夏休み
僕が岩の上から滑り落ちる様子を見ていたヒロトは、
すかさず川へ飛び込んだ。
思いがけず川の流れが早く、僕達はそのまま流されて行った。
その時の事を僕は覚えていないのだけど……
川岸で見ていた2人が救助を呼んでくれたおかげで
僕達は助けられた。
変わらない日常が戻った。
「夏休みになったらさ、またあの川でみんなで釣りしようよ」
今度は僕がヒロトを誘った。
『えー お前、また川に落ちるもん!』
ヒロトがニヤニヤしながら言った。
「大丈夫だって!あの時は、ちょっと油断しただけだって」
僕は必死に自分を弁護した。
『夏休みか……』
遠い目をして、ヒロトがつぶやく様に言った。
僕はヒロトの顔を見ていたら、何だか急に不安になった。
「約束だからね!」
僕は念押しした。
***
長い雨の季節、梅雨がやって来た。
ヒロトは最近ボンヤリしている事が多くなった。
ヒロトに覇気がないと、僕にまで伝染する。
「早く梅雨が明けるといいね。そしたら また釣りに行けるもん」
『そうだな……でも雨もなかなかいいもんだね。紫陽花って
あんなにキレイだったっけ?』
「確かに。しみじみ見た事なかったかも。きれいだよね」
僕はそう言った。
ヒロトは、まるで雨に濡れたその姿を目に焼き付ける様に、
紫陽花に見入っていた。
初めて見るヒロトの表情……
どうして僕はこんなに不安なんだろう?
雨が上がれば、きっとヒロトは元気になる。
僕はそう信じた。
***
待ちに待った夏休み……
ヒロトの真っ赤なロードバイクは、日差しに反射してキラリと光る。
その少し後ろを、僕がヨタヨタ付いて行く。
いつもの堤防の上。
夏の濃い緑に、ヒロトの赤いロードバイクが良く映える。
後ろから見ていると、凄く絵になる。
時々後ろを振り返って、僕を気遣ってくれるヒロト……
いつも通りの優しくて、頼れるヒロトがそこに居た。
岩の上に座って、釣り糸を垂れる。
『絶対に落ちるなよ!』
ヒロトに言われ、少しムッとしながら、
「分かってるって……」と答えた。
日差しは強いけど、川の上を通る風はひんやりして気持ちがいい。
それでも汗が止まらない。
「暑いね……」
『うん』
「川、入っちゃおうか?」
『ダメ』
「何で?」
『お前、危なっかしいもん』
「足だけつけたいよ〜」
『しょうがないな……』
半笑いのヒロトと僕は、ズボンの裾を捲り上げ、
岸からすぐの浅い所へ足を浸した。
ビックリするくらい水が冷たくて、僕は身震いした。
『オシッコちびりそう……』
そう言ってヒロトが笑った。
「分かる!」僕も笑った。
すぐ近くの木陰からは、割れんばかりの蝉の合唱が聴こえる。
僕達と一緒に笑っているみたいだ。
僕は目を閉じて感じていた。
足元の水の冷たさ、太陽の暑さ、萌える緑の匂い、蝉の声……
『僕は……生きてる……』
不意に顔に水をかけられ、僕は心底びっくりした。
「何?」
ヒロトが大きな声で、お腹を抱えて笑っている。
「もう!浸ってたのに‼︎」
『はー?何に?』
笑いながらヒロトが言う。
「何か……地球に抱かれてる?みたいな?」
『ばーか!』
ヒロトはまた笑った。
僕はヒロトに水をかけてやった。
『あー……ごめん、ごめん。もう、着替えないから、
マジ、ごめんって……』
僕達はずぶ濡れで水遊びを楽しんだ。
梅雨の時に抱いた不安が嘘みたいに、毎日が輝いていた。
ジュンヤとリョウも時折交えて、僕達の夏休みは
瞬く間に過ぎて行った。
うるさいくらいだった蝉達は、1匹、また1匹と、
地面に仰向けになって白く変色し、かろうじて息をしている。
蝉達の短い夏も、終わりを告げようとしていた。
『秋の匂いがするな……』
ヒロトが川へ向かう堤防の上で、自転車を押しながら言った。
「うん。夏休み、終わっちゃうね……」
『楽しかった……』
「うん!こんな楽しい夏休み、初めてだよ!
今度は冬休みだね。釣りは無理だけど、何か計画立てなきゃ。
ヒロトといると楽しいよ!」
『オレだって。ずっとお前と友達だと思ってるよ。本当に楽しかった。
アキラ、ありがとうな……』
どうして過去形?
僕がそう思っていると、ヒロトは再び自転車を漕ぎ始めた。
グングン引き離され、あっと言う間に 深い緑の中へ消えて行った。
赤いロードバイクと共に……
「待って! ヒロト、待って‼︎」
僕は1人取り残されてしまった。