんだけれどね」
ルビーは酸化アルミニウムとクロムの化合物、と授業で習ったことを思い出しつつ、あづさは苦笑した。恐らくそれを説明し始めると終わらなくなる。
「まあ、とにかく。この硫酸銅っていうのは、硫酸と銅が化合……ええと、くっついたものなの」
「錬金術のようなものか」
「だいたい合ってるわ」
ギルヴァスは多少、その辺りの感覚が分かるらしい。ふむ、と唸りながら、硫酸銅の写真を見て、他に塩化銅や酸化銅の写真も見て、興味深そうに頷いていた。
「そういえば銅にこういった錆が付着していることがある」
「多分それは塩化銅ね。銅とくっつくものが何かによって、姿形や性質が変わっていくの」
「ぜんっぜん分かんねえ」
「あなたは分かんなくてもいいわ」
ギルヴァスとは対照的に、ラギトは全く化学の感覚がないらしい。『くっつく?銅が?』と首を傾げている。まあそんな気はしてたわよ、とあづさは1人、内心で呟いた。
「……とにかく、大事なのはここよ。硫酸銅は、硫酸と銅がくっついてるもの。そして、硫酸っていうものは……」
あづさはラギトの首筋を示して、言う。
「触れたら火傷する液体なのよ」
「液体……成程!つまり、この火傷は、硫酸とやらがラギトの首筋に滴って生じたものだったか!」
「そうね。硫酸銅ができてたんだから、硫酸もあるんでしょう。或いは、硫酸銅が水に溶けて、それ自体が滴ってたのかもしれないけどね」
そうかぁ、とギルヴァスは頷いて、表情を明るくした。
「面白いものだなあ。何百年も、鉱山の呪い、と恐れられていたものも、正体が分かってしまえば、こんなものか」
「対策は簡単よ。この程度のものだったら、フード付きの厚手のコートを着て、手袋とゴーグルとマスクで防護しちゃえば大体防げるわ。落ちてきた硫酸が地面に溜まってるかもしれないから、足元もブーツが良いわね。ただ問題は、もっと大量に出てきちゃった時ね。……そういう時は、鉱山に入らない方がいいわ。つまり、色々溶け出しやすいような、雨の時と、雨の後。あと、急に冷えた時、とか」
「つまり、からりとした晴れが続いている時に、体を覆って鉱山に入れば、問題ないということか!」
「そういうことね」
ギルヴァスが顔を輝かせているのを見て、あづさも思わず笑顔になる。
知らないことを知るのは、楽しい。その感覚がギルヴァスにもあるらしいことが、嬉しかった。
「……よく分かんねーけど、とりあえずコレ、呪いじゃねえんだな?解呪は必要ねえんだな?」
「ええ、そうね。だからそれは水でよく洗い流して、放っておけば治るはずよ」
「そっか。ならいいや。あーあ、解呪頼みにババアんトコに行くのは面倒くせえからよォ。あーよかった」
「一応、しばらくは包帯とかで覆っておいた方がいいわ。日の光に当たりすぎると、痕になって残っちゃうかもしれないから」
「へー。そうなのか。じゃあそうしとくかなァ。しっかしよォ、テメー、物知りだな」
ラギトは頷くと……ふと、思い出したように荷物を漁り始めた。
それは、ラギトがこの城に運んできた荷物であったが……。
「んじゃ、これはその礼と『友好の印』だ!受け取れ、あづさ!」
ラギトはニヤリと笑うと、荷物から取り出したものをあづさに放った。
あづさは受け取ったものを確かめる。それは、柔らかな布でできている……。
「わあ、綺麗なドレス……!」
黒い布でできた、ごくシンプルなワンピース・ドレスだった。
ドレスには飾りも何もない。しかし、それだけに洗練されたデザインと、布と縫製の上質さがよく分かった。
「アラクネ共がババアから突っ返された奴だってよ。ま、元々突っ返されるつもりで数合わせのためだけに作った奴だったらしくてよォ、宝石の代価にそれ寄越してきたんだが、俺はドレスなんて着ねえしな。ってことでそれやるよ」
一応、訳有りの品らしいが、そんな事は気にならない。あづさは胸にドレスを抱いて、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう!服が欲しかったの!本当に助かるわ!」
「な、なんだよ、こんなんでそんな喜ぶかァ?こ、こんなんでよければ幾らでも持ってきてやるよ!まだあるからよ」
「嬉しい!ありがとう!」
「良いってことよ!ユーコーカンケイだもんな!な!」
……2人が笑い合うのを見たギルヴァスは、何やら不思議なものを見るような気持ちであったが……不思議と、悪い気分ではなかった。
「楽しそうだなあ」
「ええ!とても!」
「あっ、そうだ!次はテメーの服もなんか持ってきてやるよ!四天王サマがそんなカッコじゃ、カッコつかねえよなあ」
いつの間にやら会話に巻き込まれたギルヴァスだったが、やはり、悪い気分ではなかった。
その後、3人は宝石を山分けした。色とりどり、大小様々ながらそれら全てが美しく見事な宝石は、ただ見ているだけでも楽しい。
特に光り物を好むラギトは、目を輝かせて山分けを楽しんだ。
……今回、ラギトの取り分は少々少なめだ。何故なら、宝石を磨く技術が彼ら風鳥隊には無いからである。
