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33話『ミスティラ、謝礼を差し出す』 その3

「おお、ユーリ殿。幾度も尋ねて下さっていたそうですな。それなのに今もこのような状態で申し訳ありませぬ」

「いえ、そのままで。モクジ様、具合は……」

「お陰様で大分良くなりました。明日には復帰するつもりです。いつまでも臥せっていて、ゲマイ達に厄介をかける訳にも行きませぬゆえ」


 自己申告の通り、モクジさんは大分血色が良くなっていて、わずかながら顔や体に肉がついたように見えた。


「ひとえにわたくしの献身のおかげですわね」

「よく言うわ。料理の腕までシュフレ……母に似おってからに」

「惜しみなき愛が注がれている、とおっしゃりたいのですわね? 嫌ですわ、お父様ったら」


 苦笑いするモクジさん。

 まあ、別の意味なんだろうな。

 とはいえ、2人の和やかなやり取りを見て、これが本来の親子の姿だったんだなと、温かな気持ちになってしまう。


「ユーリ殿。重ね重ね、感謝しております。どれだけ礼を尽くしても足りませぬ。其方が愚僧の無知蒙昧を正して下さらねば……」

「いえいえ、お礼はもう娘さんから充分してもらいましたから」

「お礼といえば、もはや答えは決まっていますわね?」


 ミスティラが、特定の単語について敏感に反応し、立ち上がる。


「さあ、この幾日をかけて引き絞った弓を放つは今。後はただ"受け入れる"という一矢でわたくしという的を、この胸を射抜いてちょうだい。あの荒廃した地にもう一度、二人で満開の花を咲かせましょう! きっと二人でならお母様も、手を入れることを許して下さいますわ!」


 さあ来た。

 んじゃ、言うか。

 まず一呼吸置いて……


「ユーリ殿、婚姻の件、聞き申した。私も異存はございませぬ。其方にならば安心して娘を託せます。遠慮なく父と呼んでくれて構いませぬぞ。私の方はいつでも、息子と呼ぶ準備はできておりますゆえ。はっはっはっ」


 なんと、思わぬ方向から援護射撃が飛んできた。

 モクジさんも乗り気なのかよ!

 しかも朗らかに笑ってるし。

 この人、こんな性格だったのか?


「流石はお父様、早くも良き義父ぶりですわ。ローカリ教の更なる繁栄が約束されたようなものですわね」

「むう、少しばかり事を急ぎ過ぎてしまったわ」


 笑い合う親子。


 拍子を崩されてしまった。

 まさかこんな根回しをしてたなんてな。

 しかも横ではタルテが明らかにわたわたしてるし。落ち着けっての。

 俺の言うことは変わらねえからさ。


「……そこまで認めて下さっているのは素直に嬉しいです。ですけど、俺、結婚はできません」

「ユーリ様……!」

「ミスティラが本気なのは伝わったよ。でも、俺も本気なんだ。人生をかけてでも、ヒーローを貫かなきゃいけないんだよ。それにやっぱり、ミスティラを愛してはない。だから気持ちには応えられない。ごめんな」


 せめてもの誠意だ。まっすぐ、目は逸らさない。


「…………っ」


 ミスティラの体が、石化したように硬直する。

 大きな瞳が、更に見開かれる。


 ……そして、そこからポロポロと涙が零れ落ち始めた。

 正直、ちくりと胸が痛んだ。

 ミスティラも泣くことがあるんだな、という思いと、罪悪感。

 タルテたちもいる前でこうもバッサリ言っちまうのは残酷かもしれない。


 でも、これしかない。

 これでいいんだ。

 すまねえ。


 最後の意地だろうか。

 ミスティラは止まらない涙を拭いもせず、顔を歪めもせず、力を入れてわずかにしかめっ面を作ったまま、俺を睨み返したまま小刻みに震えていた。


「ミスティラよ、諦めるがよい。私とて無念だが、ユーリ殿の覚悟は本物だ。私には痛いほど理解できる」


 モクジさんが、さっきとは打って変わったような静かな声で諭す。

 ミスティラは返事をしなかった。


「……これが、敗北の苦汁」


 だが、幾分鼻にかかった声で、独り言のように呟く。


 そこから更に少し間を空けて、


「……何と熱く、苦い……悪魔のまぶす砂糖とは、きっとこれと似た味なのでしょう。……ユーリ様の真摯なお言葉、真正面から受け止めますわ。感謝致します」


 無理矢理作っただろう笑顔は、痛々しく見えた。

 少なくとも、何も言葉をかけられないくらいには。


「では、話を変えてよろしいかしら」


 ミスティラは、純白の手巾でそっと目元を拭った後、意外なほどあっけらかんとした風に語調を切り替えた。


「ユーリ様はジェリーちゃんの試練のため、リレージュへ向かわれるのでしたわね」

「ああ」

「その旅、わたくしも同行させて下さいませ」


 ……は?


