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33話『ミスティラ、謝礼を差し出す』 その2

 続いて彼女は、上着の襟を正す仕草をした後――透き通る蒼い目で俺を真正面から見据えた。

 真っ直ぐな眼差しだった。


「ユーリ=ウォーニー様。この度は見事な働きぶりでした。改めて厚くお礼申し上げますわ。貴方は、わたくしたちマーダミア家を救済して下さった、偉大なる英雄といっても過言ではありません」

「いいよ、そんな大げさな」


 体がくすぐったくなるだけだし。


「というか、救われたのはむしろ俺の方だよ。助けさせてくれてありがとな」

「どのような意味ですの?」

「再確認できたっつーか、助けることを通じて、自分を見つめ直せたんだ。凄くいい経験になったよ」

「謙虚ですのね。……悪くはない、いいえ、素敵なことですわ」


 そう言って、ミスティラは俺との距離をゆっくりと縮めてきた。


 一歩、二歩……俺の間合いに入っても止まろうとしない。

 目を細め、顎を持ち上げ……


 ……え、おい、これって!?


「ま、待て! 止まれ!」

「一体何を待てとおっしゃいますの?」

「い、いきなりチューしようとする奴があるかよ! いいよ、いくらお礼だからって……」

「勘違いされていらっしゃるようですわね。こんなもの、お礼のうちにも入りませんわ」


 ミスティラは不服そうに眉根を寄せた。


「先日も申し上げた通り、貴方はわたくしを妻に娶る権利を獲得しましたのよ」

「それは別にいいってあの時も言っただろ」

「貴方が良くても、わたくしには良くないのです」


 何言ってるんだ、こいつ。


「まだ察して頂けないのですか。鈍感は罪ですわよ」

「はあ、すんませんね」

「ならば、かつてお父様がお母様にそうしたように単刀直入、一撃必殺の覚悟を以て申し上げます」


 ミスティラは、盛り上がった胸の前で両手を組んだ。


「ユーリ様! わたくし、貴方を愛してしまいましたわ!」

「な……! 何だってー!?」

「契約などとうに遠い記憶の残滓。我が心の臓の奥から湧き上がる、血潮よりも熱きこの慕情こそが今のユーリ様へのお気持ち、婚姻への原動力ですわ! 父母以外にこれほどの愛を抱いたのは、貴方が初めて……ゆえに今の接吻も、わたくしの汚れなき愛の象徴とご理解下さいませ」


 豊かな胸を押し潰すように左手をあて、熱弁を振るい出すミスティラ。


「凛々しいお姿、無双の力は伝説の聖騎士の如く、真摯なお人柄はエル・ロションの貴族以上。あらゆる面で生涯添い遂げる夫として申し分はないと評価致しましたわ。わたくしもう、寝ても覚めてもユーリ様のことばかりを考えていますのよ。具体的にどのような内容か、教えて差し上げましょうか。まず……」

「待て待て」


 あまりの突拍子のなさに一瞬思考停止しちまったが、取り返しがつかなくなる前に突っ込んどかなきゃな。


「水を差すようで悪いけど、そりゃあお前、一時的に浮かれてるだけだ。親父さんを助けてもらって嬉しいのはよく分かるけどさ、もうちょっと冷静になるのを待ってみろって。きっと俺のことをそんなにも思えなくなるから」

「後先考えない激しさこそ恋や愛を最も輝かせる脚本ではなくて!? 理性の隷下に置かれたやり取りなど、一体何が面白いというのです!」


 びっと指をさして力説される。

 これは恋に恋しているなんてもんじゃない。

 本気で恋に殉じられる部類の女だ。

 元からぶっ飛んでる所があるとは思ってたが、ここまでとは。


「ユーリ様! ユーリ様はわたくしを、この花壇に堆積した土の一かけらほども愛していらっしゃらないのですか!?」

「愛してはねえな、悪いけど」


 多少キツくとも、ここははっきり言ってやった方が、結果的には本人のためになるだろう。


「ふ、随分と切れ味鋭く仰いますのね。そのようなご気性、非常に好ましいですわ。わたくしを慮って敢えて突き放そうとなさったのですね。まるで凛々しき王の如き父性……愛を新しい愛で上書きされてしまいましたわ」


 傷付くどころか、超回復されてしまった。

 ダメだこりゃ。


「ならばわたくしの取るべき采配は1つ。如何なる手段を用いてでも、ユーリ様の愛を勝ち取るのみ。愛するユーリ様の為、わたくし、身も心も全て捧げますわ。欲するがまま求めてよろしいのよ。そう、例えばこの場所への焦がれるほどの熱望、今すぐ叶えて差し上げましょうか」


 そう言いながらミスティラは、心なしか熱っぽい顔つきで、胸の谷間を殊更強調してきた。


「は? な、べ、別に焦がれてねえし!」

「ボロ切れに裁縫を施す真似をしなくとも構いませんわ。前々から気付いておりますのよ。ユーリ様がわたくしの胸部へ、しきりに濡れた眼差しを送っていること」

「濡れたって言うなよ」


 色々な意味で恥ずかしすぎる。


「以前ならば慎みを知らぬ犬と蔑んでいたでしょうが、今は毛の先ほどもそのような考えは持ち合わせておりませんわ。むしろ惜しみなく曝け出し、悦ばせて差し上げたいくらいですの」


 そう言われてつい手に触れた時の感触、その先の出来事を想像してしまったのは男として健全な証拠のはずで、決して俺がダメな訳じゃあない。そうだろ?

