106話
「じゃあ、2人で1部屋。銀貨2枚だよ」
宿のカウンターでそう言われた2人は、困った顔をするしかない。
「……銀貨」
一応、2人とも金銭の類であろうものは持っている。だがそれが『今も』この人間の町で使われているかは分からない。何せ、ギルヴァス達が最後に人間の金銭を見たのは100年以上前のことなのだ。
「何だい、まさかお金、持ってないのかい?」
宿の女将と思しき女性は呆れたような顔であづさとミラリアを見る。
「お姉様。銀貨って、あれかしら。家の倉庫にあった……」
「そ、そうね。出してみましょうか」
が、あづさとミラリアは一芝居打ちつつ、小さな鞄の中から絹の袋を取り出し、その中から140年ほど昔の銀貨を取り出して、カウンターの上に出した。
……すると。
「あら、まあ。随分古いのを持ってきたねえ」
女将は驚いたようにそう言うと、置かれた銀貨を眺めて感嘆の声を上げた。
「私の爺さんの代の銀貨じゃあないか。実物を見るのは私も初めてだよ」
綺麗なもんだねえ、と言いつつ、女将はにっこり笑って銀貨2枚を受け取った。
「珍しいものくれてありがとうね。……しかしお嬢さん達、なんだい、何か訳ありなのかい?」
「ええ、まあ……」
ミラリアが口籠るようにそう言うと、女将は同情めいたものを表情に浮かべて頷きつつ、にっこりと笑って鍵を2人に差し出した。
「なら、今日はゆっくりお休み。大丈夫だよ。うちは口が堅いんだ。誰かがお嬢さん達を探しに来ても黙ってるからね」
部屋の鍵を受け取りつつ、あづさとミラリアは顔を見合わせ……そして、揃って笑顔を女将に向ける。
美しい『姉妹』の笑顔は、女将が抱いた古い銀貨への疑問を全て拭い去るのに十分であった。
ミラリアは部屋に入ってすぐ内側から鍵をかけ、そして探知除けの魔法を簡単に使った。
一応2人は『訳ありの姉妹』ということになっている。探知除けの魔法を使うこと自体はおかしなことではない。もしこの魔法が見つかっても、魔法を使ったこと自体を怪しまれることは無いだろう。
「……ふう。上手くいきましたね」
「ええ。お姉様のおかげだわ」
あづさもスライムをむにむにとやってギルヴァスへ連絡を入れつつ、ミラリアににっこりと微笑んだ。
「何やらうまく、私達の設定もできてきましたね」
「訳ありの姉妹、よね。多分、身分が高い家の出身ね。家の倉庫の古い貨幣と服をかき集めて、2人で家を逃げ出した、ってかんじかしら?」
「追われている、というのは誰にでしょうね。一家暗殺を目論む輩でもいるのかもしれませんね」
「ふふ、それいいわね。私達、命を狙われる姉妹、ってことね」
2人はくすくす笑いながら荷物を置いて、ベッドに腰かけて一息つく。
「……でもやっぱり、お金は変わってるみたいね」
「そうですね。町の女性の恰好を見ましたが、やはり、私達の恰好は少々古めかしいものに見えるかもしれません。途中で着替えを買った方がいいかもしれませんね」
「なら、どこかで換金しなきゃ。一応、昔の金貨も持ってるけど、相場も分からないし……まあ、宝石を売るのが一番確実かしら」
2人は昔の貨幣の他、宝石の類もいくらか持ってきている。地の四天王領に居る限り、宝石に困ることはない。折角だから換金してしまってもいいかもしれない。
「ひとまず、まずは人間の国に溶け込むための情報を集めなければなりませんね。勇者マユミについて調べるのはその後、ということになりそうです」
「そうね。下手したら戦争だもの。慎重に行きましょ」
2人は気を引き締めるようにそう言うと……それから、どちらからともなく、立ち上がる。
「……それはそれとして、人間の国の食事の事情も調べておいた方がいいと思わない?」
「奇遇ですね。私も丁度、そう思っていました」
「ふふ、気が合うわね、お姉様」
「ええ。だって姉妹ですもの」
軽口を叩きつつ、2人は部屋を出て食堂へと向かうことにした。部屋を出てすぐ漂ってくる食事の香りに期待を高まらせつつ。
「2人とも何してッかなァー……」
「一応、宿には着いたみたいだぞ」
一方、残されて野営することになった男3人はというと、町から見えないように木々で陰になる位置を選んで火を熾し、そこで携帯食を炙って食べつつ、あづさとミラリアを案じていた。