「結婚はひとまず諦めましたわ。直後に婚約者や恋人を気取るような無粋も致しません。貴方を崇敬する1人の女、ミスティラ=マーダミアとして助け、学びたいのです。わたくしとてローカリ教教主の娘。飢えし民を救いたいという思いに偽りはありませんわ」


 こいつ、どんな精神力の持ち主なんだ。

 "振られた後も友達でいましょう"なんて次元の話じゃあない。


「お父様。只今申し上げた通り、わたくし、ユーリ様のため、自身の見識を深めるため、暫し皆様との同道を決めましたわ」


 しかも俺が既に了承したみたいに話を進めてるし。


「むう……」


 モクジさんは渋面を作って短く唸った。

 父親的にも想定の範囲外だったんだろうか。


「……どのような言葉をかけたところで、聞き入れはしないのであろう」

「そのようなことはありませんわ。激励の類であれば、感謝を以てお受け取り致しますわよ」


 ミスティラは髪を払い、大げさな身振りと共に返す。

 もうこの時点でモクジさんは完全に折れてしまったようだ。


「ユーリ殿。斯様な娘ではありますが、愚僧にとってはかけがえのない一粒種。どうか寛大なお心で、宜しくお願い申し上げます。何卒……」


 こうも深々と頭を下げられては、いくら何でも無下には断れなくなっちまう。


「……それに、この場で断って置き去りにしようとも、娘は追いかけて行ってしまうでしょう」


 確かに。


「……お父様」

「案ずるな。言わずとも分かっておる。自然の摂理によってこの生命尽きるまで、ローカリ教の教義に精魂を込めようぞ」

「お父様……その力強きお言葉、偽りはないと受け取りました。ご健勝をお祈りしておりますわ。そして、例え幾つもの海を、山を隔てようとも、わたくしの愛は不変の空の如くお父様の傍に在ることを、ここで改めて誓いますわ」

「皆様にあまり面倒をかけるでないぞ」

「無用な心配ですわ」

「うむ、良いのではないかな」


 やり取りに区切りがついた後でそう切り出してきたのは、ずっと沈黙していたアニンだ。


「ミスティラ殿の存在は、我々の大きな助けになるであろうからな」


 まあ同意だけど、絶対それだけで言ってねえだろ。

 顔がにやけてんだよ。


「ジェリーも、さんせい! みんないっしょのほうがたのしいよ」


 この無邪気さを見習えよな。

 いや、無邪気ゆえにやばいことを言ってる部分が無きにしもあらずだけど。


「お二方、感謝致します。ユーリ様の仰せのまま、戦士にも魔法使いにも、商人にもなり、あらゆる面で皆様をお助けする所存ですわ」


 決して単なる自画自賛でないってのは分かる。

 けどなあ、別の面で色々問題が起こりそうっつーか。


「只今ユーリ様が肺腑に漂わせているご懸念は煙草のようなもの。速やかに煙として吐き出されるとよろしいですわ。こう見えてもわたくし、調和する能力は充分有しているつもりですのよ。むしろタルテさんの方を警戒したらいかがかしら?」

「ど、どういうことですか。べ、別にわたしも……その、ユーリがいいって言うなら、構いませんけど?」


 これもう、詰んだようなもんじゃあねえか。

 盤上遊戯で完全に相手の思惑通り事を運ばれちまった気分だ。


「……分かったよ。来たきゃ来ればいい。教えられるようなことは別にねえけどさ」

「寛大なるご処置、恐悦至極にございますわ。皆様、どうぞよろしく」


 ミスティラは社交場でするように恭しく一礼した。

 ……と思ったらつかつかとタルテのそばへと近付き、何か二言三言耳打ちする。

 さっと頬を紅潮させ、目を更につり上げるタルテ。

 聞こえなかったんだけど、何て言ったんだ?


「タルテ殿、どうかお気を悪くなされぬよう。ミスティラなりの素直な宣言のつもりなのです」


 聞こえてたのか、モクジさんがそんなことを言う。


「い、いえ、わたしは」

「これからは是非とも、フラセースとタリアンのような友好を結びたいものですわね、タルテさん」


 やけに屈託のない笑みをたたえ、ミスティラは半ば強引にタルテと握手を行った。

 ま、今はあれでいいか。

 それよりも。


 ――モクジ様。

 ――む、いかがなされた。

 ――あの時見聞きしたこと、他の人達には内緒にしておいてくれませんか。今は俺とモクジ様だけの秘密ということで。

 ――承知した。


 変にあっちに憧れる人間を増やさないためにも、あまり広めない方がいいだろう。


「ユーリ様、出立は明日以降になさいますわよね」

「ああ、そのつもりだけど」

「安心しましたわ。わたくしとしても旅の準備を整える猶予が欲しかったので。……それでは今宵、わたくしの鍵は外しておきますわ。部屋も、体も、心も」


 "それでは"の使い方が少しおかしくねえか。


「ちょっと! どういうことよ!」

「軽い戯言ですわ。耳の先まで朱に染め上げるなんて、初心ですこと」


 いや、あんま笑えねえって。

 それとタルテ、俺を睨むな。

 流石に俺は悪くねえだろ。


 ……本当に同行させちまって良かったんだろうか。

 これから先、ちょっとばかり心配だ。

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