117話
翌朝。
あづさとミラリアは、朝靄が出ている内に起きだして、部屋を出た。
昨夜の衝撃の名残は見られない。人々も一夜明けて、ある程度落ち着いたらしい。
「おはようございます。朝からご苦労様です」
ミラリアは中庭に居た庭師に声をかける。庭師は驚いた様子であったが、ミラリアとあづさの姿を見てすぐ、笑顔を返した。
「ああ、おはようございます。そちらこそ、お早いお目覚めですね。まだ太陽だって寝ぼけてますよ」
空は明るくなっていたが、陽光が明るく差し込むのはもう少しばかり先だろう。そんな時刻であるので、庭には警邏の兵士や庭師やメイドが居るばかり。貴族の娘や若者が居るでもなく、庭は只々静かであった。
「昨日のことがあって、あまりよく眠れなくて」
ミラリアがそう言って少々疲れた笑みを浮かべると、庭師は労しげな表情を浮かべた。
「ああ……成程、そういうことでしたか」
「ええ。ですからここへは、目覚ましと気晴らしに」
朝の空気を吸い込んで、ミラリアは気分を切り替えるようににっこり笑う。そうすれば、庭師もミラリア達の『目覚ましと気晴らし』に協力しようとばかりに晴れやかな笑みを返した。
「そういうことでしたら、どうぞご覧ください。花を見て気持ちが休まるということもあるでしょう」
「ありがとう」
ミラリアとあづさはそのまま緩やかに歩いて、薔薇園を巡る。その少し後ろを庭師がついてくるのは気遣いのためなのだろうが、その根底にあるものはミラリアの歌による魅了である。
本人にも自覚できないような、漠然とした好意。それは昨日のミラリアの歌を聞いた人間全員に根付いているのだ。
「……ああ、この薔薇はもしかして、応接室に生けてあったものかしら」
「ああ、そうですね。生けるのはメイド達がやりますが、花を選ぶ時、俺も協力したりするんですよ」
ミラリアが問うと、庭師はすかさず答える。
「あの青い花瓶に薄桃の薔薇がよく合っていました。あの時もこの花を見て、緊張が解れたわ」
「それはよかった!あの花瓶は色が強いもんで、中々合う色の花を選ぶのが難しいんですよ。よくメイド達がぼやいてますが、要人の出迎えの時は大抵あの花瓶を使えと指示が来るらしくて」
庭師の言葉に、あづさもミラリアもはっとさせられる。
……あの花瓶には、言わば盗聴器のような魔法が仕込まれていた、とミラリアが見抜いている。つまりあの花瓶を使え、ということは、客人たちの会話を盗み聞きしろ、というようなものなのである。
「あら。それは大変ですね……」
「まあ、あれだけ美しい花瓶も中々ありませんからね。ダニエラ様が使いたがる気持ちもわかりますよ」
そこで庭師が出した名前を、ミラリアは聞き逃さなかった。
「……ダニエラ様、とは」
「ああ、先王の王妃様ですよ」
何といういうこともなく、庭師はそう答えた。
「まるで年齢を感じさせない美貌と敏腕ぶりでしてね。要人の接待なんかはダニエラ様が取り仕切られることが多いんですが、大抵のことは成功してしまうんです。気難しい貴族との会談も、王族に不満を抱いた罪人との対話も。どんな場面でもダニエラ様の指示通りに動けばうまくいく」
……庭師の説明を聞いて、ミラリアは頷きつつ……『ダニエラ』という女性について、確実に記憶した。
恐らく、魔法を仕込んでミラリア達の会話を盗聴しようとしたのは、彼女だ。
そう。およそ、人間の国にあるにしては高度すぎる魔法を使ったのが、彼女なのだ。
あづさとミラリアが部屋に戻ると、部屋の前ではラギトとシャナンがばたばたしていた。
「あっ!外に居やがったのか!呼んでも出てこねェから部屋ン中覗こうと思ったらよォ、こいつが止めてくるんだよ!」
「女性の部屋に無断で入るべきではないと言ったでしょう!」
「入るぞーって言っただろ!」
「本人の了承もなしに断ったと言えるとでも!?」
喧嘩をしているというよりはラギトにシャナンが振り回されている様子であったが、ひとまず、2人はあづさとミラリアが戻ってきたことで喧嘩を中断することにしたらしい。
「全く、何してんのよあなた」
「おはよう!挨拶したかった!ついでに飯食いに行きたかった!行こうぜ!」
「はいはい、おはようおはよう。ご飯ね。お腹すいたのね。じゃあ行きましょうね」
ラギトは素早くあづさの首筋に頭を突っ込むようにしながら勢いよく頬ずりしてハーピィ式の挨拶を済ませつつ、早速あづさの手を引っ張って食堂の方へと向かおうとする。
あづさは引きずられるようにして歩き出しつつ、シャナンに苦笑を向けておいた。シャナンも肩を竦めて応えつつ、これ以上の大人げない振る舞いをするつもりもないらしい。大人しく食堂へ向かうことになった。
王城で出される食事は、緊急時であっても豪勢であった。昨夜、魔王が直々にこの城に赴いた、とは思えない平穏ぶりである。