「……ところで、1つ伺いたいのだが」
「うん」
そんな折、ルカがギルヴァスの手元を覗き込んで首を傾げた。
「そのスライムは、何か特殊な訓練を受けているのか?」
スライムを揉んでいたギルヴァスは一通り揉み終えると手を留め、考え……そして答える。
「まあ、『こっちで動かしたらもう1匹の方も動かせ』とは言ってあるが」
ギルヴァスが困りつつ答えると、ルカは益々困ったような顔をする。
「それは……スライムに言葉が通じた、ということか」
「ああ。まあ、知性はあるようだし、通じてもおかしくはないと思うが」
ギルヴァスは、「なあ?」とスライムに話しかける。するとスライムはギルヴァスが首を傾げるのに合わせるように、ぷるん、と体を揺らした。
「……俺の記憶しているところでは、スライムに知性などほとんどなかったはずなんだが」
「そうなのか?なら、うちの領地の土が合っていたのか……うーん」
不思議なものだなあ、とギルヴァスはスライムを覗き込み、ルカもまた、スライムを覗き込んでは首を傾げる。ラギトはスライムを指の先でくすぐるようにつついて「あっ!そういや俺、今、羽じゃねェんだった!変な感触した!びっくりした!」と1人で慌てる。
「まあ、便利に使っているから特に不満はないんだがなあ」
「スライムがこのように使われるなんて、初めて見たが……まあ、役目を果たしているなら、いい、の、か……?」
ルカは釈然としない様子ながらもスライムがぷるぷる揺れる様子を見て、やがて諦めたように「気にするだけ無駄か」とため息を吐いた。
何せ、スライムは何も喋らない。そうなると、彼らが何か考えているのか、はたまた何も考えていないのか、知る手段が無いのである。
「水の四天王領では違ったかもしれないが、地の四天王ではスライムはこういう生き物なのだと思ってくれ」
「あ、ああ……」
……こうして結局、スライムの謎は解かれないまま、保留となった。
翌朝。あづさとミラリアは起きだすと、早速宿の食堂で朝食を摂る。
「食べ物はそこまで変わらないわね、お姉様」
「そうですね。多少、穀類が多いかしら?でも、美味しい」
2人が食べている朝食は、全粒粉のパンとスープ、というシンプルなものである。スープは昨夜の食事に出た肉を下茹でした煮汁を使っているのか、旨味が溶け出していて良い味だった。具は野菜と穀類だったが、質素ながらに美味しさを感じるものである。
地の四天王領の食事も似たようなものなので、あづさとしては全く不満はない。風の四天王領に住むラギト辺りは、多少不満を感じるかもしれないが。
「今日はまず、お買い物ね」
「そうね。お姉様と私の服と……できれば、男性用の服も、ね」
「……私が着るということにすれば、2人分は何とかなりそうですね」
「……残る1人分はどうしようもないわよ。あれだけ体が大きいんだし……」
ミラリアはやや長身な方であるので、少し大きさにゆとりをもって選べば、『男装用』の服を購入することでラギトとルカの服を調達することができそうだった。
「でも服の前にまずはお金ね」
「そうね。なら、宿の女将さんに信頼できる宝石店を紹介してもらいましょう」
2人は朝食を食べつつ予定を決め、食堂で働いていた女将に笑顔で挨拶しつつ、目的の宝石店を紹介してもらい、恙なく町へ出るのだった。
朝の町は、夕方のそれとは大分異なる。
「人が多いわね……」
道を行きかう人々は多い。働く者達であったり、遊ぶ子供達であったり。家事のついでに世間話に花を咲かせる女達の姿もある。
活気のある人間の町の様子は、あづさを驚かせるのに十分だった。
「……そうね」
そしてミラリアはまた、あづさとは少々異なる感想を抱いている。
何せ、ミラリアにとって『人間』は敵だ。
多くの敵に囲まれて、心中穏やかではないミラリアは、気づけば少々、表情を険しくしていた。
「……マリーお姉様!」
そんなミラリアの手が、握られる。
「人が多くてはぐれてしまいそうだから、手を繋いでいてもいい?」
あづさが悪戯っぽく笑えば、ミラリアはやっと、緊張していた自分に気づいた。そして、その緊張が解れたことにも。
「ええ。ありがとう、レイス。私も少し心配だったの」
