38話『エピアの檻、大悪魔の沈む闇』 その1
「やっぱさ、ここの水で流しそうめんしたら絶対感動するくらい美味くなるって」
「しつこいわね。ていうか、食べたばかりなのにまた食べ物の話?」
「美味いものは別腹なんだよ」
「なによ、それ」
実際、こうやって話をしていると、本当に腹が減ってくるから不思議だ。
今はもう料理店からは引き上げていて、大悪魔・ミーボルートが封印されているという場所"エピアの檻"へと向かっている。
ちなみにメシ代の支払いだが、
「皆様に薦めた責任がございます、この場はわたくしが」
とミスティラが言うので、面子を尊重して、彼女の私費からお願いすることにした。
今更だけど、競竜の時といい、こいつ随分金持ってんな。
目指すは街の西側。
中央を流れて東西を分断する水路を渡り、洋の民側の街区へと進入する。
街並み自体は東側の、人間たちの街区と変わらないが、雰囲気は大分違っていた。
原因はひとえに住人のせいだ。
「随分な歓迎ぶりだな」
アニンが周りを見て苦笑交じりに呟く。
ほんとにそうだ。
これまでかつて、見知らぬ街で嫌悪の眼差しを多方面から向けられたことがあっただろうか。
異物を拒みたくてしょうがないと言わんばかりに、洋の民たちが不快感を伴った視線でじろじろと見てくる。
美男美女ばかりだから尚更きつい。
……そういう性癖を持った奴にはご褒美に感じられるのかもしんねえけど。
「ここの人たち、ジェリーたちのこと、すきじゃないみたい……」
幼い花精であるジェリーも例外じゃなかった。
「この場所の不快さは変わりませんわね……水に浸かりすぎて、心を司る器官に毒素を放つカビが生えていらっしゃるのかしら。望まれるならば、わたくしが悪しき根を焼き払う炎となりますが」
「いいって。ほっとこうぜ」
好いてないとはいえ、随分と舌鋒が鋭いな。
まあ無理もないか。
住人以前に、街自体がピリピリキリキリとした、何というか神経質な空気で満ちている。
街を覆っている障壁にまで悪影響が及んで、そのうち割れちまうんじゃないだろうかってくらいに。
「しっかし、嫌ってるんだったら何で西側に住んでんだって話だよな。穴から離れて住みゃいいのに」
「洋の民は、"西"という方角を神聖なものと定めているって聞いたことがあるわ」
答えたのは、少し身を縮こまらせていたタルテだ。
「へえ」
「ここからずっと西に行った海の中に洋の民の故郷があって、そこに由来しているらしいわ」
「ミネラータのことですわね。故郷からして湿り気に満ちた場所だからこそ、あのような性情が育まれ……」
アニンが手で口を塞いだため、それ以上の暴言は規制された。
よくやったと褒めておこう。揉め事はごめんだからな。
余計な揉め事が起こる前にさっさと通り抜けるとしよう。
道端にあった案内看板に従って、ゴミ1つ落ちていない清潔すぎる道をまっすぐに歩いていくと、前方に背の高い木が横にずらっと並んでいるのが見えてきた。
公園か?
