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33話『ミスティラ、謝礼を差し出す』 その1

 また、安食悠里の夢を見た。

 相変わらず幸福とは言えない内容だったが、心のどこかで、それを静かに受け入れられている自分もいた。


 そうだよな。

 別に抵抗しなくていいんだよな。

 あの時の苦しい、辛い出来事も、今の俺を形作る要素の一つなんだから。


 ……とは言っても、やっぱ飢餓は嫌だ。

 経験しないに越したことはねえよな。

 それに、あまり見たい夢でもない。


 目を覚ましちまおう。

 って、夢の中で夢だと自覚できるのって、結構珍しくねえか?






 見知らぬ、天井。

 なんて使い古された言葉遊びが浮かんできたのは、あの後すぐに寺院内の部屋で一眠りさせてもらったからだ。

 徹夜明けで疲れてたからか、結構寝ちまってたみたいだな。

 床に入ったのは真っ昼間だったが、外の様子からして今はおよそ夜明け前か。


 体を起こすよりも前に、腹の虫が思いっ切り鳴る。

 早速かよ。

 お前、寝る前に一応食ったじゃんか。

 そう、モクジさんをミスティラに渡した後すぐ、彼女から許可をもらってお粥を食べることができた。


 久しぶりに食うメシは、全身の細胞が咀嚼して味わい、染み込んでいくほど感動的だった。

 お粥って、こんなに濃い味のするもんだったかと思ったほどに。


 寝台の側にできた影に気付く。

 いたのは人ではなく剣だった。

 壁に、モクジさんが坐していた場所へ置き去りにしちまってた大包丁が立てかけてあった。

 誰かが運んできてくれたようだ。手間が省けてありがたい。


 さて、相棒の無事も確認できたし、どうすっかな。

 食糧を漁るのも、そもそも勝手に部屋の外へ出るのもまずい。

 やっぱ大人しく朝になるのを待つしかねえか。


 …………。


 何だか、じっとしていられない。

 モクジさんをミスティラに引き渡した直後は静かだった感情が、段々と達成感に、そして今は高揚感に変わっているのが自覚できる。


 みんなに会いたい。

 話を聞いてもらいたい。


「俺、こんなに凄いことをやり遂げたんだぜ」


 っていうのとは違う。

 別に自慢したいんじゃない。

 ただ、解放されたのが気持ちよかった。


 本当の意味で、やっと"誰か"を助けられた気がする。

 俺はあの瞬間初めて、本当のヒーローになれたのかもしれない。




 その後は結局眠れず、夜が明けていくのを窓越しにただじっと見つめていた。

 空の移り変わりって、こんなきれいなもんだったのかと、柄にもないことを思ってしまう。


 みんなが部屋に訪ねてきたのは、空が本格的に明るくなった頃だった。


「おにーちゃーん!」

「おーっす、おはよう。いい子にしてたか」

「うんっ、すぐはねられなかったけど、ちゃんと目をつぶってねたよ。おにいちゃんも、元気みたいでよかったぁ」

「おお、俺はいつも元気だぜ」


 いきなり飛び込んできたジェリーの頭を撫でながら、タルテとアニンに視線を送る。

 いい加減退屈を持て余していたので、こんなにもすぐ来てくれたのは嬉しい。


「無事なようで何よりだ。事の顛末はゲマイ殿から聞いたぞ。見事であった」

「ああ、どうもな」

「どうしたのだ。やけに神妙ではないか」


 ほんとにそうだ。

 夜明け前の盛り上がりは、まるで表で輝く太陽が消し飛ばしたかのように、すっかり雲散霧消してしまっていた。

 残っていたのは、話を聞かせたいという気持ちではなく、ただみんなに会いたかったという静かな欲求だけ。


 ……いや、もう1つ。

 そして、空腹感。


「腹が減っててさ」

「そう言うと思ってたわ。はい」


 タルテが呆れた顔をしながら近付いてきて、抱えていた包みを渡してきた。


「おお」


 結び目を解いてみると、一口ではかじれないくらい分厚いサンドイッチが3つ出てくる。


「とりあえず今はそれで我慢しなさい。約束は後でちゃんと守ってあげるから」

「ありがてえ。いっただっきまーす」


 3つのサンドイッチは、瞬間移動する勢いで俺の胃袋の中に収まった。


「ごっそーさん」

「早すぎるわよ。もっとよく噛んで……」

「見逃してくれよ。こちとら大仕事の後で消耗しきってたんだぜ」


 そう言い訳してみたら、タルテはそれ以上の小言を止め、小さくため息をついてお茶を出してくれた。


「お疲れ様」


 という言葉を添えて。


「おう。あんがとな。……そういやさ、ミスティラやモクジさんはどうしてる? 知ってるか?」


 ほっとする味のお茶で一息ついた後、気になっていたことを尋ねてみる。


「正確な状態は分からぬが、モクジ殿は順調に快方へ向かっているようだ。ミスティラ殿が傍で終日看護を行っているらしい」

「そっか。……よっと。んじゃ、ちょっと行ってみっかな」


 会わせてもらえるかどうか分からんけどな。

 それに、謝罪もしておきたい。

 理由はどうあれ、ゲマイさんや警護の信徒たちに手を出しちまったのは事実だし。


