38話『エピアの檻、大悪魔の沈む闇』 その3
発光に合わせてうっすらと輪郭が浮き上がるのを、目を凝らして観察してみる。
だいたいの姿は地上に展示されていた絵画で見ていたため、それを基に補完する形になる。
最初に絵で見た時に抱いた感想は、想像してたものとはちょっと違っていたってことだ。
悪魔らしく、もっと角とか羽とか生えてるかと思ったんだが、思ってたよりも人型に近いみたいなんだよな。
体に密着したような、やや曲線的な形状をした黒い甲冑を纏い、首巻や外套のように赤い炎を身に纏っていて。
……正直、少しカッコいいと思っちまったのは秘密だ。
あっちの世界でヒーロー物の登場人物として外見を流用したら、きっとそれなりに受けると思う。
おぼろげにとはいえ、こうやって直に見てみるに、絵画はかなり正確に描写してあったみたいだ。
今は炎を纏ってはいないが、それは考えるまでもなく当たり前だ。水の中なんだからな。
続いて体勢だが、どうやら全身を何かでグルグル巻きにされてるようで、捕縛された罪人のように、直立したまま身を竦ませている。
正面を向いているため、上からだとどんな顔をしているのかまでは見えない。
呼吸はどうなってんのかな。気泡は出てないみたいだけど。
不気味なくらい静かに、無機質に青い光の収縮を繰り返しているだけだった。
「強大な力を完全に封じるため、テルプの聖水の他にメンレーの紐、縛鎖の呪符、そして底に描いた魔力封じの魔法円を用いております」
「縛鎖の呪符って……」
「わたしがシィスさんからもらったのと同じものだわ」
「縛鎖の呪符は、合計3枚貼られています」
タルテが呪符を所持していることを別段驚きもせず、男は淡々と説明した。
にしても、随分ガチガチに封印してるんだな。よっぽど強い悪魔なのか?
「ねえ、おにいさん」
「何ですか」
ジェリーが、遠慮がちに質問する。
「ミーボルートって、ねむってるの? おきてるの?」
「推測になりますが、眠らずに覚醒を続けていると見ています。直接生態を調べられれば良いのですが、接近もままならない上、同種が存在しない全く未知の生物ゆえ、そうも行きません」
「興味深い着眼点ですわね。ジェリーちゃん、そのような疑問が浮かんだ理由をお話して下さらないかしら」
今度は既に一度ミーボルートを見ているミスティラが尋ねた。
「えっとね、ミーボルートの気もちがぜんぜんわからないの。こわいとか、つらいとか、かなしいとか、おこってるとか、なんにも伝わらないの」
「お嬢さん、あなたの他にも花精が訪れたことは過去幾度もありましたが、皆同じことを言っていましたよ」
「長きに渡る封印で、精神が破壊されたのではないか」
アニンの意見にも一理ある。
冷酷無比の悪魔と言えど、こんな一条の光も差さない真っ暗闇で身動き一つ取れず、意志を保ったまま何百年も沈められれば、精神に支障をきたしても不思議はない。
でも、俺は完全には納得できなかった。
どうしても引っかかることがあったからだ。
具体的には、呼吸と外見。
おかしいんだよなぁ。
「すんません、俺も質問いいすか。あの大悪魔って、水中でどうやって呼吸してるか、分かってるんですかね」
確かめずにはいられなくなったので、ダメ元でちょっと聞いてみることにした。
「つい先程も申し上げましたが、生態の分からぬ未知の生物ゆえ、調べようがないのです。原理は不明ですが、いくら水中にいても溺れることはない、とだけしかお答えできません」
「そうっすか。ところであれって本当に生物なんすか?」
「霊的なものが甲冑に宿っている訳ではないようです。かと言って、甲冑の下を見た者は誰もいませんが」
「……なるほど」
やっぱり予想通りの答えが返ってきて、俺の疑問が解消されることはなかった。
正直、あまり期待はしていなかったけど。
だって、もし俺の予想が正しかったとしたら、多分こっちの世界には存在しないものだろうから、正しい答えの戻ってきようがないはずだ。
案内人の男も、ジェリーたちも、全く疑ってないみたいだけど……
本当にあれって、"生物"なのか?
