40話『ユーリ、酒と女と肉を味わう』 その1
「全く、遺憾極まりありませんわ。わたくしを卑猥なモノ扱いするなど」
赤いワンピース型の水着に着替え直したミスティラは、未だにぶつぶつと係員への文句を呟き続けていた。
「まあまあ、そんな怒んなよ」
「ジェリー、こっちの水着もかわいいとおもうな」
本人曰く「運営側と幾度も協議を重ねた」らしい新しい水着は、背中が大きく開いていたり、脚ぐりがかなり鋭角的だが、概ね良俗の範囲内に収まっていた。
……あと、やっぱデカいものはデカい。
「まあ、いつまでも遺恨を抱き続けるのは淑女の道に反しますわ。潔く忘れましょう」
とりあえず片方の爆弾を処理できたのは良かった。
「よっしゃ、んじゃ早いとこ温泉に入ってみようぜ」
「…………」
問題はこっちだ。
タルテの、俺に対する態度がとっても冷たいままだった。
どうしてこれからあったまろうって時に、こんな寒い思いをしなきゃならないんだ。
いつまで引きずってんだよ。ミスティラみたくさっぱり水に流せよ。
なんて言っても逆効果にしかならないだろうな。
「タルテ殿、参ろう」
「ええ」
とりあえずはアニンに任せとくか。
さて、まずはかけ湯を……
「ん?」
周りを見てみると、誰もかけ湯などはせず、当たり前のようにそのまま浴槽に入っていた。
いいのかよと言いたくなったが、これがテルプ式、いやこっちの世界の流儀なのかもしれない。
そういやファミレの公衆浴場でも、かけ湯の習慣はなかったっけ。
んじゃま、いっか。
郷に入っては郷に従えっていう言葉もあるしな。
衛生的にも多分大丈夫だろう。
なんせテルプの清らかな温泉なんだから。
「ねえねえ、ジェリー、さきに入っちゃうよ」
言うが早く、ジェリーが浴槽縁の段差に、細く小さな脚をとぷんと突っ込んだ。
「うわぁぁぁ……あったかいよぉ……」
目をぎゅっとつぶり、内股の体勢で全身を小刻みに震わせる姿は、見る人間によってはヤバいものと結び付けるんじゃないだろうか。
言っとくけど俺は違うからな。
「どれ」
続いてアニンが、タルテが入っていく。
「むぅぅ……これは、たまらぬな」
「やだ、アニンったら、おじさんっぽい」
なんて言いながらも、アニンと同様にタルテも顔をふやけるように弛緩させていた。
「ユーリ様、お手を」
「一人で入れんだろ」
って言ったにも関わらず、勝手に手を握られた。
しょうがねえ奴だな。
ゆっくり、浴槽の中へと足を踏み入れる。
「……んっ」
ミスティラが、艶っぽい吐息を漏らす。
気持ちは分からんでもない。
ちょっと(脚の)先っぽを入れただけだってのに、なんだこの気持ち良さは。
じんわりと温かいモノに飲み込まれたような感じだ。
その快感を感じたまま、一番深い所――と言ってもせいぜい膝下辺りまでだが、足を進めて、一気に腰を下ろす。
「あぁ~」
「んはぁっ……!」
いちいち生々しい声を出すなよ。
なんて、親父臭い声を出した俺が言っても説得力に欠けるか。
「何という快楽……! 肉を溶かす甘い痺れ、骨の髄を沸かす緩慢たる熱……待ち受けるのが堕落という地獄だったとしても、到底抗い切れるものではありませんわ」
「あったかくて気もちいいねー」
こうして肩まで浸かってみると、思っていたよりも熱くはない。
これなら結構長い時間入っていられそうだ。
じんわりと、少しずつ、熱が身体の芯まで沁みていく。
ちなみに、お湯に匂いはなかった。
「浸かっているだけで体の疲れが取れそうね。そういう効能でもあるのかしら」
「残念ながら、精力や傷の回復を促進する効能は認められておりませんわ。泉とはまた源を異にしているようですの」
温泉の気持ち良さですっかり毒気も抜けたのか、ミスティラは上機嫌な口ぶりで説明した。
「そうなの。それじゃあ、普通の温泉とあまり違いはないってことなのね」
タルテもまた同様だったみたいで、返事に棘はない。
傷は治らなくても、人間関係に好影響をもたらすという大きな効能があるから、大したもんじゃないか?
