39話『ユーリ、温泉にて蒸し返される』 その1
エピアの檻から出た俺達は、そのまま直接温泉へ入りに行くことにした。
正直言うと、暗い穴の底を観光するよりもこっちの方が楽しみだ。
それに早い所、この居心地悪い洋の民の特区から離れたかった。
断っとくけど、温泉が楽しみっつっても別にやましいことはないからな。
単にお湯に浸かって気持ちよくなりたいだけだ。
温泉は東街区の南東部にある。
迷うこともなく、大きな通りを道に従ってまっすぐ歩いていくと、それらしき建物がすぐ見えてきた。
「はぇ~、でっけぇな」
あっちの世界にある建物で喩えると、球場や競技場ぐらいあるんじゃないだろうか。
簡単にはよじ登れなさそうな石の壁が高くそびえているが、建物に屋根はついていなかった。
だがそうなってるのは一番大きなやつだけで、くっつくように建っている複数の小さな建物には普通に屋根がある。
脱衣所や事務所とかがあの辺に入ってるんだろう。
エピアの檻の博物館とは大違いで、利用客がひっきりなしに出入りしていた。
驚きだったのは、割合自体は圧倒的に少数派ではあるものの、洋の民も普通にその中に混じってたことだ。
「あの……」
不穏な様子を見せていたのは、むしろ仲間の方だった。
「中って……その、だいじょうぶなのかしら」
タルテが、遠慮がちというか、少し恥ずかしそうな様子で尋ねてきた。
何が言いたいのか、すぐに分かった。
「心配しなくても、どうせ何かしら着なきゃ入れないはずだろ」
「えっ?」
「公序良俗の観点から考えてみろっての」
俺の実に的確な指摘を受けて、タルテは「あっ」という顔をして頬を赤らめる。
「しょうがねえな、そんなに男の裸を見たかったのかよ。このムッツリさんめ」
「そ……! そんなわけないでしょ!?」
ったく、真面目ちゃんの割にこういう所にはどうして気付かねえんだよ。
「やはりミスティラ殿は先に訪れた際、入湯されたのか」
「いいえ、残念ながら。是非とも入ってみたかったのですが、『みだりに肌を晒すものではない』と、お父様に禁じられてしまいましたの。ですが今は誰もわたくしを止める者はおりませんわ。存分に愉しみましょう、ユーリ様」
「入る前からのぼせんなよ。ま、お手柔らかにな」
入口で入湯料を支払い、建物の中に入った俺達は、一旦二手に分かれた。
温泉は一緒と言っても、当然着替える場所は男女別々だからだ。
ちなみに温泉の利用料は非常に安価だった。
高騰した泉の不満そらしという意味合いもあるのかもしれない。
同性がうじゃうじゃいる脱衣場にて、さっき売店で買った水着にささっと着替え、いよいよ浴場へと赴く。
つーかこっちの世界にも水着があるんだよな。
しかもわざわざ多彩な色や形のものが作られている。
ま、俺は別にこだわりも何もないから、寸法が合ってるのを適当に選んだだけだが。
辺りを窺ってみたが、タルテたちはまだ来てなかった。
予想通りなので、驚きも苛立ちもない。
こういうのは男より女の方が時間がかかるだろうからな。
到着するまで、温泉がどうなってるか、ちょっと観察してみるとしよう。
……別にいやらしい意味でじゃないぞ。
まず思い浮かんだ言葉は、デカい。
灰白色の大理石で作られた広大な空間の大半は浴槽になっているんだが、デカすぎてもはや巨大な池みたいだ。
縁のところは段になって腰かけられるようにもなっていて、中は透明なお湯で満たされている。
深さはさほどではないが、肩まで浸かる分には問題なさそうだ。
モヤモヤと立ち込める湯気から、そこそこの温度が保たれているだろうことが想像できる。
つーかちょっと暑い。こうして突っ立ってるだけでも体が温まってきそうだ。
温泉だけじゃなくて、上にあるアレのせいもあるな。