悪魔の特性と片付けてしまえばそれまでだ。
だが、心が感じられないのも、水中に浸かり続けてるにも関わらず溺れないのも、別の理由で説明できないこともない。
水に弱いはずという弱点は……何らかの手段、未知の方法で補ってるのかも知れないな。
「どうしたの? やけに真剣な顔で見てるけど」
「……いや、何でもねえ。俺の方がヒーローっぽくて、おまけにいい男だなって確認してただけだよ」
そう言ったら、タルテに鼻で笑われた。
「御安心下さいませユーリ様。貴方様の凛々しさは、歴史に名高い聖騎士ですら兜を脱いで跪きますわ」
「いや、ちょっとボケただけだから、マジに受け取らなくていいって」
この仮説を説明するのは骨が折れそうだから、あえて皆には省略させてもらった。
つーか別にあれの正体が何であっても、今の俺達には関係ないし。
自分だけに限定したとしても、別に馴染みがあった訳でもないから、懐かしさもない。
そもそもあれだけのものが、俺の生きていた間、あっちの世界にあっただろうか。
「そろそろ説明に入ってもよろしいでしょうか」
咳払いの後、男が少し苛立たしげに声を上げた。
「ああ、すんませんね。お願いします」
男はもう一度咳払いをし、また別の旋律を奏でながら静かに語り始めた。
「――ミーボルートは今を遡ること遥かに昔、幾世代も幾世代も昔、前触れなく天より降ってきたと言い伝えられております。
最初に降り立った地であるラフィネを邪悪なる炎で破壊した後、残る四大聖地も次々と蹂躙していきました。
アビシス、リレージュ、そして当時は湖の周りに存在していたテルプも例外ではありませんでした。
唯一、聖都エル・ロションだけは聖竜王・トスト様の御力により壊滅を免れましたが、被害は決して軽微とは言えなかったようです。
フラセースに対してここまで破壊と殺戮の限りを尽くした意図は全く分かっていません。
当時の人々の証言から推察するに、征服や支配という野心もなく、他種族への怒りや憎しみもなかったそうです。
また、眷属も同士もおらず、休息も食事も取らず、たった一体で焼却という名の破壊を行い続けたのです。
無論、我々洋の民やフラセースもただ手をこまねいていた訳ではありません。
未曽有の脅威を退けるべく、我々は種族の垣根を越えて一致団結し、立ち向かいました。
しかし、大悪魔の力はあまりにも強大だったのです。
洋の民の洗練された水魔法、地祖人の作りし武器、人と竜が連携しての攻撃をもってしても、討ち果たすこと叶わず……痛ましい犠牲は増えるばかり――」
低音を出せる限りまで鳴らしていた琴の音が、ここで一旦途切れる。
わずかな間を置いた後、次に奏でられた曲は、静かな旋律だった。
「――このままではフラセースのみならず隣国までも、いや世界が火の海に……
そんな絶望的な戦況を一変させた人物こそが、我ら全ての洋の民の誇りにして偉大なる母、清澄なる聖女、エピア様です。
エピア様はフラセースの遥か西の海にある、全ての洋の民の故郷・ミネラータにて、海に仕える巫女をしてなさっておいででした。
世界の海に遍く神の声を聞いて民に取り次ぎ、またある時は逆に民の声を神に届ける……これらを始めとした任を終生全うなさることが本来のお役目でしたが、此度の危難、最早現状の戦力では凌ぐ術無しと判断されたトスト様が、ミネラータに助力を要請したのです。
そう、エピア様は海巫女というだけではなく、大海の如く強大かつ莫大な魔力をその御身に秘められた、当代随一の魔法の使い手でもあったのです――」
爪弾かれる琴が、少しずつ高い音を鳴らし始める。