36話『ユーリ一行、競竜に興じる』 その4
「……っくしょい!」
前触れなく放たれる、警備兵のバカでかいくしゃみ。
それに反応して、閉じていた目を開く4番の竜。
凝りをほぐすように長い首をゆっくり左右に1回、2回振り……
……もう列挙するまでもねえよな。
「うおお、凄え! マジかよ!」
「ウソ……っ!?」
「ねえねえ、どうしてわかったの!?」
「ははは、長年の経験で培ったただの眼力ですよ。決して魔力や魔眼などは使っていません」
こんな予知じみたことができるなら、勝つ竜を当てられるのも納得がいく。
しかも魔力由来じゃねえからイカサマでもない。
これもう勝ったに等しくね?
「水を差すようですまぬが、1つよろしいか」
冷や水をぶっかけてきたのはアニンだった。
「リージャン殿はこの場における古参中の古参と聞いたが、その割には知名度が低いように見受けられるのだが。ましてや今披露したように、人間離れした先読みまで出来るというのに」
言われてみれば確かにその通りだ。
他の観客は誰も気に留めていない。
常連客から挨拶の1つもあっていいはずだ。
「それはですね、私が知る人ぞ知る存在だからですよ。はっはっはっ」
しかしリージャンさんは何ともしょうもないような、説明になってないような、適当としか思えないような理由を口にした。
でも一切の屈託なく言うもんだから、つい「そうっすか」と納得してしまいそうになる。
不思議な説得力のあるおっちゃんだな。
「わたくしは信じますわ。貴方から仄かに漂う清新な気配……疑念の暗雲を打ち払う清涼な風のよう……勝利をもたらす幸運の使者と認めましょう」
アニンやタルテは首を傾げていたが、ミスティラは金髪を一払いして断言した。
「素敵な表現、ありがとうございます」
「恐縮ですわ」
相性良さげな2人から視線を外して、ジェリーを見てみる。
特に警戒感を強めていないみたいだ。
ま、いいか。
「俺も信じますよ。それで、どの竜が来そうですか」
「ふむ、そうですね……」
俺はリージャンさんに、持ち金の全てを託した。
……1口分しか残ってないが。
もう充分楽しんだということでタルテたちは参加せず、俺とミスティラだけがリージャンさんの助言に従って賭けを行った。
買ったのは4番……ではなく、8番のベニング、10番のクサーサコだ。
リージャンさん曰く、4番のド・ルフォー号は神経質すぎてダメらしい。
倍率24倍のこいつらが1、2着に来れば、美味しい思いができる。
「さあ、わたくしを愉しませ、潤すのです」
ミスティラも俺と同じ組み合わせを、自腹で10口も買っていた。
流石に力んでいるのか、俺の左の二の腕をギュッと掴んでくる。
心配すんな、俺達は絶対に勝つ。今度こそな。
握り返して協調の意志を伝える。
「…………!」
鋭い視線を右側から感じる。
タルテが何故か睨んでいた。
「え? あ、ああ」
違う違う、つい俺も大一番を前に力んじまってたんだ。
手を離し、解く。
遠見水晶には、西日差す断崖で発進を待つ風竜たちの姿が映し出されていた。
頼むぞ8番と10番。絶対に1、2着で駆け抜けろよ。
大歓声も楽器隊も頭の中に入ってこないほど、俺は一心に勝利を願い続けていた。
あまりに集中してたから、競走中の細かいことも全然意識できなかった。
「すっごーい! せまい谷のあいだをびゅびゅーってとんでる!」
「日没も近く、薄暗いというのに大したものだ」
「困難な道をいとも容易く往く、技術と絆の結晶……これぞ! これぞトスト様の理想、人竜一体! わたくしは今、雷よりも激しく感動しておりますわ!」
仲間たちのようにああだこうだと感嘆できず、単なる背景としか認識できなかった。
ぶっちゃけてしまうと、俺にとっては技術も感動も理念もどうでもいい。
大事なのは俺の賭けた竜たちが1、2着を取ること、それだけだ。
走れ、飛べ、勝て。
走れ飛べ勝て走れ飛べ勝て走れ飛べ勝て……
峡谷を抜けて、最後の直線に差し掛かりつつある一群。
さあ来い8番と10番。
名前……何だっけ、忘れた。
まあいいや、とにかく来い8番と10番。
8番10番8番10番8番10番8-10-8-10-8-10……
金金金金金金金金金金金金!
えっと、今何番手だ?
ん? 中位ぐらい?