とはいっても、それほど食が太くないミラリアやあづさ、そして昨夜のショックを引きずっているらしいシャナンなどはあまり量は食べられない。そしてそれらを補うようにラギトはよく食べた。
ラギトは食事を大層美味しそうに食べるため、給仕の者や調理係の者を自然とにっこりさせている。ある種、ミラリアの魅了に近い何かなのかもしれない。侮れないわね、とミラリアは心の中で思った。
「揃っているか」
そしてそんな朝食の席に、王が直々にやってきた。あづさやミラリア、そしてシャナンと護衛達はすかさず背筋を正して席を立とうとしたが、王はそれを手で制して自分も席に着いた。
「おはよう!」
そして唯一、姿勢を正すことも席を立つことも、そもそも食事の手を止めることもなかったラギトが元気にそう言えば、全く以て元気の欠片もない王は何とも言えない顔をした。
「……ひとまず、昨夜、緊急の会議を開いた。そこでお前達の処遇が決まった」
王が話し出すのを聞きながら、あづさとミラリアはじっと王を見つめる。自分達の今後の出方が大きく変わるかもしれないのだ。緊張したところで何になるわけでもないが、そう思っていてもやはり緊張はする。
「お前達についてだが……魔物の国に行ってもらうことにした」
そして王からそう言われ、あづさとミラリアは表情に緊張を残しつつ……内心では飛び跳ねんばかりに喜ぶ。
「その前に、お前達には魔王と勇者について、話しておこうと思う」
更に王は、情報までくれるらしい。あづさは神妙な顔で頷き、王の言葉を待った。
「魔王は、人間を滅ぼし、そして勇者を根絶やしにするつもりだ」
「え……?」
困惑の声を漏らしつつ、あづさは、ああそういうこと、というように冷めた感情を覚えていた。要は、アーリエス4世はここであづさ達に魔王についての曲がった認識を植え付けて、自分達にとって都合の良いように動かそうという魂胆なのだろう。
蓋を開けてみればつまらない策であるが、しかしあづさは王の言葉を聞く。
「先々代の勇者イーダは、魔王を殺して戻ってきた。その前の勇者もまた、同じように。だが、先代の勇者は、魔王に殺された」
勇者マユミのことである。
魔王に殺された、という話は、『姿が消えた』という内容と一応は合致する。
「先代の勇者は、100年ほど前に現れたが……その勇者は、魔王に騙されたのだ」
「騙された、というと」
「和平を持ち掛けられたのだ」
ミラリアと、ラギトでさえも、緊張した表情を浮かべる。先代魔王の不可解な死。勇者の失踪。それらが人間達にはどのように伝わっているのか。そこに、真実はあるのか。
魔物の目に晒されているとも知らずに、アーリエス4世は物語を語るように言葉を続ける。
「心優しい先代の勇者は、その優しさに付け込まれたのだ。魔物は勇者を騙し、和平を結ぶと偽って招き……そこで勇者を殺した」
魔物側の事情を知っているあづさであったが、これには混乱させられる。
魔王は死に、勇者は行方不明。それが人間の国では、勇者が魔王に殺されたことになっている。
「……勇者は、ただ黙って殺されるくらい弱かったのですか?」
念のため、あづさはそう尋ねる。何か、情報が出てこないか、と。王が『知らない』のではなく『隠している』『嘘を吐いている』のならば、何か、その嘘の一角を崩せないか、と。
「勇者の力は与えた。だが……魔物達は恐らく、卑劣な手を使ったのだろう。勇者は帰って来ず、だが……勇者は最後の力を以てして、魔王を殺した。そのため、今の平穏があるが……その代償として我らは勇者を失ったのだ。そこに宿った、勇者の力ごと」
だが、アーリエス4世の言葉は、そんなようなものだった。
「お前達は、勇者としての力を十分に持たない初めての勇者だ。それ故に勇者が記憶を失っている、という状況なのだろう」
アーリエス4世の苦々しい表情と言葉に対して、あづさは多少強気に出ることにした。
「つまり、私は勇者としての力を持っていない、ということですか?なのに、私が勇者なの?」
鋭い言葉に、アーリエス4世はますます表情を苦らせる。これが単なる皮肉であれば一蹴できただろうが、目の前にあるのは美少女の不安そうな瞳である。どうにもし難い。
「……ああ、そうだ。魔物達がお前を勇者だと言う以上、何かあることは間違いない。たとえお前達が我らを謀ろうとしているのだとしても、動かしてみんことには……」
そう言いかけて、王は口を噤んだ。相手を信用していない、などと面と向かって言うべきではない、と思い至ったのだろう。
「多少無理を言うが、辛抱してほしい。王として余はこのように判断を下すしかできんのだ。国のため、ないしは人間のためと思ってほしい」
少々気まずげにそう言うと、アーリエス4世はその気まずさを掻き消すように、傍らに控えていた召使いから袋を受け取ると、それをあづさに差し出す。
「旅に必要なものや武具はこちらで揃えよう。馬車も用立ててやる。そして、旅にかかる費用も用意した」
