39話『ユーリ、温泉にて蒸し返される』 その2
「おっと、胸は凝視しないで頂きたい。ミスティラ殿には勝てぬからな」
さっと、普段の豪放さからは想像もつかない乙女な仕草で、胸元を隠される。
「似合わねえ動きだなぁ……ん?」
その際、ふと、ある一点が目につく。
アニンの左手の人差し指の先に、新しい切り傷がついていた。
「おい、どうしたんだそれ」
「む、これか? 剣の手入れをしていた際、少し切ってしまってな」
手をひらひらとさせて笑うアニン。
珍しいな。
こいつ、こう見えて手先は器用だし、物の扱いは丁寧だってのに。
「しょうがねえな。ほら、治してやっから見せてみろよ」
「気にすることはないぞ。剣士にとって傷など日常茶飯事なのだからな」
「いいから」
手を掴み、グリーンライトを使う。
今の腹具合ではごく弱い力しか出せないが、これくらいの傷なら問題ない。
「かたじけない。やはりユーリ殿は男らしい優しさの持ち主だな、惚れ直したぞ」
「褒めても何も出ねえぞ」
「では礼に、好きな所を触ってもいいぞ。いや、逆に私が好きな所を触るというのもいいな」
「なるほど、そりゃいいや。何か出ちまいそうだ」
ひとしきり笑い合う。
「ねえねえおにいちゃん、ジェリーのはどう? にあってるかな?」
結んだ薄紫の髪をふわふわ揺らしながら、その場でくるくると回るジェリー。
幸い、何で俺達が笑ったのかは分かってないみたいだ。それでいい。
さて、この子が来ているのは、赤に青に桃にと、明るい色を散りばめた花柄のワンピースだ。
うん、順当に可愛らしい。
誰かに受けようとか考えず、単純に自分の好きなもの、着たいものを選んだんだろうな。
だが、それがいい。
加えて、全身のあらゆる部位がちっちゃくて、つるつるで、一点の汚れもない。
「ああ、可愛すぎてもうメロメロだぜ」
「ほんと? やったぁ!」
本人は喜んでいたが、他二名の反応は芳しくなかった、というより明らかに眉をひそめていた。
「やだ、ちょっとあんた、そういう趣味があったの? ……変態ね」
「道理で私に些かの反応も示さなかった訳だ。悲しいというより、軽蔑してしまうな」
「ちょ、馬鹿やめろ、変な誤解すんな! 俺はただ純粋にだな」
「冗談だ、取り乱すな」
「慌てちゃって、おかしい」
「……いや、あんまり洒落になってねえって」
ったく、勘弁してくれよな。
「さあユーリ殿、そろそろ本命の御披露目と行こうか。タルテ殿、勇姿を見せつけてやるが良い」
「え、ちょっと、待って、まだ心の準備が」
「そんなものは見せながら整えれば良かろう」
アニンに腕を掴まれ、タルテが前へと引っ張り出される。
さっきの仕返しだ、こうなったら舐め回すようにとことん見てやるぞ。
……と思ったんだけど。
「お前、これまた随分地味なのを選んだよな」
「う、うるさいわね」
布面積が多くて紺色っておい、学校指定の水着かよと言いたくなる。
胸元に名前を書いた白い布を縫い付けてやりたくなっちまう。
「これでもタルテ殿は頑張ったのだぞ。最初はもっと控え目なものを選んでいたのだが、ミスティラ殿に挑発されて……」
「ちょっと、言わないでよ」
……ただ、だからダメって訳じゃない。
羞恥に身をよじらせる姿は、男としてゾクっと来るものがある。
「なあタルテ、ちょっと一回転してみてくんね?」
「なに言ってるのよ、バカ」
「いいからほれ、さっきのジェリーみたいに。頼むよ」
「……い、一回だけだからね。……はいっ」
重ねて頼むと、目を伏せ、頬をほのかに赤く染めたまま、ひどくぎこちない動きでゆっくりと体を回してくれた。
「おお、いいじゃん。それとまとめた髪って何か新鮮だよな」
「なによ、いつも見てるじゃないの」
そうなんだけどさ、場所が場所だからか、普段は下ろしている長い髪をまとめてるだけでも色気が漂ってくるから不思議だ。
