105話
結界を通り抜けて、それから半日。のんびりと歩いて移動した一行は、遥か遠くに小さな町のようなものを見つけた。
陽の傾いた空の下、そろそろぽつぽつと明かりが灯りだしている。遠目には、風の四天王領にあった町とさほど変わらない。
「今日はここで野営か、或いは町まで行ってしまうか。どうする?」
「えっ?もう見えてンだから町まで行っちまえばいいじゃねえか!」
ギルヴァスが問うと、ラギトはきょとんとして首を傾げた。
「これから暗くなる。お前はそれほど夜目が利かんだろう」
ギルヴァスがそう言って宥めると、ラギトは気づいたように表情を変え、そして渋い顔で、おう、と頷いた。
……要は、相手の出方が分からない状況、かつ相手も動きにくいとはいえこちらにアドバンテージがあるわけでもない状況下、相手の陣地に踏み入るべきか否か、という話なのだ。
「安全を期すなら、ここで1日偵察してからの方がいいと思うが」
「しかし、宵闇に紛れた方が人間の町に入りやすいかもしれません。こちらが見えないということは、相手も見えないということ。なら、ラギトさんには悪いですが、夜目の利く私が居る分、この時刻の突入の方がよろしいのではないでしょうか」
ルカとミラリアの話も聞いて、ギルヴァスは頷く。
「あづさ。君はどう思う」
そこでようやく、あづさに話が回ってきた。……そこであづさは、言う。
「あなた達は野営。私とミラリアが突入よ」
「……そ、それは」
「あら、不安?」
ギルヴァスが言葉を失う間にも、あづさはにっこりと微笑んで続ける。
「夜目が効くミラリアなら、一緒に居て心強いわ。ちょっと行ってくる分には人間である私と、一番人間に紛れやすそうなミラリア、っていうのがいいんじゃないかしら。ミラリアなら、あなたみたいに体が大きいわけでもないから悪目立ちしないでしょうし」
ギルヴァスはそう言われて、自分の体を見下ろす。
……確かに、大きい。ギルヴァス程の体躯のものが人間には居ない、とは思わないが、珍しいことは間違いないだろう。
「あづさー!俺だって居るんだぞ!?俺もつれてけ!」
「あなたは騒がしいから却下」
「なんでだよォ!俺は!騒がしく!ねえだろ!別に!」
「たった1つの台詞でここまで矛盾するってすごいわね」
あづさは苦笑しつつ、ミラリアを振り返る。
「……っていうことで、いいかしら」
「ええ。喜んで。女2人なら何かと人の目を欺けるでしょうし、名案だと思いますよ」
ミラリアがにっこりと微笑めば、あづさも微笑み返し……それを見ていたギルヴァスは、ため息を吐いた。
「1つ、覚えておいてくれ」
「何?」
ギルヴァスはずい、とあづさに近づいて、近い距離からあづさの顔を覗き込んだ。
「宵闇の中ならそれほどではないかもしれんが、君達の美しさも十分に目立つからな」
「あら。そんな風に褒められると照れちゃうわね」
あづさはにっこりと笑うと……ギルヴァスの服の襟のあたりを掴んで引き寄せ、頬に口づけた。ラガルの言っていた祝福、とやらの効果があることを期待しつつ。
「な」
「じゃあ、行ってくるわね。向こうで落ち着いたら連絡するわ。落ち合う場所はその時に指示するから」
「ま、待てあづさ」
さっさと町へ向かおうとするあづさの手首を捕まえて、ギルヴァスはしどろもどろに言葉を発する。
「今のは一体……まさか、ラガルの所で、その、何かあった、か……?」
問われたあづさはきょとんとしつつ、首を傾げて答える。
「祝福、っていうんでしょ?ラガルから聞いたわ」
「あいつ、余計なことを……」
ギルヴァスは天を仰ぐようにしてため息を吐くと、心配そうな顔をあづさに向けた。
「……誰彼構わずやるものじゃないぞ、これは」
「私が誰彼構ってないように見える?」
間髪入れぬあづさの反論にまた言葉を詰まらせつつ、ギルヴァスは……深々とまた、ため息を吐いた。