あづさが受け取った袋の中には、金貨がぎっしりと詰まっている。机の上を滑らせるようにして渡されたものであるが、これを持ち上げて運ぶ、となると、それはそれで苦労しそうなほどの重さである。
「後で武具庫に案内させよう。そこでお前達に合う武具があれば自由に持ち出せ。勇者の力が無くとも十分に戦えるほどの、聖なる力を秘めた武具だ。きっと役に立つだろう」
「それは……ありがたいですが」
王家所蔵の武具となると、それなり以上に高価なものであろう。受け取った金額といい、武具の話といい、あづさ達を信用していないと言う割には待遇が良い。
「その代わり、と言っては何だが……旅の仲間はそちらで見つけてはもらえないだろうか」
ああ、そういうことね、とあづさは納得した。
要は、城の兵士をつけることはしない。その代わりの金額と武具。そういうことなのだろう。
「ン?つまり俺達だけで魔王のとこまで行ってくるのか?」
「ま、待ってください!戦える人の伝手なんてありません!それに、妹は戦士ではないのです。勇者だとしても、そんな、兵士の方の助けもなしに、魔物の国へ行けだなんて……!」
「であるからして、人員を増やしても構わん。それはそちらに任せる」
アーリエス4世はラギトの疑問もミラリアの抗議も押し潰すようにそう言って、苦い表情を浮かべる。
「……申し訳ないとは思う。だが、ここで城の警護を薄くするわけにはいかん。また、国民の多くは魔王の存在など知らんのだ。なら民の心の平穏のため、お前達のことや魔王のことは内密にしておきたい」
これにあづさは黙り、ミラリアは王を睨み、シャナンは目を逸らし、ラギトは首を傾げた。
「その、お前達姉妹は何者かによって幽閉されていたらしいな。ならばお前達の存在を秘めておくことは、お前達の安全にも繋がるのではないか?」
「そんなものは詭弁です!ならば妹の存在を公にし、多くの人々に知らしめた方が余程、妹を守ることになります!」
ミラリアはそう悲痛な声を上げて、美しい顔を怒りと悲しみに歪める。
「……納得、できません」
アーリエス4世はどう言ったものか、と逡巡する様子であったが、それ以上重ねる言葉も議論も彼の側には何もない。
結局彼は、ため息交じりにこう言うしかないのだ。
「ならば命令だ。内密に旅立ち、魔物の国へ向かい、そしてそこで魔王を殺せ」
「……殺せ?」
「ああ。そのように命じる。従わぬことは許さぬ」
横暴ね、と思いつつ、あづさは念のため、念を押す。
「……魔王は、話に来い、と言っていましたが」
「構わん。殺せ。魔物は人間を騙すものだ。話を聞いたが最後、先代の勇者のように魔物に誑かされるかもしれん。そもそも、お前達の記憶について、と言っていたようだが、それを何故魔王が知っている?それは即ち、魔王の手の者がお前達を囚われの身とし、記憶をも奪ったのではないか?」
つまり、王は、魔王とは端から対立するつもりなのである。そこに和平の道を見出すことは無いのだろう。
勇者マユミについての言葉が嘘なのか、それとも人間達にはそのように歴史が伝わってしまっていて、それが真実だと信じて疑わないのか、それは分からないが……どちらにせよ、アーリエス4世には、魔物達との和平、という道は見えていないらしかった。
「魔物と人間は相成れぬ存在。お前が勇者なのだとしたら、それが定めと心得よ」
厳しく険しく、アーリエス4世はそう言って、またため息を吐く。
「無論、先程言った通り、支度の金も馬車も武具も、自由にするがいい。そして全て終わった暁には、お前達の存在をしかと公表し、世界を守った者として称えよう。安全も保障する。そして何か願いがあれば1つ、叶えてやろうではないか」
最後に、アーリエス4世はあづさを見つめて、言った。
「横暴であるとも思っている。だが、民のため、国のため、どうか、従ってはくれまいか」
「……分かり、ました」
そしてあづさは、そう言って頷く。
「皆のためなら、仕方ありません」
「レイス……」
ミラリアはあづさを気遣うようにあづさの手を握るが、あづさは手を握り返して、大丈夫よ、と言って笑う。
「その代わり、条件は翻さないでください。私達はここにしばらく滞在して、他に仲間になってくれる人を探します。それから、その人達の武具も頂きます。それから、全部終わったら安全を保障していただきますし、願いも叶えて頂きます。いいですね?」
あづさがそう言うと、アーリエス4世は明らかにほっとした顔をした。
「うむ。構わん。本人が使用するものに限るが、武具は自由に持っていくといい。そして約束は必ずや果たそうぞ」
「ありがとうございます」
あづさはにっこりと笑って……心の中で思った。
じゃあ貰いたいものはしっかり貰うし、何なら最初に武具庫を空っぽにしてやるわよ、と。