……でだ。
二人の仲がひとまずの修復を見たのはいいとして、お次はさっきからチクチクと、周囲から飛んでくる視線を何とかしたいんだよな。
他の利用客、特に男を中心に敵意を向けられている気がする。
具体的には「何なんだあいつは」といった具合だ。
いや、それだけなら無視できるんだけど、
「……一体誰なのかしら。あんなに女の子を侍らせて。しかもあんな小さな子まで」
あらぬ誤解を受けているのが引っかかる。
おい、聞こえてんだよ。
「くそっ、見せつけやがって。羨ましい……」
じゃあ代わってやろうか。
胃を痛める覚悟があるならな。
「羨望を浴びるのは色男の証拠。良かったではないか」
「別に良くねえだろ」
お前、気付いてたのかよ。
まあいいや。気にせず温泉の気持ち良さの方に心身を委ねよう。
無視無視。あーあったけえ。
温かさだけじゃなく、水音や湯煙でも楽しませてくれるってのは風情があっていい。
見上げると、柱に据え付けられた太陽石が、そしてずっと先には水の天蓋を隔てて、だいぶ暗くなった空が微かに揺らいでいる。
「……ふ」
「どうしたよ」
ミスティラが、まとめた髪の収まり所を手で気にしながら、微かな笑みを漏らし始める。
彼女の目は天ではなく、浴場に向いていた。
「この場にわたくしを超える肉感の持ち主無し。そう確信したのです」
「何かと思えばんなことかよ。いやー、どこに逸材が転がってるか分かんねえぜ?」
まあでも確かにそうそういるとは思えないけどさ、男の性か、つい目をあちこち向けて探してしまった。
すぐ近くにいるあの人は……ちょっとおばちゃんすぎんな。
じゃあ、あそこの子は……均整は取れてるけど、ビビっとくる一押しに欠ける。
洋の民の姉ちゃんは……んー、美人ではあるけど、胸が控え目かな?
「ちょっと、ジロジロ見るのやめなさいよ。いやらしいわね」
4人目に行こうとした所で、タルテに肩を叩かれてしまった。
「はあ? 全体的に眺めてただけだし」
「どうだか」
実際はごもっともすぎるくらい的を射たご指摘だったんだが、明らかに軽蔑じみた言い方をされたから、ついちょっとムカっと来ちまった。
「お前を納得させんのにずっと目つぶってろってか? めんどくせえな」
「そんなことは言ってないでしょ! わたしはただ……」
「ただ、何だよ」
タルテは答えなかった。
しばし目を泳がせたあと、やや上目遣いにキッと睨み付けられる。
察しなさいよ、とでも言いたいんだろう。
察してなんかやるもんか。
こっちもちょっと、もう引っ込みがつかない状態になっちまってる。
「……知らないっ!」
視線の交錯に耐えられなくなったか、タルテは露骨に顔を背けた。
勝った。別に嬉しかないけど。
「見苦しいですわね。釘付けになるよう仕向ける程度の度量も無いのですか?」
「わたし、そういうことはできないんですっ!」
「呆れを通り越して、笑いも湧き上がりませんわ。全く、とんだ……」
これまで温泉にご満悦だったミスティラが突如脇から参戦の構えを表明して、こりゃ流石にちょっとやべえかもと思いかけた時だった。
ざばん、とアニンが派手に飛沫を上げながら立ち上がって、
「御両人、仲睦まじいのも結構だが」
「よくねえよ!」
「よくない!」
「仮にもここは公共の場。程々にしておくがいい」
反論なんざ聞こえないとばかりに、褐色の逞しい両腕を俺とタルテの肩に回してきた。