そう。ラギトが持ち帰る分の宝石は、ギルヴァスが磨いてやることになったのだ。
「あなた、器用よね」
あづさはギルヴァスの手元を覗き込んで、言う。
原石でしかなかった宝石は、いつの間にやら美しく磨き上げられて、そのまま装飾品に使えそうな姿へと変貌していた。
「元々、こういう作業が好きでなあ。細かい作業やものを作ることが好きで……昔々、小さい頃から、狭い所に籠もっては、宝石や金属の細工ものを作って遊んでいた。ドラゴンらしくないとよく言われるよ」
ギルヴァスは苦笑しながらそう言う。確かに、『らしくない』のかもしれない。特に、四天王ともあろうものが自ら宝石磨きとは。
「そう?いいと思うけれど。だってとっても素敵じゃない。綺麗なものを自分の手で生み出せるなんて」
だが、あづさはそんなギルヴァスの技能を好ましいと思う。
ごつごつとして大きな手が器用に宝石を磨き上げていく様子は、まるで魔法か何かを見ているかのようだ。実際、魔法なのかもしれないが。
「宝石が元々美しいだけさ」
「なら、その美しさを引き出せるあなたはやっぱり素敵なのよ。あなたはそうは思わないのかもしれないけれど、私はそう思うわ。それに、好きなんだったら、好きなようにやればいいじゃない。ここには文句言う奴なんて誰も居ないわよ」
「……そうか。そう、だな」
ギルヴァスは何か、意外なような顔をして……それから、照れたように笑った。
「ありがとう」
「いいえ?」
あづさもそれににっこり笑って応えるのだった。
宝石磨きを続けるギルヴァスの側を離れて、あづさはラギトの様子を見に行く。
「面白いものは見つかった?」
「おう!これ!これ、いいな!」
ラギトが見ていたものは、教科書だ。
あづさの教科書を床に置き、器用に足でページを捲って、ラギトは教科書を眺めていたのだが。
「……ああ、国語の便覧見てたのね。それは、十二単?」
ラギトは化学の教科書ではなく、国語の便覧を眺めていた。写真が多く使われており、見ていて楽しかったらしい。
「ジューニヒトエっていうのか!すごいな、このドレス!布、何枚重なってんだ!?」
「十二枚よ」
だから『十二』単だっつってんでしょ、と思いつつあづさが答えてやれば、ラギトはやはり、すげえすげえと嬉しそうにしている。
「十二枚かァ。そんなん着てたら飛べねえだろうなァ……」
「実際、これ着てるとまともに動けないらしいわよ」
「へー。やっぱり?だよなァ」
ラギトは何度も頷きつつ、少々残念そうな顔をした。
「いや、アラクネ共がよォ。ドレス何を出してもババアに突っ返されるっつって、新しい形を探してるんだけどな?こういうの参考にならねえかな、って思ってさ。流石にこの形は真似できねえけどよ、ほら、コレ、色が独特だろ。綺麗だよな」
どうやらラギトはラギトなりに、真剣に教科書を眺めていたらしい。頭が良いとはあまり思えないが、美的な感覚はそれなりに優れているのかもしれない。
「色、ねえ。……えーと、襲の色目、っていうのがあってね」
「カサネ?」
なのであづさは、便覧の別のページを捲って、教えてみることにした。あくまでも、参考程度、というつもりで。
「ええ。薄い布2枚を重ねて、色の組み合わせと透ける色を楽しむのよ。ほら、赤の布の上に白い布を重ねたら、重なったところは薄い赤……ピンクに見えるでしょう?」
「おー……これ、ぴったり重なるか、ふんわり重なるのかでも、色合い、変わるよなァ……」
「そうね。ほら、氷襲なんかは、白2枚を重ねるけど。これも、ほんのり透き通るかんじと真っ白なところが混ざって、同じ色2つなのに色んな表情になるのよ」
「へー……」
ラギトは真剣な顔で本のページに目を落とし……やがて、元気よく立ち上がった。
「よっしゃ!じゃあこれ、アラクネ共に教えてやるかな!きっとあいつら、喜ぶぜ!」
「喜んでくれるなら何よりだわ」
「ありがとな、あづさ!次来る時は、もっと服、持ってきてやるよ!」
ラギトはそう言って笑うとギルヴァスの所へ飛んでいき、磨き上がった宝石を受け取ってすぐ、窓の外へと飛んでいくのだった。
「……何だ、あいつがあんなに楽しそうなところは初めて見たなあ」
「そうね。ああしてると案外、可愛いじゃない」
ギルヴァスとあづさはそれぞれ感想を漏らしつつ、飛んでいくラギトを見送るのだった。
「……あづさ。少し、時間はあるか」
「ええ。いいわよ」
夕食後、あづさはギルヴァスに話を持ちかけられて、立ちかけた席に座り直す。
「その……君を魔王様に引き合わせることについてだ」
「ああ……そう、ね。宝石は手に入ったから、いつでもいい、ってことかしら?」
「そうだ。今回は随分といい石が手に入った。それも、複数。だから、これらを貢物にすれば、恐らく君は、会ってすぐ殺されるような事にはならないと思うんだが……」
ギルヴァスは言い淀み、それから、意を決したように、切り出した。
「明日にでも、行ってみるか?」