と思ったが、距離が縮まるにつれてそうじゃないと気付く。
木々の隙間から見えるのは芝生ではなく、柵と、何もない虚ろな空間だったからだ。
「あれ、ナモンの木だ」
ジェリーが指差して声を上げる。
ナモンの木ってのは、魔力を防ぐ力を持つ木だ。
並べて植樹すると相乗効果で効力が増すから、重要拠点の防衛なんかに使われることもある。
ちなみに俺の餓狼の力は防げないみたいだ。
ファミレとかにも植えられてて、そこでこっそり試したことがあるから間違いない。
そんな木が、あんな所へ大量に植樹されている理由は考えるまでもない。
「右に回り込みますと、博物館とエピアの檻へ降下する出入口がございますわ」
ミスティラの先導に従って迂回するとナモンの木の列が途切れ、代わりに小さく古めかしい建物が建っているのが見えてきた。
壁の代わりに石柱が等間隔に立てられて四方を囲い、正面出入口の短い階段の両脇にはそれぞれ剣と杖を掲げた洋の民の石像が立っている。
建物も石像も、造られてからかなりの時間が経っているのが読み取れたが、同時にこまめな清掃が行われているのも分かった。
だがそんな涙ぐましい心配りとは裏腹に人気はほとんどなく、この辺りはひっそりとしていた。
時々、何人かの洋の民が建物の中に出入りする程度で、俺達以外に他種族の姿はない。
洋の民以外が入ったら文句言われるんじゃないだろうかという思いが頭をよぎる。
「問題ありませんわ。参りましょう」
父親と一度来たことがあるという人間がそう言うんだから、まあ大丈夫だろう。
階段を登って中に入ってみる。
……で、一通り回ってみた感想。
出入口からでも室内を見渡せるくらいの狭い空間に展示物が詰め込まれていて、一見いかにも歩き辛そうだが、実際はそんなことはなかった。
何故なら、客入りがひどく悪いから。
俺達以外の客は洋の民が2、3人いるだけで、あとは館長っぽい中年の男がいるだけだ。
言葉が悪いが、ひどく不景気な場末の博物館って感じだった。
入館料はタダだった。
ミスティラ曰く、洋の民は金儲けを卑しい行為と考えているからそうしているらしいが、本当はそれだけじゃないように思える。
俺が思うに、自分たちがいかに高潔な民族か、自分たちはとんでもない偉業を成し遂げたんだぞってのを誇示したいって気持ちもあるんじゃないだろうか。
一応、根拠はある。
展示されている数々の品物などがそうだ。
ミーボルートを封印したというエピアなる人物の肖像画にせよ、戦いや封印の様子を描いた天井画にせよ、なんか無駄に派手派手しいというか、色遣いが過剰で、画風も写実的というより意図的に誇張されているように見える。
エピアが装備していたらしい剣や杖、衣服などもそのまま展示しておらず、新品同様に綺麗だ。
復元程度なら分からんでもないけど、これはいささかやり過ぎじゃないだろうか。
石版に刻まれた説明文も、やけに美辞麗句が目立つ。
言ったら一緒にするなと怒られそうだが、まるでミスティラみたいだ。
まあそこは目をつぶるとしても、ひどく窮屈な振る舞いを要求されることの方が深刻だった。
小声での会話はおろか、下手に物音を立てようものなら、見た目は端正だが神経質そうな雰囲気を顔中から漂わせている館長がタルテ並の鋭い目つきで睨みつけてくるんだよ。
そりゃこんなんじゃ、興味を持たれる以前に近寄りたくないと思うのも致し方ないだろう。
みんなは割と真剣に見てたけど、俺は居心地の悪さの方が先行してしまい、どうにも集中できなかった。
というか、そこまで深い関心を抱けなかった。
女の買い物に付き合うような気分を多少味わった後、実際にミーボルートを見に行くことにした。
あまり話しかけたくはないが、館長の所へ行き、"恐れながら"その旨を告げる。
「ミーボルートを見たいんすけど」
「こちらへ」
愛想はなかったが、めんどくさそうな態度を取られなかっただけマシだ。
それに追加料金を取られなかったのも良い所だな。
館長に従って、エピアの檻に続いている建物の奥へと歩いていく。
それにしてもこの館長、石床だってのに、足音を一切立ててないのが驚きだ。
隠密か何かかよ。
下らないことを考えている内に、通路の左右の壁が開け、屋根もなくなった。
ナモンの木と柵で囲われた内側の空間に出たのだ。
香りのないひんやりとした空気だけが、静けさを伴って漂っている。
館内でも明示されていたが、あったのは人造の池だった。
いや、何も知らずにここへ来たとしたら、自然に開けられた穴だとは思わなかっただろう。
それくらい大きく深い穴だった。
穴の中は透明なテルプの聖水がなみなみと注ぎ込まれていた。
ちなみにここの水を盗むことは、即処刑ものの大罪らしい。
ちらっと中を覗いてみたが、底の方は真っ暗で何も見えず、どれくらい深いのかも分からない。