薄着でも寒さを感じないようにするのと、日の出てない時間帯でも利用できるようにするためだろう、あちこち設けられた高台には太陽石が置かれていて、夏のように浴場を照らしている。
視線を浴槽に戻す。
中央部には石が山のように高く積み上げられている。
隙間は漆喰か何かで埋めてあるようだ。
石山のてっぺんには大きな噴水が設置されていて、大量のお湯が絶え間なく噴き出されている。
よじ登ったら怒られるだろうか。
うん、怒られるだろうな。
だって、浴槽で泳いでる子どもすらいないんだから。
というか、こんな広い場所にいて、泳ぎたくならないんだろうか。
利用客はほとんどが静かに、和やかに過ごしていた。
のんびり浴槽に浸かっていたり、飲み物を口にしていたり、とりとめのない世間話をしていたり……
時々楽しそうにしている子どもなんかは見かけたりするものの、水着や肉体を誇示したがっている人間は特に見当たらない。
入る前に目にした通り、利用客の中には洋の民も少々混ざっていたが、別に他種族に対して嫌悪感を示すこともなく、普通に入浴していた。
中には普通に会話しているものもいる。
人間と同じで、洋の民にも色々いるってことだろう。
他種族に友好的な存在がいても不思議じゃない。
そういや、洋の民に限らず、基本的に亜人種ならば入湯に制限はかからないって出入口の看板に書かれてたっけ。
奥の方には幕が下りている場所が二つあるが、あれは洗い場だろうか。
ちゃんと男女別に分かれてるもんなんだな。
まあ、洗う場所によっては男女一緒だと色々不都合が発生するだろうからな。
「ユーリ殿」
一通り観察を終えて更にもう少し待っていると、後ろから名前を呼ばれた。
「おっ、来たか」
「待たせたな」
振り返ると、アニンとジェリー、それとタルテがそれぞれ違った水着姿で立っていた。
「あれ、ミスティラは?」
「準備があるゆえ、先に行ってユーリ殿と合流するよう言われたのだ」
「準備?」
嫌な、ああ正確には別に嫌ではないんだが、また良からぬことが起こりそうな予感がビンビンにするんだけど。
あ、そうだ。
「なあタルテ」
アニンの影に隠れるように立っているタルテへ一声かける。
「な、なに?」
「あらかじめ言っとくけど、人間には意図に反した本能的な反応っつーのが存在するんだからな。例えば見るつもりはなくてもつい無意識に目をやっちまったりとか、つい体の一部を動かしちまったりだとか。そりゃあもう生物として仕方のないことなんだ」
具体例を交えて事前に断ったってのに、タルテからの返事はなかった。
人前で肌を見せる恥ずかしさが言葉を奪ってる訳じゃなくて、あの眼差しから察するに、言い訳してると思われてるなきっと。
「ユーリ殿、言うことはないのか」
と、アニンが俺からタルテを遮るように、位置をずらしてきた。
別にタルテをかばうためではないのは俺でも気付ける。
「どれ」
こいつはまじまじ見ても気にしないから楽だ。
「いつも通りだな、うん」
こいつの場合、普段着が水着みたいなもんだからな。
特筆すべき所はないだろ。
「なんだなんだ、その腑抜けた答えは。私は悲しいぞ。折角女らしさを強調してみたというのに」
「そうかぁ?」
そりゃまあ、流石に全部が同じじゃあないけどさ。
いつもは赤いビキニアーマーだけど、今は黄色のビキニを着ている。
それと、当然ながら鎧部分もない。
……ただ、こうやって改めて見てみると、体つき自体はいいんだよな。
別に筋肉がついたり、あちこちに細かな傷痕が残ってるのが負の要素だとは思わねえし。
ビキニがよく似合ってると、掛け値なしに感じる。
褐色の肌も、凄く健康的というか、活力に溢れているようにしか見えないし。
おまけに脚も長いし、腰やケツは締まってるし、胸も結構……