「これは、自分の魔力を分け与える行為だ」
「魔力を分け与える?」
「ああ、そうだ。要は、自分のその日の糧を他者に譲るようなもの、だろうか」
ギルヴァスは説明しつつ、困ったような顔をして時々ルカあたりに視線を寄越すが、ルカは意図してギルヴァスから視線を逸らしていたので助けは得られなかった。
「特に、君のように力の強い者が下手に祝福を施したら、下級の魔物などでは酔うことがある。酔うだけで済めばいいが、多くの魔力を得て変質することもあるからな」
「変質?それってどういうことかしら」
少々物騒な言葉を聞きつつ、あづさは恐る恐るギルヴァスに触れる。まさか、『変質』してしまっただろうか、などと思いつつ。
「……例えばだが、サラマンダー。火の四天王領で見たと思うが。あれは、元々は鎧など持っていなかった。だが、先代の火の四天王が丁度手柄を立てた火トカゲに祝福を授けたことで、あれは鎧を纏ったサラマンダーになった。要は……まあ、力の大きなものが小さなものに祝福を施すと、小さなものはその子孫に渡っても続く変化を遂げることがある、ということは覚えておいてくれ」
「ふーん。……要は強化、ってこと?」
「身も蓋もない言い方をすればそういうことになる」
「じゃあヘルルートにキスしたら、とんでもない生物になったりするのかしら」
それなら地の四天王領に帰り次第、全部の魔物にキスして回るけど、などとあづさが思っていると……ギルヴァスは深々とため息を吐きつつ、気まずげに言った。
「それから……さっきの火の先代四天王の話のような余程特殊な事情がある時か、余程親密な間柄でもなければやらんぞ、これは」
「あ、そうなの。まあでも今回は両方該当してるからいいわね」
だがあづさは至極あっけらかんとしてそれを聞き流す。
「もう少し慎重になってくれ。魔力は君の一部。血のようなものだ。それを分け与える、ということだぞ?やりすぎれば君の体調を崩すことになる。魔力を失いすぎれば死ぬかもしれない。気軽にやるようなものじゃない」
ギルヴァスとしてはそんなあづさを看過することはできないが……だが、あづさはにっこりと笑って言う。
「じゃあ、ちょっとあなたにやるくらいは問題ないってことじゃない」
そしてあづさの言葉に、黙らざるを得なかった。
「けど、そうね。ラガル相手にやるにはちょっと嫌だわ。うん、教えてくれてありがと」
「待て、ラガルに祝福を求められたのか!?」
「そうね。じゃ、行きましょ、ミラリア」
「ええ、あづさ様。何かあっても護衛はお任せくださいね」
「あら、あなたなら護衛が必要な状況になる前に切り抜けられそうだけど」
「勿論、そのつもりです。ご期待ください」
「頼もしいわ!よろしくね」
ギルヴァスが呼び止めようにも、陽は益々傾いてきて、そしてあづさとミラリアは斜光に追い立てられるように町へ向かって歩き出してしまった。
……2人を見送って、ギルヴァスはまた、深々とため息を吐く。
「……心配だ」
「そー思うならテメエがあづさに祝福の1つでも授けとけばよかったンじゃねえの?」
「それはできない」
「ンじゃあ俺がやるから明日以降任せとけよ!」
「それは許さん」
「何だよ!めんどくせえ!めんどくせえよ!もっとカンタンに考えようぜ!地のものは頭硬すぎンだよ!あづさはやっぱり風のもの向きだ!」
ラギト相手では駄目だ、と判断したギルヴァスはルカの方を向く。
「……ルカ。どう思う」
「心配だ。ミラリアはあれで悪乗りする性質だ」
「ああ、うん、そっちもか……」
「じゃあ次からは俺がついてってやるからよォ、元気出せよなあ」
「いや、お前が居たらそれはそれでまた心配なんだ……」
「なんでだよ!納得いかねェーッ!」