 俺が貸してもらった部屋は、信徒たちが寝泊まりしている宿舎の一室だ。

 廊下ですれ違った信徒に挨拶と礼を述べつつ外へ出て、そのままモクジさんたちがいる第一堂へと向かう。


 今日も一日、いい天気が続きそうだ。

 雲一つない青空が、どこまでも広がっている。


 心地よい乾いたそよ風に乗って、遠くから食べ物のいい匂いが漂ってきた。

 炊き出しの準備をしてるんだろう。

 ……また腹が減ってきた。

 と早くも次のメシのことを考えていると、建物が見えてくる。


「――どうぞ、お入り下さい」


 事情を話す必要もなく、第一堂の門番はあっさりと俺達を中へ入れ、案内までしてくれた。

 ミスティラかゲマイさんかが、事前に根回ししてくれたんだろう。


 第一堂の中はとても静かで、清々しい空気に満ちていた。

 一番よく聞こえたのは、外から聞こえる鳥のさえずりだったくらいに。

 自然と、俺達も無言になってしまう。


 ただ、中はどんな風になっているのかっていう好奇心までは収まらず、ついあちこちに視線を飛ばしがちになる。

 そうなってたのは俺だけじゃなく、タルテもアニンもジェリーも同じだった。


 覗き見たいくつかの部屋や広間は、やはり華美さとは無縁で、がらんとしてて質素だった。

 というかもはや空き家みたいだ。何もないに等しい。

 もはや建物が存在する意味さえ特にないんじゃないだろうか……と思いかけたが、先日ミスティラが、この建物には結界が張られていて、魔力や気配などを外部に漏らさない効果もあると語っていたのを思い出した。

 まあ、俺のような俗物では測れない重大な意味付けが他にも色々あるんだろう。

 それと、モクジさんがどの場所で瞑想に耽っていたのかは分からずじまいだった。


 モクジさんの部屋は、第一堂の隅にあった。

 案内役の信徒が扉を軽く叩いて声をかけると、中から「お入りなさい」というミスティラの声が戻ってくる。


 部屋の中は、こじんまりとしながらも、整理整頓が行き届いていた。

 容積のおよそ半分近くは書物で埋まっていたが、きちんと棚に並べて収納されていたため、乱雑な印象は全くない。


 モクジさんは奥の小さな寝台で昏々と眠り続けていて、ミスティラはそのすぐ傍に座り、片手には本を抱えていた。


「よくお越し下さいました」


 案内役が下がった後、ミスティラがやけにしおらしい態度で一礼した。


「モクジさんの容態はどうだ?」

「わたくしが傍にいるのです。快くならないはずがありませんわ」


 ……やっぱり、あんま変わってねえな。


「突然ですがユーリさん。お話したいことがありますの。少しよろしいかしら」

「ああ」


 何だろう。モクジさんのことか?


「では、外へ。申し訳ありませんが、他の皆さんはここでお父様を見ていて下さいな。何かあれば、近くの信徒に声を」

「承知した」


 俺とミスティラは第一堂を出て、境内の片隅へと足を向けた。






「ミスティラはちゃんと休んでるのか。あれからずっとモクジさんの傍についてるんだって?」

「ええ、問題はありませんわ。夜間は他の方に看病をお願いしておりますから」


 数歩先を歩くミスティラは、振り返りこそしなかったが、柔らかい声色で答える。


「貴方の方こそ、具合はいかがですの?」


 あまつさえ、こっちの心配までしてくれるとは。


「寝てメシ食ったらバッチリよ」

「それは何よりですわ」


 そんな話をしている内に、目的の場所に着く。


 寺院の雰囲気に反すると言っても過言ではない、殺風景な所だった。

 普段から誰も寄りつかない場所なんだろうと、容易に推測できる。

 それと、風雨に晒されて色褪せた煉瓦の仕切りが残っていることから、元は花壇があったんだなってのは分かるが、全く手入れがされていない。

 そもそも一輪の花さえも咲いておらず、石床も痛みが目立っていた。


「ちょっとばかし寂しい場所だな」

「かつては星々にも負けないほど美しい花々が咲き乱れる場所だったのですが、お母様が亡くなられてからは手入れをする者もいなくなってしまい、このような有様ですわ」


 もう既に"話したいこと"は始まっていると直感した。


「蘇らせようとは思わないのか」

「お母様は誰にも、例えわたくしやお父様であろうとも、この場所へ手を入れることを許しませんでしたから。ですが観賞自体は、万民に分け隔てなく許可していましたのよ」


 ミスティラの母親は、職人気質な所でもあったのか?

 などと思っていると、ミスティラがふっと振り返った。

 何てことのない、一瞬で終わる動作のはずなのに、あまりに軽やかだったから、つい意識して見てしまう。


「意外と繊細な眼をお持ちですのね」

「ば、馬鹿、何言ってんだ」


 正確に見透かされたので、思わず心臓がドキっとしてしまう。

 それさえも予想の範疇だったのか、ミスティラはふっと微かに笑う。

 不覚にも、可愛いと思ってしまった。

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