36話『ユーリ一行、競竜に興じる』 その3
「行け! 走れ! 根性見せろお前!」
「行きなさいシメイジ号! 最速で駆け抜けるのです!」
「がんばれーギリエーン!」
俺達だけじゃなく、他の観客も口々に己の希望や欲求、激励の言葉を叫び喚いていた。
そしてほどなくして、肉眼で捉えられる位置まで地竜の一群がやってくる。
……と、その時だ。
「は!? ウッソだろお前!」
なんとシメイジ号が、追い込みをかけ始めた他の竜とは対照的に、いきなり失速したのだ。
みるみる後続に追い抜かれていき……最下位に転落。
「何をしているのです! それでもわたくしの見込んだ竜ですか! 蘇りなさい!」
「っだあああああ! 終わったあああああ!」
あんな形勢で、もう逆転は無理だってのは猿でも分かる。
競走の行方なんて、もはやどうでもいい。
歓声も悲鳴も、舞い散る投票券も、全て別世界の出来事だ。
力が抜けちまった……椅子がなかったら確実に崩れ落ちていた。
「ねえねえ! やったよ! ジェリーのおうえんしてた竜さん、1番になったよ!」
「おっそうか。おめでとうな」
「うそ……当たっちゃった。どうしよう……」
「残念、私のは見込み違いだったようだ」
どうやらジェリーとタルテも同じ竜を買ってて当たったみたいだ。
でも2人には悪いが、祝福する気力は失せてしまってた。
「嗚呼……やはり生は素敵……熱を、荒々しい情動を、息遣いを、生身で感じられるこの悦び……」
俺と同じ運命を辿ったミスティラはというと、大外れしたにも関わらず、うっとりしていた。
こいつにとっちゃ金よりもヒリついた感覚を味わうことの方が大事なんだろうな。
勝負師には向いてるかもしれない。
「ユーリ殿、いつまで落ち込んでいるのだ。次の競走で取り戻せば良かろう」
「お、おう」
そうだ、まだ全ての競走が終わった訳じゃない。
これは第一競走、まだまだ挽回の目はある。
「取り戻せればの話だがな」
「……一言多いんだよ」
悔しいが、アニンに強く反論することはできない。
何故なら……
「――ノォォォォ!!」
「すまぬなユーリ殿、私の方が先に当ててしまった」
そうだ、我ながらムカついてしょうがないが、俺って賭け事に関する運"も"無いみたいなんだよ。
"が"じゃなくて"も"なのが遺憾極まりない。
別に俺だって毎回大穴を狙うほど馬鹿じゃない。
場合によっては1、2番人気を狙ったりはするってのに、そういう時に限って本命がコケる。ポカる。
どうなってんだよ。
まさか本当に、神様とやらに嫌われてるんじゃないだろうな、俺。
「ユーリ殿の勝負勘の無さは相変わらずだな」
「おま、馬鹿、言うなよ!」
「そうだったの……」
「おいやめろ! 俺をそんな目で見るな!」
こうやってタルテから憐みと、"やっぱりな"みたいな感情の混ざった目を向けられると、尚更惨めでしょうがなくなる。
「馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前! 次見てろ次! きっとお前らの憐れみは驚愕に、俺の悲しみは歓喜に変わっているはずだ!」
「落ち着け。少しミスティラ殿に似てきているぞ」
大仰な啖呵を切ってみたものの、正直状況はよろしくない。
全て予想を外している上、1回につき何口も買ってるから、割り振られた資金が底をつきかけている。
この日行われる競走は全7回で、ここまで行われた競走は5回。
つまり汚名返上のために残された機会は2回。
ちなみにここまでアニンとタルテは2回、ジェリーに至っては4回も当てている。
未だゼロ行進を続けているのは俺とミスティラだけだった。
賭けること自体を楽しんでいるミスティラはいいとして、俺がこのままってのはまずい。
……こうなったら。
「なあジェリー、次何を買うか、教えてくれないか?」
「うん、いいよ」
恥も外聞もない。
まずは資金を増やさねえと。
「おおおユーリ様、傷心の余り信念を曲げてしまわれるのですね! では貴方様の意志はこのわたくしが引き継ぎましょう」
まあ、頑張ってくれ。
俺は実利を取らせてもらう。
なのに。
「なん……だと……」
眼前に繰り広げられたのはまるで悪夢、俺が希望を託した水竜が3、4着で決勝線を駆け抜けていく光景だった。
「やれやれ、ユーリ殿のせいで運が逃げて行ってしまったではないか。可哀想に」
「んがっ……!」
この疫病神発言には、流石の俺も深く傷付いた。
「えっ? ジェリー、気にしてないよ? まけちゃうのはしょうがないよ」
優しさという傷薬も、塩を擦り込むどころの騒ぎじゃない。
