101話
友達の名前だという割には、あづさの反応がおかしい。ギルヴァスは訝しみつつあづさの次の言葉を黙って待つ。
「よくある名前なの。だから、同一人物だとは限らないけれど」
あづさは少しずつ落ち着きを取り戻しているようだった。何度か呼吸を意識して繰り返して、それからようやく、あづさは話す。
「私が知ってる『真弓』は、異世界で勇者やってたなんて、言わなかったわね。だから私、『勇者』について、何も答えられないわ」
努めてそうしているように、あづさは冷静にそう言った。
「それにそもそも、あなた達の知る勇者と私が知ってる真弓が同じ人物だとは限らないわ。『マユミ』ってだけなら、いくらでもある名前だもの。だから、あんまりあてにならないわね」
苦笑も付け加えられれば、もうそこに何か口を挟む余地はない。あづさは『勇者』のことを聞いたことが無い。そして、そもそも『マユミ』があづさの知る『真弓』だったかも不確かだ。それだけ分かれば、諦めるには十分である。
「いや、しかし、俺は確かに、『勇者』に関わりのある異世界人を召喚する儀式を行って……!」
ラガルが立ち上がり……しかし、冷静なあづさを見て、我に返ったかのように立ち尽くす。
「……いや、すまない。そもそも、人間の寿命は100年もないくらいなのだったか。ならば、100年前の勇者が、お前の友人だとは、確かに言えない」
「そうね。あの子、私と同い年だったわ。まあ、この世界と私達の世界とで時間の流れが違うくらいはありそうだし、そこは何とも言えないけど」
あづさの返答を聞いて、ラガルは少々躊躇いながら、あづさに問う。
「……お前の知る『真弓』とやらは、どのような娘だった」
問われたあづさは、きょとん、とした。だが少々考えて、にっこりと笑う。
「馬鹿で要領悪くてすぐ貧乏くじ引いてて……誰より優しくてあったかくて、陽だまりみたいな。世界一最高な女の子」
それを聞いて、ラガルは……ほう、と小さくため息を吐いた。
「そうか。俺の知る『マユミ』も、確かに、そういう娘だった。到底、『勇者』だなどとは思えぬような、どこにでもいるような、平凡な、それでいて稀有な……そんな娘だったのだ」
「そう、ね。うん。私も、『真弓』が勇者だったなんて言われても、ピンとこないわ。だからこそ、あなたの言う人物像には合致するし……うーん、もしかして本当にあの子、この世界に来て勇者やってたのかしら?」
あづさは半ば冗談めいてそう言って、くすり、と笑う。
……『真弓』が本当にこの世界に来ていた、とは、思い難い。時間の流れの都合もある上、あづさは真弓から異世界の話など聞いたこともなかった。
だが。
もし、彼女がこの世界に来ていたら……ここに居た痕跡の1つくらいは、残っているだろうか。
ひとまず、あづさと『マユミ』についての話はそこで打ち止め、となった。あづさが何も知らない以上、これ以上探っても仕方がない。
だが代わりに、オデッティアは異世界人を召喚する魔法自体に興味を示したらしい。
「あづさよ。1つ聞くが……お前自身に、この世界に召喚される意思はあったのか?」
「どうかしら。少なくとも、記憶にある限りでは、無いわね」
あづさは苦笑してオデッティアにそう答える。
「ふむ。失われた12時間分の記憶、か。……そこに何か、ある気もするのだがな。どちらにせよ、『マユミ』のことを聞くよりは、その12時間分の記憶を取り戻す手段を講じた方が手掛かりにはなりそうに思うが」
「つまり、勇者が消えた理由は『異世界人だから』ということか?」
「かもしれん。……妾も詳しくは知らんが、異世界人を召喚するという魔法自体に、何らかの謎があるように思えてならんのだ」
オデッティアはそう言うと優雅に椅子の上で脚を組み替え、茶のカップを傾ける。
「……まあ、詮の無い話よ。何にせよ、これで『勇者の裏に居た人間側の黒幕』について辿る道は行き止まったのだからな」
そう言って、オデッティアはカップを置いた。