 煽り立てるように、ミスティラはワンピースに指を引っかけて、更に胸元をはだけさせた。

 うおお、白く柔らかなものが……


「さあ、どうぞ」

「さあどうぞって、そんなプリンを振る舞うみたいに言われても……ってプリンっつう喩えもアレだな」

「ただ一つ事前に断っておきますと、わたくし、こう見えて激しい嫉妬の炎を心臓に飼い慣らしておりまして、独占欲が強いんですの。例えばあの娘を妾に持とうとはお考えになさらない方がよろしいですわよ」

「考えてねえよ」


 こう見えても何も、ただの一つも予想を裏切ってねえよ。

 つーか危ねえ危ねえ、あいつの存在をちらつかされたおかげで何とか理性を維持できた。

 もしこのまま頂いてたら半殺しにされてただけじゃなく、口もきいてもらえなくなってただろう。


「とにかくだ。何もしねえからそいつをしまってくれ。それとお前と結婚するつもりはねえ。他を当たってくれよ」

「ユーリ様の方こそ、一時の克己心に縛られているのではなくて? 過度に不自由を強いる人生は、老いを早めますわよ?」


 こいつ、何なんだ。

 どうして妙な所で冷静で分析的なんだ。


「……とはいえ、些かお話が性急すぎたことは認めますわ。では暫し猶予を与えましょう。引き続きわたくしの家に留まり、心身の疲れを癒しながら考え直すとよろしいですわ」

「はあ……」

「もしその中途、獣に屈して夜這いをかけたくなったのならば、然るべき手順を踏まえてかからにして下さいませ」

「かけねえから安心して寝てろ」

「ふ、虚勢にならなければよろしいのですが」


 その自信は一体どこから湧いてくるんだよ。




 ……とまあ、すっかり調子を狂わされちまったが、その後俺はゲマイさんや、他の信徒の人たちの所へ会いに行って、先日の出来事についての謝罪を行った。

 結論を言うと、笑って許してもらえた。


『自分も攻撃を仕掛けたのだから、お互い様』


 と。

 それに、事前に知った情報の通り、化天道の行は元々極秘に行われるものだったため、思っていたほどの大事にもならなかった。


 だからといって、そりゃ良かったです、とは思えなかった。

 どうしてもこっちの気が済まなかったから、俺もローカリ教の仕事を雑用でも何でもいいから手伝わせてもらうことにした。

 図らずもミスティラが押し付けてきた"猶予期間"を有意義に利用できる形になったって訳だ。

 タルテたちも手伝うと申し出てきたが、これは俺自身の問題なので、申し訳ないが遠慮してもらうことにした。


 ああ、そうだ。

 この日の夜、約束通りタルテは俺の好物をたくさん作ってくれた。

 肉に肉に肉に……幸せだったなあ。やっぱ美味いもんをたらふく食えるってのはいいもんだ。


 それと、ジェリーの母ちゃんから教えてもらったアップルパイも作ってくれたんだよな。

 遜色ないくらい美味かったと、素直に思った。

 やっぱりタルテの料理の才能は一流だ。


 これだけガンガンに食うことは、もしやローカリ教言うところの暴飲暴食に抵触しちゃうんじゃないかと思ったが、信徒でもあるマーダミア家の使用人は特に何も指摘してこなかった。

 見逃してくれたのか、あるいは栄養補給とみなされたのかは分からないが、とにかく大丈夫ってことでいいんだろう。


 猶予期間、といってもほんの数日程度だったが、判で押したように規則的に時間を過ごしていた。

 早起きしてメシ食って、メイツ寺院で炊き出しや農業の手伝いをしてメシ食って、また寺院内の掃除とかをして、ミスティラの家に帰ってメシ食って、風呂に入って寝る。

 みんなとの会話はもちろん空いた時間に行っている。

 意思の疎通は重要だからな。


 それなりに忙しかったが、ちょうど良かった。

 余計なことをあまり考えたくなかった、というか実際考えるまでもない。


 ミスティラに限らず、今は誰とも結婚するつもりはない。

 絶対正義のヒーローとして、やることが色々あるからだ。

 そっちの方に集中したい。


 いや……正確にはちょっと違うな。

 うん、まあいいか。

 とにかく俺は、ミスティラとは結婚しない。それは確定的だ。

 つーかそもそも父親、モクジさんが認めなきゃお話にもならねえだろ。


 当のミスティラは特に干渉をして来なかった、というか期間中ずっとモクジさんのいる第一堂にいて、そこで寝泊まりもしているようだ。

 更に、結婚の件をタルテたちにも話してはいないみたいだ。

 あえて伝えて揺さぶりをかけてくるんじゃないかと危惧していたので、そこは助かった。

 本当に待ちの一手を取るつもりらしい。

 正直、そうしてもらっていた方がありがたい。


 まあ、俺の方が当日のうちにみんなに話しちまったんだけどな。

 だって隠してたらやましいことみたいじゃんか。


「俺、ミスティラに結婚して欲しいっつわれたんだけど」

「な、なんですって!?」

「これはこれは……驚きだな」

「おにいちゃん、けっこんしちゃうの?」


 皆の反応は予想通りだったので、事前に考えた台本通り喋るだけだった。


「心配すんな。俺はヒーロー道を邁進する男だぜ。それにジェリーの父ちゃん母ちゃんとの約束を破るわけないだろ。丁重にお断りするよ」


 そう説明して鎮静化させるのは難しくはなかった。


 そして遂に猶予期間は終わり、


『明朝、再び第一堂のお父様の御部屋まで、皆様でお越し下さいませ』


 と書かれた手紙が届いた。

 さて、そろそろお別れの時期だな。

 居候が板につきかけちまってたが、本来の目的地であるリレージュに行って、ジェリーが一人前の花精になるための試練を受けに行かなきゃな。

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