どうしよう……資金があと1口分しかねえよ。
「おにいちゃん、ジェリーの当たったおかね、つかう?」
「御安心下さいませユーリ様! わたくしも資金を融通致しますわ! 共に失くしたものを取り戻しましょう!」
「……いや、大丈夫だ。そこまでは落ちぶれちゃいねえ。ありがとな」
ここで申し出を受けちまったら、男として大事なものを失ってしまう。
例え勝っても、心から喜べなくなるからな。
「ねえ、もうやめておいたら?」
「タルテ殿の言う通りだ。流れが悪い時にもがいても、更なる深みに落ちるだけだぞ。……もっともユーリ殿の運気は、常に最悪のどん底のようなものかも知れぬが」
「やかましい! ここで終われるかってんだ!」
そうだ、絶対に勝って締めてやる。
おあつらえ向きに次は最終競走じゃあねーか。
これまでの負けは、きっと最後勝つためのお膳立てだったんだ、きっとそうだ。
奇跡の大逆転はヒーローの特権だからな。
「苦戦されていらっしゃるようですね」
と、突然、横に座っていた知らない中年男が話しかけてきた。
確かそこには家族連れがいたはずだけど……もう帰ったんだろうか。
「してないっすよ。最後に勝つために力を溜めてた所っす」
「ははは、前向きですな。結構結構」
やけに分厚い黒縁眼鏡の位置を直しながら笑うおっちゃんを、軽く観察してみる。
お人好しっぽい顔つき、白いシャツに紫色の蝶ネクタイ姿、ちょっとやせ気味……
一言で言うと、ちょっと小洒落た酒場にいそうな感じで、こういう場所にはあまり合ってない。
連れもおらず、1人で来ているようだ。
「おっと失礼、名乗ってませんでしたね。私、リージャンと申します。この競竜場を見守り続けてのべ300年になる古参中の古参! 何でも聞いて下さっていいですよ」
「おかしいですわね。300年前はまだ競竜が行われていなかったはずですが」
「いや、突っ込むとこはそこじゃねえだろ」
いくら何でも数字を盛りすぎだろ。
ってか、人のよさそうな雰囲気が急に胡散臭く見えてきたな。
「おや、どこかで数え方を間違えていましたかな? ですが何でも知っているのは本当ですよ」
「そっすか。じゃあ次の最終競走、誰が勝つか是非教えて下さいよ。300年の間に培った眼力で」
「よろしい。私に任せなさい、確実な勝利をあなたにお約束しましょう」
ちょっと意地悪するつもりで言ったんだが、リージャンさんは軽い頼み事を快諾するように、しごくあっさりと頷いた。
「では早速、竜たちの様子を見に下見所へ参りましょうか」
最終の第7競走は風竜が走る、というか飛ぶ。
そのため走路、というより空路って言うのが正しいだろう。
まあそれは置いといて、やっぱり見栄えするのもあるからか、風竜が出る競走は花形扱いになっているみたいだ。
個人的には風竜の見た目も一番好みだ。
白色の鱗を纏った流線形に近い体躯、3対6枚の翼……うん、純粋にカッコいい。
6度の競走を経てだいぶ日も傾いていたが、まだまだ競竜場の熱気が冷める様子はない。
むしろ一層熱くなっている。
かがり火が燃えていて物理的にもそうだし、客の興奮度もだ。
「おうテメエ勝てよ! 勝たねえとその翼を引っこ抜いて武器の飾りに使ってやっからな!」
「あああクソおおおお! もう金がねえよおおお!」
「おいコラ、八百長やってんじゃねえのか!? ありえねえだろがさっきの展開はよお!」
飛び交う言葉も、第1競走の頃よりも過激になっていた。
運営や警備の人たちはマジで大変だなと、少し同情したくなる。
で、素寒貧になったと思われる人間や地祖人たちが、隅っこに座ったり寝っ転がったりして飲んだくれていたり、懐がさぞかしあったかくなっただろう連中が上機嫌で帰路についていたり、競走がもたらした残酷な光と影も目に映る。
他人事じゃねえ。精神的には俺も影側の仲間入りする可能性だってあるんだ。
負けらんねえ。分かってるんだろうなリージャンさんよ。
「あの、本当に分かるものなんですか?」
「心配性なお嬢さんですね。心配いりませんよ」
タルテの念押しに、リージャンさんは肩をすくめて笑う。
「では私の眼力をちょっとお見せしましょうか。……あそこにいる4番の竜、今は精神統一のために停止していますよね。次にいつ動くか、何をするか、当ててみせましょうか」
「はあ」
「あそこの柵の所に立っている警備兵がじきにくしゃみをします。すると4番は閉じていた目を開き、首を2度左右に振って軽く羽ばたいてゆっくりと周回を始めます。まあご覧なさい」
ほんとかよ。
俺達は半信半疑で、リージャンさんが指差した方にじっと視線を注ぐ。
……すると。