「じゃあ次は、後ろ側を重点的に見さしてくれよ」
「ど、どうしてよ。一回だけって言ったでしょ」
おお、恥ずかしがっちゃって。いいザマだ。
「一回転じゃなくて半回転だから、一回の内には入りませーん」
「そんなの屁理屈じゃない」
「屁理屈も理屈でーす」
「愉しんでおるな、うむうむ」
ああ、楽しくてしょうがねえ。
「ジェリーもまたまわるー!」
「うむ、回るが良い」
「お前、こんな小さい子にも出来ることが出来ねえの?」
ちょっと煽ってやると、上目遣いで睨み付けてきた。
ふっ、分かりやすい奴だ。
「いやー、ジェリーは可愛いなー。どっかの恥ずかしがってるだけの人とは大違いだ」
「……わ、分かったわよ! ほら、これでいいんでしょ!」
半ば自棄を起こしたタルテが、今まで丸めていた背中をピンと伸ばし、背中を向ける。
が、瞬き三度もしない内に再び体が丸まっていく。
それがまた、色気を強調しているように思えた。
何でこんなにドキドキしてんだ俺は。
あまつさえ生唾なんて飲み込んでるんだ。
……ほっそりとしたうなじって、こんなに引き付けられるものだったか?
更に、背中から腰、そして尻にかけての曲線。
筆には描き起こせなさそうで、つい指を伸ばしてなぞりたくなるほど滑らかで、
『お、いいケツしてるね君ぃ!』
と褒めたくなる所だが、ちょっと前のラフィネでの出来事を忘れるほどニワトリじゃあない。
「うん、よ、良かったずぇ」
無難な言葉に留めておくことにする。
ちょっと噛んじまったのはそのまま華麗に流す。
「あ、ありがとう」
「はっはっはっ、舌が縺れるほどに見惚れるとはな」
「違えよ、口内炎を噛んじまっただけだ。ビタミンが足りてねえのかも……」
と、前触れなくどよめきが湧き起こった。
俺達が原因かと、周りの視線を確かめてみたが、こっちを見ている訳ではない。
皆一様に、脱衣場の方を見ていた。
「お待たせ致しました、愛しのユーリ様」
まさか、と思った瞬間、名前を呼ばれる。
無視するのは……もう不可能だな。
恐る恐る、声がした方を向く。
そこに立っていたのは、やはりというか、二つの意味で目を覆いたくなるような姿をしたミスティラだった。
「うわ、おま、何だよそれ……!」
「このような局面を想定して、最高級と言われるズシコ糸を用い、特別に仕立てさせた水着ですわ」
いや、重要な部分だけを辛うじて隠すように赤いリボンを巻き付けているそれを水着って言っていいのか。
ヤバすぎる。ぶっ飛んでいる。
「赤い色は、人の情欲を刺激すると言われておりますのよ。いかがです? 身体の芯が熱を帯びて昂ってきませんこと?」
んな訳ねえだろ、と即答できないのが辛い。
本能はとっても正直だった。
出る所は暴力的なほどに出っ張ってて、絞る所は計算高いくらい控え目。
本人の性格をそのまま体現したような体つきを、惜しげもなく晒されりゃ、そりゃ見ちまうだろ。
で、言う通り、色白の肌に深い赤色がよく映える。
出すとこ出しまくってんのに、最高級だという布が肝心な部分を意地悪く見せてくれない。
いや、頼めばミスティラは精々少し焦らしてくる程度で、すぐにでもずらしてくれるだろう。
というかちょっと強引になれば、抵抗せずに受け入れてしまうと思う。
頭の中に、野獣のように飛びかかってああだこうだやっちゃっているもう一つの世界線が確実に存在しているのがハッキリと認識できた。
……ってそうじゃねえだろ。
鎮まれ。暴れるなよ、俺の本能。
「いいのかよ。仮にも淑女が人前でそんな肌を見せて」
「絵画や彫像に同様の異議を申し立てて? 美しいものを惜しまずに見せ、ユーリ様や大衆の目を愉しませることの方が優先されるべき事項ですわ」
自分で美しいとか言っちゃうのかよ。