……少なくともここから先、あづさから得られる情報があるとすれば、それは『異世界人がこの世界にやってくる仕組み』に関するものであって、『勇者マユミ』に関するものではない。
そこから何か探れるものがあったとしても、遠回りになることは間違いないだろう。
「さて。ここから先、どうするか、ということだが……」
手掛かりは消えた。あづさが情報を持っていない以上、これ以上探っても何も出てこない。
また、ここから人間側の思惑を探るのは難しいだろう。一団はそう考え、唸る。
「妾は文献を探してみようかの」
すると真っ先に、オデッティアがそう言った。
「ああは言ったが、異世界人を召喚する魔法自体に何か仕掛けがあるやもしれん。興が乗った。そちらを調べてみることにしよう」
「しかしそれでは黒幕の情報は手に入らんぞ」
ラガルが反論しかけると、オデッティアはそれを一睨みして鼻で笑う。
「忘れたか。『マユミ』を召喚したのは人間の国ぞ?……次に人間が再び何かをしてくる気なら、次も間違いなく、『勇者』を召喚するはずよな?」
「成程。先に敵の手の内を知っておこう、ということか」
「そういうことだ」
オデッティアはそう言うと、ラガルの方を見てにやりと笑った。
「ということで、ラガル。貴様の調べた儀式に関する情報、全て明かしてもらおう」
「それなら構わん。好きに持っていけ」
するとラガルはあっさりとそう言ったので、オデッティアは却って面食らう。
「水の四天王団で魔法を開発する部隊は、大層優秀だと聞く。俺達では分からなかったことも、そちらでなら分かるかもしれん」
「……ほう。よい心がけよ」
ラガルの返事を聞いたオデッティアは皮肉の抜けた笑みを浮かべると、それから一呼吸置いて言う。
「我が団には、100年前、『勇者』とまみえたものの生き残ったという魔物が居る。奴らからも情報を得られぬか、やってみよう」
「ああ、そういうことなら地の四天王団にもそういう奴らは多い。俺も聞いてみることはできるだろうな」
「貴様の団は弱小種族ばかり集まるからな……勇者に出会っても逃げ出すものも多かったということか」
「……まあ、魔力をあまり持たない方が、結界に引っかかりにくいからな。その分彼らの方が人間の国に近づきやすかったんだ」
ギルヴァスからも申し出があると、ラガルは深く考え込み……そして、言った。
「俺は文献を探してみよう。魔王城の図書館や資料室になら、何か残っているかもしれん。……オデッティアならともかく、ギルヴァスは入れんだろう?」
「入れんだろうなあ……」
ギルヴァスは遠い目をする。ギルヴァスは今代魔王からの覚えが悪い。そしてまた、魔王直属軍の魔物達からも覚えが悪いので、魔王直属領にはあまり行きたくない、というのが本音である。
「待て、ラガルよ。魔王様には今回のこと、話すつもりはない、ということか?」
そこへ口をはさんだのはオデッティアだった。
「……黒幕の正体が掴め次第、ご報告するつもりだった。それまでは却って、魔王様のお手を煩わせるだけになる。それに、俺が考える程度のこと、魔王様がすでにお気づきだろう」
「それに、今回の件を伝えようとするとどうしても100年前の俺と先代様と勇者との話にもなるしなあ……誤解を解こうとしたら反発する種族も出てくるだろうし、やはり魔王様のご負担になるか」
「成程な。分かった。魔王様には内密に、ということか」
オデッティアは深々とため息を吐いてそう言った。
……自らが仕える魔王に対して隠し事など、すべきではないと分かっている。
だが、今回の件に関しては……オデッティアの勘が、『魔王には伝えない方がいい』と告げていた。
「では、魔王様のお手を煩わせることの無いよう、各自動こうではないか」
オデッティアがそう締めくくり、会議が正に終わろうとした、その時。
「ちょ、ちょっと待て!風の四天王団がどう動くかお前ら聞いてねェだろ!」
ラギトが声を上げた。
「……なんだ。申してみよ、鳥」
「俺は鳥じゃねえ!ハーピィだ!さっきから何なんだよ!俺は鳥じゃねえし四天王代理なんだぞ!」
