有名人
翌日。
つまり、月曜日。誰しもが憂鬱に感じるであろう週初め。
いつも通りに目覚ましが鳴り響く。嫌がる体を起こしてカーテンを開けると明るい光が優しく差し込む。
パンをトースターにセットしてオムレツとウインナーを焼く。うちはコーヒー、じゃなくて紅茶。ティーパック二つをポットにいれて濃いめに淹れる。
ご飯の準備ができた頃、無防備な表情で目をこすりながらリビングにでてくる莉奈。
「おはよー莉奈」
「おはよう」
そのままふらふらっと腰掛けてテレビをつけると、ちょうど昨日のsc東京、東翔也のインタビューが放送されている。短髪をワックスで持ち上げていて、いかにもサッカー選手、というような髪型に甘いマスクが映える。
「あのアシストのシーンですがどういう心境でしたか?」
「急に閃きましたね、昔のチームメイトであのプレーが得意な選手がいて。あのタイミングなら間違いないな思いました」
テレビの中の翔也は冷静に答える。
「へぇー、カウンターでアーリークロスを使うチームメイトかぁ」
紅茶にミルクを入れながら莉奈が呟く。
なぜかどきっとした。
いや、なぜか、ではない。
相変わらず眠そうでその発言の真意はわからない。
ふと、胸ぐらいまで長さのある染めてなくて艶やかな黒髪が目に入る。
「莉奈、寝癖直そうか?」
「は、寝癖なんてついてないでしょ」
急に目が覚めたのかきりっと冷たく突っぱねられる。
なんだか落ち着かなくて意味もなく絡んでみたけど案の定な返事だった。
いつも通りに家を出て学校に向かう。学校に着いて教室に向かうまではいつも通りだった。
教室の前には人だかりができている。しかもほとんどは女子。なにがあるんだと思いながらその中心に目をやるとそこには翔也がいた。
この瞬間、全てを理解した。
昨日のリーグ戦に出場、決勝点のアシスト。
翔也の価値をこの人だかりの皆が理解しているとは思わないが、すごいサッカー選手ぐらいの認識はされてるだろう。
しかも高身長でイケメンとまできた。人気が出ないわけがない。
思い返すと中学の時も翔也は女子から大人気だった。
「翔也くーん、サインしてー」
「ライン教えてよー」
黄色い声援が鳴りやまない。雰囲気で一年生だけではなく、先輩たちも混ざっていることがわかる。
「ええよー、どうぞどうぞ」
翔也は気前よくサインをしてるみたい。それどころか手際よくラインも交換してるみたいだった。
サービスよく対応してどんな人でも分け隔てなく明るく接するって凄いよな。本当にモテるべき人材だよ。
「おっ、洸ちゃんやん、おはようさん」
「ああ、おはよう。大変そうだな」
翔也がサインを書く手を止めたせいかむっとした目線を集団から向けられる。怖い。
「そんなことはないわ、うれしいことや」
爽やかな笑顔。きらっと白い歯が見える。
「相変わらずだな、それにしてもすげえプレーぶりだったじゃん」
「おお、ありがとな。こっから毎回試合でれるようにがんばるわ」
「次のゲームも楽しみだよ」
「俺もやわ、まあ後でゆっくり話そうや」
また教室がなにかざわつく。どうやら真瑚が来たみたいだ。
「おはよう、洸くん、東くん」
「おはよう真瑚」
「おはようさん、昨日の試合見に来てくれたんやて?」
「あら、知ってたんだ。東くんってサッカー上手いのね」
「あったりまえだよ、どうだ、惚れたか?」
にやっとした翔也はそう投げかける。人だかりからは悲鳴みたいな歓声が漏れる。
一拍置いてから真瑚は口を開く。
「んー、全然。私はストライカーの方が好きだしなんなら洸くんの方がタイプだから」
「え」
教室の時間が止まり、この空間に排気ガスが噴射されたかのように急激に空気が悪くなる。
たくさんの想いを受ける翔也を悪し様に扱い、まさかの俺へ好意があるかのような発言。