残された男3人はそれぞれにぶつぶつ言いつつ、自分達の野営のための準備を始めるのだった。
一方、あづさとミラリアは2人で連れ立って、それなりに楽しく雑談などしつつ歩き続け……町に到着した。
少々の緊張はあったものの、緊張を表に出せば怪しまれる。あづさもミラリアも変わらず楽しく話しながら、町の門をくぐる。
「おい、そこのお嬢さん達」
だが、そこで衛兵らしいものに声を掛けられて2人は足を止めることになる。内心ではぎくりとし、緊張が増していくものの、あづさもミラリアもそれを表には出さず、あくまでも声をかけてきた衛兵を不思議そうに見返すだけにする。
「こんな遅くにどうしたんだい?2人だけか?」
「ええ。2人だけですが」
あづさが何か言おうとする前に、ミラリアが前に出てそう答える。
「そうかあ。隣町じゃ夜盗も出てるって噂だ。魔物の居ない世の中になったとはいえ、悪さをする奴が居なくなったわけじゃないんだからな。お嬢さん達もあまり不用心なことはするなよ」
どうやら、2人の正体を怪しんで声をかけてきたわけではないらしい。あづさもミラリアもほっとする。
「はい。ご忠告どうもありがとうございます」
ミラリアが柔らかく微笑むと、その美貌に衛兵は見惚れた。人間に化けていようともローレライ。人間を誘惑するのはその声だけではない。容貌もまた、人間を惑わせ意のままに操る道具の1つなのである。
「ところでお聞きしたいのですが、この辺りに安全な宿はありますか?」
「宿?宿なら、大通りの店がいい。ここをまっすぐ進んで右手だ。パン屋の隣の。そこなら女2人で泊っていてもそう問題は無いさ。もしそこが満室でも、東の方の宿はやめておけよ。あそこはあまり治安が良くない。お嬢さん達、悪いことは言わないから、町の東の方には行くんじゃないぞ」
「ありがとうございます。ご忠告の通りに致しますわ」
衛兵達が半ばぼんやりしながらミラリアに見惚れる中、ミラリアはあづさを伴って教わった道を真っ直ぐ行き……怪しまれることもなく、すんなりと人間の町へ入り込むことに成功したのだった。
「……流石ね、ミラリア」
「恐れ入ります」
大通りを歩きながら、あづさはにっこりと笑ってミラリアを見つめる。美貌のローレライは口も頭も回る。人に怪しまれないという点では、これ以上ない人材である。
あづさに微笑み返しつつ、ミラリアは指を1本、唇の前に立てた。
「ところで、少しばかり、ごっこ遊びをしませんか?」
「遊び?」
声を潜めてあづさが問い返すと、ミラリアは笑みを深めつつ、言う。
「何か、名前を付けましょう。誰が聞いているかも分かりませんから」
ミラリアの言葉を聞いて、あづさはその意図を察する。
「成程ね。分かったわ。じゃあ私のことは『レイス』って呼んで頂戴」
「レイス、ですね。分かりました。では私のことはマリーと」
ミラリアとあづさは笑いあう。これから人間の国に居る間、2人はレイスでありマリーである。偽名を使う程度のことで防げるトラブルはそう多くはないかもしれないが、それでもやらないよりはずっといいだろう。
「ところで、何故その名前を?」
「好きな物語の主人公の女の子の名前よ」
「あら。私もです。奇遇ですね」
あづさとミラリアは互いにくすくすと笑う。どうやら2人とも、自分の偽名は自分が知る物語からとっていたらしい。
「どんな物語なのか、気になりますね」
「教えてあげるわ。私も気になるから、帰ったら『マリー』の本、読ませてね。マリー『お姉様』」
そしてあづさがそう言うと、ミラリアはきょとんとし……それから、ころころと玉を転がすように笑った。
「ふふ、分かりました。ではそういうことで。行きましょう、レイス」
「はーい、お姉様!」
そうして姉妹という設定になった2人は、大通りの宿へと臆することなく仲良く入っていくのだった。