ミラリアはあづさに手を引かれるようにして歩き出す。そうして歩き出してしまえば、町は違和感なく、2人をそこに溶け込ませるのだった。
宿から歩いてそれほど遠くないところに、宝石店があった。
朝早くだからか、他の客は居ない。2人は意を決して、戸を開ける。
からから、とベルが鳴ると、店の奥から如何にも人のよさそうな老人が出てきた。
「いらっしゃい。何をお探しかね?」
老人は眼鏡を押し上げつつそう言って微笑む。
「いいのが揃ってるよ。丁度、綺麗な紫水晶が手に入ってね。ブローチにしてみたんだが、どうだい。お姉さんに似合うと思うが」
「あ、あの、今日は買いに来たのではないのです」
老人の話を遮ったミラリアに従って、あづさは懐から宝石を出す。
ギルヴァスから「とりあえずこんなものか」と無造作に渡されたその宝石は、あづさの目にも美しく見える。深い緑色をして透き通り煌めく宝石は、そこまで大きな粒ではないものの十分に美しい。店のガラスケースを見回した限りでは、これと同じような大きさの宝石がそれなりの価格で並んでいた。
「ほう。売りに来たのかい。どれどれ……」
老人はあづさが出した緑の宝石を眺めて、ほう、とため息を吐いた。
「これはまた、随分と質のいいものだ。これほどまで透き通って煌めく翠玉は中々無いね!」
老人は嬉しそうにそう言うと、紙になにやら書きつけていく。
……そして。
「こんなもので、どうだろうか」
そこに記された金額は、金貨25枚。店内にある似た大きさの宝石と比べて、倍近くの金額であるらしいことが分かった。
「それでいいわ」
あづさはにっこりと笑って頷く。もし、多少足元を見られていたならそれはそれで構わない。ひとまず人間の国の貨幣が手に入れば、それでいい。
「ようし。商談成立だね。なら少し待っていてくれ。すぐにお金を用意してくるよ。ついでに何か買いたいものがあったら言ってくれ。安くしとくよ」
老人は宝石を持って店の奥に入っていく。残されたあづさとミラリアは言われた通り、店内をふらりと見回して待つことになった。だが、あづさの目にはそこにならぶ宝飾品の数々がそれほど魅力的には見えなかった。
「彼が作るもの、普段から見てるからかしら」
「ああ、そういえば、宝飾品などもご趣味で作られるのでしたね」
なんだかんだ、ギルヴァスは職人としての腕もいい。それを再確認しつつ、あづさはくすくす笑う。
「……彼ら、今頃どうしてるかしら」
「やきもきしてますね、間違いなく」
ミラリアも同じく顔を見合わせて、笑う。
あづさの脳裏には、ラギトがぎゃあぎゃあと騒いでルカが押し黙り、ギルヴァスがやきもきしながらその場をぐるぐる歩き回っている光景が浮かぶ。そしてそれは恐らく、概ね真実に近いだろう。
店主を待ちつつ店内の宝飾品を見ていた時だった。
カラカラとベルが鳴り、戸が開く。
「何だ。店主は居ないのかな?」
店内に入ってきたのは、如何にも貴族然とした若い男性だった。ルカと同い年くらいかしら、と思ったあづさは、しかしそういえばルカの実年齢を知らないな、ということに思い当たる。ギルヴァスがあれで300歳を超えているのだから、ルカも100歳程度越えていてもおかしくはない。
「……おお。これはこれは……」
その男性は店内に居るあづさとミラリアに気づくと、表情を綻ばせて近づいてきた。思わず、あづさとミラリアは身を寄せ合う。
「お美しいお嬢さん方だ!僕は幸運だな、朝から天使に出会えるなんて」
何よコイツイタリア人か何か?とあづさは内心で思ったものの、それを口に出すようなことはしなかった。ただ、代わりに少々鋭い目で男を睨む。
「何か御用ですか?」
ミラリアは困惑を前面に押し出しつつそう言って、あづさを庇うように抱き寄せた。
「いやいや、怖がらせてしまったなら申し訳ない!ただ、あなた達のような美しい人と少しお喋りしてみたかっただけなのです。お許しを」
男はそう言って微笑むが、あづさもミラリアも『厄介なのが来た』という印象しか持てない。
「どうですか。この後、ご一緒にお茶でも。よい花茶を出す店を知っていますよ」
男がそう言うのを聞きながら、あづさはギルヴァスの言葉を思い出していた。
『宵闇の中ならそれほどではないかもしれんが、君達の美しさも十分に目立つからな』と。