「おいおい、やめてくれよ……」
翔也ファンの人だかりからは翔也くんを馬鹿にするなと言わんばかりの怒号とそれなら私がという喜びの声が入り混じる。
「昨日だって一緒に東くんの出た試合見に行ったんだから、ね?」
テレビ用のきれいな笑顔でこっちに目線を向ける真瑚。
「まじかよ大倉……」
「ころすころすころす」
そしてこれを聞きつけた小林真瑚、もとい大隣さくらのファンは俺への敵意、いや、殺意をあらわにする。
場の収拾はつきそうになく、負の感情が蔓延して息苦しいような気がする。
一瞬で教室に地獄を作り上げた張本人は涼しい顔をして、一限ってなんだっけーなんてほざいてやがる。
やっぱり大物だよなあ。いろんな意味で。
いつもの倍ぐらいの疲労を感じながら素早く帰宅。疲れの理由は……間違いなく朝のあれだろう。ソファでだらっと寝転がりながらスマホをいじる。至福の時間だが、晩御飯のために買い物に行かないと。
『うー!にゃー!うー!にゃー!うー!にゃー!てってってれれー』
びっくりしたが、これは家の電話の着信音。なんだか楽しそうな女の子の歌声だがすごく久しぶりに聞いた。いったい誰がうちに電話なんか、とりあえず子機を取る。
「はい、大倉です……本当ですか? わかりました、伝えておきます」
予想外の連絡にびっくりしたが同時にうれしかった。今日は赤飯炊かなきゃな。いつの間にか疲れも吹き飛んで足取り軽くスーパーへ繰り出した。
「どうしたの、こんなに気合い入れてごはん作って」
怪訝そうにしながらもリスみたいに赤飯をほうばる莉奈。これから知らされる衝撃的な事実を知る由もない。
「実は莉奈に大事なお知らせがあるんだ」
「なによ、翔也さんが学校で囲まれてたとか?」
「そんなしょうもないことじゃないんだよ」
確かにそれはそうだったけど。相変わらず鋭い。
「それならもったいぶらずに言ってよ」
怪訝そうな表情は変わらない。そろそろ言うか。莉奈の喜ぶ姿を想像するだけで俺も幸せを感じる。
「莉奈、U16の日本代表の強化合宿に選ばれたって電話がきたんだよ」
「えっ、本当なの?」
はっとしたのか瞳がが大きく開く。喜び、というよりは驚きのほうが大きいだろうか。
「こんなことで嘘はつかないって、ほんとによかったな」
信じられないといった様子だったが、しばらくして、
「うん! ほんとにほんとにに嬉しい。ありがとう、お兄ちゃん」
唐突に満面の笑みを浮かべる妹。
控めに言っても可愛い。兄妹だからこそ感じるものかもしれないが、こんなにかわいくていつもは冷たいけどたまに愛らしいしぐさを見せてサッカーが上手い妹が好きじゃないわけがない。
「日本代表、ほんとに好きだもんな」
「当り前よ、国を背負ってやるサッカーって絶対すごい舞台だろうし」
目を輝かせて、その様子からは代表でのサッカーへの強い憧れとこだわりを感じさせる。
「ああ、だから赤飯なんだね」
「そうだけど、今更かよ」
「うるさいばか」
今日の罵倒はなんだか柔らかくて攻撃的なものじゃなかった。
「ねえ、今からボール蹴ろうよ」
「だから家サッカーはだめだってあれだけ……」
「違うよ、外に蹴りにいこうよ、ちょっとだけでいいから」
言い終わるまでに被せてきた言葉は意外なものだった。
「そうだな、ちょっとだけな」
少し迷った。でも代表選出祝いだ、たまにはいいかな。
「やったあ、それじゃあ早く準備してね」
服を着替えるつもりなのか莉奈は部屋に戻ろうとする。
「おい、ごはん食べかけだろ、先に全部食べてからな」
「わかったよー」
ぷうとほっぺたを膨らませて不満げにしてみせたつもりかもしれないが、表情には喜びがはっきりとわかるぐらいに露見していてあざといながらも可愛かった。断らなくてよかった。