そっか、ここから一気に差すんだな。
差せ! 差せ! 差しやがれ! よし、行け!
翼の伸びがいい。これならギリギリ届く。ハナ差でいいから届け!
てめえこの野郎4番、前塞いでんじゃねえ! クリアフォースぶつけんぞ!
おい、もう終わりまで200メーンもねえじゃんか。やばくね?
ウソだろ? 予知が外れるなんて、そんな訳がねえ。
痛えよミスティラ、手掴むんじゃあねえ。
え、ちょっと待てよ……これって……
あ、あ、あ、一杯になっちまった。
ああああ……もう残りの距離が……
あああああああああ!!
…………。
「おいオッサンよお! どうなってんだこりゃあ!」
「あらら? おかしいなぁ……」
「おかしいのはあんたの予想だろが! 8-10が来るんじゃなかったのかよ! おかげで金が全部飛んじまったじゃあねえか! 全敗だぞ全敗! どうしてくれんだ!」
「いたた、落ち着いて。離して下さいよ。……まあまあ、勝敗とは荒波の小舟のように不安定なもの。今回はたまたま転覆する日だったということで。ド・ルフォーの奮戦を讃えてあげましょうよ」
悪びれた様子もなく、ヘラヘラと笑うオッサン。
人をこんなにもぶん殴ってやりたいと思ったのは久しぶりだ。
「間諜か!? あんた、俺を陥れるために差し向けられた間諜だな!? この野郎、浣腸かましてしばらく歩けないようにしてやる!」
「やめなさいよ、みっともない。あんたがいけないんじゃないの」
「タルテ殿の言う通りだ。これ以上の醜い八つ当りは男を下げるぞ」
「くっ……!」
何で俺ばかりが……こんな目に……っ!
ファミレの時から数えて、これで通算何連敗だ?
考えるだけで腸が煮えくり返る……!
ダメだ、やっぱ許せねえ! 間諜に浣腸かましてやる!
と、そこまで考え至った所で、ミスティラが文字通り椅子を蹴って立ち上がった。
「……見込み違いだったようですわね。この無能! よくも、わたくしの顔に敗北の汚泥を塗りたくる真似を……! 制裁が必要ですわ! そこに直りなさい! わたくしの全魔力を込めて……」
「わわわ、ダメだよおねえちゃん!」
「おうやったれミスティラ! お前は正しい!」
こんなにもこいつを応援したくなったのは初めてかもしれない。
にしても、勝ち負けに無頓着と見せかけて、実はやっぱり気にしてたのか。
「ははは、感情豊かな方々ですな。良い事だ。物言わぬ鉄屑のように無機質ではつまらない。喜怒哀楽あってこその人間、悲喜交交あってこその人生。きっとこの後は何が起こっても喜べますよ」
「もっともらしいこと言って綺麗にまとめようとしてんじゃあねえ!」
オッサンが、やれやれと言った感じに肩をすくめる。
こういう所がますます癇に障るんだよ。
「しょうがない人ですね。ではお約束しましょう。今回あなた方に作った借りは、いずれ必ずお返しすると」
「いずれっていつだよ」
つーかもう約束されても信じられねえっての。
「一番いい時にですよ。それでは私はこれで」
言うや否や、おっさんはひらりと身を翻し、手を振って去っていった。
俺も、ミスティラも、他のみんなも、呆気に取られてしまってしばし動けなくなるほど、軽やかな強引さだった。
「ごめんよ兄さん方、通してくんねえか」
「……あ、すんません」
地祖人の観客に声をかけられて、ようやく我に返ることができた。
そしてまた、悔しさが沸々と込み上げてくる。
「明日もやるぞ。雪辱を晴らすまではここを出発できねえ」
「ダメよ。あんたが賭け事に向いていないのは改めてよく分かったわ。今後は出入りしないようにしましょう」
「うるせえ! このまま金と自尊心を失くしたまま終われるかってんだ!」
「よくぞ仰いましたユーリ様! それでこそ勇者ですわ! わたくしも世界の果てまで御供致しましょう!」
「ミスティラさんも煽らないで……」
「金は自分で作るからさ、いいだろ」
「そういう問題じゃないの」
「頼む! 明日! 明日もう1回! もう1回だけやらせて! 次は絶対勝つ予感がすっからさ! 頼みますよ世界一美しく優しいタルテさん! ほら、命がけで弓の実験にも付き合ってやったじゃん!」
「はいはい、負ける人はみんなそう言って破滅するの。さ、帰るわよ」
「そんなぁ……」
俺のこの悲しみは、一体どこにぶつければいいんだよ!