「ラギト。ほら、落ち着きなさい。お菓子あげるから」
うんざりした顔のオデッティアと、怒って翼をバタバタさせるラギトとの間にあづさが割って入る。ラギトの口の中に茶菓子を1つ放り込んでやると、ラギトは「うめえ!」と言って機嫌を直した。
「で、俺、思ったンだけどよォー……」
そして機嫌が直ってすぐ話し始めたラギトは、皆の顔を臆面もなく見回して、首を傾げた。
「俺達が人間の国に行っちゃダメなのか?」
「……は?」
「こっちであーだこーだするより、向こう一発偵察してくりゃァいいじゃねーか。な?耳が百ある魔物より目が1個ある魔物の方が強いんだろ?」
「まさかあなた、百聞は一見に如かず、のこと言ってる?」
「おー、それそれ!」
ラギトは嬉しそうに声を上げつつ、周囲を驚かせていた。
「……ラギト。その、人間の国との境目には、先代の魔王様が張った強力な結界があるんだが」
「ん?なら俺達で破ればいいんじゃねえの?ちょっと穴開けるくらいだいじょぶだろ?」
あっけらかんと言うラギトは、事の重大さをよく分かっていない様子であった。
だが、先代魔王が張った結界とは、100年近く人間の侵入を防ぎ、魔物の国を守っている代物である。不用意に穴を開ければどうなるか分からない上……そもそも、穴を開けることができるのか、という疑問も残る。
「まーそれも一聞は百見に如かずって奴でよォ、案外、結界は人間には効くけど魔物には効かねェとか、なんかそういうのあるかもしれないだろうが!」
「ラギト。あんたまさか、さっき覚えた言葉もう忘れたの?」
「ん?忘れてねえよ!鳥じゃねえもん!」
じゃあなんで聞くのと見るのと数字がひっくり返ってるのよ、と思ったあづさだったが、最早そこに注意する気力もない。
「それによォ、俺達の中にだって化けられる奴居るし、そもそもあづさは異世界人だけど人間だろ?行ってもバレねェんじゃあねえの?な?名案だろ!」
……そうしてラギトがそう胸を張ってしまえば……四天王3人は、顔を見合わせて言葉を囁き合うことになる。
「ギルヴァスよ。あの鳥は何なのだ?うつけのふりをした切れ者、というようにも見えんが……」
「ああ、ラギトはこう……紙一重なんだ。色々と。だが悪い奴じゃない」
「であろうな。悪事を企む能があるように思えん。だが単なる馬鹿とも言い難い。扱いに困る」
「うん、そうだなあ……俺もお前とラギトは相性が悪いんじゃないかとは思っていた」
オデッティアが表情を引き攣らせるのに苦笑しつつギルヴァスはそう言うと、ラガルの方へ向き直った。
「ラガル。一応確認だが、今代魔王様が魔王としての全権を得るのは、襲名100年が経ってからだな?」
「ああ。そして魔王としての全権を得た時真っ先にお前を処刑されるおつもりであろうと思うが」
「……今はそれは置いておこう」
ギルヴァスは苦笑しつつ現実逃避めいて次の話題を出す。
「とにかく、今代魔王様は、先代様が張った結界をどうこうする権利を持たない、というわけだな?何なら、何かあっても感知できないかもしれない。……何体か人間の国に行く奴が居ても、お気づきにならないだろうな」
「ってことで!俺達風の四天王団は人間の国の偵察に行ってくるぜ!」
ラギトが元気にそう宣言すると、四天王達も次々に手を挙げた。
「ラギトだけだとものすごく不安だから私も行くわ」
「なら俺も行こう」
「俺は魔王城に滞在して資料を探しながら、魔王様の様子にも気を配っておく。うまくやれ」
「妾もあづさに付いていきたいのはやまやまだが、鳥と同行は御免被るのでな、そちらは任せよう」
……かくして。
あづさ達は、人間の国へ偵察に行くことが決定した。
不安は多く残るが……大丈夫だろう、とも、あづさには思える。
何せ、四天王が全員、味方に付いているのだ。何かあっても、きっと大丈夫だ。
そして。
「……色々、分かるといいわね」
もし、『真弓』がこの世界に居たなら。
その痕跡を、探したかった。




